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「○○さんお入んなさい」
「こっくりさん」は降霊術である。ほとんどが風説流布なのかもしれない。(東北地方太平洋沖地震の発生で、こんなときに訳のわからないつくり話しで不安を煽っている訳ではございません。あくまで、物語であります。また、こんなときだからこそ、地震や地震予知に関わる情報交換と意見交換とし、不安を煽る情報はやめてほしいモノです)そんな説にも共通することがある。別世界につながっていること。(霊の世界)最初はやさしく話しかけてくる。突然、おこり出す。なめられたら容赦なく罵声が飛び出す。命の保証はない。なぜなら、「こっくりさん」は帰ってくれないのではなく、自分がその世界に引っ張られ、連れ込まれているからである。 「こっくりさん」は別世界の入口である。あえて、ここでいう「こっくりさん」だという訳は子供たちの声が聞こえてきたこと。また、子供たちが「こっくりさん」をやっているということをいってきたこと。その中で、「おにごっこ」や「かくれんぼ」といって「○○さん、遊びましょ」といってきたこと。ただ、僕の場合は自ら、10円玉を使って意図的に呼び出した訳ではない。突然、何の前触れもなく、奴らはやってきた。そして、「かくれんぼ」だといって部屋から出さないようにした。そして、無理矢理、部屋から出て、奴らがいったことが本当かどうか誰かに聞けば、奴らは追いかけてきた。「おにごっこ」の始まりである。僕が化け物にされたきっかけである。 「こっくりさん」は別の世界の入口である。もうひとつの世界に入る呪文を「遊び」と称して、別の世界に連れ込む、いわば、暗闇にしてゆく霊の世界の手前なのかもしれない。しかし、僕にはそれがどうかはわからない。はっきりいえることはこの世界とは違う奴らの居場所があり、そこはとてつもなく暗闇で一度、その暗闇に入れば、現実であっても現実ではなくなるということだ。僕にはうりふたつの世界にしか見えない。ただ、まぎれもなく奴らの気配は感じる。 うりふたつの世界では現実とほとんど同じである。奴らの声が聞こえる以外は、、だから、現実の世界で親友ならうりふたつの世界でも親友である。ただ、僕の場合は「ボス」に連れ込まれた。奴らが先だったのか?「ボス」が先だったのか?今となっては過去に「ボス」が僕と接触したから今の僕が存在する訳で奴らが先回りをした過去なら今の僕は存在しないことになる。だから、うりふたつの世界でも僕を取り囲むみんなは、よき理解者となってくれる。 少し補足するとこの話しの冒頭であの世界、僕が化け物になっていた世界は「こっくりさん」である。子供たちといっしょに遊びながら、「かくれんぼ」や「おにごっこ」をするのだが、ほとんどの人間は錯乱状態となり命を落とす。僕はそこから何十年もの年月を経て子供たちと「遊ぶ」ことで徐々に暗闇に入り、いつしか一番下の「貧乏人」の世界に深く入り込まされることになった。そして、もうひとつの世界にたどり着いた。そこは「ボス」の世界であった。「ボス」は階級社会の長であり、「貧乏人」のクラスから階級が分かれていた。現実的にいえば保育園から小学校、中学校があるように階級が存在する。現実の世界と何ら変わりがない。入り込んでしまえば、見分けがつかない。ただ、僕の場合は現実を行ったり来たりしながらたどり着いたので違いがわかった。もうひとつの世界には写し出す鏡がない。存在がないから必要がない。(寝ているのとよく似ている。夢のような世界だから、うとうとしながら子供たちの会話を聞いている)だから、自分の姿、形がわからない。もうひとつは言葉が存在しない。しゃべる必要がない。しゃべらなくても子供たちにはわかってしまう。思うことすべてが、、 この世界で巡り逢えば、もうひとつの世界でも巡り逢うことになる。「こっくりさん」にお尋ねする説は現実とうりふたつだから、直接聞けないことを「こっくりさん」を利用して裏現実でお尋ねするということである。また、言葉が存在しないので「誰かさんのこと好きですか?」「Yes」「No」でお尋ねするのだろう。しかし、呼び出す「こっくりさん」はあくまで子供たちのゲームでしかない。だから、呼び出したとき、ゲーム(あそび)が進行しているので細心の注意をしてほしい。要は別世界の入口をつくり出すということ。言うまでもないが、呼び出す以上は自己責任である。ゲームが進行しているし、ゲームには親が存在する。