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 以前にも書いた気がするのだが、政治というものを「勝ち馬に乗ること」と考えている人が多すぎないかと思う。確かに、政治は学問とは異なり、信条よりも結果責任の方が問われるのであり、実践しなければ意味がないということは正しい。とりわけ政治家に関してはそうであろう。しかし、日本の現状では政権への対抗馬が不在のまま、従来の自民党政治の検証がきちんと行われないまま、「ほかの政党はダメだ。今の政権でうまくいっている」という言説だけが独り歩きしているように思われる。その結果、本来やらなければいけないことがなされないまま、将来にツケを先送りだけしているように思われる。
 たとえば、原発事故の責任についての自民党の責任は殆ど問われていない。民主党政権も原発を推進していたことも事実であろうが、事故を起こした原発は自民党政権下でつくられ、かつそれまでの小規模の事故も情報隠しされてきた。そのことが全く検証されないまま、朝日の誤報や民主党政権の対応のまずさでごまかされている。
 景気も回復していると言われるが、現在本当に皆、儲かっているのだろうか。私には儲かっている企業とそうでない企業の格差が開いているように思うのだが、違うのだろうか。また、事業仕分けもされないまま、消費税だけ上げて、歳入が増えたと言っても、それがどれだけ持続可能で、またどれだけ本当に社会保障費に回されるのか、定かではない。逆進性の強い消費税で庶民から金を取り上げても、それがきちんと社会保障に回されない限りは、結局福祉に頼る貧民が増えるだけに思えるのだが、そうした議論がされているのかどうかもよく分からない。
 さらに、何度も触れたように、歴史認識問題等では日本史学と逆行した流れが、これまた検証もなしで強行されようとしている。しかも、靖国参拝は自粛している一方で、首相の談話や教育への政治介入については、米中韓の反発を考慮しているのかどうか定かではない。
 原発の停止、事業仕分け、日本史学に基づく歴史認識などの方針は、これまでも何度も私は言ってきたし、未だに間違っているとは思わないが、それを今の政権が実行しないからという理由で、なぜか検証抜きに無効であるかのように言われるのは心外である。だが、そうしたことが検証されないということは、皆、景気よく儲かっているということなのだろうか。私には全く理解できないし、徐々に悪い方に向かっているとしか思えないのだが。

