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You Tubeからです。
― 世界で最も美しく素晴らしい日本に住んでいる皆様は、自分がこの国に生まれ、この国に住んでいる幸せと喜びを先祖に感謝し、無形の神様に畏敬の念を表すことはないでしょうか?
特に皆様は、世界七大強国の一つである、日本国に生まれ育った日本人ですが、日本人に生まれてきた喜びと誇りを持ち、生まれ育った土地、母なる国に感謝したことがあるでしょうか? ある日、ある時、今日から日本人でないと言われたら、まごつかないでしょうか? 国籍を失った人間となり、見知らぬ所から侵入してきた外来政府に、君たちは中国人になったんだと言われたら、今まで不平不満の塊で文句ばかり並べてきた社会の反逆児は、先ずどう考えるでしょうか? 国籍を無くした人間の惨めさを知らない人たちは「わぁ、万歳だ」と手を叩いて喜ぶでしょうか? 昭和二十年の八月十五日、日本が第二次世界大戦、つまり大東亜戦争に敗れた年、私たちが住んでいる台湾は、今まで祖国と言ってきた日本国から切り離され、選択の余地無しに中国人にさせられてしまいました。 君たちの祖国はこっちだよと言葉に蜜つけて侵入してきた外来政府は、実に天使の面を被った悪魔でした。 国籍を失った台湾人は、それから中国人となり、そして中国籍になったその時から、悲惨を極める奈落の底に落とされ、イバラの道に追い込まれてしまいました。 外来政府は、謀反を起こしたという烙印を押し、四十年もの長い年月にわたり″戒厳令″という名目で殺戮を繰り返したのです。 台湾全土の人民を震撼させたあの忌まわしい二・二八事件で殺された人の数は、当時の政府の圧力により報道されていまん。学生、若者、医者、学識ある者、特に財産を有する者など、死者は三万人にも上ると言われていますが、確実な数字は今でも分からないそうです。 因みに当時の台湾の人口は、六百万人でした。 戦争で死んだというなら、国の為、国民の為、ある程度納得ができましょう。 しかし、口では「我が同胞」と呼びかけ、国の柱として未来を担う有能な若者、学生に、謀反の罪を着せ銃で撃ち殺してしまうとは、あまりにも惨いことです。 六百万人の台湾人は、国籍の無きが故に父親、兄弟、夫、親友を殺されてしまいました。 殺された肉親を目にしても涙を流すことすら許されなかったのです。 今の日本の若者は、他国から統治されたことがなく、裕福で平和な国土で、幸せという座布団にあぐらをかいて過ごしてきたため、これが当たり前だと思っているのではないでしょうか? でも、幸せは大切にしなければいけません。 なぜなら幸せは、国が立派であって初めて得ることが出来るものだからです。 国が立派でも、国民の一人一人が立派でなければ、いずれ国は滅びてしまいます。 ですから、若い人たちに呼びかけたいのです。 日本の若者よ! 背筋をシャンとしてお立ちなさい! そして、自信と誇りをもって前に進みなさい! 私は日本を心の故郷と思っています。 そして台湾を愛するのと同じように、心から、祖国・日本に栄えあれと念じています。 一世紀の四分の三に手が届こうとしているおばあちゃんの私は、人生行路の最終駅にたどり着く前に、日本の若者が強く大きく大地に立ち、自信一杯、誇り一杯で、お国をリードし、世界の平和を守る姿を見たいと願っております。 私はいつも心の中で叫んでいます。 私を生み育てた二つの母国よ! 共に栄えあれ! 平成十五年十一月九日 蓬莱島にて 楊 素秋 上の文章は、動画のUP主さんの文章です。 海外にいらっしゃる、心強い日本の味方です。 |
先人たちのいい話
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サイパンで書いた最期の思い
