うちなあぐち日記

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 組踊(くみをぅどぅい)『大川敵討(ううかあてぃちうち)』ぬ後世(ぬちぬゆう)んかい呉(くぃ)たるむのお、芝居(しばい、しばや)、民謡(ふぁうた)、琉歌(るうか)びけのおいびらん。
 他(ふか)ぬ組踊や、大概(てえげえ)や、八八八六調んでえぬ韻文(うた)ぬ形(かた)なかい作(つく)い書(か)かとっとおるむぬやいびいしが、『大川敵討』ぬばあや、泊(とぅまい)ぬ口(くち)ねえし、いいくる叫(あ)びい言葉(くとぅば)んあいびいん。ただ、あぬうっぴえあいびらん。んずみてぃ、長(なげ)えさある口調(あびいよう)やいびいくとぅ、実(じゅん)に、書(か)ち言葉(くとぅば)ぬしい様(よう)ぬ手本(てぃふん)とぅないびいん。
 我(わあ)、うちなあぐちぬ文言(むんぐん)ぬ肝加勢(ちむがしい)とぅんなとおいびいん。
 ただ、伊波普猷や、うんな泊ぬ口え、うり迄(までぃ)ぬ重(んぶ)らあさる組踊ぬ形(かた)とぅ、変(か)わとおんでぃち、自(どぅ)ぬ書ちぇえる書物(しゅむち)『琉球戯曲集』んじ、「いちゃんだ叫びいどぅやる」風儀(ふうじい)し、くじい物言(むに)いそおいびいん…。
 やいびいしが、我(わん)からしいねえ、いちゃっさ、あたらさる口やいびいくとぅ。あいびらん、昔(んかし)からぬ慣(なり)り破(やん)てぃ迄(までぃ)ん、うん如(ぐとぅ)うし、書ち残(ぬく)ちゃるうぬ久手堅親雲上や、でえじな、稀(まり)ねえぬ、また難(むちか)しいっ人(ちゅ)やたんでぃ、ちくぢく、思(うむ)やびいん。

 今(なま)ぬ「書ち言葉」あ、いっそうから、「棒線うちなあぐち」けえなとおいびいしが、長音(ながうん)や母音(ぶいん)しんでぃぬ書ち言葉ぬ精魂(しょうたまし)え、継(ち)じ行(い)ち欲(ぶ)しゃいびいん。

【語句】
組踊『大川敵討』ぬ後世んかい呉たるむのお=組踊『大川敵討』が後世に貢献したのは、
芝居、民謡、琉歌びけのおいびらん=芝居、民謡、琉歌だけではありません。非丁寧文「〜あらん」。
他ぬ組踊や、大概や、八八八六調んでえぬ韻文ぬ形なかい=他の組踊は概ね、八八八六調等の韻文形式で
作い書かとっとおるむぬやいびいしが=書かれているもののですが、非丁寧文「〜むぬやしが」。
『大川敵討』ぬばあや、泊ぬ口ねえし=『大川敵討』の場合は、泊のセリフのように、
いいくる叫びい言葉んあいびいん=少なからず、話し口調もあります。非丁寧文「〜言葉んあん」。
ただ、あぬうっぴえあいびらん=だた、(話し言葉が)あるだけではありません。非丁寧文「〜あらん」。
んずみてぃ、長えさある口調やいびいくとぅ、実に=とても、長さのある語り口調ですので、非丁寧文「〜やくとぅ」。
書ち言葉ぬしい様ぬ手本とぅないびいん=書き言葉のあり方の手本ともなります。非丁寧文「〜なゆん」。
我、うちなあぐちぬ文言ぬ肝加勢とぅんなとおいびいん=私の沖縄語文章にも勇気を与えています。非丁寧文「〜加勢とぅんなとおん」。
ただ、伊波普猷や、うんな泊ぬ口え、うり迄ぬ=ただ、伊波普猷は、そんな泊のセリフについて、それまでの
重らあさる組踊ぬ形とぅ、変わとおんでぃち=格調高い組踊の形式と違うとなどと
自ぬ書ちぇえる書物『琉球戯曲集』んじ=自著の『琉球戯曲集』で、
「いちゃんだ叫びいどぅやる」風儀し=「いたづらに語をならべているだけ」みたいに
くじい物言いそおいびいん…=酷評しています。非丁寧文「〜物言いそおん」。
やいびいしが、我からしいねえ、いちゃっさ=ですが、私からすれば、どれだけ、
あたらさる口やいびいくとぅ=貴重なセリフであることでしょうか。非丁寧文「口やくとぅ〜」。
あいびらん、昔からぬ慣り破てぃ迄ん、うん如うし=いいえ、昔からの習慣を破って迄、そのように、非丁寧文「あらん〜」。
書ち残ちゃるうぬ久手堅親雲上や、でえじな=書き残した久手堅親雲上は、すごく、
稀ねえぬ、また難しいっ人やたんでぃ=偉い、非凡な人だったのだと、
ちくぢく、思やびいん=つくづく思います。非丁寧文「〜思ゆん」。
今ぬ「書ち言葉」あ、いっそうから=今の「書き言葉」は、すっかり、
「棒線うちなあぐち」けえなとおいびいしが=「棒線うちなあぐち」になってしまっていますが、非丁寧文「〜けえなとおしが」。
長音や母音しんでぃぬ書ち言葉ぬ精魂え=長音は母音でという書き言葉の精神は
継じ行ち欲しゃいびいん=受け継いでいきたいものです
 