パリのテロについて

 2月11日付け朝日新聞によれば、『シャルリー・エブド』等に載った諷刺画をまとめた本が昨日出版されたのだそうだ。もっとも、同書では「同紙の諷刺画は明らかなヘイト表現。日本でも嫌中憎韓本などが出回っていて、事件が起きたフランスの状況に通じるものがある。どこまでが許される表現なのか議論する材料を提供したかった」と言う立場で、批判的な前書きを付し、ムハンマドの顔にはモザイクをかけたという。近所の小書店に見に行ったが、やはり本日にはまだ届いていないようだ。表題からすれば、イスラムに関するもの限定のようであるが、私としては以前にも書いたように、むしろ同紙の全体の論調の方が知りたかった。イスラム関係のみならず、極右に対していかなる諷刺をしているのか、諷刺画のみならず論説などはどうか、などだが、同書にそこまで書かれているのかどうかは定かではない。
 ところで、朝日新聞の記事には、それに対する賛否の意見が書かれている。まず、出版社側の主張と、知ることの権利に理解を示す学生の声がある。他方、やはり在日ムスリム組織は出版に抗議している。「イスラム教徒の中に憎しみが生まれてしまう」という意見だ。小売書店の対応も、「立場が違う本を同時に置く」ことを重視して店頭に置く書店、注文販売のみする書店、「お客様に何かあってはいけない」からそれすらしない書店と分かれているという。なお、森達也は悩んだすえに、どの絵を載せるか分からないし、モザイクも安易に使用すべきではないとして、論説の掲載を拒否したと言うが、これなどは安易な賛否とは一線を画する、しかし結論を先延ばしした立場であろう。同書を見た上での反応が気になる。
ところで、注意すべきは、「『イスラム国』は日本人を標的にすると言っている。関わりたくない」という意見の存在である。これは安倍政権の対応だけではなく、今回の件もイスラム国によるテロを誘発しないかという危惧である点で注意を要するが、基本的には問題自体を忌避する姿勢である。これは上記の注文販売すらしない書店の対応とも通じるところがあるが、私にはそうした自粛自体が気になる。というのも、個人的に関わりたくない気持ちはよく分かるものの、この立場では自分自身を超えて、出版自体に否定的であることになりはしないかと思うのである。
 私の立場は以前に別の箇所で述べた通りである。私自身はシャルリー・エブドの諷刺画は行き過ぎていると思う。しかし、それを一出版社がいろいろな諷刺画の一部として出版することには反対はしない。イスラムは今や世界第二位の信者数を誇る大宗教であり、それが諷刺の対象から除外されるのがいいことか否かは難しい(それなら『ダ・ヴィンチ・コード』も上映すべきではないだろう)。今回の件も、ムスリムを殺そうと言う主張ではなく、個人攻撃をするようなものでもない点で、ヘイトスピーチとは一線を画する。モスクや自宅、誰かのブログに個別にはりつけたわけでもなく、実際には日本のヘイトスピーチの方がはるかに問題である。しかも、ビンラーディンのテロやフランスの移民暴動は諷刺画とは無関係に起こっているし、今回のパリのテロの実行犯もそれ以前から無関係な犯罪を犯している。諷刺画のみを規制しても意味はなく、イスラムを取り巻く状況自体の改善が問題だ。それでもムスリムがこれだけ怒っているのであれば、規制ないし自粛すべきだというのであれば、諷刺画の是非、表現の自由の是非のみに論点を矮小化しないためにも、お互いに議論をすべきだ。今回の記事にも、「きちんと立場や動機が分かるように説明し、誠意を示すことが大事だ」という、多分にムスリムと思われる人物の発言が掲載されている。その点では、テロを恐れているのか、出版社がイスラム団体との面会を拒否していることは問題含みである。
ところで、以上の私の主張は、意外に思われるかもしれないが、もともと上記のような嫌中憎韓本の横行が念頭にあって出された結論である。というのも、私はヘイトスピーチやそうした下品な本の横行に辟易しているのだが、それらを「一律発禁」にするかどうかには疑問を抱いてきたからだ。『マルコポーロ』廃刊の際にも、私は例の論文を掲載した編集者の資質が問われるのは当然だと考えたが、廃刊までは行き過ぎだと思ったし、むしろそうした判断を行った出版社側の覚悟のなさを憂えたものだった(これで批判した側が非道なように主張する勢力も出ている)。実際、ヘイトスピーチを行う在特会などが政権とも近しいと言われる中、日本では一出版社どころか、公人までもがヘイトスピーチに寛容なのではないかと思われる節が多々ある。だからこそ、この問題を切り口にそうした本の規制にまで踏み込むべきだという主張も分からないではないが、私としては「殺害予告でもなく、個人攻撃でもない、私人による一般的な諷刺」をどこまで規制対象にすべきか、疑問に感じるところが多々ある。それとも、日本でも在日外国人がテロを起こせば、ヘイトスピーチの規制や自粛に踏み込むというのであろうか?
 そうした意味では、私はシャルリー・エブドの諷刺画の出版自体にはある程度肯定的であるし、それは日本でヘイトスピーチを規制すべきだという主張とも矛盾はしないと考えている(逆に、日本のヘイトスピーチを問題にせずに、パリの例だけ問題視するのは誤りだ)。ムスリムが嫌がるのであれば、そうした事情をきちんと話すべきであるし、そこから彼らの置かれた立場と彼らの思想を理解するべきであり、ただ安易な自粛ではかえって「ムスリムは怖い」というイメージを強化するだけだ。そうした表面的な「腫物扱い」がいかに当座しのぎかは、日中韓関係を考えれば明らかだ。侵略肯定発言を公人がしては、意見を撤回しもせず「世間を騒がせた」という理屈で辞職することを繰り返した挙句、結局「いつまで謝れば気がすむのか」となる。その間、南京事件であれ従軍慰安婦問題であれ、歴史学界では研究が進んでいるのに、それも結局教育現場で教えることを検定で妨害したために、基本的なそれらの知識すら根付かないまま、既に否定されていた「吉田証言」一つの否定をもとに、従軍慰安婦問題を全否定する論調や、南京事件の定義自体のずれが理解されないまま、「南京の人口は20万以下だった」(実際にはそれは城内の人口にすぎない)などという理屈で南京事件自体が捏造であるかのような論調が横行するようになっている。
 最後に、表現の自由とは、誰でも認めるような意見を述べる権利ではない。賛否が分かれる意見であっても、主張できる権利である。したがって、それは「表現の自由には限界もある」という抽象論ではけりがつかない。議論の中で、個別のケースに即して規制の是非が問われるべきものである。「腫物扱い」や「面倒事に関わらせるな」では、そうした議論自体が抑制される危険性がある。そして、そうした腫物扱いは結局は「テロを起こすような危険な勢力」には関わらないでおこう、という偏見を助長するのである。

