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リットン報告書解説

 以下は渡部昇一解説・編『全文 リットン報告書』(ビジネス社、2006年、原著1932年9月)に基づくが、この右翼の書いた解決はあてにならないため、私が解説を加えた。

・満洲事変に際して日本の要請に基づいて国際連盟から派遣された調査委員会(英リットン、伊アルドロヴァンディ、仏クローデル、米マッコイ、独シュネー)が、1932年の日中現地調査を踏まえて9月に提出した大部の調査報告書
(望月:日本の要請に基づいて派遣され、大国中心で構成されていることに注意(大国は植民地帝国として中国において日本と似たような立場にあること、東欧の小国は独立したばかりで大国の横暴に敏感だったことが理由))

・満洲事変を日中間の「さほど重要ではない軋轢が積み重なった結果」と見て、満洲の歴史的な背景を「多角的に観察」している。
→その際、日本が満洲にもつ権益について、「このような事態はおそらく世界のどこにも例がなく、隣国の領土内にこのように広範な経済的・行政的特権をもつ国はほかにはないはずだ」という評価が下されているが、他方で満洲における日本の「特殊地位」を国際的に承認させようとする日本の努力は「部分的成功にとどま」ったとされる。

・日本に同情的で中国に否定的な評価が目立つ。
中国の近代化に伴う政治的混乱や社会的不安が「シナと接触するあらゆる国に不利な影響を及ぼし、それが克服されるまでシナは、つねに世界平和の脅威であり、また世界経済の不況の一原因となるだろう」という記述、
(望月:日本の幕末維新期に当たる国内の混乱の時期に、欧米日が外部から戦争を仕掛けている以上、混乱は当然なのだが)
日本はこうした「無法状態によってどこの国よりも強く苦しんでいる」という記述、
「外国人の利益は条約上の特権によってこそ守られていた」という記述、
(望月:このあたりは欧米日が武力で獲得した利権をそのまま擁護している部分)
満洲事変は「一国の国境が隣接国の武装軍隊によって侵略されたといったような簡単な事件でもない」という記述=侵略認定の却下
中国国民党(蒋介石政権)による「排外宣伝」・日本製品ボイコット運動の主導、満洲軍閥(張作霖とその息子張学良)政権の「腐敗、悪政」への非難
ただしボイコットが強国の侵攻への防御手段であることは認め、その大衆的基盤をも認定している。
(望月:張作霖爆殺や柳条湖事件を日本の謀略だと断定していない点にも注意を要する。これらは現在の歴史学では、日本軍による謀略であることがほぼ確定しており、それに対する反論には史料的根拠がほとんどない。日本製品ボイコットなどは、張作霖爆殺にも一因があり、問題はその手段の過激化であった)

・他方で中国の統一や近代化の試みには比較的好意的な評価が見られる。
国民党政権の下で「ありとあらゆる困難、遅滞、失敗にもかかわらず、相当の進歩がなしとげられていることもまた事実である」という記述
張政権による「行政改善の努力」への一定の評価など
 (望月:この時期、欧米は中国の統一・近代化・門戸開放に期待し、特定の国家がそれを妨害することに忌避的であった。実際、この時期中国に対して強硬政策をとっているのはもはや日本のみである)

・日中の懸案であった鉄道問題を「全般的に考察すると、問題の多くは技術的な問題で、通常の仲裁や司法手続によって解決できることは明白だ」と明言されている。
=国際協定の侵犯というより、日中の単なる解釈のずれに起因するとされる。
 例:満鉄並行線禁止や鉄道守備隊は条約に基づくものではない
万宝山事件のような日中間の軋轢の過大評価にも本書は否定的である。
ただし、これらの懸案の背後には、日中の国策の根本的対立があるとも指摘する。
日本:満洲は日本の影響下におく
中国:国権回復=外国利権の一掃
→こうした状態を考慮して、本書は「単なる原状回復が問題の解決にならない」とする。
 (望月:この時点で満洲の張学良政権に見切りがつけられる)