 
 

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前(めえ)からぬ続(ちじ)ち
 
 さてぃ、うんぬきてぃ来(ち)ゃる通(とぅう)い、『大川敵討』え、物語(むぬがたい)ぬ根末(にいすら)かたくじら、他(ふか)ぬ組踊(くみうどぅい)とお、んずらさ変(か)わとおいびいん。
 作(つく)い様(よう)ぬ変わとおしえ、当たい前ぬ事、作者くるぬ肝ぬ変わとおくとぅどぅやいびいる。
 作者あ、久手堅親雲上(くでぃきんぺえちん)んでぃ言(い)らっとおいびいしが、正名(しょうなあ)ん合(あ)あち、細(くま)さる事(くと)お、伝(ちて)えらてえ居(をぅ)らんあら、我(わん)ねえ分かやびらん。
 ただ、『大川敵討』からすう見(み)なゆる久手堅親雲上や、彼(あり)くるん、種変(たなが)あい者(むん)ぬんやい又人変わいい者ぬん、あらんがあたらんでぃ思(うむ)やびいん。

 うぬ事(くと)お、悪役(やなむんやく)ぬ谷茶按司(たんちゃあじ)ぬ口(くち)からすう見(み)する事ぬないびいん。ゆうさんでえ、谷茶ぬ性質え、久手堅くるぬ肝(ちむ)ぬ持(む)てぃ成(な)しぬゆ映(うつ)ちぇえるむのおあらんがあらんでぃ思やびいん。
 谷茶ぬ口なかい、「昔ふれ者の言ちゃること守て、浮世暮されめ」ぬあいびいしが、実(じち)え、久手堅くるぬ浮世んかい向(ん)かてぃ言(い)い欲(ぶ)しゃたる事おあらんがあいびいたら。

 組踊ぬ谷茶按司え、北谷出身(ちゃたんんじい)ぬ阿麻和利(あまわい)ゆモデルとぅそおる事お、 屬燭鵑舛磧廚「ちゃたん」ぬ逆言(さかい)いやる事、代々勝連かきとおたる望月按司から何がなぬ手段なかい城ぬ主とぅなたる事、女上戸(ゐなぐじょうぐ)やたる事から思寄(うみゆ)らりやびいしが、肝内(ちむうち)え久手堅がまる平生(ふぃいじい)、自(どぅう)が思(うみ)い又考(かんげ)とおる事、叫(あ)びらちぇえんでぃん、思(うま)ありやびいん。

 組踊ぬあひゃあやる玉城朝薫ぬ世(ゆう)から、半世紀余(あま)いん、後(あとぅ)ぬ人(ちゅ)やいびいん。久手堅ぬ思(うむ)とおたる「昔ふれ者」んでえ、玉城朝薫ぬ事、云(い)ちが居(をぅ)ら分らのおあいびいしが、いやでぃん、昔からぬ慣(な)り、風(ふう)んかい肝ふぃじえ居(をぅ)らんがあたらん分かやびらん。

