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と記ど記に記
お元気ですか!・散歩・手作り・美術・日々の出来事を残します

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16年前に56歳で亡くなられた主人の年上の友人○○さんの
お別れはとても心に沁みるものでした。
 
○○さんは脊髄の癌に冒され、余命2ヶ月との診断を受け
自らの選択で神奈川県 秦野市のピース ハウス ホスピスに
入る事を決断されました。
 
20年前、ピースハウスは、日野原重明先生が日本で初めての
独立型ホスピスとして作られたものでした。
 
○○さんはピースハウスがオープンして2年目ぐらいに入られましたが、
当時は、ホスピス自体がまだあまり一般に知られていない時期
だったと思います。
 
まだ50歳になって居なかった○○さんから暑中見舞いを戴き
その住所にピース ハウス ホスピスにて・・・と 書かれているのを
見て、主人は絶句してしまいました。
 
お互いに働き盛りで年賀状のみで不義理をしておりましたので、
その様な病に冒されて居る事も・・・そして、ホスピスを選択した事にも
ショックを受けるばかりでした。
 
ともかく、今の内にお見舞いに行かなければ・・・。
どの様に接すれば良いのか・・・    どの様に話しかければ良いのか・・・。
 
十日ほど、毎日の様に○○さんの話ばかり、堂々巡りしておりましたが
私も主人がどの様に接するのか・・・と思うと、こちらまで
胸の中に鉛が入って居る様な思いでした。
 
”お前も一緒に行かないか〜・・・” と 言うので、私も初めて
ホスピスと云う所に同行しました。
まだ、若かった主人もどこか心細かったのでしょうか・・・?
 
東名の中井インターから、山の中腹に上ったとても環境の良い所に
ホスピスはありました。
 
部屋のドアは開いていました。
私はドキドキしていましたが、主人は すーっと入って行って
”こんにちは〜・・・しばらくだね〜” と 言ったのです。
 
あれ〜 これで良いんだ・・・。
私もすーっと胸の鉛が取れて行くようでした。
 
ホスピスに入ってからの○○さんは、痛みを取る治療のみが
功を奏し、とても元気に見えました。
 
何気ない会話の後、車椅子でホスピスを案内してくれて、
喫茶室でお茶とお菓子を御馳走になりました。
ボランテイアの方達の手作りお菓子・・・カップの種類もお好みで
選び、そのコーナーは優雅なゆったりとした空間になっていました。
ロビーや廊下にも、花々や絵が飾られていて、全体にピンクの雰囲気でした。
 
食事は苦手なものは申し出ていれば省いて出してくれていましたし
もともと陸上をやっていて頑健な○○さんは、このような環境と
ストレスの無い生活が合っていたのでしょうか・・・?
お見舞いに行くたびに元気になって行くようでした。
 
その内にホスピスの隅で絵を描いても良いとのお許しが出て
絵を描くまで元気になられ、余命二ヶ月と言われていたのですが、
一年もの時間をここで過ごす事になったのでした。
 
今は分かりませんが、当時は六ヶ月が目安と云う事でしたので、
ホスピスは出なければなりませんでした。
一年の間に多くの仲間を見送り、それは大変な心の苦痛でも
あった様でした。  ある意味限界だったかも知れません。
 
皆さまは二週間〜二ヶ月で亡くなられる方が多く、スタッフの皆さんと
仲良くなる時間も体力も無い場合が多いのですが、
○○さんはスタッフの皆さんとも仲良くなられ、退院は
とても良い事なのですが、 ”こんな言い方は可笑しいけど、又 きてね〜”
と スタッフさんたちが淋しがっていました。
 
その後、小さなアパートで訪問看護、ヘルパーさん、ボランテイアの方
どなたかが必ず家を訪問する様に日程を組み、アパートも大家さんの
理解の下にバリアフリーにして、一人暮らしがスタートしました。
 
近所の主婦の方に絵を教え、四年の間・・・・そこで過ごす事が出来ました。
 
充実した日々を過ごしていましたが、やはり癌の進行は進み
病院と施設を三ヶ月ごとに替えながらの入院生活になりました。
 
それから、二年近くたって、最後を迎える二日前に○○さんの
希望通り、ピースハウスホスピスに戻る事が出来、スタッフの皆さんとの
再会を果たして最後を迎えられました。
 
御遺体がアパートに戻られてから、絵を習われていた方、ボランテイアの方が
部屋や廊下に○○さんの絵を飾り、それぞれのお宅の庭に咲いていた
花をそれぞれの花瓶に生けて持ち寄り、畳の上に並べました。
それは、とても美しい光景でした。
 
花瓶の数も多かったのですが、色とりどりの花々が質素な部屋を
明るくしていました。
経済的には、もう限界でしたので、とても質素でしたが
心のこもった良いお別れでした。
 
この光景は二十年経った今でも、良い思い出として残っています。
 
 
 
 
 
 
 

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    今日の記事、暑さを忘れて読ませて頂きました! ナイスです!

