父と病気とその家

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突然病に倒れた父の闘病と私たち家族の思いの記録
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目標達成

久しぶりに父のこと

父が発病してから1年半ほどたちました。
『悪性リンパ腫』と判ったときには、「生きたい、もう少しでいいから生きたい」
そればかりの日々でした。

とっても効果適だという抗がん剤を使い、劇的にリンパ腫が消え始めたときは
「桜を見たいな〜」そんな些細なことが、苦しい治療を絶える目標でした。

抗がん剤の治療はそれはそれは大変な副作用を要するもので、父の体は悲鳴をあげ
「癌ってなんて恐ろしい病気なんだろう」と家族みんなが感じていました。
治療のまえに、副作用でまいってしまう。そう思いました。

そんな頃の父のささやかな目標は『新車を買って温泉めぐり』
家族はそれを励みの言葉として父を応援していましたが
8クールの抗がん剤治療を2クール残しての治療打ち切り。
父の体が副作用に耐えられなくなっていたから。

それでも、検査の結果は良好だったので、とりあえず退院して
通院による治療と、定期的な検査に切り替わっていきました。

その間再発かと思わせる兆候がでたり、定期的な胃カメラ検査で
小さな胃がんが発見され、内視鏡による手術をしたりといろいろありました。
主治医の先生も「強運の持ち主だね」って驚いています。

でも、家で過ごせることの幸せを感じながら、父は2度目の冬を乗り越えました。
今年の冬はとっても暖かで、雪も少なかったので、買ったばかりの車で
母の買い物に付き合ったり、近くの温泉に日帰りしたり、のんびりすごしています。

そして、今日。
念願だった温泉旅行に出発しました。
一泊ですが^^
さすがに2時間の運転は無理なので、母の妹夫婦に運転してもらって
4人で出かけました。

入院しているときの目標だった温泉旅行。
「叶うと良いねって」思っていましたが、どこかで「もしかしたら無理なのかな〜」
なんて思ってもいました。
一つずつ、少しずつ、願っていた小さな目標を達成している父。
今頃旅館のお布団の中で、ちょっと飲んだお酒に酔って眠っていると思います。

新車に乗って

父が退院してもう半年が過ぎました。
その間検査入院を何度かしてきましたが、今は週一回の通院で何とかやりくりしています。

退院したての頃はやはり体力もなく、目が放せない状態でしたが
いろんな検査をしてきて、戦ってきた「悪性リンパ腫」がすっかり消えているとの結果が出て
気持ちもすっきりしたのか、少しずつできる範囲で畑に出たり、母の買い物に付き合ったり
して過ごしています。

本当のところ悪性リンパ腫は消えたのですが、胃に2個の潰瘍と初期の小さな癌が一つ発見されていて
今現在、先生方の治療方針の結果待ちで、来月あたり再び入院予定なのですが、先生方の
心の治療も効いているのか、今では結構あっけらかんと前向きに病気と向かい合っています。

入院中から父の希望でもあった新車を夏には予約していたのですが、結果が出るまでと
最近まで納車をストップしていました。
姉の反対もあったのですが、希望の4WDのマニュアル車が見つかり、弟が手配してくれたので
思ったより早く納車していただきました。
この歳で、しかもいつまた入院して乗れなくなるかわからないけれど、父の病気と戦う気力の
元ですからこれでよかったと思っています。

ここ数週間ほど仕事が忙しく、なかなか顔を見に行くことができなくていました。
「木曜日には行くから」って伝えてあったのですが、昨日弟のところから
新鮮な丹波の黒豆の枝豆が届いたからと、新車に乗って20キロの道のり峠を越えて
やってきました。
ビックリしました。っていうか、話してからくると断れるからって内緒で来たのです。
やられました。
まだ足の力に不安があるので、峠を(国道です)超えるときのことを考えると、トラックに
あおられないかとか、ブレーキが遅くてカーブ曲がりきれるとか心配で、しかももみじマーク
付けていないし.... 。
運転できない母は、助手席で体に力を入れて帰ったことと思います。
ぴかぴかの白い新車に乗ってまた遊びに来てほしいと思います。

安らかに ネコ様

治療途中で退院して、その後初の精密検査の結果を聞くための
面接日に行くというので、ぼちぼち運転を始めていた父も結果に
よっては、帰りの運転に不安があるから私が運転していくことに
なりました。
胃カメラの結果では、3ケ所の気になる所が見られたので病理に
出していたのです。

実家の車庫に車を入れると、なんと言えない異臭。
どうやら、豪雨の後に収穫したじゃがいもが端から腐ってしまった
らしく、前日に選別して綺麗に整理したとの事。

準備ができ再び車庫に行くと、やっぱりじゃがいもの腐ったのとは
違うような異臭に、隅にある棚の一番下の箱をどかしてみたら
最近頻繁に庭に遊びに来ていたノラネコさんが横たわっていました。
かなり腐敗が進んでいて、そのための異臭だったのです。