その勝敗で階級を決めるので占い感覚や冗談では呼び出さない方がいい。なぜなら、一方通行で帰ってくれないケースがほとんどだからである。(自分が引き込まれたことに気づかない。もうひとつの世界のみんなはそのことをしっている。みんなが、終わってしまった人だというのなら別世界に引き込まれたということである。しかし、そのとき大切なのは自分に親友と呼ぶ誰かがいるかどうかで助かるか助からないか?大きく左右する)一度始まれば気が狂うか命の保証はない。永遠にゲームは終わらないと思っていた方がいい。また、自殺したモノは必然に、子供たちと永遠に「遊ばれる」ので先に進むことができなくなる。自殺者だけでなく、犯罪に絡む行為もまた、影響するであろうからもう一度考えて行動してほしい。死とは忘れるだけでいずれは「こっくりさん」に行き、子供たちにとがめられ、責められ「遊ばれる」ことになる。前に進めるかは前世で何をし、どういう行いをしたか、そういったことも加味する。 この世界で巡り逢った人たちはもうひとつの世界でも僕を知り、この世界で親友なら、もうひとつの世界でも良き理解者として僕と接触し助けてくれる。 「こっくりさん」はもうひとつの世界の通り道に過ぎない。僕は長い間、ふたつの世界を行き来し、朝になれば、いつもと同じように会社に行く。現実でしかない。僕には現実にしか写らない。いつもと同じように生活をしている。「だったら出られているのではないか?」(帰ってしまった)と思うかもしれないが、暗闇の世界は存在している。その感覚を説明するのは難しいが子供たちの声がする。そして、子供たちも「奴ら」となって僕に襲いかかってくる。なぜなら、自分たちだけの世界にするために、つじつま合わせをする。偶然が偶然を呼ぶ。もうひとりの僕を始め、みんなもまた、つじつま合わせをし、偶然を呼ぶように裏現実でみんなが合わせるから表現実も何事もなかったように写る。(ここでは僕は表現実かもしれないがみんなにとっては僕は裏現実である。みんなにとっては反対の世界のように思うが実は現実でしかない) 本来、子供たちの役目はただ、人をいたずらにだましたり、人を落とし入れるためではない。表と裏のバランスをとるのが本来の役目である。需要と供給といえばわかりやすいが、決して人の命を軽々しくいっている訳ではない。しかし、この世界、「こっくりさん」の世界の子供たちには「命」とは何かがわかるはずがない。人形と思っている。だから、人間界の道理をいっても埒があかない。要はこの世界ともうひとつの世界をどちらにするか?いわば、表、裏を決めているのは子供たちである。なぜ?決めることができるのか?「エンジェルさん」や「こっくりさん」といわれる説である。子供たちにとってはどっちもどっちである。だからゲーム感覚なのである。そのゲームに参加させられた当事者、この場合は僕であるが、そう、みんなと反対の世界に引き込まれ、僕の主張が通らない、不幸にされるのである。僕の場合、不幸中の幸いかどうかわからないが、子供たちが引き込む「相手」を間違ったこと。僕は「こっくりさん」さえもしらないし、何もわからなかった。要するに純粋無垢だったのかもしれない。だから、子供たちと遊び過ぎるほど遊んでも、結局は、子供たちさえも、どちらがどの世界なのか?わからなくなってしまった。なぜか?「ボス」が過去にさかのぼり、みんなが未来に先回りしたからだ。だから、僕は現実にもどれることができた。子供たちは裏からまわり込んで(僕を現実に返さない)僕の意識、「こっくりさん」を通り道にし、子供たちだけの世界にする計画だったのかもしれない。しかし、子供たちは「お稲荷さん」(出口)と「こっくりさん」(入口)の場所を、遊び過ぎたため、(タイムオーバーのため)勘違いし、子供たち自身がみんなに教える結果となった。そのおかげで、だんだんと僕のいう話しに耳を傾けてくれるようになった。半信半疑に思い、僕を変な風に思う人もいたが、奴ら(そう「こっくりさん」の子供たち)が仕組んだ計画を子供たち自身が策にはまり、最初は僕を仲間だとして遊んでいたが、結局は自らが僕を裏切り敵にまわるよう仕向け、みんなとの仲を切り裂こうとした。結果、子供たち、奴ら同士が戦うこととなり、奴らには現実を見分けることができなくなった。僕にはできる。それは「生きている」という証があるからである。 つづく、、 |

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