防災について

 3.11以降、防災に関する意識が一応高まっているようなのだが、どうもそれが知識先行になっているのではないかと最近しばしば感じている。というのも、災害の際には他人にかまっていると逃げ遅れるから、さっさと逃げろということが、教育現場でも家庭でもあまりにも安易に強調されすぎていると思うのである。むろん、実際に災害に遭遇したときに、なかなか他人のことまで配慮できないのは分かるし、それを責めるつもりもないが、平時の防災という観点から考えたときに、むしろそうであるからこそ、事前に高齢者や障碍者をいかにして災害から守るかということは、もっと議論されていいことだと思うのである。さもなくば、災害の際には高齢者や障碍者は見捨てていけばよいと、現時点で言っているようなものであり、そもそも防災の意味自体が疑われてしまう。そもそもある程度災害の状況が予測できるのであれば、他人を助けるためにどれだけ余裕があるかもある程度推測できると思うのだが、そうしたことを考えない人も多いようだ。
 こうした傾向は、災害について未だ実感をもって理解できていないことの表れでもあろうが、同時に近年の日本における露悪趣味の横行ともかかわっているように思う。どうも最近、おかしな陰謀論者が増えたせいか、偽善に対して過敏になりすぎて、少しでも自分と異なる意見には、安易に「きれいごとだ」「現実を知らない」などというレッテルがはられる傾向がある。実際には上記のように、彼らの言っていることは現実的なのではなく、ただの独善と思考停止に過ぎないと思うのだが、それを自覚できないまま、ただ人権を無視したことを言えばそれが現実的だと言う勘違いが広まっているように思う。
 しかもこうしたことの反面として、他人はあてにならない、頼れるのは公的支援だけだという、安易な国家依存も身うけられる。実際には戦争中に国家が国民をだましたり見捨てたりした事例も多いのだが、それも現在の歴史認識問題に見られるように、うやむやにしたり他人のせいにしたりしてごまかして、安心する傾向がある。現実を踏まえ、多様な対策を考慮してこそ、初めて防災になるのだということを、改めて確認したい。
                          2015年1月7日水曜

最近の右傾化について

最近の日本の右傾化について

 最近の日本の右傾化については、感覚的なものであって思想的なものではないから違うとか、かつての軍国主義とは違うとかいう理由で否定する人が多いようだが、それは結局定義の問題であり、思想的であろうがなかろうが、周囲の影響を受けて安易に「愛国」に走ればそれは右傾化であろうし、それが政治的には軍国主義やファシズムにつながってもおかしくはない。むしろ現実にナチズムは民主主義的手段によって独裁に走ったし、その際に国民は彼のイデオロギーを真に受けたというよりは、その断片的なスローガンや他人への憎悪をあおる形でアピールされた「実行力」に惹かれたことが、明らかである。どのみち右傾化が危険なことは、それが対外的な摩擦を強め、戦争=殺し合いのリスクを高めることからも明らかである。そしてそれが安易なほど、修正がきかないものである。