病院に行く時間も迫るなか、取りあえず棚からネコさんを近くの畑
まで移動してでかけました。

病理の結果、一番大きく先生がリンパ腫の再発かと心配していた物は
びらんで、一番小さい物がどうやら初期の胃ガンだということでした。
初期にせよ胃ガンとなると深刻に感じていましたが、リンパ腫の再発
にくらべると簡単な物で、先生の表情もかなり安心させてくれる物で
した。

取りあえずは、一ヶ月薬でびらんを治療してから、ガンに関しては
内視鏡で取り除くことになりました。

結果を聞くまでは、治療をするか、このまま治療をせずホスピスに
申し込もうか悩んでいた父も気分が晴れた様子でした。
「病は気から」良く言った物です。

それと、こんなことを言っては不謹慎かと思ったのですが、車庫で逝った
ノラのネコさんがすべてを知って身替わりになって持っていってくれたよ
うなそんな気がしてなりませんでした。
帰ってから、お墓を作って葬ってあげました。

安らかに、安らかに眠って下さいね。
そしてこれからも見守って....。

人生について考える

父が病気になって、入院して改めて、私たち子どもも親もこれからの人生を考えました。
結果は何となくしか出ていませんが。

父が入院して、実家の近くに住んでいてフルタイムで仕事をしてる姉と、実家から車で
30分程離れていて家で仕事をしているわたしと、それぞれ当たり前のように仕事を
セーブしながら、母の手助けや看病をしてきました。

でも、母からしてみれば、実の娘でもあるけれど、もう嫁がせた娘にもそれぞれの生活が
あると考えているようで、時には遠慮をすることもありました。

特に夫の親と同居している私には随分気を使っていました。
姉も私も長男と結婚しているので、夫の親の将来も頭において生活しています。
父が入院しているのに、母がバスを乗り継いで病院に行っているのに、何故私はこうして
夫の親と笑ってごはんを食べているのだろう。何故毎日父の所に行ってやれないのだろう。
葛藤の毎日でした。

長男の弟は年に3回程しか帰省出来ない遠くに住んでいます。
大学を出て名のある企業に勤めています。
いずれはふるさとに帰ってくるつもりではあったようですが、多分頭の隅では
定年間近か、子どもが独立した頃くらいにしか考えていなかったと思いますし
まわりからも、辞めるなんてもったいないという声が多々ありました。

今回のことで弟はどんなに深く人生について考えたことか、想像できました。
会社でやりがいのある仕事を任され、そこそこの立場になって正に油が乗って面白く
なってきた時。
男の人が職を変えるということはそれこそ一大決心だと思うから。
こっちに帰ってきて、独立してやっていけるメドがたつかどうか。誰にも解りません。
悩んでいると思います。
実際にこまごまとした家のことは姉の夫や、私の夫の協力でなんとかこなしてきてい
ますから、弟としたらいうに言えない感謝の気持ちと、自分のふがいなさで一杯だと
思うのです。

親には子どもの人生を背負う責任があって、子にも親の人生の最後を看取る責任がある。
それがいつなのか、どんな時なのかどう見極めていったら良いのか。
親を越えることができない私には、まだ解りません。

父は永いこと農業関係の営業をしてきて、定年後も別の会社で同じような
営業の仕事をしていました。
発病して、どうやら長引くということで退職しましたが、それまで毎日
100数十キロ車を走らせていました。

軽トラックと乗用車。父の保有する車ですが、ほとんど軽自動車の毎日でした。
入院して、個室での治療の毎日の中で父の頭は
   『退院したら新車を買って、お母ちゃんと温泉旅行』
そんなことでいっぱいでした。

さっさと古い乗用車を手放し、新車購入のためカタログを取り寄せ見比べていました。
 「トヨタがいいかな?今度は日産にしてみようかな」
まさに少年のように目をキラキラさせていました。闘病生活の毎日のかすかな楽しみ
だったので、私もいろいろ候補をあげて話に花が咲いていました。

病室から知り合いの営業マンに予約したいんだけど来て欲しいと電話をしたこともあり
ました。さすがにその時は退院のメドも経っていなかったので
 「退院が決まって、ショールームにいって自分の目でいろいろ見比べてからにしよう」
なんとか納得させたこともありました。

退院時、父は入院した時より25キロ体重が落ちていました。
永いベットでの生活だったので歩行もままならず、貧血、息切れもありました。
絶対に運転させられない。そう思いました。
可哀想だと思いましたが、本人は運転できるかもって思っている以上、車のキーを隠さざるを
得ませんでした。

判断能力の定価はもちろん、シートベルトを装着する力も、ブレーキを踏む力もありません。
直ぐに戻るとは思えませ。
あれだけ運転していた人ですから、きっと簡単に運転できると思っているのでしょう。
でも、車の運転は運転者一人の問題ではないのです。
同乗者はもちろん、対向車、歩行者、建物、いろんなものが絡んできます。
病気で命をおとすのは仕方のないこととしても、事故で自分の命だけでなく他人の命まで奪う
ことはあってはならいのです。
お願いです。もう少し体力がつくまで車の運転は我慢して下さい。

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