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河北新報 4月24日(日)6時13分配信
 東日本大震災で、石巻市の大川小は全校児童108人のうち65人が死亡し、9人が行方不明(22日現在)になった。大津波が引き起こした過酷な現実が、親たちに重くのしかかる。教職員も10人が死亡・行方不明に。学校であの時、何が起きていたのか。備えは十分だったのか。(佐藤崇、成田浩二)

 3月11日午後2時46分、5年生の教室では帰りの会が終わろうとしていた。「さようなら」。みんなで声を合わせた瞬間、強い揺れが襲った。急いで机の下に隠れ、全員が校庭に避難した。
 男子児童の母親(40)は、下校を待つため校庭近くに車を止めていた。携帯電話に緊急地震速報のメールが来た。車の外に出ると、立っていられないほどの揺れ。子どもたちが校舎を出てくるのを見て校庭に入った。点呼が始まる。子どもたちの表情は硬かった。
 近所のおばあさんが避難してきた。暖を取るため火をたこうとしていた先生の姿も覚えている。
 「津波だっつうど。なんぼでも高い所に逃げろ」。しばらくして校庭にいた年配の男性の声が聞こえた。母親は「山育ちの自分は、余震で建物が崩れることしか頭にない。誰も逃げようともせず、男性の話も立ち話程度にしか感じなかった」と振り返る。
 それでも「高い所」という言葉は耳に残った。子どもを連れて学校を離れ、津波に追い立てられるように車で峠方面に逃げた。
 別の母親(37)が車で学校に着いたのは午後3時15分ごろだった。「しばらくは校庭にいた方が安全。道路が壊れているかもしれない」。教師はそう助言したが「とにかく自宅に帰ろう」と子ども2人を連れ、5分ほどで学校を後にした。
 大津波警報が発令されたのは地震の3分後。市教委によると、校庭にいる間、学校は避難先を検討していた。学校にいた教職員11人のうち唯一、助かった男性教諭らからの聞き取りを基にした説明だ。
 学校は、裏山は倒木の危険性、校舎は余震で物が落下する恐れがあると判断したという。最終的に目指したのが、約200メートルほど離れた新北上大橋のたもとの交差点。校庭より6、7メートル高く「三角地帯」と呼ばれる場所だった。
 5年生の男子児童(11)は、1、2年生が手をつないで歩いていたのを記憶している。前方の大橋付近で水しぶきが上がり、波が向かってきた。みんな逃げようとしたが、一気に水をかぶった。
 津波に流されながら必死にすぐそばの山に上がろうとした。雪のためか、周りの友達も足が滑ってなかなか上がれない。「もう駄目だ」。生えていた木につかまると、何かが目にぶつかった。気が付くと斜面に体半分が埋まっていた。同級生が引きずり出してくれた。
 男子児童と同級生は、津波が襲う直前まで三角地帯で車両の誘導に当たり、山に逃げ込んだ市職員の佐藤幸徳さん(51)に保護された。
 住民ら16人でたき火を囲み、明け方を待った。子どもは中学生1人を含め4人。「寝たら死ぬぞ」。大人は声をかけたが、疲れた子どもたちは寒さに震えながら、何度となく短い眠りに落ちた。

読売新聞 4月25日(月)20時57分配信
 福島第一原子力発電所の4号機タービン建屋地下の汚染水について、東京電力は25日、約1か月前に比べ、放射性セシウムで250倍の高濃度になっていることを、事故対策統合本部の記者会見で公表した。

 3号機タービン建屋から流入している可能性がある。水位も上昇しつつあり、原子炉の安定冷却に向けた工程に影響を及ぼす恐れがある。

 東電は21日に、4号機タービン建屋地下の汚染水を採取し、放射性物質の濃度を測定した。通常運転時の炉水の10倍の濃度の放射性ヨウ素や、ヨウ素濃度を上回る放射性セシウムなどを検出。3月24日に同じ場所で採取した汚染水と比べると、長期にわたり高い放射線を出すセシウム134が7800ベクレル、同137も8100ベクレルで、それぞれ約250倍に濃度が上昇していた。また放射性ヨウ素131も約12倍だった。