 終(う)わい

【語句】
前からぬ続ち=前回からのつづき。 
さてぃ、うんぬきてぃ来ゃる通い=さて、述べてきたように、非敬語「〜言ちちゃる通い」。
『大川敵討』え、物語ぬ根末かたくじら=『大川敵討』は、物語の展開はじめ、
他ぬ組踊とお、んずらさ変わとおいびいん=他の組踊とは格段に異なっています。非丁寧文「〜変わとおん」。
作い様ぬ変わとおしえ、当たい前ぬ事=作品の展開が違うのは、当然
作者くるぬ肝ぬ変わとおくとぅどぅやいびいる=作者自身の価値観が異なるからです。非丁寧文「〜どぅやる」。
作者あ、久手堅親雲上んでぃ言らっとおいびいしが=作者は久手堅親雲上と言われていますが、非丁寧文「〜言らっとおしが」。
正名ん合あち、細さる事お、伝えらてえ居らんあら=正式な名も含め、詳細は伝承されてないのか
我ねえ分かやびらん=私は知りません。非丁寧文「〜分からん」。
ただ、『大川敵討』からすう見なゆる久手堅親雲上や=ただ『大川敵討』から垣間見える久手堅親雲上は、
彼くるん、種変あい者ぬんやい又人変わいい者ぬん=彼自身、変わり種であり、同時に非凡な人でも
あらんがあたらんでぃ思やびいん=あったろうと思われます。非丁寧文「〜思ゆん」。
うぬ事お、悪役ぬ谷茶按司ぬ口から=そのことは悪役谷茶のセリフから
すう見する事ぬないびいん=垣間見ることができます。非丁寧文「〜事ぬなゆん」。
ゆうさんでえ、谷茶ぬ性質え、久手堅くるぬ肝ぬ=ひょっとすると、谷茶の性格は久手堅自身の性格の
持てぃ成しぬゆ映ちぇえるむのお=ありようを映しているものでは、
あらんがあらんでぃ思やびいん=ないのかと思います。非丁寧文「〜思ゆん」。
谷茶ぬ口なかい=谷茶のセリフに
「昔ふれ者の言ちゃること守て、浮世暮されめ」=「昔、バカ正直の言った事を守って浮世暮らしができるものか」
ぬあいびいしが、実え、久手堅くるぬ浮世んかい=というのがありますが、実は久手堅自身が浮世世間に、非丁寧文「ぬあしが〜」。
向かてぃ言い欲しゃたる事おあらんがあいびいたら=向かって叫びたかった事なのでなかったでしょうか。非丁寧文「〜事おあらんがあたら」。
組踊ぬ谷茶按司え、北谷出身ぬ阿麻和利ゆ=(表面は)組踊の谷茶按司は北谷出身の阿麻和利を
モデルとぅそおる事お=モデルとしていることは
 屬燭鵑舛磧廚「ちゃたん」ぬ逆言いやる事= 屬燭鵑舛磧廚「ちゃたん」を逆に言ったものであること、
代々勝連かきとおたる望月按司から=代々、勝連を支配していた望月按司から
何がなぬ手段なかい城ぬ主とぅなたる事=何らかの手段で勝連城の主になった事、
女上戸やたる事から思寄らりやびいしが=女好きであったことから想像できますが、非丁寧文「〜思寄らりいしが」。
彼が肝内え久手堅がまる平生、自が思い又考とおる事=中身(こころ)は久手堅が普段自分が思い考えている事を
叫びらちぇえんでぃん、思ありやびいん=叫ばしているのだろうと、思われます。非丁寧文「〜思ゆん」。
組踊ぬあひゃあやる玉城朝薫ぬ世から=(久手堅は)組踊の創設者であった玉城朝薫時代から
半世紀余いん、後ぬ人やいびいん=半世紀以上も後の人です。非丁寧文「〜人やん」。
久手堅ぬ思とおたる「昔ふれ者」んでえ=久手堅の中にあった「昔ふれ者」とは
玉城朝薫ぬ事ん言ち居ら分からのおあいびいしが=玉城朝薫の事を言ってるのか知りませんが、非丁寧文「〜分からのおあしが」。
いやでぃん、昔からぬ慣り、風んかい=きっと、昔からのしきたり、風習(習慣)に
肝ふぃじえ居らんがあたらん分かやびらん=不満があったのかも知れません。非丁寧文「〜あたらん分からん」。

おわり

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前(めえ)からぬ続(ちぢ)ち。

 組踊(くみうどぅい)や芝居(しばい、しばや)とぅ変(か)わてぃ、第一幕とぅか第二幕とぅかぬ幕(まく、まあく、しまい)やぬ無(ね)えらんあい、うぬ故(ゆい)に舞台後(くさあ)ぬ絵形(いいかた)ん、通(とぅう)ち、同(い、ゆ)ぬむんやいびいん。
 やいびしいが、見物人(ちんびちにん)や、何(ぬう)ぬ不足(ふすく)ん、不勝手(ぶかってぃ)ん、思(うみ)やびらん。

