訃報

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

10月13日2時31分配信 毎日新聞


映画やドラマで活躍した俳優の峰岸徹(みねぎし・とおる<本名・知夫=ともお>)さんが11日深夜、肺がんのため死去した。65歳。今春、がんの告知を受け、6月に予定されていた舞台出演を降板し治療に専念していた。

峰岸さんは東京都出身。大学在学中の62年に映画デビュー。渋い脇役として数多くの映画や舞台、ドラマに出演した。

映画では「廃市」「あした」など大林宣彦監督作品の常連として知られる。監督の新作「その日のまえに」(11月公開予定)にも出演。また現在公開中の映画「おくりびと」(滝田洋二郎監督)に主役の本木雅弘さんの父親役で出演。ドラマでは「高校教師」でヒロインの父親役を演じ話題になった。

イメージ 1

9月29日8時0分配信 産経新聞


【ロサンゼルス=松尾理也】吸い込まれるような青い目で世界中のファンを引きつけた米俳優、ポール・ニューマン氏の死去に、追悼の声が相次いでいる。端正な外見とは裏腹に、社会のはみ出し者や敗者を好んで演じたニューマン氏。その軌跡は、1960年代から70年代にかけて自問と内省を深めていったハリウッド、そして米社会そのものの変化とも重なっている。

「50年代にニューヨークから登場し、ハリウッドを征服した3人組の最後の生き残り」。英紙タイムズはニューマン氏をこう形容する。残る2人はマーロン・ブランド、ジェームズ・ディーン。ニューヨークで学んだ最新の演劇理論に基づき、怒りや悩み、弱さといった内面を正直に演じて映画界に新風を吹き込んだ面々だった。

公民権運動やベトナム反戦に揺れる米社会と同様、60年代のハリウッドも内省を深めていく。夢や希望、正義を掲げる従来の路線を離れ、反体制的な若者の心情を描く「アメリカン・ニューシネマ」の時代に入り、ニューマン氏は「明日に向って撃て!」(69年)で強盗を繰り返すお尋ね者、「スティング」(73年)では詐欺師を演じた。

米紙ニューヨーク・タイムズは「ハリウッドの新旧交代の象徴だった」と位置づける。AP通信は「ハンサムな外見とは逆に、反逆者や敗者を演じてきた。ハリウッドの伝統からみれば、ヒーローとは反対の存在だった」と伝えた。

ただし、「3人組」の中では、いつも一番後ろにいた。最初の売り出し文句は「第2のマーロン・ブランド」。出世作「傷だらけの栄光」(56年)の主演は、ディーンの急死によって得たものだった。

そのせいか、ハリウッドの派手な生活を嫌い、東海岸のコネティカット州に居を構えた。妻の女優、ジョアン・ウッドワードさんとはおしどり夫婦で知られた。浮気について聞かれ、「家にステーキがあるのに、わざわざ外にハンバーガーを食べに行かないよ」と答えたのは有名だ。

26日、がんのためコネティカット州の自宅で83歳の人生を終えた。早世したディーン、晩年は奇行が目立ったブランドと違い、常識人、家庭人として穏やかな最期を迎えたニューマン氏。俳優以外の活動でも知られ、82年に起こした食品会社の収益から2億ドル(約210億円)以上をチャリティーに寄付していた。

クリントン元大統領は「親愛なる友人を失った」とその死を悼み、シュワルツェネッガー・カリフォルニア州知事は「究極のクール・ガイ(イカした奴)だった」とコメントを寄せた。

イメージ 1

10月7日10時19分配信 日刊スポーツ


俳優緒形拳(おがた・けん=本名・緒形明伸)さんが5日夜、急死していたことが6日、分かった。71歳だった。死因などは不明。数年前からがんを患っていたとの情報もある。58年に新国劇入りし、故辰巳柳太郎さんに師事。重厚な演技で65年NHK大河ドラマ「太閤記」で秀吉役に抜てきされて以降、多くの映画、ドラマに出演。ドラマの最新作も放送開始直前の悲報だった。