 現在の日本でも、そうした右傾化の危険は言うまでもない。それは歴史認識問題として表れている。もともと歴史学では理論ではなく実証が重視されるために、すぱっと裁断できるようなものではなく、具体的な史料の突き合わせに基づく具体的な史実の検証を地道に行うものであるが、当然そのためには専門的な知識が重視される。つまり、どのような史料があり、それらを突き合わせたときそれぞれがどの程度正しいのか、そしてその結果どのような歴史像が描けるか、という知識が必要なのだが、逆に言えば、それらがいいかげんでも、歴史小説のように「歴史像」は描けるのであり、つまりは世間で普及する「歴史」は玉石混淆なのである。もっとも、それはいくら気を付けようと、歴史研究者でもなかなかすべての史料を網羅することは難しいから、程度の問題と言われればそうだ。だからこそ、歴史研究者は史料の出所や学界の動向に敏感で、他人の研究なども参考にしながら、学界全体という単位で歴史像を形成し、その都度修正も加えているのであり、この「程度の差」はなかなか大きいのだが、この辺りを理解せずに、一方的に「学者が閉鎖的に自分たちの問題関心に固執している」と勘違いしている人も多いようだ。

 現在の右傾化の中でしばしばみられる傾向としては、他人の史料についてはけちつけに近い形で罵倒するだけで「史料批判」をしたと思い込む一方、自分の史料的根拠についてはいいかげんであること、その結果上記の学界動向を無視し、学界自体をまとめて「自虐的」だとレッテルばりし、他人を人格攻撃する傾向である。たとえば、「中国による洗脳」などを出所の怪しい史料から「実証」したと思い込み、実際には研究者が日本側の史料からも実証した史実であっても、安易にそれを罵倒する。その際の挙げる事例もマニアックなものが多く、どこまで事実か史料批判を通じてきちんと検証していないものが多い。たとえば、旧日本軍による情報操作はその機密文書からも、一次史料と公式戦記のズレからも、大本営発表のウソからも明らかになっているが(帝国国防方針などの史料からは、旧陸軍の侵略計画も分かる。もっとも、それを策定したところで、その時点では実行に移すかどうかは別問題だが)、そうした事実を軽視して、旧日本軍に不都合なことは全て他国の陰謀だと決めつける人が多い。以前にもあげたように、スターリンがやったという一次史料は無いにもかかわらず、また日本側がやったという一次史料が山のようにあるにもかかわらず、張作霖爆殺を一方的に中ソの陰謀に仕立て上げる本が、賞をとってしまう国である。そうした思い込みで他人を見るから、後は「あいつは金をもらってどこぞの手先になっている」などという人格攻撃が平気で行われる。ヘイトスピーチですら野放しな国であるから、その程度のことはいくらでも行われ、それを周囲が平気で黙認する。反論したところで相手側は思い込みでののしるだけなので(自分に不利になると論点をすり替えだして問題を拡げる)、議論になるはずもない。ことが個人情報なだけに、証明のしようもないまま人格攻撃だけがされる。そしてばかばかしいので議論を途中でやめれば、議論に負けたと勝手に思い込まれる。こうして不都合な事実は全て「誰かの陰謀の産物」に勝手に貶められるから、自分の好きな史料だけで勝手な「歴史像」を構築することができる。一方的な「史料」をうのみにした「歴史像」であっても、「どうせ客観的な歴史像はない」で終わり(だとすればその他の歴史像も許容しなければいけないはずだが、彼らはその矛盾には気づかない)。こうして作り上げた自閉的な「歴史像」を勝手に史実と思い込むため、「歴史学者はみな自虐的で誰かに操られている」、「諸外国はみな日本を誤解している」(誤解は常にあるものだが、日本の右翼の「歴史観」ほどには他国は日本を「誤解」していないと思う)、「マスメディアも偏向している」ことになる。そして被害妄想でますます他人に対する人格攻撃が激しくなるため、ばかばかしくなって相手側が反論しなくなると、これで自分の正しさが証明されたと思い込む。こうして、外国人への偏見があおられるため、彼らと付き合いづらい状況が作りだされるわけで、まさしく風評被害に基づく人権侵害である。もっとも、右傾化した人間は、自分に都合のよい意見を言う外国人には寛容であるという二重基準を使うが。