六十年の時を経て届いた 手紙 人生の最期に、人はいったいどんなことを思うのか…。 その人生は、長い人もいれば、短い人もいる。 しかし、「その人生を生きた」 という思いは、 何人も変わらないように思います。 日本は大東亜戦争時、大変苦しい辛い戦いをしていました。 サイパンでの 絶望的な戦いのなか、戦況を詳細に日記につづっていた日本人がいました。 長田和美 海軍中尉。 戦いを克明に記していた長田中尉は、最後の1日、それまでと まったくちがう内容を記しました。 それは、日記へ託した 家族への手紙でした。 国旗の重み 靖国編 〜六十年の時を経て届いた手紙〜 国旗の重み 〜六十年の時を経て届いた手紙〜 私がここで見たのは、深い深い 家族への思いと愛情でした。 長田中尉の最期の手紙には、「愛している」だの、「好きだ」などの言葉は1つもありません。 ただ、言葉の1字1字から にじみ出る “愛情”が そこにありました。 この手紙は熾烈を極める戦局の中で書かれ、サイパンで日本軍は全滅しました。 ご家族に届いたのは、その六十年後、中尉の奥様が95歳のときでした。 手紙を受け取った奥様の様子をぜひ見てください。 人を愛するということは、そして愛されるということは、こういうことなのか…。 こういう深い思いが、かつての日本にはあったのだな、と思いました。 http://gr1rsk.blog.so-net.ne.jp/blog/_images/blog/_4bd/PIROSHI/4845413.jpg http://tn-skr3.smilevideo.jp/smile?i=9645778 よくマンガなどで、涙の水たまりが書かれることがありますね。 私は、机のうえに、自分の涙の水たまりができたのを、初めて経験しました。 人が涙を流すのは、悲しいときばかりではありません。 なにか深い、大切なものに出くわしたときにも、涙は出るのだとこれを見て思いました。 大切なかけがえのないものを胸に、先人は戦争を戦いました。 国を思う その気持ちの中に、深い家族への愛もありました。 かつての日本と日本人の強さは、こんなところにあったのではないか と思います。 日本人がもつ愛とは こういうものだと 教えていただきました。 本当にありがとうございました。 http://t1.gstatic.com/images?q=tbn:R-th3ajIUy3c0M:http://flat-design.bz/wp/wp-content/uploads/2008/09/japan.jpg http://livedoor.blogimg.jp/wildhorse38/imgs/6/b/6b561d9d.jpg I Love Japan. We Love Japan.
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台湾の教科書にも載るほど有名な日本人技師、八田與一(はったよいち)に関する映像を見つけました。 You Tube の解説より 八田來了(パッテンライ)予告編 (八田與一) 「パッテンライ」とは台湾語で「八田がやって来た」の意。物語は全編アニメーション。 舞台は80年前の日本統治下、台湾南部の嘉南平原。 当時、嘉南平原は不毛の大地と呼ばれており、そこにダムをつくり、農業水路を張り巡らせて一大穀倉地帯に変えた大土木工事である。 物語は、実在の人物・八田與一と八田技師にあこがれて土木を志す台湾人少年と飛行機乗りを夢みる日本人少年が、大土木事業に真正面から立ち向かう大人たちの姿に影響されながら成長していく姿を描いている。 また、工事の信憑性を疑い嘲笑する地域農民たちを説得しながら難工事に挑む姿、夫を支え、やさしく見守る妻外代樹なども描かれている。 舞台は日本領下の台湾。その南西部に位置する嘉南平原は不毛の大地と呼ばれていた。 総督府から技師として派遣された八田與一は、この地に広大な灌漑施設を造るという計画を立てる。 その信憑性を疑う地元の農民たちは八田に対して敵意を抱く。その中に農民の子、英哲もいた。 英哲は八田の土木にかける切実な想いに動かされ、次第にダムの必要性を理解し、自らも土木技師になる夢を抱くようになる。 現場の近くの宿舎に移り住んだ日本人作業員の家族の中に、ススムという少年がいた。 ススムの夢は飛行機乗りである。英哲と意気投合した二人は、互いの夢を語り合う。 そんなある日、トンネル工事中の爆発事故により、五十余名が殉職していまう。 被害者の中にススムの父親もいた。 工事の中止が囁かれ、八田は苦悩に陥る・・・。
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