 建屋地下の水位は徐々に上昇しており、4月25日午前11時で、床から最大1・15メートルの水深が計測されるなど、前日に比べて5センチ上昇。1週間前に比べて15センチも増えるなど、水量全体も増加しつつあるという。

 また、3号機タービン建屋地下の高濃度汚染水についても、改めて2か所で濃度を調べ直したところ、1か月前に比べて1・5〜2倍以上になっていた。

時事通信 4月25日(月)21時21分配信
 茨城県のJAと酪農業協同組合などは25日、福島第1原発事故の影響で農作物や原乳に風評被害を受けたとして、損害賠償対策茨城県協議会を設立し、東京電力に約18億4600万円を請求すると発表した。同協議会によると、原発の被害補償で具体的な請求金額を提示したのは初めて。
 28日に栃木県と合同で、東電に損害賠償請求書を提出する。賠償請求の対象とした農作物は3月11日から31日までに出荷した約40品目。昨年3月の市場価格と比較し、下落分の14億円超を損害額と算定した。出荷停止となった農作物の賠償請求額は今後検討する。
 原乳に関しては、出荷停止となった3月23日から3月31日まで損害額を約4億円とした。 

毎日新聞 4月25日(月)22時2分配信

福島県境にある宮城県南部の山元町。津波は高さ約6.2メートルの防波堤を越え、美しい砂浜とのどかな田園が広がる町を襲った。いずれも海岸から約300メートルの低地にある町立の山下第二小(児童数202人)と中浜小(59人)は津波で校舎が壊れ、児童は25日からの新学期を別の学校で迎えた。あの日、山下第二小は先生が児童を車に乗せて逃げ、中浜小は全員が2階建て校舎の屋上に駆け上がった。それぞれの学校が誘導した児童は全員無事だった。子どもたちの命を守ったのは、判断の速さと、幸運だった。【遠藤浩二、澤木政輝】

 ◇確認作業打ち切り 山下第二小

 3月11日午後2時46分。激しい揺れに山下第二小の作間健教頭(55)は校内放送のマイクをつかんだ。「机の下にもぐりなさい」。テレビをつけたが、揺れがひどく見られない。教務主任の太田久二男教諭(52)は職員室を飛び出し、1年生の教室に走った。泣き声が聞こえる。

 揺れが収まり、訓練通り全員が校庭へ出た。巡視係の太田教諭は校舎を一巡し、全員の避難を確認して最後に校舎を出た。その直前、1年生の教室のテレビで大津波警報が出ているのを知った。

 午後3時10分。校庭に保護者が次々に駆け付けた。学校は身元を確認せずに子どもを引き渡せない。氏名や家族構成、連絡先を記載した「非常持ち出し簿」と照合して児童を引き渡した。

 ◇車でピストン輸送

 怒声が響いた。「何やってんだ。早く逃げろ。津波が来るぞ」。走ってきた男性が言った。太田教諭は振り返る。「こんなことやってる場合じゃないと気付いた。もしあの時、あの一声がなければ、逃げ遅れて全滅していたかもしれない」

 瓦ぶきの校舎で屋上避難はできない。渡辺孝男校長(52)は確認作業を打ち切り、即決した。「車を出せる先生は車で子どもを役場へ。他は残った子と歩いて役場へ」。役場は学校から約4キロの小高い場所にある。保護者の迎えがなく残った児童は約70人。太田教諭ら6人が車6台に子どもを乗れるだけ乗せ、残った30人ほどを作間教頭ら5人が連れて役場へ急いだ。

 PTA会長の岩佐政公さん(38)は学校に向かう途中、小走りの作間教頭と子どもたちに会った。「車が足りない。頼みます」。作間教頭の言葉に、自宅にワゴン車を取りに戻り、児童の列に追いつきドアを開けた。その瞬間「どでかい雷がずっと続くような音」を聞いた。津波だ。乗ったばかりの十数人の子どもたちが泣き始めた。