 いずれにせよ、これでは他国に通じないのは言うまでもないだろう。日本国内でさんざん「朝日叩き」をしているが、歴史学研究会が主張するように、もともと「河野談話」は特定の証言に基づいているわけではないため、未だに対外的には安倍政権はそれを否定できないままである(つまり、百人斬りという一つの事件の否定をもって南京事件自体をまぼろし化しようとした文春と同様、一つの証言の否定により全体を否定しようとしている以上、それは情報操作に近いものである)。第一次世界大戦の戦勝国として、ドイツ皇帝の訴追には賛成しておきながら(結局訴追できなかったが)、自分が敗戦国になると、戦争責任を裁くのは事後法だなどと言っても、周囲は納得しないだろうし、実際に現在でも東京裁判は国際法上は有効なままである。南京事件についても防衛省関係の研究者でもその問題性は認めており、それを認めないのは櫻井よしこのような歴史の素人くらいである。写真の「捏造」が問題になったが、もともと写真を根拠にして南京事件の存在を言っていたわけではないし、全部の写真が否定されているわけでもない(なお、画像の史料批判は難しく、またそれを史料として重視してきたわけでもなかったため、これまでそれほど厳密に行われてこなかった。実際、足利尊氏像なども今では否定されているが、右翼はそうしたことは無視して、「他国の陰謀」のみをあげつらう。おかげで画像を使うことに慎重になる研究者も出て来て、研究の進展にとって由々しき事態になっている)。靖国問題についても、1978年にA級戦犯を合祀したことから、国際問題化したことが明らかであるのに、「この頃にマルクス主義がうまくいかなくなり、標的を変えた」などと陰謀論的に言って憚らない人間がいまだにいるし(無宗教の国立追悼施設であれば国際問題化しないことは、武道館での毎年8月15日の式典に対する諸外国の反応からも明らかである)、1982年の教科書問題についての朝日の「誤報」問題も、家永裁判などを見る限り完全な誤報とはいいがたいことは明らかである。在日外国人の参政権問題についても、「国籍をとらせればいい」などと言いながら、現実にはそうした人が多くなれば「何かの意図をもって彼らは日本人に紛れ込もうとしている」などと陰謀論に陥る人間も出て来ている(結局国籍によって人の心を縛ることはできないのだ)。結局こうした右翼側の問題行動は問題視されず、旧日本軍が自作自演で満州を軍事占領しようが、自衛隊が情報保全隊を通じて国民の税金を無駄遣いしながら違法に個人情報を収集しようが、原発の情報隠しがこれまで自民党政権下でもさんざん明らかになっていようが、おかまいなしに、他人の些末なミスだけを針小棒大に言い募ることが、最近の右傾化では顕著である。

 しかしながら、彼らの意見が研究や教育において主流になることは、たぶんないだろう。現在の歴史学界の動向についていうと、戦前の日本の行動を合理的に説明しようとする傾向が強まっているが、それは「外部からの視点ではなく内部からの視点で物事を解釈する」文化人類学的な視点からの研究なのであり、当然「地域史を国家史ではなく地域の視点から見る」歴史像や、「朝鮮や中国の発展を、朝鮮人や中国人自身の視点から見る」研究とパラレルであり、要は補完性原理(これはあくまでも私の視点の問題であり、戦前の日本で補完性原理を実現しようとするものではないのだが、この辺りを右翼は聞く気が無い)を支持する私が主張してきた「現場の視点で物事を考える」ことと別に矛盾しない。当然、旧日本軍の行動の一定の合理性が分かったとしても、それが「他の視点からの合理性と矛盾しないかどうか」(侵略と敗戦に至ったのだから、当然矛盾するのだが)、「当時の中国人や朝鮮人の視点と突き合わせたとき、どう位置づけるべきか」(侵略と見なされても仕方がない)という視点から再検討された上で、歴史的に位置付けられることは当然である。植民地化の近代化作用についても(実はマルクスが既に言っており、それが早くから研究者の批判の対象ともされてきたが)、近代化が現地の民族自身の手によっては本当に不可能だったのかどうかとか、近代化自体が良いことと無条件に言ってよいのかといった視点と並んで、そもそも近代化の「恩恵」が一様にいきわたったのかどうか、植民地住民にとってどの程度恩恵になったのかという視点こそが重要であるのだが、そうした検証をしないまま、ただ植民地化の正当化のためだけに抽象的に言われる傾向がある。結局、現在の歴史学の主流は「愛国」ではなく、「現場の視点」であることを忘れてはならない。

