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●友達が襲われているのに、なぜ助けない?集団的自衛権は当然だ●
集団的自衛権を説明するときの例えとして、よく使われるのが、街で歩いているときに友達が襲われたときの例です。この場合、ある人が友達を助けるために暴漢と戦うことは、その人にとっての集団的自衛権の行使となります。
友達が襲われているときに何もしないなんておかしい。だから、友達である米国を守る集団的自衛権を持つことも行使することも、当然のことであるし、日本は集団的自衛権を持つべきだ。
こういう論調も良くありますね。
ただ、次の点は考慮する必要があります。
●集団的自衛権が、“集団的攻撃権”に???●
ここでは、米国という友人は暴漢に襲われるという前提があるわけですが、実際には、自分から喧嘩を売る可能性もあります。実際、この数十年ほどを見ても、米国という友人はずいぶんと喧嘩っ早い前歴を持っています。こういう友人が戦う気満々で、獲物を狙っている場合、その獲物がいかに悪者であっても、それはもはや自衛の範疇を超えてしまいます。そして、その自衛の範疇を超えた攻撃を行っている米国を日本は守らなければならなくなります。つまり、上記の論理は、米国という友人の行い次第では、集団的自衛権は、“集団的攻撃権”にもなってしまいます。
9条を改正して、集団的自衛権を認めることになれば、特別の限定をつけない限り、この喧嘩っ早い米国とともに、日本は“集団的攻撃権”を行使しかねません。
そういうことで、9条を守ることに賛成です。(ブロガーズ・リンクhttp://our.sakura.ne.jp/9/)なお、個別的自衛に基づく自衛隊の存在のみを肯定するならば、改憲も排除しませんが、自民党の案でもそうですし、実際の改憲支持派の政治家たちも、一番ほしいのは集団的自衛権ですから、個別的自衛に基づく自衛隊の承認のみの改憲に動くことはありえないのではないかと思います。
ちなみに、現在の政府解釈では、現憲法において核兵器の保有、攻撃準備をする他国への攻撃までも、合憲であると解釈しています。改憲することで、ここに何が加わるのでしょうか。
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国際法上、日本も集団的自衛権を持っているのは当然ですが、日本の議論では「集団的自衛権」の行使だっって色んな形態があるんだ、って議論まで行かず、お粗末です。偉そうなお言葉を吐く国会議員のレベルが知れます。ですから自民党の憲法改正試案なんて、全部「法律の留保」になっていて、明治憲法の反省もあったもんじゃない。確か、オランダでは、集団的自衛権の行使は宣言して行うものであり、戦後1回切りしか行われておらず、それが今回のイラク戦争だったかと記憶してます。
2005/12/26(月) 午後 8:19
TBしちゃいました。私も以前書いたことありますが改憲するなら、自衛隊とは別組織または隊内の別グループで国連を元に動く、のならまだましだと思います。あくまでも武力行使を禁じて(専守防衛)のことです。おっしゃる通り「集団的攻撃権」ですね。悪の枢軸ブッシュに加担したら日本も枢軸になってしまう。
2005/12/26(月) 午後 9:57
ユビキタス・ブッダさん、ありがとうございます。たしかに、集団的自衛権そのものは、世界のいろんな国々がもっていて、これを危険だというと世界中が危険になってしまうので、そういうつもりはありません。ただ、日本の場合、これを持ってしまうと喧嘩っ早いブッシュさんたちと一緒に出入りに参加しなければならないところが困ったものです。
2005/12/27(火) 午前 0:57
旅人さん、コメントありがとうございます。そうなんです。集団的自衛権というから、何か自衛のような感じがしますが、実際には、現在の情勢で日本が近隣諸国相手に戦争を始めるよりは、米国とともにどこかの国の攻撃に参加する方が可能性があります。ですから、“集団的攻撃権”の方がぴったりくると思うのです。
2005/12/27(火) 午前 1:02