・満洲事変を日本軍の自衛とは認めないという立場を明言している。
…鉄道爆破の犯人はともかく、線路は殆ど被害を受けず、列車が通常通り運行している以上、満洲占領は誤りである。
(望月:自衛ではない軍事行動はこの時期不戦条約によって違法行為になるはずだが、おそらく事前の国民党や張政権の行動が日本への挑発とみなされたため、上記のとおり侵略認定は却下されている。ただしそうした「中国側の挑発」自体、日本の以前からの武力侵攻や張作霖爆殺への反発に起因している)

・満洲を明白な中国の一部と見て、満洲国独立を否定している。
←満洲人口における漢民族の圧倒的な割合、
彼らの満洲国への敵意、
中国統一のための内乱への満洲軍閥の参与、
日本人の主導による分離独立
 (望月:この部分は現在でも正当)

・それに代わって、本書は満洲における中国の主権の下で、十分な数の日本人を含む外国人顧問を登用した自治政府案を提唱し、武装隊を憲兵隊に限定した。そのうえで、日中の強固な経済的つながりに注目し、両国に友好の利益を勧告する。
 (望月:日中の対立を調停しうる満洲の国際管理案。日本の関東軍など、外国軍隊の撤兵を要請。日中双方に配慮した内容であり、中国政府もこれを認めた)

→望月:この後国際連盟総会はこの報告書を基礎とする決議を賛成42、反対1(日本)、棄権1(タイ)で可決した。チェコ、スイス、アイルランド、スペイン等は中国側を擁護した。日本は急いですでに満洲国の建国を国家的に承認していたため、これを拒否し、他国による調停の努力も蹴って国際連盟を脱退する。当然、形式的には独立国の満洲国はそのまま日本の支配下に置かれる。ちなみに当時日本は国際連盟の常任理事国であった。その後も日本は華北分離工作を続け、1937年には日中戦争に突入する。

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本人補足:「晩年の張作霖元帥は日本に対して、日本が各種の条約や取決めによって獲得した特権を容認しない意向を示しはじめた。」列車爆発による張の「殺害の責任は今日まで確定されていない。」「当時、この事件は日本の謀略ではないかという嫌疑が起り、」…と、張作霖爆殺の記述が続くが、日本の関東軍の河本大作大佐らが犯人であることは、現在の歴史学界の定説となっている。これに対してソ連犯行説などが右翼を中心に騒がれているが、あやふやで根拠薄弱な証言ばかりであり、上記の定説を覆すまでには至っていない。したがって歴史学界では相手にされていない。

2011/11/9(水) 午後 1:55 [ a99*90*d ]

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本人補足:張学良の「悪政」の認定は以下の通り:満洲の「軍事費は全経費の八〇パーセントに達すると推定されるため、その残額では行政・警察・司法・教育の費用をまかなうことができず、官吏に対する俸給も支給することができなくなってしまった。そこであらゆる権力は少数の軍人の手に握られることになったから、彼らを通じなければ官職に就けず、当然の帰結として、親戚や特別なひいきが横行し、腐敗、悪政は跡を絶たなかった。われわれ委員会も、そうした悪政に対する不平が各地に渦巻いているのを認めた。もっとも、そうした事態は満洲に特有のものではなく、シナのその他の地方にも同様に、あるいはもっと悪いかたちで存在している。 軍隊を養うためには重税を課す必要があるが、通常の収入では足りないため、当局は省政府が発行する不換紙幣の価値をだんだんに下落させることによって人民に課税した。」「満洲の重要物産の管理権を握ることによって当局は、外国の豆類買入業者、とりわけ日本人に対して高価買入を強制し、収入を増大させようとした」

2011/11/9(水) 午後 1:57 [ a99*90*d ]

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本人補足:他方、張学良の功績の認定は以下の通り:「一九三一年九月の事件[満洲事変]以前、満洲の行政が不完全だったことは事実であるが、同地方の一部においては行政改善の努力が行われ、ことに教育の進歩、都市行政や公共事業の方面で若干の効果が上がっていたことは認められる。その時期、張作霖元帥および張学良元帥のもとで行われた満洲の経済資源の開発組織のおかげで、シナ人民およびシナの利益が従来よりもはるかに大きくなったことは強調しておく必要がある」。なお、右翼はロシアの満洲侵略を非難するが、日清戦争後、「ロシアは、日本がシナに課した戦争賠償金の支払いに関してシナを援助した。」その見返りとして、ロシアは東清鉄道建設権を得たとリットン報告書も明記している通り、日本も無関係ではないのである。