 以上から、現在巷ではにわか愛国者の右傾化傾向が顕著であるが、歴史像自体は国家史から離れ、国内の地域や集団の多様性の歴史や跨境史に向かう傾向が顕著である。他国が東京裁判を否定する動きをしているわけでもなく(日本に配慮してことさら取り上げないことや、無関心から気にしないはあるが)、内閣の私的言動はともかく、国家の公的政策としては未だ対外的に侵略を認めることしかできないのが現状であり、この状況で権力づくで研究・教育現場のみに圧力をかける方が問題であろう。いずれにせよ、必要なのはレッテルばりではなく、地道な史料批判に基づく研究なのであり、それを居丈高にののしるより、冷静な議論によって誤りがあれば直しつつ、一歩一歩進むことでしかない。安易な陰謀論と他人の蔑視より、他人と手を組めるところで手を組み、試行錯誤しながら、個人、地域、国家、国際社会などの相互の役割分担と協調をいかに実現するかを考えるべきなのだが、こう言ってもなかなか陰謀論者には通じないのが現状である。私自身はその都度の状況の中で試行錯誤しながら物事を考えてきたつもりであるし、相手に合わせて言い方を変えた部分もあるのだが、どうもそれも通じないばかりか私の立場の一貫性の方が疑われるようなので、こうして言うべきことを適度に言っていくだけにしようと思っている。
                   2014年12月29日(月)

 最近、フェイスブックで遊ぶことが多いため、ブログの方はおろそかになっているが、いつの間にか選挙も近づいているため、いくつか私自身の関心事を改めて書き込んでおく。

1.原発問題
 原発については、「これまで言われていたほど被害は大きくない」などという言い方がよくなされ、朝日の報道問題や民主党政権の対応などが取りざたされているが、この問題の本質は「地震大国日本において、本当に原発は統御可能であるのか」、そしてそのような状況下でこれまで代替エネルギー開発に資金を注がずに、原発推進政策をとっていた自民党政権の是非という問題である。その上で、故郷喪失、原発関連死の問題なども含めて考えるべきものである。現状で原発再開などということは、私からすれば信じがたいことである。

2.歴史認識問題
 歴史認識問題についても、安倍政権と右翼マスコミによる風評被害がひどいが、既に歴史学研究会で声明を出したように、現在の政権も未だ公的には踏襲している河野談話は、捏造が明らかになった吉田証言を根拠にして作成されたものではないし、そのことを踏まえた上で吉見義明氏をはじめとする歴史学研究者も議論を展開している。このことはすでに私もこのブログで指摘済みであり、あえて修正の必要もない。慰安婦問題の本質は、強制連行の有無や各国比較での残虐度ではなく、女性への戦時性暴力問題でなければならない。

3.アベノミクス
 アベノミクスの是非については、経済の専門家に譲るが、いずれにせよ現在では、トリクルダウン(滴下効果)の不全の問題を考える必要がある。かつてであれば、「公共事業→特定企業への資金の流れ→その企業の地域の子会社への資金の流れ」で地域全体が潤い、景気対策となったが、現状では子会社が海外に分散しているため、地域への波及効果が限定的になっている。その結果、かえって公共事業による財政難の方が深刻化しやすい状況である。また、仮に資金が地域に流れたとしても、皆が将来不安のためにそれを貯蓄した場合には、景気の復興にはつながらない。以上から、アベノミクスの効果に関しては、全体の景気に加えて、その分配の問題が考慮されねばならないのであり、福祉や労働の観点は不可避である。

4.安全保障問題
 安全保障問題では、何よりも「兵士のリクルート方法を明示し、戦争被害を覚悟したうえでの改憲」か、「非軍事的外交政策にあくまでもこだわりながら、国際協調の下で護憲を維持する態度」かが問われる。ただのお題目ではなく、個々の国民がすべきことまで踏まえての政策パッケージが問われる。少なくともただ単に左翼への人格攻撃を意図した「軍隊を人殺しと呼ぶのは無礼だ」などという現実無視のきれいごとでは「国を守る」ことはできないことは明確である。同様に、ヘイトスピーチ対策をきちんととる必要がある。上記の右翼マスコミの報道を真に受けて、事実を確認することさえせずに、あいつはアカだの朝鮮人だのと卑劣な人格攻撃をする困った人間も日本には多い上、首相自身がそれを助長している世の中なので、国民には真に受けないようにしてほしいものである。

 

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