緒形さんの親しい関係者によると、5日の夜に急死したとの連絡が来たという。詳しい死因は不明だ。また、別の関係者によると、緒形さんは以前から肝臓がん患っており、がんが全身に転移していたとの情報もある。しかし、緒形さんはがんの闘病中であることを周囲には明らかにしていなかった。今月9日スタートの倉本聡さん脚本のドラマ、フジテレビ「風のガーデン」に、主演の中井貴一の父親役で出演。北海道・富良野での収録にも精力的に参加しており、先月30日に都内で行われた、同ドラマの制作発表にも出席していた。

緒形さんは昨年末に腰椎(つい)を圧迫骨折していた。関係者によると、脳神経外科でセメントで骨を固定する手術を受け、1月12日に退院した。今年1月25日に行われ、声優を務めた映画「ライラの冒険
黄金の羅針盤」の会見には元気に出席し。その際には「もう大丈夫です」と笑顔で語っていた。

その際には、激痛は昨秋から始まったと話し「疲れがたまっていたのでしょう。今はリハビリの最中です」と自宅付近を散歩などしていると語り、「ゆっくり治します」と焦らず完全復帰を目指すなどと話していた。

先月には、富良野で行われたフジテレビ「風のガーデン」の制作発表に、倉本さんや、共演者の中井貴一らと出席。報道陣らにも元気に対応していた。

緒形さんは高校時代に新国劇にあこがれ、俳優になることを決意。58年に新国劇に入り、故辰巳柳太郎さんに師事した。65年のNHK大河ドラマ「太閤記」で秀吉役に抜てきされ、評判の演技をみせた。以後、映画、テレビドラマに数多く出演するようになり、演技派俳優として認知されるようになった。75年に新国劇を退団。映画「復讐するは我にあり」などに主演。各映画賞で主演男優賞を受賞した。緒形直人も俳優。

イメージ 1

8月27日17時0分配信 夕刊フジ


S状結腸がんのため、25日、48歳の若さで死去した女優、深浦加奈子さん。テレビドラマでは「家なき子」「ナースのお仕事」や、NHK大河の「秀吉」などで名脇役として、おなじみだったが、小劇場出身の陰影がある演技に定評があった。

関係者によると、深浦さんは2003年に大腸がんが見つかり、その後、全身に転移。約3年半前には所属事務所を辞め、フリーとなり、仕事を控えながら闘病していたという。

東京都生まれ。明治大文学部演劇学科在学中の1980年に劇作家の川村毅らと劇団「第三エロチカ」を旗揚げ。89年に退団するまで全公演の主役を務めた。

小劇場演劇では、野田秀樹、渡辺えり、鴻上尚史らと並ぶ“第三世代”。劇団名通り、猥雑でエロチックな舞台も多く、体を張った演技で抜群の存在感を示した。「後のドラマ出演で、クセのある嫌みな小姑やお局が、光ったのは舞台の実績に裏打ちされたもの」と演劇評論家が語る。

「仕事が恋人」と公言し独身を貫いた。入院する8日前まで気力を振り絞り、番組のナレーションを務めたという。アイドルに毛が生えたようなタレントが跋扈(ばっこ)するテレビは、また貴重な人材を失った。

イメージ 1

8月8日7時2分配信 スポーツニッポン


タモリは、手にしていた紙を何度も見ながら弔辞を読んでいたが、紙は白紙で、すべてアドリブだった可能性がある。7日夜放送のテレビ朝日「報道ステーション」では、弔辞の様子をVTRで伝え、映像から「手にした紙には何も書かれていないようにも見える」と指摘。インターネット上の掲示板でも話題となり「白紙なんだよね。すごいよタモさん」「あの長い弔辞を白紙で読んでるとかすげぇな」「読み上げるふり。ささげるギャグなのかな」などといった書き込みが相次いだ。

◆タモリ弔辞全文◆

弔辞

8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

平成20年8月7日、森田一義


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事