2011/11/9(水) 午後 1:59 [ a99*90*d ]

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本人補足:満洲における日本の位置づけについては、「従来、東三省[満洲]はつねにシナや列国がシナの一部と認めてきた地域で、同地方におけるシナ政府の法律上の権限に異議が唱えられたことはない」が、「日本人の懐いている特殊地位の観念は、シナと他の諸国とのあいだの条約や協定中に規定されているものとはまったく違う。日露戦争の遺産としての国民感情、歴史的な連想、あるいは最近の二十五年間における満洲の日本企業の成果に対する誇りは(なかなか捕捉しにくいものであるが)「特殊地位」の要求の現実的な部分を形づくっている。したがって日本政府が外交用語として「特殊地位」という語を使用するとき、その意味は不明瞭で、ほかの諸国がその真意をつかむことは不可能ではないにしても困難である。 日本政府は日露戦争以来何度か、ロシア、フランス、イギリス、アメリカから、満洲における日本の「特殊地位」「特殊勢力および権益」または「最高の利益」の承認を得ようとしてきたが、その努力は部分的成功にとどまり」…と言われる。

2011/11/9(水) 午後 2:05 [ a99*90*d ]

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本人補足:満鉄並行線問題については以下の通り:「満洲における、いわゆる「並行線問題」に関する紛争は長いあいだ重要なものだった。」「われわれはいまや、いわゆる「並行線」に関する一九〇五年十一月〜十二月の「北京会議」における清国全権の約束は、いずれの正式条約中にも見られないこと、問題の約束は一九〇五年十二月四日の北京会議の第十一日目の会議録のなかにあることがわかった。」この「並行線」に関して、「両者が十分満足できるような定義を作成することはむずかしそうだ」。一八九六年の露清鉄道原約に基づいて、「日本側が、満鉄は「その土地に対する絶対的・排他的行政権」を与えられていると主張するのに対し、シナ側は「主権国の権利」を主張の論拠とした」。他方領事館警察については、「日本側は、領事館警察を配置する権利は当然、治外法権に付随するものであって、これらの警察官は日本国民を保護し懲罰するうえで必要だから領事裁判所の司法権の延長にすぎない、と主張する。」「ただし、治外法権条約をもつ他の諸国は一般にそういうことを行っていない」という認定である。

2011/11/9(水) 午後 2:09 [ a99*90*d ]

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本人補足:日本の鉄道「守備隊は日本の正規兵で、しばしば警察職権を近接地域に及ぼしていた。またシナ官憲から許可を得たり得なかったり、あるいは通告したり通告しないまま、鉄道付属地外で演習を行うことがしばしばあった。これらの行動は官民を問わず、シナ人一般に嫌悪され、不法なだけでなく、不幸な事変を挑発するものだと見なされた。そうした演習はしばしば誤解を生み、シナ人の農作物におびただしい損害を与えた。それに対して物質的な賠償を行っても、反感を消すことはできない」との認定も注目に値する。

2011/11/9(水) 午後 2:12 [ a99*90*d ]

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本人補足:在満朝鮮人問題の論点は以下の通り:「シナ側は、朝鮮人が間島地方以外の満洲各地において土地を買収したり租借する権利を否認している。なぜなら、この件に関する日支間の協定は一九〇九年の「間島協約」だけで、それは、その適用を間島地方に局限しているからだ。したがってシナ国民となった朝鮮人だけが、満洲内地において土地を売買したり居住したり土地を租借したりする権利をもっている。」「間島協約とは、シナが朝鮮人に農地を所有する特権を与える代りに、日本はこれら朝鮮人に対する法権を放棄すべき筋合のものだというのである。」中国側の主張によれば、一九一五年条約は「満洲に関する日支間の現行条約は、本条約に別に規定するもの以外、いっさいこれまでどおり実行すること」という規定を持っているため、「間島協約の規定に変更を加えることができないと主張する。」他方、日本側は「一九一〇年の朝鮮併合によって朝鮮人は日本国民となった」こと、「間島協約の条項中、一九一五年の協約と矛盾するものは後者によって廃棄され」ることを主張する。

