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おはようございます。
ま〜、びっくり・・・。 今日も記事を書けるでは
ありませんか?
ボケたお年寄りが可愛らしくなって行くように
yahooさんが可愛らしく思えて来ました。
想像を超えて、寂しくなく、ほんわかと終われるのかな・・。
さて、本当はいつまで、何時まで・・・。
今から、早起きして、順番を取った整形外科に行って来ます。
帰って来て、又コメントが貰えて居たら嬉しいな〜。
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詳細
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YAHOOブログの最後の投稿は主人の命日が
過ぎてからと決めていました。
この投稿が最後になりますが、主人の記事と合わせて
13年間 皆さま有難うございました。
何度か書いて来ましたが、ブログを私も書くと
いう事は、想いもよらない事でしたが、手術から一年で
旅立ってしまった主人が残念な気持ちで居るのではとの
想いがありました。
自然に引き継ごうとの想いが湧き、パソコンの操作を
教えて貰いながら 8年も続けて来られました。
ネタが無い・・・とも言いながら、何日かすると
ふっと 書いて見ようと思うことが有ったりして
この日が来ました。 今、ちょっとほっともして居ます。
実際にはお知り合いになる機会の無いブロ友さんとの
コメントでの交流やTELでお話しした事のある
ブロ友さんも居て、人生の想いも掛けない出来事でした。
残念なことは皆さまも書いて居られますが、
せっかく出来たブロ友さん達がちりじりになって
しまったことです。(これはとても寂しい事でした。)
でも、他のブログに移行された方の所にも、せっかく
のご縁ですから 訪問させて戴きますね。
投稿は最後ですが移行はもう少し後にします。
こうして文字のキーを打ったり、あちこち
yahooに慣れた順番でクリックして居ますと、
やはり寂しくなりました。
私の移行先は ↓
アメーバでも記事のアップを続けて行きます。
また、お会いしましょう。
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一昨日、8月4日は主人の8回目の命日でした。
渥美清さんを大好きだった主人はアバターを
寅さんの銅像の画像にして居ました。
自宅で緩和ケアー生活を送って居ましたが、
8年前 時計の針が8月4日になってから
渥美清さんと同じ日に亡くなりました。
渥美清さんの命日が同じ8月4日と知ったのは
後からでしたが、家族は「それほど好きだったの~」
と思い、この偶然が何となく嬉しくなりました。
8回目の命日は息子の都合で、前の日の8月3日に
家族三人でささやかに行いました。
昨年も練習はしたのですが、今年はぶっつけ本番
で、般若心経を合唱・・・。
これがなかなか揃いません。
昨年も揃いませんでしたが、今年はさらにバラバラで
大笑いでした。
その後、歩いて13分のお墓にお参りし、近所の
イタリアンのお店で夕食を取りました。
その後、久し振りに 想い出の夕日の丘まで行きました。
8年前の8月4日は、生前から家族葬と決めて
居ましたから、郷里の親戚とこちらの友人数人にしか
知らせて居りませんでした。
それでも、昼には友人や葬儀社の人が来て呉れて
慌ただしかったのですが、夜になったら家族三人のみに
なってしまい シーンとなってしまいました。
その静けさに戸惑ってしまい、三人で主人の好きだった
「夕日の丘」に行こうという事になりました。
誰も居ない丘の道に・・・影法師が三つ・・・。
「三人になってしまったね〜・・・」と、息子だったか
娘だったかが 呟いた事を想い出しました。
丘の上からは街の灯りがチラチラと奇麗に見えました。
翌日、娘が何処かから、家族で行った
旅のDVDを出して来ましたので、パソコンで
再生して観ました。 今回はタイのバンコクと上海の
旅を観たのですが、見始めは涙が溢れて堪りませんでした。
が、その内 「あら、あの服、あのブルゾン、
いつも着てたね~・・・。 新しいものを
買わないで、あるものを着て行ったのよね〜・・・」
「あら、あのウエストポーチも、いつもだったわね〜
・・・。」 楽しさのあまりのふざけたポーズ、
いつもの表情、眼差し・・・など、懐かしく想い出し
ました。「お父さんのいつもの顔だね〜・・・。」
等と・・・。良いひと時でした。♪
直ぐお盆がやって来ますね。
お盆は一人でお参りしますが、
「お父さん、寂しがらないでね・・・。」
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こちらもよろしく、お願いいたします。
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夏休みに入って10日ほど経ちました。
主人が亡くなってからは、暑さの厳しい8月には
帰省を控えるようになりましたが、
それまでは、子供たちが、中学になってからも家族4人で、
子供たちが忙しくなってからは、夫婦で 欠かさず
40年近く、 帰省して居りました。
私達は同じ市内出身でしたから、毎年の帰省が可能でした。
お互いの両親への顔見せや墓参りのためでしたが
毎年続けることには、大変な努力が要りました。
主人の母は長く病床に臥して居ましたし、
私の父も8年もの間 病と闘って居ました。
まだ若かった私達には、家のローン、車のローンが
月払いの他にボーナス払いもあり やりくりが大変でした。
深夜に東北道を走り続けて、朝の7時くらいに
高速道を抜けると、
当時は7000円ぐらいだったと思います。
しかし首都高速で何回か高速料金を払いますから
片道 1万円ぐらいだったと思います。
(これが一番安上がりでした。)
郷里へのお土産代、戻ってからのこちらへのお土産代、
パーキングでの食事代、アイスやジュース、4人分、
郷里での昼食、夕食、墓参りのお花代・・・。
お金の事ばかり書いてしまいましたが、
かなりの出費でした。
主人はいつもニコニコ、気を遣うタイプでしたから、
私とは比べようもなく疲れたと思います。
車が好き、運転が好きと言って呉れては居ましたが・・・。
帰り路に、夜の9時頃、浦和のインターを出て
都内の中央環状線に入ると
東京湾の近くの高層ビルの灯りが
一気に煌めいて美しく、そして水面をも照らします。
その都会的な美しさが
何故かほっとし、じんわりともしたものでした。
「ああ〜務めを果たして帰って来た・・・。」
そんな想いを家族で40年近く続けて来ました。
今はもう暑さの中、そんな長旅は無理になりました。
振り返ると、健気な感じで 胸がいっぱいになります。
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