訃報

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6月26日10時24分配信 CNN.co.jp

(CNN) 米ロサンゼルス郡検視局によると、「キング・オブ・ポップ」と称された世界的な人気歌手マイケル・ジャクソンさんが25日、ロサンゼルス市内の自宅で倒れ、死去した。50歳だった。前夜から体調不良を訴えていたとの情報もある。

兄の歌手ジャーメイン・ジャクソンさんによると、マイケルさんは同市西部ベルエアの自宅で心停止状態となった。通報を受けて救急隊が駆けつけ、カリフォルニア州立大ロサンゼルス校(UCLA)医療センターに搬送。医師団が1時間以上にわたって心肺蘇生措置を試みたが、午後2時26分(日本時間26日午前6 時26分)に死亡が確認された。

26日に検視当局による遺体の解剖が行われ、同日午後には結果が出る見通しだ。

捜査当局は、ロサンゼルス市警の強盗、殺人担当部門が死因などの捜査を開始したことを明らかにした。犯罪の可能性を示す証拠はないが、遺族や友人から事情を聴くとしている。

もう1人の兄で歌手のマーロン・ジャクソンさんがCNNに語ったところによると、マイケルさんは24日夜、マネージャーに電話をかけて「気分が悪い」と訴え、医師の往診を受けていた。マネージャーは「翌朝にかけて何が起きたのかは分からない」と話しているという。

UCLA医療センターや自宅周辺には多くのファンや報道陣が詰め掛けている。黒人運動指導者のアル・シャープトン師はジャクソンさんについて、音楽と音楽業界の基準を変えた「歴史的人物だった」と述べた。

ジャクソンさんは60年代に兄弟5人によるグループ「ジャクソン5」のリード・ボーカルとして注目を集めた。その後ソロ活動に移り、70年代から80年代にかけて数多くの大ヒットを出した。82年発売のアルバム「スリラー」では史上最多の売り上げを記録。近年は少年への性的虐待疑惑をめぐる裁判などで話題を呼んだが、無罪となった。

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6月13日22時1分配信 毎日新聞

 13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。

 大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。相手のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。医師だという観客の男性が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。

 三沢さんは栃木・足利工大付高でレスリング部に所属し、81年に全日本プロレスへ入門。84年にマスクマンのタイガーマスク(2代目)となり、人気を博した。90年からはマスクを脱ぎ、本名で活動。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍した。00年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。受け身のうまさには定評のあるレスラーだった。

 試合会場では、観客の看護師、竹本麻紀さん(31)=東広島市=は「子どものころからプロレスが好きでよく見に来ていた。まさかこんなことになるなんて」と涙を流しながら語った。広島市安佐南区の男子大学生(20)は「バックドロップで頭を打って意識不明になった。救急隊が長い間、心臓マッサージをしていた。三沢さんは試合中、頭を振る仕草を見せ、調子が悪そうだった」と話した。【加藤小夜、星大樹】

 ◇男子プロレスで死亡、00年に初の事例

 日本にプロレス興行が根付いた1953年以降、国内での試合中の事故が原因で死亡したのは、97年にJWP女子プロレスのプラム麻里子さん(当時29歳)が最初。相手の技を受け、頭部を強打したものだった。男子では00年に、栃木・足利工大付高レスリング部で三沢さんの後輩となる新日本プロレスの福田雅一さん(当時27歳)が同様に頭部を強く打って死亡したのが、初の事例となった。

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5月2日22時54分配信 毎日新聞

「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の栗原景子(くりはら・けいこ)さん。

 東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。

 一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、政治的なメッセージを込めた歌も歌った。そのため、反原発を扱ったアルバム「COVERS」やパンクロック風にアレンジした「君が代」が入ったアルバム「冬の十字架」が一時、発売中止になったり、コンサートで突然「あこがれの北朝鮮」「君が代」を歌って、FM中継が中断したこともあった。

 06年7月に喉頭(こうとう)がんと診断され入院。治療を続けた後、08年2月に日本武道館で本格復帰した。しかし、同7月、左腸骨にがんが転移していたことが判明、再び活動を中止し放射線治療などを続けていた。

 ◇自分の道を貫いた

 ▽音楽評論家、田家秀樹さんの話 日本のロックバンドと日本語のロックの原形をつくった人だった。忌野さんがリーダーだったRCサクセションは、黒人音楽と日本語を初めて結びつけ、またビジュアル系の元祖でもあった。反原発の曲をつくるなど、ロックが反骨であると証明し続けた。妥協もこびることもなく、音楽一筋を貫き通したと言える。死は早すぎた。

 ◇聞く者に力与えた

 ▽音楽評論家、天辰保文さんの話 清志郎さんの根底には黒人音楽への敬意があり、それをエンターテインメントの形で日本に定着させた功績は大きい。権威への反逆も一貫していたが、それをユーモアにくるみ、さりげなく表現していた。実はシャイな人だったと思う。彼の音楽には「彼は常に信頼できる人であり、自分もしっかりしなければ」と、聞く者に思わせる力があった。

