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河北新報 6月6日(月)14時26分配信
 仙台市八軒中(若林区)の吹奏楽・合唱部の歌声が震災復興の応援ソングとしてCD化されることになり、同中で4日、収録作業が行われた。震災後、精力的にステージ活動に取り組んできた部員約40人が、郷土再生の願いを込めて2曲を歌い上げた。CDは7月6日に全国発売され、収益金は全額義援金として寄付される。

 吹奏楽・合唱部は3月19日に吹奏楽、合唱それぞれの全国大会に出場予定だったが、震災のため断念した。代わりに、避難所となった同中内や各地のイベントで美しい歌声を披露してきた。
 復興を後押しするために歌い続けてきた合唱曲「あすという日が」の歌詞と部員の活動に、東京の広告会社「フェザンレーヴ」が共感。阪神大震災時に作られた合唱曲「しあわせ運べるように」と合わせ2曲のCD化を企画し、仙台市教委などの協力で実現した。
 収録は中学校の武道場にマイクや録音機器を持ち込んで行われた。会場には「しあわせ―」を作詞・作曲した神戸市の小学校教諭臼井真さん(50)も訪れ、「ボランティアや被災者の気持ちを込めた1曲。歌声に込めた気持ちは必ず被災者に届くと思う」と部員を励ました。
 歌の収録後、部長の佐藤志織さん(14)は「たくさんの人に支えられて収録できた。被災地が一日も早く復興できることを願っています」と話した。
 CDは1枚1000円。ネット配信でも販売する。連絡先はフェザンレーヴ03(3523)9353。

産経新聞 6月5日(日)7時56分配信

東日本大震災で家に住めなくなった被災者のうち、仮設住宅の抽選に当たっても避難所に残る人がいる。仮設住宅では食事や飲用水、通院などに支障をきたすというのだ。一方、「早く仮設に入りたい」と切望する多くの落選者もいる。さまざまな住民の「住まい」への思い。板挟みにあった宮城県南三陸町は仮設住宅への入居期限に締め切りを設けるなど、対策を強化し始めた。(荒船清太)

 ◆ここは3食出る

 宮城県大崎市の鳴子温泉の宿泊施設に避難している南三陸町の佐々木とし江さん(79)は、4月29日に南三陸町内の仮設住宅に当選した。

 しかし、当選後の説明会で、仮設住宅からは病院への無料送迎車が出ないことや食事の配布がないことを知り、今も鳴子温泉に残っている。

 腰と肩とひざを痛め、ふくらはぎもむくみ、歩行補助車を使って歩くのがやっと。震災前は介護ヘルパーに買い物をしてもらっていたが、今はそれもない。「足腰もろくに立たないのに3食作れというのか」と、ベッドで体の痛みに顔をゆがませた。

 知的障害を抱えた孫の賢さん(26)と2人暮らし。町には6月中の移動を促されている。頼りにしていた兄は津波で流された。

 「どう食べて、通院すればいいのか。このまま移れば、仮設で死ぬだけだ」と訴える。

 母親(74)と妻(45)、1歳から18歳の子供4人で鳴子温泉に避難している大工の男性(45)も仮設住宅に当選しながら“残留組”だ。

 「いつかは避難所を出なくてはいけない」と応募したが、中学3年の次女(14)が「友達と離れたくない」と反対。さらに、仮設住宅では津波の影響で水道水の塩分が高くて飲めないと知った。移れば、給水車に頼る生活になる。男性は「ここは3食出る。当面、この施設にいたい」と希望している。

 ◆入居期限を設定

 仮設住宅に当選しても移らない被災者に対し、南三陸町も対策を取らざるを得ない。町民約700人が避難する鳴子温泉の宿泊施設には国から1人1泊5千円が支給されている。仮設住宅への入居が決定している人には、支給は続けられないという理由だ。

 同町建設課によると、仮設住宅の鍵の受け渡し後も入居していない世帯は数十戸。4月22日の第1回抽選の当選者にも未入居者がいる。

 これまでは個別に説得していたが、「待っている落選者もいる」として、5月下旬から鍵を渡す際に1週間以内の入居を要請するようにした。6月中には仮設住宅を一度見回り、未入居の場合、入居を取り消して補欠当選の被災者や次の抽選に回すことも検討しているという。

 ◆いつまで待てば

 一方で、多くの被災者は一日も早い仮設住宅への入居を望んでいる。

 南三陸町のホテル「南三陸ホテル観洋」に避難している主婦、菅原美穂さん(37)はいまだに仮設住宅に当選していない。

 高校1年の長女、ひなたさん(15)は周りの友人が弁当持参で登校するなか、避難所から配給されたパンを持っていく毎日。菅原さんは「水なんかなくていい。一日も早く、娘に弁当を持たせてやりたい」と話す。

