訃報

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8月23日7時44分配信 産経新聞

芸能リポーターの梨元勝さんが入院先の東京都内の病院で死去していたことが23日、明らかになった。65歳だった。所属事務所などによると、亡くなったのは21日午前5時19分。死因は肺がんで、梨元さんは治療のため、6月から都内の病院に入院していた。東京都出身。

 梨元さんは昭和42年に法政大学社会学部社会学科を卒業。その後は講談社に入社し、「ヤングレディ」の取材記者となった。昭和51年に「ヤングレディ」の取材記者を辞めて芸能リポーターに転身。芸能リポーターの草分け的存在として、テレビ朝日「アフタヌーンショー」を始め、多くのテレビやラジオ、新聞などで活躍。「恐縮です」の決めぜりふとともに芸能関係の“特ダネ”を多くものにしてきた。

 今年6月には肺がんを患っていることを公表。以後、ブログやツイッターなどで近況を伝えていた。

5月29日5時0分配信 シネマトゥデイ

アメリカの人気テレビ番組「アーノルド坊やは人気者」(1978年〜1986年)で主役のアーノルド・ジャクソンを11歳のときに演じ、人気を博したゲーリー・コールマンさんが42歳で死去した。死因は脳内出血とみられている。

 ピープル誌によるとゲーリーさんは水曜日に自宅で転倒し頭蓋骨を損傷し出血。ユタ・バレー・リージョナル・メディカル・センターに搬送された。木曜日には意識があり回復に向かっているかのように見えたが、その後容態は悪化し昏睡状態のまま金曜日の午後12時5分に亡くなったという。

 ゲーリーさんは、成長不全のため、身長が150センチ以下と小柄だった。「アーノルド坊やは人気者」で一躍人気ものになるが、両親と金銭トラブルになり自己破産をしてから人生は下り坂。たびたび暴力ざたを起こし警察のやっかいになったりと、華やかだった子役時代からは想像もつかない生活を送っていた。

4月11日2時17分配信 産経新聞

小説「吉里吉里人」やNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本のほか、戯曲やエッセーなど多彩な分野で活躍した作家の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名・●=ひさし)さんが9日夜、死去した。75歳だった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

[フォト]昭和47年、直木賞を授賞した際の井上ひさしさん

家族によると、昨年10月末に肺がんと診断され、11月から抗がん剤治療を受けていたという。

井上さんは昭和9年、山形県生まれ。上智大在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」文芸部に所属し、台本を書き始めた。39年からは、5年間続いた「ひょっこりひょうたん島」の台本を童話、放送作家の山元護久とともに執筆、一躍人気を集めた。

44年、戯曲「日本人のへそ」を発表して演劇界デビュー。47年に「道元の冒険」で岸田戯曲賞を受賞して、劇作家としての地位を確立した。奇想と批判精神に満ちた喜劇や評伝劇などで劇場をわかせ、59年には自身の戯曲のみを上演する劇団「こまつ座」の旗揚げ公演を行った。

小説家としても、47年に江戸戯作者群像を軽妙なタッチで描いた小説「手鎖心中」で直木賞を受賞。絶妙な言葉遊び、ユーモアたっぷりの作風で多くの読者に支持され、エッセーの名手としても知られた。自他ともに認める遅筆で、台本が間に合わず公演が延期となることなどから、「遅筆堂」と自称していた。

一方、戦争責任問題を創作のテーマに掲げ、東京裁判や原爆を主題にした作品も数多く発表。平成15年から19年にかけて日本ペンクラブ会長を務め、16年には護憲を訴える「九条の会」を作家の大江健三郎さんらとともに設立した。

戯曲「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊國屋演劇賞と読売文学賞(戯曲部門)、「吉里吉里人」で日本SF大賞、読売文学賞(小説部門)。小説「腹鼓記」「不忠臣蔵」で吉川英治文学賞、「東京セブンローズ」で菊池寛賞など受賞多数。16年に文化功労者、21年に日本芸術院会員に選ばれた。

●=マダレに「夏」

2月19日7時3分配信 スポニチアネックス

テレビのお笑い番組「てなもんや三度笠」や時代劇「必殺」シリーズなどで人気を集めた俳優の藤田まこと(ふじた・まこと、本名・原田真=はらだ・まこと)さんが17日午前7時25分、大動脈からの出血のため大阪府吹田市の大阪大病院で死去した。76歳。東京都出身。通夜は18日に大阪府豊中市内で近親者のみで営まれ、19日に葬儀が行われる。当たり役そのままの庶民派、人情派として幅広い層に愛された役者人生だった。

 「てなもんや…」の時次郎、必殺シリーズの中村主水、「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事と、テレビ史に残るキャラクターを演じてきた藤田さん。30億円といわれた巨額負債や大病も持ち前の粘りではね返してきた中、突然の最期だった。

 08年5月に食道がんを手術。昨年11月からは慢性閉塞(へいそく)性肺疾患で休養したが、今年1月15日にCS放送の時代劇専門チャンネルのナレーションで復帰。元気な姿を見せていた。

 関係者によると、急変したのは今月16日。普段通り病院で下半身のリハビリを2時間した後、自宅で夕食を取り、午後10時ごろに風呂に入ろうとした際に突然吐血。病院に搬送されたものの、意識は戻らなかった。

