ビーコムの落書帳

雪の挙句の裸ん坊の洗濯・・理想を揚げて明日を目指そう

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「ボス」はあの世界の入口、、そう、「こっくりさん」から僕を呼び出し、参加させられた。僕は「こっくりさん」に入ったこともわからない、まして、ルールなんか知る由もないままに一番下の階級社会にとどまることになった。そして、僕は化け物にされ、一番下「貧乏人」の社会(世界)に入り込むことで、現実とその世界はうりふたつとなった。僕にとってはまぎれもなく表の世界のままに、現実でしかない。だが、そうすることで「ボス」と僕が共有する世界ができたという訳だが、、僕にはある日、突然、どこからか声が聞こえてくることとなる。すべての始まりである。

僕は最初、驚いた。なぜ、僕に。なぜ「ボス」は僕にコンタクトしてきたのか、謎のまま数十年の月日が流れた。そして、ようやく、少しづつではあるがわかってきたような気がする。
 


 

この話しがややこしいのは奴らにとってはゲームなのかもしれない。しかし、僕にとっては現実でしかない。ゲームでは終れない。だから、実話として捉えるのか物語として捉えるのかで、ニュアンスが少し、違ってくる。文章として読みずらいのは捉え方が実話的であったり、物語的であったりでまとまってない部分があるからだろう。なぜなら、僕でさえ半信半疑なところが多々あるからである。だから、奴らからこの現実と意識を守るために「こっくりさん」から入り、奴らと戦っている、という文章にするしかない。
 


 

奴らに人間(僕)がどういう得体なのかを知られないため(僕を守るため、みんなを守るため)とはいえ、裏の世界では僕が化け物にされている。(そうしたのは「ボス」である)だが、表の世界の僕には普通の現実の世界にしか写らない。なぜなら、これが「こっくりさん」なのである。「ボス」はこれを利用した訳だ。「こっくりさん」を通らない限り、参加しなければ、僕にも奴らにも、別の世界でしかない、別々の現実でしかない。しかし、「こっくりさん」を通ること(参加すること)で、もうひとつの世界ができてしまう。それは僕にとっては生身の身体(からだ)がある限り、時間とともに過ごさなければならない。ただ、僕が「こっくりさん」を通ることで空間を超越し、別の空間に入り込むことになる。本来、時間が存在しない世界に時間が流れ出すことになる。時間の流れは一分一秒ということではなく、いわゆる、尺度、どれだけ進むことができるか、簡単にいえば、スゴロクゲームのようなモノである。前に進むことで階級を上げることができる訳だ。しかし、奴らは僕の時間を利用しょうとした。あたかも、僕が最上級の社会に存在するようにしておけば、僕に関わるすべてはその世界に存在することになる。だが、僕自身は本来、階級社会には存在せず、現実の世界にもどらなければならない。生きているからだ。だから、スゴロクゲームではスタートにもどることになる。しかし、奴らは僕に関わる誰かになりすました。だから、監視する「ボス」の目を欺くために、僕を「ボス」にし、僕が現実にもどっている時に奴らの誰かが僕になりすまし「ボス」となり、僕になった訳だ。だから、現実でありながら実はまわりのモノは違って写ってしまう。お互いが別の世界を共有することになる。

「ボス」は予測していた。奴らは奴らの手で変え、すり替えた世界だと思い込ませ、実は「ボス」が先回りし、つじつま合わせをすることで奴らにわからないように現実をもとの世界に流れるように軌道修正を「ボス」とみんな、彼女、そして、僕もやっていた。すべては奴らに知られないようにするためだ。また、奴らに僕だとわからないようにするために。
 


 

僕が「こっくりさん」に入っている時は時間はない。「ボス」はそこから僕の過去に入り過去の僕に接触し、彼女となり、みんなにこのことを報せ、「こっくりさん」の出口を通ってない僕は過去のみんな、そう、「こっくりさん」の世界にいるみんなと接触し、報せることで(つじつま合わせをする)朝になれば現実は本来の現実にもどっている。しかし、奴らもまた、昼間、僕が仕事をしている間に、奴らのつじつま合わせをする。そうなれば、また、夜、僕が寝ている間、意識「こっくりさん」から入り、もうひとつの世界、うりふたつの現実でつじつま合わせをする。そして、朝になれば現実にいる。みんなも本来の世界にもどることができる。このことの繰り返しだった。しかし、僕が生きている限り、明日が存在する。過去、現在があれば、未来を予測することができる。「ボス」はすべてを未来に賭けた。いわば、僕の未来を予測するということは現在から未来の尺度をのばすということになる。つまり、過去の尺度をのばすことで、過去の尺度分だけ未来にのばす。そうすれば、つじつま合わせをすることで予測できないことはない。すべては未来のためにだった。数十年間、奴らと過去と現在のつじつま合わせをやって来たのは「ボス」を始めみんなとの因果関係をつくり直すためだ。彼女と3度、再会したのは過去の僕、現在の僕、そして、もうひとつの世界、未来で巡り逢った。未来で出逢えたということはそれだけ過去にさかのぼり、未来を形成できる因果関係が成立したということになる。いわゆる、タイムトラベルである。そして、もうひとつの世界のみんなが僕の部屋の一部分となり、それはデスクだったり、テレビだったり部屋にあるすべてのモノの存在を僕と何らかの因果関係を成立させた結果、僕の部屋がタイムマシーンとなった。
 