2011/11/9(水) 午後 2:13 [ a99*90*d ]

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本人補足:満洲事変の発端については以下の通り:「九月十九日土曜の朝、奉天市民が目覚めると町は日本軍」…「の手中に落ちていた。たしかに夜中、砲声を聞いたけれども別に不審には思わなかった。これまでにも日本軍は小銃や機関銃の猛射をふくむ夜間演習をしてきたし、その週それは連夜のことだったからだ。」「日支両軍のあいだに不安な気分が存在したことについては疑う余地がない。調査団に説明があったように、日本軍はシナ軍とのあいだに敵対行為が起ることを予想して慎重に準備された計画をもっていたが、九月十八日夜から十九日にかけて、本計画は迅速かつ正確に実施された。シナ軍は前述した訓令[張学良の「隠忍自重せよ」という訓令]により、日本軍に攻撃を加えたり、日本人の生命・財産を危険にさらすような計画はもっていなかった。彼らは日本軍に対する反撃命令を受け、連携をとって攻撃を行ったのではなく、日本軍の攻撃やその後の行動に狼狽しただけである。

2011/11/9(水) 午後 2:16 [ a99*90*d ]

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本人補足(続き):九月十八日の午後十時から十時半のあいだに、鉄道線路上ないしその付近で爆発があったことは疑いないが、鉄道に対する損傷は、もしあったとしても長春からの南下列車の定刻到着を妨げなかったのだから、それだけでは日本軍の軍事行動を正当とするわけにはいかない。したがって同夜における日本軍の軍事行動は正当な自衛手段と認めることができない。もっともこれによって調査団は、現地の日本軍将校たちが自衛のための行動だと信じていたという仮説を否定しようというのではない。」錦州爆撃については、「武力によって政庁を爆撃するのは正当とはいえない。また爆撃区域が、日本側が主張するように制限されていたかどうかについても疑問の余地がある。」

2011/11/9(水) 午後 2:18 [ a99*90*d ]

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本人補足:満洲国建国過程については以下の通り:「遼寧[奉天]省長だった臧式毅中将は、最初九月二十日、シナ中央政府から独立した省政府組織について交渉を受け、それを引き受けることを勧誘されたが、拒絶した。次いで同中将は逮捕され、十二月十五日、釈放された。」治安維持委員会の組織について「日本側の新聞はただちに、これを分離運動の第一歩として称讃したが、十月五日、袁金凱氏はこうした意思がないことを公然と声明した。」同委員会の活動には、日本人がさまざまに介入し、やがて遼寧省の分離独立に至った。「袁金凱氏は臧式毅将軍と交代した。臧式毅将軍は監禁から釈放され、奉天省長に就任した。」吉林省でも日本人主導で煕は(望月注:さんずいに合)中将の下、新省政府が樹立されたが、「四十三県のうち十五県は改革されたが、そのなかにはシナ人県吏の解任もあった。その他十県の県吏は煕は(望月注:さんずいに合)将軍に忠誠を表明したのち、そのまま就職を持続した。そのほかは依然として旧政権に忠実なシナ人軍閥のもとにとどまるか、または闘争する各派に対して中立の立場を保った。」

2011/11/9(水) 午後 2:20 [ a99*90*d ]

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本人補足(続き):「独立を達成する主要な手段となったのは奉天に中央事務所を置いていた自治指導部である。信頼できる証人が調査委員会に対して陳述したところによれば、自治指導部は日本人によって組織された。首長はシナ人だが、大部分の職員は日本人で、関東軍司令部第四部の機関として活動していた。同部の主な目的は独立運動を進めることであった。」こうした経緯を経て満洲国が建国される。「九月十八日から「満洲国政府」建設にいたるまでの日本軍憲の民事行政、とりわけ銀行の監督、公共事業の経営、鉄道の運用に関する措置は、軍事行動の開始以来、一時的軍事占拠に必要な程度を超えて種々の目的が遂行されたことを示している。」「一九三一年九月十八日以来、日本軍憲の軍事上・民政上の活動は本質的には政治的考慮によってなされてきた。」「一九三一年九月以前においてはほとんど聞かれなかった独立運動が、日本軍の入満によって活発化したことは明らかだ。」