    [ 行雲流水 ]

    2013/7/26(金) 午後 3:01

    返信する
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    アアウアウ様へ
    人はいつかは旅立たねばなりません。しかしいつも思うのですが。死んだ後、私の事を思い出す人間がいるのか。その事がいつも頭にあります。それを思うと死ねないとまで思います。私はそんな想いがあり。自分の持つ物全てに執着します。そしてその物だけはどこかに残って欲しいと考えます。たとえば私の大事な衣類などは手に入れても袖を通さず。ネクタイなどは全く使用せず眺めています。それが私が居なくなっても誰かの手に渡って生き残って欲しいと強く願っています。そんな事を考えます。アアイアウ様が『この光景は20年経った今で良い思い出として残っています』と書かれていているのを見て。この方は本当に幸せだなと感じます。そしてその方が羨ましくもあります。ナイスです。有難うございます。

    不あがり

    2013/7/26(金) 午後 3:47

    返信する
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    行雲流水さま、ナイスを有難うございました。
    私達夫婦も若かったので、記憶に鮮やかに残っております。
    強く生きられたと思います。

    と記ど記に記

    2013/7/26(金) 午後 6:22

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    不あがり様、コメント有難うございました。
    この方はホスピスに行くまでも大変な苦労をされていました。

    いろいろなケースがあるのでしょうが、痛みを取ると云う事のみの
    選択が良かったケースで、心に深く残りました。
    主人が癌になった時も私達夫婦に大きく影響しました。

    皆が、このように長く生きられるわけではないのですが
    そして主人の様にたちの悪い癌の場合はまた別ですが
    このような事もあるのですね。 協力する方もいたからですね。

    と記ど記に記

    2013/7/26(金) 午後 6:32

    返信する
  • アアイアウさん!こんばんは★〜

    胸にジーンときました
    いいお話を記事にされましたね。

    過去が不幸な人生だったとしても残された最後の時間が満たされて充実した生を過ごされたこの方は、幸せな人生だったと思います

    周りの方に支えられて、そしてご自分も絵を教えたりして、喜びを周りに与えていたのでしょうね
    人間は自分が必要とされていると感じる時、生きる意欲と
    よろこびがあるのです

    日本ではホスピス病院はマダマダ不足しています。

    人生の閉じ方は、このように出来たら理想的と思いながら読ませていただきました。
    ナイスです。

    [ 万華鏡 ]

    2013/7/26(金) 午後 7:40

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    「生き抜く」ことの素晴らしさ、それに必要な強靭なエネルギーのお話を、有難うございました。
    自分には到底出来かねるお話・・・・それでも、今を生きるしかない・・のです。

    [ 老爺 ]

    2013/7/26(金) 午後 9:51

    返信する
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    万華鏡さん、コメントとナイスを有難うございました。
    20年前ですからいろんな意味でさきがけになったと思います。
    なぜか、家庭的には恵まれませんでしたし、ホスピスに入る
    3年ぐらい前に発病しているのです。
    日野原先生は何冊も本を出されていますが、その内の一冊に
    ○○さんの絵も挿絵として入っています。

    と記ど記に記

    2013/7/26(金) 午後 10:05

    返信する
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    老爺さんコメント有難うございました。
    そうです。 強靭と云う言葉がぴったりですね。
    沢山の人が応援していた様な気がします。
    今になってみると、本当に若かったのに、凄かったと思います。
    車椅子でしたから、腕が太くてしっかりしていました。

    と記ど記に記

    2013/7/26(金) 午後 10:11

    返信する
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    良い思い出ですね。

    でもご免なさい、こみちさんのブログを読んでいると自分でも分かっているのですがどうしてホスピスを選択しなかったのか今も悔やまれてなりません。
    16年前の○○さんは好い選択をされました。
    家内の抗ガン治療は苦しんだだけという後悔だけが残る治療でした。
    結果を云っても仕方ないですけどもう少し私達に癌に対する確かな知識があれば延命に繋がったかも知れないという後悔。
    今もコメントのキーボードを叩いていても胸が痛みます。
    ならぬことはなりませぬ、仕方が無かったと諦めるのにはまだまだ時間がかかります。

    最後に癌患者ならびに家族の方に参考にして欲しいのがよく考えて治療を選んで欲しい。最終的には患者自身が決めることですがホスピスを選ぶか抗がん剤治療を選ぶかですがむつかしい選択ですが慎重に。
    もっと副作用の少ない抗がん剤が世に出ることを祈る気持ちでまたれるところです。 削除

    [ tottie ]

    2013/7/28(日) 午前 11:48

    返信する
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    tottieさん、何とコメントして良いのか分かりません。
    奥さんの場合は若かったのですから、お医者様も御家族の方も
    希望を持って臨まれたと思います。

    元ブロ友さんだったcrockettさんも若い奥さんと共に再発癌と
    闘われました。 私もはらはらしながらコメントを
    差し上げていましたが、主人とは違う闘いを見る事になりました。

    結果から見てしまうととても悲しい結果になりましたが
    奥さんにしてみれば、ホスピスを選ぶ選択は微塵もなかった事
    でしょうし、御主人もその時点でホスピスを選ぶ事は
    大変な葛藤があったのではないでしょうか?


    我が家の場合は進行のとても速い悪性度の強い癌だった事と
    ○○さんの闘病を見ていた事が抗がん剤を使わない選択と
    自宅でのホスピスを決断する事となりました。

    また、癌だけではなく、胃漏の選択も同じ様に家族が苦しい
    選択を求められます。 いろいろ考えてはいても、現実に
    なると、どなたも簡単には決められない辛い問題です・・・。

    と記ど記に記

    2013/7/28(日) 午後 1:00

    返信する

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