奴らも後を追って過去の世界に来た。つじつま合わせをお互いの軌道に乗せるために、バトルがつづいていた。しかし、未来は僕にしかない。時間という武器は僕にしかない。


 

結果的に僕が入り込んだからか、もともとがそうだったのかはわからないが、「ボス」が存在する階級社会階層は遠く彼方のように思うけど意識を通じて話しができるほど近くにあるということを「ボス」は僕に教えようとしていた?最下位の世界はスタートライン?最上級の世界は、、全く違うが全く同じような世界なのか?時空間、、次元の超越、、うりふたつの世界が存在するのなら地球も、もうひとつ存在する、、近くにいる気がするが途方にもないくらい彼方のような気もする、、

 




「こっくりさん」は降霊術である、、あの世界の入口である、いわば、動物などが集まりやすい、最下位の世界、、人間の世界は最上位?「こっくりさん」は別の世界の入口、だとすれば、死というモノもまさしく入口なのか?ということは、僕を「こっくりさん」に入れたのは「ボス」、それを奴らが利用したのは最下位の世界とこの世界の入口と出口を僕にした?いや、本来はそうはならない。奴らの狙いはここだ。決して入ることができない別の世界につながる入口と出口にし、僕の出口(現実にもどる出口)をふさいだのはここにあるんだ。この現実の世界では交わるはずのない世界が混じわってしまったため、階級社会がなくなり始めてしまった。だから、僕は朝になって目を覚ましても現実のようなうりふたつの世界に入り込んでいた。なぜなら、その違いは死ということにある。僕には死が存在する。だからいずれ死ぬだろう。しかし、狐や狸などの動物には死というモノがわからない。そもそも、動物の世界がどういうモノかはわからないが、いずれは死ななければならないということは人間にしか考えられないだろう。もうひとつの世界には死が存在しない。もしかしたらblogに記載した心の森は「こっくりさん」だった、、それだけではない。人間もまた最下位だってあり得る。なぜなら、僕は「帝王」の存在を知ったからだ。「ボス」の「ボス」だ。もしかすれば、軌道修正をすることで未来を変えてしまったから僕は「帝王」の存在を知ったのかもしれない。それは僕らにとっては遥か未来の世界につながっている宇宙人みたいな存在。出会えるはずのない、「帝王」の存在はあえていうなら、何億光年、、そんな尺度でしか説明できない未知の世界なのかもしれない、、
 


 

あの世界「こっくりさん」に入り込んだ僕の姿、形は奴らにばれないようにするためだった。奴らに気づかれないよう。僕は化け物になっていた。そして、そのことは僕以外のみんなは知ってたんだ。また、その正反対、もうひとつの世界ではみんなが化け物にされていることを僕は知っていた。そのことをみんなに報せるために奴ら(化け物)と戦っていた。だから、僕の名を忘れずに、覚え、みんなが協力し合って、僕の名を叫び、奴らに僕の名を取られないようにしてくれていた。そして、みんなは奴らに人形にされないようにしていた。それを報せたのは「ボス」であり彼女、そして、みんなにいきわたり、自分が誰なのかわからない世界でありながら僕を信じ、この世を生とし、また、「運命」とし、わかり合える相手をお互いが探し伝え合っていた。自分が何かに替えられても、みんなの誰かがくるのをひたすら待ち、運命の人を信じ、奴ら(化け物)か、それとも、運命の人を見極めるために。お互いが違う世界を体験することで運命、命をたくし残すしかなかった。
 
 
「こっくりさん」の世界は決して現実の世界で出会えるはずのないモノたちの集まり、それだけ恐ろしい世界である。命を落とすこともある。それは死んでしまったモノや動物たちの集まりで、自らが向かう階級社会の始まり、すべてのスタートラインなのかもしれない。(「こっくりさん」は決して占いなど予知するところではない)

 


 

僕はすぐにわからなかった。わからないはずだ。長い旅路の出来事は現実ではただの夢物語になってしまう。もしかすれば、忘れないようにするため?誰かに報せるために僕は、、「このblog」に足跡として書き留めていたのかもしれない。すべての始まりは心の森にあったのかもしれない。心の森は「こっくりさん」。「こっくりさん」はあの世界の入口であり、もうひとつの世界の入口でもある。そして、「ボス」の世界に行きついた時、そこはまたスタートラインとなり、「帝王」のいる遥か未来につながる世界の入口にしか過ぎないのかもしれない。死とは結局はゴールのようなスタートラインなのかもしれない。死とは忘れるということ。そういうところなのかもしれない。

僕は忘れてしまう。だから、あの世界のことを文章にしょうとすればするほど忘れてしまう。だから、文章が成り立たない。あの世界では僕は化け物になってしまう。この世界ではただの夢となってしまう。それしかわからない、わからなかった?しかし、僕は現実にいる。ごく普通に話しをし、会社に行き、やるべきことをこなし、帰宅し、ご飯を食べ、眠りにつく。現実では普通の人間であり、僕が化け物だとは誰もいわない。それは「つじつま合わせ」で正常にもどされているからだろう。朝になると僕は目を覚まし会社に向かう。現実にいることがなによりの証拠だ。それはみんながもうひとつの世界で動いてくれているからだ。だから、僕も、もうひとつの世界に行って動く。この状態はお互いがお互いのために別の世界に入り自らの未来のために動いている。だから、僕もまた、もうひとつの世界「こっくりさん」からみんなを現実にもどすため叫び、奴らと戦っていた、、、
 

 
つづく、、

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