さんざん、入退院を繰り返し、手術もし、最後は電気ショックを何度も何度もかけても
かえってきてはくれませんでした。
わたしは実家というものがあるのならば、出入り禁止です。
ですから、父が病院にいて、相手方(いまや継母以外の存在になりました)がいないときに
サシで話せることが、唯一の父とのコミュニケーションでした。
やっと、ブログに書くことを決めたのは、おそらく父を亡くした怒りでしょう。
たったひとりの肉親を失い、とうとう、ひとりぼっちになりました。
何を甘っちょろいことを言っているんだ、と思うかたもいらっしゃるかもしれません。
でも、父はわたしにとって、かけがえのない父でした。
生きている百科事典のように、ちいさいころから、なんでも聞けばほとんど即座に
答えが返ってきました。
本を読む楽しさや、歴史の難しさ、戦争の恐ろしさ、ひいては生きてゆくことの辛さまで
教えてくれました。
わたしが家を出ようと思ったときに、なんども相談しました。
「おまえな、一度出たら、二度とは帰ってこられないぞ、それでもいいのか?」
家での虐待に疲れ果てていたわたしは、フルタイムで働くということに疲れ果ててもおり、
いつでも帰ってこれるじゃん、くらいの気持ちで家を出ました。
でもそれは、お父さん、あなたが正しかったです。
父が亡くなったときから、お線香を上げることも禁じられ、わたしはささやかな仏壇と
位牌を求めました。わたしの母は、自殺しておりますので位牌も戒名もありません。
今度の父の位牌は、裏側を連名にしています。
ささやかな、ちっぽけなわたしの復讐です。
昨年の12月頃から、自殺未遂を繰り返し、わたしの血でも血管でも臓器でも何でもいいから
あげたかった。それで父が生きていてくれさえするのならば。
お父さん、わたしはあなたが、大好きでした。
ずうっと言えなくて、ごめんなさい。
あなたの、娘に生まれてきてよかった。
ありがとう。おとうさん。
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