 翌17日朝、幸枝夫人と長女、孫らが駆け付けたが、帰らぬ人となった。最近は体調も良く「必殺」の新シリーズの台本に目を通し、張り切っていたという。先月26日には大阪でCM撮影に臨むなど順調だったため「家族は大きなショックを受けている」(関係者)という。松竹京都撮影所の関係者も「10日前に “これからもよろしく”とあいさつに来た。2月5日放送の剣客商売スペシャルの視聴率が良かったので“またやろう”と話していたのに…」と信じられない様子だ。

 33年(昭8)4月13日、東京都生まれ。父は無声映画で活躍した藤間林太郎。高校中退後に司会業で地方を回り、大阪で喜劇俳優に。62年、時代劇バラエティー「てなもんや三度笠」で人気者となり「当たり前田のクラッカー」などのフレーズで日本中を沸かせた。

 その強烈なイメージからしばらく役が付かず引退も考えた中、オファーを受けたのが73年から出演した必殺シリーズ。「ムコ殿」といびられる恐妻家の殺し屋・中村主水役は、本人いわく「情けない男の役をみんなが断ったから私に来た」という運命の当たり役。その後も88年から21年間、主演ドラマ「はぐれ刑事純情派」が放送されるなど人情味あふれる演技でロングラン作品を生んだ。

 大阪の盛り場で「北の(南都)雄二か、ミナミのまこと、東西南北藤山寛美」と呼ばれた遊び人だった一方、周囲が「働き過ぎ」と心配するほどの芸の虫。93年に夫人の事業失敗で30億円の負債を背負った時には「主水御殿」と呼ばれた豪邸を売却。愚痴も言わず休日返上で働く姿に債権者たちが仕事を探して応援したほど。藤田さんは「10年で完済した」と誇らしげに明かしていた。

 近年は健康面に不安を抱え、08年に食道がんで明治座「剣客商売」を、昨年11月には慢性閉塞性肺疾患でドラマ「JIN―仁―」を降板していた。通夜は18日午後7時から、生前の藤田さんの意向により近親者のみで営まれた。喪主は長男の原田知樹(はらだ・ともき)氏。遺族は19日の葬儀後、コメントを出す予定。後日、お別れ会が開かれる。

 ◆藤田 まこと(ふじた・まこと)本名原田真(はらだ・まこと)。1933年(昭8)4月13日生まれ、東京都出身。父は無声映画時代のスター・藤間林太郎。幼少期に京都にうつり、10代から司会やものまねをこなした。62年から出演したコメディー「てなもんや三度笠」が大ヒットし、関西で64%、関東でも40%を超える視聴率を獲得。「あたり前田のクラッカー」「耳の穴から指突っ込んで、奥歯ガタガタいわしたる」のフレーズなどで日本中を沸かせた。中村主水役を演じ当たり役となった「必殺シリーズ」は31シリーズ中、16シリーズに出演。舞台でもミュージカル「その男ゾルバ」で芸術選奨文部大臣賞受賞。02年紫綬褒章受章。

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12月2日21時44分配信 読売新聞

黄土色の砂漠を旅する隊商、藍(あい)色の夜に沈む仏教遺跡――。2日亡くなった日本画家の平山郁夫さんは、叙情味あふれるシルクロードの作品を描き続けた。

 被爆体験を原点に平和への祈りを抱き、文化財保護や国際交流など多彩な活動にも取り組んだ「最後の国民画家」。画壇内外に悼む声が広がった。

 横浜市西区のそごう美術館。巡回中の「再興第94回院展」には新作「文明の十字路を往く―アナトリア高原 カッパドキア トルコ―」が展示されていた。

 高原を行く隊商を描いた大作を前に、神奈川県二宮町の主婦森山千恵子さん(64)は「先生の温かい作風に元気をもらってきた。この作品を目に焼き付けておきたい」と目を潤ませていた。

 中学生の時、広島市内の勤労動員先で平山さんはB29爆撃機が何かを投下するのを目撃し、級友に知らせようと小屋に戻った。その瞬間に閃光(せんこう)が走り、悪夢のような惨状を歩いた。戦後は後遺症に苦しんだ。「一枚でいいから自分の気持ちを表現する絵を残したい、救われたい」。その切実な思いが出世作「仏教伝来」を生んだ。唐僧・玄奘(げんじょう)の姿に平和への祈りを託した作品だ。

 玄奘の旅を追体験するため、難所や悪路も構わずシルクロードを踏破。紛争地帯で銃を突き付けられたこともあった。近作の「パルミラ遺跡を行く・夜」などに至るシルクロードを描いた作品で、不動の人気を築いた。オークションで作品が2億円を超えたことも。さらに版画の形でも頒布され、国民的に親しまれた。

 文化財保護を訴え、外交ルートでは交渉しにくい国や地域とも対話した。バーミヤンの石仏が爆破されると、失われた石仏の姿を描いた。ともに文化財保護活動に取り組んできた前田耕作・和光大名誉教授は「文化遺産の保存修復を日本の技術で主導するのが平山さんの夢だった。その遺志を現場で引き継いでいくのが私たちの課題」と語る。

 こうした活動で広範な人脈を築き、画壇内外に強い存在感を誇った。母校・東京芸大の学長を2度務めたのも、大学改革に揺れるさなか、その力量を期待されてのこと。宮田亮平・同大学長は「愕然(がくぜん)としている。強い指導力と高い見識のもと、教職員を導いていただいたことは忘れられない」とのコメントを発表した。

 弟子で、同大教授の手塚雄二さんは「残念で、残念で仕方がない。絵だけでなく、人生や生き方のことも強く指導されてきた。頭の中が真っ白で、気持ちの整理がつかない」と声を落としていた。

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