 ◇家のむ青波「先生、早く早く」

 教員の車6台は、役場と徒歩組の間を往復し、児童をピストン輸送した。学校の北西約500メートルのJR山下駅近くで、車に乗れた3年の渡辺志乃さん(9)は「乗車後、家をのむ青い波が見えた。『先生、早く早く』ってせかした」。

 JR山下駅付近で徒歩組の最後に車に乗った作間教頭は「駅に津波が来たのはそれから5〜10分後だったと聞いている。全員が歩いていたら、とても間に合わなかった」。

 渡辺校長は一人で学校に残った。その後に来る保護者に児童の避難を伝えるためだ。校門で20人前後に対応し、振り返ると、約300メートル先の防波堤を越える津波が見えた。2階に走った。水は2階に届かなかったが、図書室の本棚から本を出した。「万が一の時はいかだにするつもりだった。でももっと波がきたらアウトだと覚悟していた」。翌朝、渡辺校長は自衛隊のヘリで救出された。

 ◇「低学年の足では間に合わぬ」屋上へ避難 中浜小

 山下第二小から南に約5キロ。中浜小の井上剛校長(53)は、強い揺れに校長室を飛び出した。職員室のテレビは津波到達予想時刻を10分後と流している。

 中浜小の危機管理マニュアルは津波到達まで20分以上の場合、北西約1.5キロの町立坂元中への避難を定めている。しかし、時間は10分。「低学年の足では間に合わない」。井上校長は校内の全員に校舎の屋上に上がるよう指示した。

 児童、教職員に近所の人たちも加わり、90人が屋上に。20分、30分……。津波は来ない。井上校長は「学年別に1列に座っていた子どもたちも保護者もおしゃべりしたり、海を見たりしていた。だが誰も『下りよう』とは言わなかった」と振り返る。井上校長は「必ず来る」と思っていた。既に到達した場所があると、テレビが伝えていたからだ。

 笹森泰弘教頭(50)は第1波が浜辺の松をなぎ倒したのを「午後3時40分」と記憶している。「キャー」「お母さん」。悲鳴が上がった。子どもたちと保護者を屋上にある約200平方メートルの屋根裏部屋に入れた。

 ◇「終わりだ」つぶやき聞こえた

 第1波は津波対策で高さ約2メートルにしていた校舎の土台がつかる程度。だが約1分後に来た第2波は2階に届いた。5年生の小林裕己さん(11)は「ガシャガシャ、ダーン、とガラスが割れたり机が倒れるものすごい音がした。耳をふさいでいる子も多かった」。

 緊張は極限に達する。沖合に第2波の倍以上ある巨大な波が見えた。「終わりだ」。見張っていた笹森教頭は誰かがつぶやくのを聞いた。「そのまま来たら屋上も丸ごとのまれる」。井上校長は、引き波が第3波を崩すことを祈った。

 次の瞬間、1〜2キロ沖で、第3波は引き波とぶつかり、波が小さくなった。それでも第3波は2階に達し、しぶきは屋上に降った。

 翌12日朝、自衛隊のヘリに全員が救助された。日下泰憲教諭(37)はヘリから見た風景が忘れられない。「学校以外は何も残っていなかった。よく無事だったなと、今でも思う」

(肩書と学年、年齢などは当時)

読売新聞 4月25日(月)22時25分配信
 福島県郡山市は25日、福島第一原発事故による放射線量の数値が高かった市内の小中学校と保育所の計28か所で校庭の表土を除去すると発表した。

 県教育庁によると、県内の教育機関で放射線対策の土壌改良を行うのは初めて。

 国の暫定基準では校庭の放射線量が毎時3・8マイクロ・シーベルト以上の場合、屋外活動を制限するとしており、県内13の小中学校、幼稚園などが該当していた。

 郡山市で基準以上だったのは小学校1校だけだったが、市は地表から1センチの高さの放射線量について、小中学校は毎時3・8マイクロ・シーベルト以上、保育所や幼稚園では同3・0マイクロ・シーベルト以上の場合は表土を除去するという独自の基準を設定。県の調査結果を基に、除去作業を進める学校、保育所を決めた。取り除く表土は厚さ1〜2センチを予定し、早ければ今週末から行う。除去した土は、市内の最終処分場に破棄する。

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