無知私感

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■【参考報道】<昭和正論座>“デタントぼけ”から目覚めよ 京都産業大教授・小谷秀二郎 昭和49年12月30日掲載 2009.3.1
      http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090301/plc0903010936006-n1.htm
 
≪「真の平和」とは直結せず≫
 デタントぼけ、という言葉があるが、なかなか意味のある表現だと思う。この言葉は、三木新内閣が発足するに当って、椎名副総裁が激励の意味をこめて話されたものの中にあった。緊張緩和ずれ、とでも訳すと意味がはっきりするかもしれない。
 はっきりと対決する気構えや、相手をこちらの意のままにしてやろうという魂胆を、本当は持っているにもかかわらず、その言葉遣いや行動が柔軟であるがために、表面上ではなんとなしに話し合える感じがしたり、妥協の余地があるかのような雰囲気の中に浸って、いつの間にか対決心を忘れ、相手の意図する方向に誘導されている状態を、緊張緩和ずれ、すなわちデタントぼけというのである。
 この傾向は、国際政治の場にも、そして国内の政治的局面にも現われてくる。したがって、われわれはデタントぼけにいたるところで出くわすことになる。
 世界は緊張緩和の空気に包まれていると、錯覚させるような現象や見解が、より華やかに喧伝(けんでん)され評価される結果、真の平和がわれわれの手中にあると信じ込み、厳しい競争や対立の局面は、忘れられてしまうことになる。超大国間の核戦争は、もはや不可能になった結果、そこには平和以外にはないという結論が簡単に出されることになる。たしかに、超大国間の戦争は、その結果を予測すると、不可能であるという判断は間違っていないかもしれない。しかし、そのことと超大国間の緊張がなくなり、真の平和そのものがそこに存在するということとは、必ずしも直結しないということが、見逃され勝ちである。ここにデタントぼけの原因がある。

≪影では不安定要因の増大≫  
 しかし、超大国間の緊張は、依然として続いているし、戦争をもはや不可能にしたと推論するに足る巨大な軍事力は、その質的改善と量的増強とが絶え間なく続けられていることも周知の事実である。経済協力や文化交流が一方において進められ、平和共存の実が挙っていることが実証されてはいるものの、他方における軍事力強化競争が間断なく行われていることは、依然として相互不信は消えず、その保たれている平和が、軍事力によるそれであることを物語っている。しかも、このような軍事的双極下の平和は、その定着化要因としてよりはむしろ攪乱(かくらん)要因としての色彩を強く持ち、中華人民共和国の抬頭によって、一層不安定なものとなっている。
 最近、沖縄の航空自衛隊が注目している、ソ連偵察機の南下現象は、極めて局部的なものではあるが、デタントの影にかくれた不安定要因の増大の一例と見ることができよう。
 ところで、国際政治の場におけるデタントぼけには、単に超大国間の緊張緩和ずれだけではなしに、小国間や局地的な紛争の多発している現状に対しても絶えず目を蓋(おお)うことによってその症状は著しく進行する。
 新しい中東戦争の危機は、その後の大国からの積極的な兵器類の導入によって、加速的に高まっていることは多数の人々が指摘しているし、東南アジアにおける長期戦は、米軍が介入していた当時と少しも変らず、今日も依然として続けられている。そして、日本に最も近い韓国では、北からの軍事的脅威が、いろいろな型で明確に加えられている。
 たとえば最近、休戦ラインの地下をトンネルによってくぐり抜け、韓国軍の前線の背後に出ようとする北側の企図が発覚したことは、その典型的な例である。しかし本紙でも報道されたように、北側では韓国政府のデッチ上げ説を流しているようだが、数々の遺留品や国連よりの共同調査提案に対して、北側が応じようとしなかった事実などを証拠にするまでもなく、発見されたトンネルのある現地の地形を実際に観察するならば、トンネルが北側から掘り進められてきたことは明らかである。何故ならば、トンネルの発見地点及びその南端は、北の前哨点からは丸見えで、その逆に北端の辺りは、韓国軍の前哨点から見えない。したがって、南側がトンネルを掘れば、北からは容易に発見できるし、銃火を浴びることになる。

≪現実を直視することから≫ 
 以上、述べてきたような事態を冷静に眺めるならば、平和が、いかに不安定なものであるかが理解できるはずである。しかし、日本においては、その不安定さに注目する人は少ない。しかもその不安定な平和すらも、あらゆる努力によってようやく成り立っていることに関心を示す人は少ない。その意味では、それがたとえ不安定とはいえ平和のための血みどろの努力をぬきにしては、明日の平和も覚つかない事態が、実は今日の緊張緩和という現象の本質であることを、大勢の日本人は知る必要がある。デタントぼけからの回復には、現実を直視することから始めねばならない。
 次に、デタントぼけの国内政治版は、いわゆる保革や「右」と「左」との間に、厳しい本質的な差異があることを、なんとなしに忘れさせるような、安易な妥協や融和のための努力が政治面で行われるところに見られる。政治は妥協であるといわれる場合があるが、それは対立するものの本質的差異を明確にしえたうえでのみ正当化されるのであって、無原則の妥協は政治における敗北を意味する。

≪対決すべき点より明確に≫  
 特に、保守と革新との票差が伯仲するような事態になると、否応なしに保守は妥協を強いられる結果となるが、その場合でも、保守と革新との本質的差異は厳然として存在しているはずであり、政策上の妥協にも当然限界があるはずである。したがって、逆にいえば、対決すべき点はより明確に打ち出されるべきであり、あくまで妥協を許さない政策上の特徴を持つことが必要である。
 しかし、現実の政治にあっては、話し合いによる政治という名目のもとに、そしてそれは国民からのより幅広い支持をうる唯一の方法であるかのような錯覚に陥る危険をはらんでいる。それが国内政治における緊張緩和ずれを政治家はもちろん、国民一般にもおこす端緒となる。そしてデタントぼけは、蔓延(まんえん)し取り返しのつかない事態を創り出す。すなわち、保守は保守らしさを失い、革新は革新らしさを失う結果となる。
 特に今日、保守が保守としての政治力を発揮するためには、その体質の改善が急務とされる。しかし、デタントぼけにかかると、そういったものすらも忘れ勝ちとなって、ひたすら左右の融和に専念し、相手の真の姿を見失うことになり、遂にはデタントの中に自らの生命すらも失う結果を招来する恐れなしとしない。(こたに ひでじろう)


【視点】 論稿は1970年代に進んだ米ソ間の軍事的緊張の緩和に関する小谷秀二郎氏の警告である。妥協の余地があるような雰囲気の中で、いつの間にか相手の意図した方向に誘導されていく危険を説いている。国際社会は国益のぶつかり合いであり、平和共存のウラでひそかに軍事増強がはかられることが、ままある。
 その場合は、「定着化要因としてよりは攪乱要因」に転化していくのが現実である。小泉政権下の日中は首相の靖国参拝問題から緊張していた。しかし、日中外交が円滑なときほど、その背後で中国の新型潜水艦の増強や空母艦隊の開発が進んでいる事実を見逃せない。小谷氏の過去からの警告もいまに通じる。(湯)

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