 いつでも仮設住宅に移れるよう、服や生活用品は段ボールに入れたままだ。「住まいが落ち着かなければ仕事先も決められない。欲しい人に当たらず、当たった人は入らない。いつまで待てばいいのか」とため息をつく。

河北新報 6月5日(日)9時43分配信
 宮城県岩沼市は5日、東日本大震災直後から設置していた市内の避難所を閉鎖する。最後の避難所となった市民会館では4日、約3カ月にわたり被災住民に炊き出しを行ってきた自衛隊に感謝する会が行われた。県によると、沿岸部の自治体で全ての避難所が閉鎖されるのは初めて。
 会には被災住民ら約100人が参加。井口経明市長が「震災直後からずっと温かいご飯を提供してくれた。この恩を忘れない」と述べた。有志が隊員に花束を手渡し、感謝の気持ちを伝えた。陸上自衛隊福知山駐屯地(京都府)の佐藤典(つかさ)2尉(40)は「これからも苦労はあると思うが、頑張り過ぎず一歩ずつ歩んでほしい」とエールを送った。
 会終了後、住民たちは避難所の運営をしてきた市民会館の職員に別れのあいさつした。この日、仮設住宅に家財道具を運び込んだ岡部格さん(54)は「一日も早く震災前の生活に戻れるようになりたい」と話した。
 岩沼市は震災当日の3月11日に避難所を設置し、ピーク時には、26カ所に6600人の市民が生活していた。3日から仮設住宅第5次着工分の引き渡しが始まり、入居を希望する384世帯全てが入居を終えた。

河北新報 6月5日(日)6時12分配信
 皇太子ご夫妻は4日、東日本大震災のお見舞いのため宮城県入りし、宮城県山元町の避難所などを訪問された。ご夫妻が被災地に入るのは初めて。
 ご夫妻は、自衛隊機で仙台空港に到着。約60人が身を寄せる山元町の山下小体育館では、津波で自宅を流された松本テイさん(83)が「近くの工事現場の人たちに助けられました」と話すと、皇太子さまは「逃げるのも大変だったでしょう」と気遣った。
 雅子さまは、無職鈴木弘子さん(67)が津波の様子を涙ながらに説明するのを聞き、「大変でしたね。元気を出してください」と固い握手で励ました。ご夫妻は、隣接する山下中の避難所も見舞った。
 案内した斎藤俊夫町長は「90人が屋上で助かった中浜小や鉄道の被害状況などをご説明した。心温まる言葉をいただき、感激した」と語った。
 ご夫妻は、井口経明岩沼市長、佐々木一十郎名取市長の案内で、42人が犠牲になった岩沼市の下野郷地区も視察した。がれきが残る被災地に向かって黙礼。「お体を大切に、市民のために頑張ってください」などと井口市長らを激励したという。
 同行した村井嘉浩知事は「被災者一人一人に、時には手を取りながら温かい言葉を掛けていただいた。感謝したい」と話した。

河北新報 6月4日(土)13時54分配信
 自主財源で独自の地域活動に取り組む鹿児島県鹿屋市の柳谷町内会(通称やねだん)から、宮城県内の被災地を支援している任意団体「東北関東大震災共同支援ネットワーク」(仙台市)に、軽ワゴン車1台と絵本やおもちゃが贈られた。

 支援のきっかけは、ネットワークの事務局を務めるNPO「全国コミュニティライフサポートセンター」(CLC、仙台市)から「被災地を回る車が足りない」と聞いたこと。やねだんは、子ども向け物資の運搬などに使う車を届けることにした。
 車は「やねだん号」と命名され、地元の芸術家ら3人が車体に花や太陽、文房具などを描いた。5月24日に鹿屋市を出発。やねだんが主催する学習会「故郷創世塾」の全国の卒業生43人がリレーで運転し、各地で募った絵本や文房具、おもちゃを積み込んで1日に仙台市に到着。ネットワークに引き渡された。
 早速、2日には宮城野区の岡田児童館を回り、現地入りしたやねだんの豊重哲郎会長(70)らが地元の親子に絵本などを届けた。長男(2)と一緒に絵本を選んだ主婦の大倉美帆さん(35)は「遠くから届けてくれた皆さんの思いがありがたい。震災後、子どもにとって絵本は本当に大事だと実感した。じっくり読んであげたい」と話した。
 ネットワークで活動するCLCの岡田尚さん(26)は「車体の絵が楽しい。これを見たら子どもたちが元気になってくれる」と期待を寄せる。今後、絵本などを石巻市などにも届ける予定だ。
 やねだんは住民約310人が、芋焼酎の開発・販売などで自主財源を得て、独自の地域づくりを進めている。今回の震災でも福島県からの避難者3家族10人を地元の空き家を整備して受け入れるなど、支援活動に取り組んでいる。
 豊重会長は「被災地の子どもたちに、一分一秒でも早く学ぶ雰囲気をつくってやってほしい。全国の塾生とも連携し、今後も交流を続けたい」と話している。


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