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12月24日16時54分配信 産経新聞

元タレントの飯島愛さん(36)が24日、都内の自宅マンションで死亡しているのが見つかった。警視庁で、自殺の可能性があるとみて調べている。

 飯島さんは昨年3月にタレント活動を引退。ブログなどで近況を報告していたが、今年2月には「ノイローゼ」で通院治療していたことなどを告白していた。

 11月30日の書き込みでは、「時々、急に、寂しくなったりしませんか?」などとふさぎこむ内容が記されていた。

 飯島愛さんはテレビ東京系の深夜番組「ギルガメッシュないと」でTバックの女王として人気を集め、セクシータレントとして活躍。その後、テレビのコメンテーターとして活躍するなど、マルチな活躍を見せた。2000年には、半自伝的な小説「プラトニック・セックス」を出版。AV出演で性病感染した経験や、整形手術なども告白する衝撃的な内容でベストセラーとなった。同書は映画化やテレビドラマ化もされるなど、性感染症予防の啓蒙活動でも知られた。

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11月8日7時1分配信 スポーツニッポン


TBSの報道番組「筑紫哲也NEWS23」のメーンキャスターとして活躍したジャーナリストの筑紫哲也(ちくし・てつや)さんが7日午後1時50分、肺がんのため都内の病院で死去した。73歳。大分県出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻・房子(ふさこ)さん。昨年5月、番組内で肺がんを告白し「がんに打ち勝ってまた戻ってきます」と宣言し、闘病生活を続けていた。新聞、雑誌、テレビなどジャーナリズムの第一線で活躍。映画、音楽、演劇など芸術の分野にも造詣が深かった。

落ち着いた語り口と鋭い視点で多くの視聴者の信頼を集めた筑紫さん。関係者によると、家族にみとられて静かに息を引き取ったという。

昨年5月14日に番組内で「先週、初期の肺がんだと分かった。しばらく治療に専念したい。自分ががんになるとは思ってもみなかった。がんに打ち勝ってまた戻ってきます」と宣言。闘病生活に入ってからは、特番などに声のみで出演。同10月8日には147日ぶりにスタジオに登場。抗がん剤で髪の毛が抜け、一部は付け毛だと明かしながらも「約束したことが果たせてうれしい」と笑顔を見せていた。

関係者によると、がんは全身に転移。鹿児島県の病院で治療を受けていたが今週に帰京。数日前に容体が悪化したという。がん告白から543日で帰らぬ人となった。

療養中はDVDで映画や最新ドラマを観賞したり読書をして過ごしていた。国の行方を憂い、福田康夫前首相が辞任した時には「国としての体をなしていない」と嘆いていたという。

1959年、朝日新聞社に入社。政治部、米統治下の沖縄特派員を経てワシントン特派員となり、ウォーターゲート事件などを取材。その後「朝日ジャーナル」編集長時代には企画「新人類の旗手たち」が話題になり「新人類」は流行語になった。

テレビへの進出は78年、テレビ朝日「日曜夕刊!こちらデスク」。89年には朝日新聞を退社しTBS「筑紫哲也NEWS23」のメーンキャスターに。新聞記者として培ってきた独特の視点で論評するコーナー「多事争論」が人気で、TBSがオウム真理教幹部に坂本堤弁護士のインタビュー映像を見せた問題では「TBSは死んだに等しい」と発言、大きな反響を呼んだ。

昨年12月に後藤謙次・前共同通信社編集局長にキャスターを譲った後も、スペシャルアンカーとして体調を見ながら時折出演。今年8月11日に哲学者の梅原猛さん(83)と対談したのが、最後のテレビ出演となった。

「NEWS23」で97年10月から06年9月までサブキャスターを務めた草野満代さん(41)は「いつも穏やかで懐が深くて、どんなに違う意見にも耳を傾け論議する。まさに“多事争論”そのものの方でした」とコメントを寄せた。映画や音楽、演劇をこよなく愛し、番組でも文化や芸術を積極的に取り上げ、黒澤明監督や指揮者の小澤征爾らをゲストに招いた。作曲家・滝廉太郎は大伯父で、大分県竹田市の滝廉太郎記念館の名誉館長だった。

筑紫 哲也(ちくし・てつや)1935年(昭10)6月23日、大分県日田市生まれ。早大政経学部卒業後、59年に朝日新聞社入社。政治部記者、米ワシントン特派員などを経て84年に朝日ジャーナル編集長に。89年7月に同社を退社し、10月から「筑紫哲也 NEWS23」のメーンキャスターに。06年4月から立命館大学客員教授。ベストドレッサー賞(92年)、橋田賞特別賞(05年)、日本記者クラブ賞(08年)などを受賞。著書は「多事争論」(95年)「スローライフ」(06年)など多数。


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