2011/11/9(水) 午後 2:23 [ a99*90*d ]

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本人補足(続き):したがって「満洲国」の創設に寄与した要素は多々あるだろうが、各方面から得た証拠によって、本委員会が最も有効だったと見るところを記せば――もしそれがなかったら新国家形成は不可能だったであろうと思われるふたつの要素がある。それは「日本軍の存在」と「日本の文武官憲の活動」である。したがって現在の政権[満洲国]を純粋かつ自発的な独立運動によって出現したものと考えるわけにはいかない。」「「満洲国政府」において日本人官吏は重要な地位を占め、日本人顧問はすべての重要な部局に配属されている。国務総理と大臣はすべてシナ人だが、新国家の組織において最大の実権を行使できる各総務部の長は日本人だ。」「中央政府だけで約二百人の日本人が「満洲国」官吏となった。」

2011/11/9(水) 午後 2:25 [ a99*90*d ]

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本人補足(続き):ただし「われわれは、シナ人の大多数が「満洲国」に対して敵意を懐くか無関心であることを発見すると同時に、新政府は満洲における少数民族――モンゴル人、朝鮮人、白系ロシア人および満洲人――からある種の支援を受けている。彼らは、程度は違うがいずれも旧政権から圧迫を受け、過去数十年間、多数のシナ移民のために経済的不利益をこうむってきた。したがっていずれの部族も、新政権にまったく傾倒しているとはいわないまでも、新政権によって従来よりも優れた待遇を受けることを予期している。新政権もまたこれら少数民族を支援している。」

2011/11/9(水) 午後 2:27 [ a99*90*d ]

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本人補足(続き):「われわれは「満洲国政府」は、地方のシナ人からは日本の手先と見られ、シナ人一般に何らの支援を与えるものではない、という結論に達した」というのがリットンらの結論である。
日本製品ボイコットについては、「一九二五年以来、ボイコット組織に決定的な変化が起った。国民党はその創設以来、ボイコット運動を支援してきたが、次第にボイコットを支配するようになり、ついに今日においてはボイコットの組織的・原動的・調整的・監督的な要素になった。」「ボイコットの方法はそれぞれの地方の状況によって多少の変更が加えられたが、組織の強力化とともに、ボイコット団体によって使用された方法はいっそう統一的・厳格的・効果的となった。同時に国民党は命令を発して、日本人の商業家屋の破壊や日本人に対する肉体的加害を禁止した。それは、ボイコット中、シナにいた日本人の生命がけっして脅かされることがなかったことを意味するわけではない。しかし概括的には、最近のボイコットにおいて日本国民に対する暴行は以前に比べて少なくなり、酷くはなくなったということだ」。

2011/11/9(水) 午後 2:31 [ a99*90*d ]

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本人補足(続き):以上のように国民党による「良い関与」もあったわけだが、排日ボイコットの自発性について「われわれ委員会は、シナのボイコットは民衆運動であると同時に組織されたものであり、またボイコットは強い国民的感情から生まれ、それに支持されているといえども、これを開始または終息させることのできる団体[例えば国民党]によって支配され命令されたもので、確かに脅迫に近い方法によって強行されたものだと結論する。ボイコット組織には多くの団体があるが、主たる支配的権力は国民党にある」という結論が出される。ただし、「われわれ委員会が大阪で会見した商人たちは、乱暴狼藉や恐喝まがいのボイコット手段が乱用されていることを過大視し、日本の対支政策と、それに対する防御的武器としてのシナのボイコットとの密接な関係については過小に見積ったり、まったく否定する傾向がある」という記述からもうかがわれる通り、手段が過激でないボイコットについては同情的である。

2011/11/9(水) 午後 2:37 [ a99*90*d ]

