私が最初に入社した会社は 近畿電気工事(株) 【現社名 きんでん】 といって大阪に本社 (本店) を構える会社で電気工事会社としては日本でも最大級の会社です。私の上司はすばらしい方々で 多くのことを教えて頂きました。 特に私の所属していた事業所内訓練施設(きんでん学園)の初代校長の高橋さんと2代目校長の 東原さんにはほんとにお世話になりました。高橋さんは後に社長、会長、相談役と重責を 担われた方で、私に生き方そのものを教えていただいた人でも有ります。 ほんとに感謝しても感謝しても感謝し足りないくらいに思っています。この会社でお会いした 方々のおかげで、何のとりえもない私にチャンスがやってきました、技能五輪の強化合宿に 参加しないかというお話しでした。 強化合宿に参加している先輩方の技能は天を見上げるほどにすごいと感じていた私にとって この合宿に加わってはたしてついていけるのだろうかという不安はありましたが、 指導してくださった谷川さん、黒田さんそして宮田さんのおかげで、自分でも驚くほどに 私の技能はどんどん伸びて行ったような気がします。 技能五輪には年齢制限があって、3年間しかチャンスはありません。私は、沖縄県出身なので、 沖縄県代表として全国大会には出場したかったのですが、沖縄県は復帰直後ということもあって、 県大会が開催されませんでした。私の直属の上司であった中川さんが沖縄県にいろいろ 交渉されたようでしたが私の願いはかないませんでした。 その後、私は、大阪府の大会に出場させていただけることになり、そして大阪府代表として 全国大会に出場させていただきました。当時の大阪府の黒田知事の激励を受けて出場した 最初の全国大会では、23位でした、私はかなり緊張していてミスが多かったことを覚えています。 次の大会では、5位に入賞することが出来ました。 最後の大会では、ちょっとしたミスがあったのですが、3位に入賞することが出来ました。 この年は、社内大会でも、優勝することが出来ましたので、私にとって最高の年になりました。 私は幼い頃引っ込み思案な子でしたが、プラモデルを作るのが大好きでしたので知らず知らずの うちに手先が器用といわれるようになっていった気がします。 プラモデルを作るようになったのは私が小学校1年生のときでした、麻疹にかかって1週間ほど 学校を休んでいた私に、従兄の秀勝兄さんが車のプラモデルを作ってくれたのがきっかけでした。 私はいつの間にかプラモデルのとりこになっていましたが、いま思えばそのおかげで、 全国大会で3位になれたのだと思います。 今日まで技能五輪の全国大会で3位になったことを多くに人にはお話していませんでしたが、 ある私の友人からみんなにも話したほうがいいよと言われました、これを機会に私のブログでも 紹介させて頂くことにしました。いままでは自慢にしかならないからと思っていましたので 内緒にしていましたが私も人生の折り返し点を迎えるにあたって、私のような者でも、 一生懸命に頑張ればそれを見てくれている人がいることと、必ずいつか報われるということを 伝えたいと思うようになりました。 ですからこれからスタートする、若い技術者にこのことをお伝えしたいと思うようにもなりました。 とりとめのない記事になってしまいましたがかるく聞き流していただければよいと思います。 その後1年間は後輩の指導をさせて頂きましたが、先に紹介した高橋さんが海軍出身であった ことにも影響を受けて私は航空自衛隊に入隊して航空機の整備をすることに・・・。 現在は、設計事務所にいて電気関係の設計や監理をさせて頂いています。 【技能五輪全国大会の銅メダル】
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