未だ不明者・8000人越えこの画像は朝日新聞・6月10日の朝刊からお借りいたしました。
宮城県の南三陸町の海岸沿いで行方不明者を捜索する岡山県警の機動隊員とのこと
沿岸には煙のような霧のようにも見える霧散は・・瓦礫の中の木材を焼きながらの
不明者捜索と書かれてあります。・・・流木をチェーンソーで切断し燃やしながらの作業
群がって来る大量のハエを煙で追い払いながらの作業なそうです。
そういえば、私は時々ベランダで連れさんが下ろした魚を<干し網>寒風に晒していた
寒中を思い出しますが・・・生物には どこからやって来るのか銀蝿が群がります。
大震災から3ヶ月過ぎた今でも海岸には遺体が打ち上げられると言う
この場では6月に入って21体もの遺体が打ち上げられ・・・既に白骨化している遺体は
体育館に運び込まれてDNA鑑定で識別・・・そういえば「亡くなられた方々」asahi.comでは
急激に死者の数が激減いたしました。震災後一ヶ月辺りには紙面一面に載っていた一覧
最近では10人〜15人ほどに減っておりましたが・・・この所また増えてきております。
原因は先日の<大しけ>で海底の土砂・汚泥が巻き上げられたためと言う
そんなことから推測いたしますと・・・8000体もの御遺体は海底の汚泥深く沈みこんで居る
潜水捜索隊が海底の表面を見て・・・瓦礫はありますが遺体らしき姿はありません・・。
と放映されていた1ヶ月前・・・海を掘り起こすまでの発想はなかったようです。
私には不謹慎ながら とても気掛かりな記事をこの3ヶ月の間に2度目にしておりますのは
日本海側で漁業をやってきた方々が、こんなに太った鰹が大量だったことは初めてのこと
その大きさ普通のカツオの5倍・・・また太平洋側の漁場では稀に見るマグロの豊漁
などと・・・不謹慎な想像を触発させる記事を目にしておりますが・・・皆さんは如何お思いでしょう
このような捜索も もう数ヶ月すれば打ち切りになることでしょうが 海底を掘っくり返してまで
捜索を続けることは・・・遺族のご意志の逆撫でとなりませんように・・・。
あれから3ヶ月・・・祈りはいつまでも
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大震災2011・3・11
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コメント(4)
瓦礫に乗って漂流・・・愛犬との奇跡の再会人間と人間は些細なことで 人を羨み妬み競争心を抱いたり生活様態で
夫々を区別化・差別などを平気でやっていることが当たり前〜それを承知で生きている・・・この度の
大震災は東北の様々な生活層の大部分をマッサラに破壊してしまった。
富める人も貧しい人も・・・原点に立たされた。村や町で人望があろうが無かろうが
裸一貫で投げ出されてしまった。清貧や極貧に甘んじてしか生きて来れなかった人が
一番気の毒にそして気高く思えるのは何故だろう!また豪奢な家が津波に飲み込まれ悲嘆に
暮れている人々に同情が向かないのは・・・ごく自然の市民・町民感情かもしれない。
そんな中で。富めようが貧しかろうが愛犬(ペット)は人間の貧富の差に拘わらず
思いっきり心を寄せてくれる・・・人間をハグしてくれるのです。人間が助け出されて涙流し
抱きあっている姿より・・・助けられた犬や馬が飼い主に嬉しそうに長い首を擦り付ける
光景が何とも斬新で新鮮に見えるのは・・・その点において夫々がお互いに純粋だからかな
被災の現地は、修羅場であり地獄の様相であると言う・・・空巣・強奪・喧嘩
形振り構わない殺伐とした様相があり。私の知人の息子さんは現地に毎日ボランティア
腐臭・異臭が漂う瓦礫の中から遺体の片鱗を探し出しかき集めていると言う
<お母さんは来ない方が良い!>と言う息子さん・・・懸命の格闘である。
岩手や宮城の知人には未だに連絡が取れないで居る人もいる <安否>の問題では無い
失うものの大きさに自分の力さえも萎えて行く・・・送ろう★さくら★の花を・・・。 |
おとこはつらいよ★ペーソス漂う・・・国民的映画朝日新聞4月3日山田洋次監督は■大震災に思う
<思い続けていれば見えてくる>と東日本大震災の悲しみに沈む
私たちに・・どんな言葉を投げかけてくれるのだろうと寅さんに思いを馳せる
テレビに映る凄まじい光景に胸が張り裂けそうになった・・・と書いてます。
日本は丁度高度成長に沸きかえっていた頃・・・私たちは農村風景を求めて歩いていました。
そんな時に渥美清さんは「もう 贅沢はいわないからさ もうこれ以上、この国は変わってほしくない」
って言ったそうですね〜阪神淡路大震災でロケのとき大惨事の記憶生々しい中で
喜劇映画を撮影してもいいものか、被災者の気持ちを逆なでするのではないかと。
でも地元の人たちの話を聞くと<寅さんを見て元気になりたい><笑いたい>というのでそうです。
スクリーンは布団のシーツ被災者同士笑っては泣いて、終わって電気を付けたら
みんなとても良い笑顔になっていたそうです。人間は辛いとき・悲しみの極限にあっても
「笑い」を求めるんだと痛感したそうです。生活の中に普通にあった笑いを・・・。
寅さんは「困ったことがあったら、風に向かって俺の名前呼べ」・・寅さんは普段は
無責任でダメな人間・・・でも生き方が逞しい<神戸の被災者に向けて>寅さんは
<みんな苦労したんだろうな。ご苦労さん>って・・・この言葉が映画の中でのアドリブセリフ。
台本は「ただいま」の台詞でしたが・・・人生は辛いことばかりではない「ご苦労さん」の一言に
どれだけ多くの人が救われたことか。家族を失い悲しみのどん底にあった被災者の
心の中に寅さんが入り 慰め 生きる力を与えてくれる。
寅さんは今でも私たちの心に生きている。
流された乳牛14頭、宮城農高に帰ってきた!読売新聞 4月5日(火)12時1分配信
東日本大震災の津波で校舎が破壊された宮城県名取市の県立宮城農業高校で、津波にさらわれた実習用の乳牛34頭のうち14頭が生き延びて戻ってきた。
生存をあきらめていた学校関係者は「よく生きていてくれた」と喜び、牛とともに学校の再生を誓っている。 地震発生の3月11日、同高実習助手の渥美勇人さん(36)は牛舎で生徒約10人と実習していた。津波の警報を受けて生徒といったん校舎に避難したが、「牛を助けなければ」と引き返した。だが、全頭を避難させることはできない。「せめて逃げてくれ」との思いで牛の首輪を外した。牛舎近くの高台のやぐらに避難した渥美さんは、牛たちが濁流にのまれ、苦しそうに顔だけを出してもがく姿を見た。「生きてくれ」と祈ることしかできなかった。 ところが、この日の晩のうちに5、6頭が高台まで帰ってきた。さらに2日後には、数頭がけがを負いながらも戻った。「よく戻ってきてくれた」。渥美さんが1頭1頭抱きしめると顔をなめてくれ、胸がいっぱいになった。流されたのか学校から約5キロ離れた場所でも牛が見つかり、近所の人がえさや水を与えて面倒をみてくれていた。 4月5日の朝日新聞より・・・牛さえも人間恋しく
牛を抱きしめれば顔をなめてくれる・・・これって凄い絆を感じさせます。
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