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本人補足:その後の記述:「いかなる外国といえども、人口の大半をなし、そして満洲の土地を耕し、ほとんどすべての企業に対して労力を供給しつつあるシナ民衆の行為と協力なくしては、満洲を開発し管理しようという企てから利益を得ることはできない。」「本紛争は、双方とも国際連盟の一員である二国のあいだで、フランスとドイツを合わせたほどの面積の地域に関して発生したもので、右の地域に関しては日支双方とも種々の権益を有することを主張し、しかもそれらの権益はその一部だけしか国際法によって定義されていない。右の地域は法律的には完全にシナの一部分であるが、その地方政権は本紛争の根底をなす事項に関して日本と直接交渉を行う広範な自治的性質をもっている。」

2011/11/9(水) 午後 2:42 [ a99*90*d ]

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本人補足:「単なる原状回復が問題の解決にならないことは、われわれが述べたところからも明らかだろう。本紛争が去る九月以前における状態から発生したことを思えば、その状態を回復することは紛糾を繰り返す結果になるだろう。そのようなことは全問題を単に理論的に取り扱うだけで、現実の状勢を無視するものだ。」他方、「前の二章で述べたことを考えると、満洲における現政権の維持・承認も等しく不満足だというべきだ。こうした解決は現行の国際義務の根本的原則、もしくは極東平和の基礎であるべき両国間の良好な了解と両立するものとは認められない。それはまたシナの利益に反し、満洲人民の希望を無視するだけでなく、結局において日本の永遠の利益となるかどうかについても、少なくとも疑問が残る」。

2011/11/9(水) 午後 2:43 [ a99*90*d ]

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本人補足:以上のようにリットン報告書は日中双方の言い分に配慮した、比較的バランスのとれた記述をしているのであるが、大部の著作でしかも詳細な事実の検証がされているため、非専門家には読みづらい書物である。また、日本側が史料を正直に出さなかったために、張作霖爆殺や柳条湖事件の事実認定が不十分である(日本政府が不都合な事実を隠すのは大本営発表などを見ても明らかである)。そのため歴史家とは言えない渡部昇一の「思い込みの強い」解説に惑わされる読者が出てくる。実際には、私がここで解説したように、当時の社会背景を踏まえたうえで、読むべき本なのである。また、近現代史が正確に教えられないまま、非専門家の書いたいいかげんで煽動的な説ばかりが巷にあふれている現在、一次資料をきちんと踏まえた説かどうか、都合のいい史料をつまみ食いしていないか、などをきちんと踏まえて判断する必要があるが、現実には一冊の本でも正確に読むのに一苦労という人が多い。

2011/11/9(水) 午後 2:59 [ a99*90*d ]

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本人補足:ここに書かれた中国人の行動を理解しようとするのであれば、「幕末維新期の日本で佐幕派と倒幕派が争っているときに、生麦事件等を契機に、英仏などが本腰を入れて日本を侵略し続け、ときに藩主を殺しながら国内各地に租界や植民地を作り続けたとき、日本人がそれをすんなり受け入れるかどうか」を問えば良い。そうならなかったのは、英仏らが大国中国での利権に気を取られて本腰を入れて小国日本を襲わなかったためであり、本気でかかられた場合、当時の日本では太刀打ちできなかったであろう。こうした想像力が欠如していることが、右翼的歴史観の最大の問題点である。とはいえ、無論、私は明治日本人の努力を軽視するつもりもないが。

2011/11/9(水) 午後 3:18 [ a99*90*d ]

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本人補足:昨日(2011年11月12日)本屋の店頭に並んでいた高校・中学歴史(日本史・世界史)教科書の類を計10種強ほど片端から読んでみた。張作霖爆殺(掲載されていない場合もある)・柳条湖事件の主語はすべて関東軍であり、リットン報告書が日本の侵略と書いていないことにふれたものはなかった。むろん、これらが日本の教科書の全てではなかろうから、他の教科書も検討する必要はあるが、ここまで見た限りでは、私の上記の説明は文部科学省も認めざるを得ないということになる。なお、リットン報告書は日本の侵略を「否認した」のではなく、「断定できなかっただけだ」と日本史の先生から言われた覚えがあるが、上記の私の主張は事実上それと同様のことを述べていると思われる。

2011/11/13(日) 午前 11:01 [ a99*90*d ]

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