 背景(ぶてえくさあ)ぬ風景(ちしち)ん、人(ちゅ)ぬ動(んじゅ)ちゅしん、諸(むる)、見物人くるが、役者(やくしゃ)ぬ台詞(くち)とぅ胴持(どぅうむ)ち形(ない)、謡(じいうてえ)達ぬ歌(うた)、三味線(さんしん)、太鼓(てえく)ぬ音(うとぅ)びけん聴(ち)ち、舞台んじ、さっとおる人ん達ぬ動(んじゅ)ち走(は)い、出(ん)じかあ入(い)りかあんでえ、思寄(うみゆ)ゆくとうぅやいびいん。やいびいとぅ、なんくる、当(あ)たい前(めえ)ぬ事(くとぅ)さあに、役者あ口上手(くちじょうじ)、地謡さあや、歌上手(うたじょうじ)ならんでえならんないびいん。

 組踊や実(じゅん)に役者ぬ台詞、地謡ぬ音楽、見物人ぬ思寄(うみゆ)い力(でえ)さあに、なゆるむぬやいびいん。

 小説(しょうしち)ん映画(いいが、かあがあうどぅい)ん、読者(ゆまあ)、観客(ちんぶちさあ)んかい想像(うみゆい)しみゆるむぬ有(あ)しがどぅ、芸術(じいじち)とぅしちぇえぬ勝(すぐ)りとおん、言(い)らっとおいびいしが、組踊や、まさしく、んずみてぃ芸術性ぬ高さる芸能(じいのう)やんでぃ言ちん、言い過(くぁ)あや、あいびらん。
 
【語句】
前からぬ続ち=前回からのづき
組踊や芝居とぅ変わてぃ=組踊は芝居と違い
第一幕とぅか第二幕とぅかぬ幕やぬ無えらんあい=第一幕とか第二幕とかの幕はないし
うぬ故に舞台後ぬ絵形ん=これに連動して、舞台の背景も
通ち、同ぬむんやいびいん=ずっと、同じです。非丁寧文「〜同ぬむんやん」。
やいびしいが、見物人や、何ぬ不足ん=ですが、観客は何の不満も
不勝手ん、思やびらん=不自由も感じません。非丁寧文「〜思あん」。
背景ぬ風景ん、人ぬ動ちゅしん、諸、見物人くるが=背景の風景も登場人物の動きも、すべて観客自身が
役者ぬ台詞とぅ胴持ち形、地謡達ぬ歌=役者のセリフ、身のこなし、地謡の歌、
三味線、太鼓ぬ音びけん聴ち=三味線、太鼓の音だけを聴いて
舞台んじ、さっとおる人ん達ぬ動ち走い=舞台で繰り広げらる人々の立ち回り
出じかあ入りかあんでえ、思寄くとうぅやいびいん=目まぐるしく変わる場面を想像するからです。非丁寧文「〜思寄くとぅやん」。
やいびいとぅ、なんくる、当たい前ぬ事さあに=ですから、自然に、当然のように
役者あ口上手、地謡さあや、歌上手ならんでえならんないびいん=役者はセリフ上手に地謡人は歌上手にならなければならないのです。非丁寧文「やくとぅ〜」、「〜なたんでえならん」。
組踊や実に役者ぬ台詞、地謡ぬ音楽=組踊は実に、役者のセリフ、地謡の音楽、
見物人ぬ思寄い力さあに、なゆるむぬやいびいん=観客の想像力で成り立つものなのです。非丁寧文「〜むぬやん」。
小説ん映画ん、読者、観客んかい=小説も映画も読者や観客に
想像しみゆるむぬ有しがどぅ、芸術とぅしちぇえぬ勝りとおん=想像させる部分があってこそ、芸術性が高い、
んでぃ言らっとおいびいしが、組踊や、まさしく=と言われていますが、組踊は、まさに、非丁寧文「言らっとおしが〜」。
んずみてぃ芸術性ぬ高さる芸能やんでぃ言ちん=極めて、芸術性が高い芸能であると言っても、
言い過あや、あいびらん=言い過ぎではありません。非丁寧文「〜あらん」。
続ちゅん=つづく

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 さてぃ、『大川敵討(ううかあてぃちうち)』ぬ見所(みいどぅくる)、うんにゅきてぃ来(ち)ゃあびたしが、見(ん)ちちゃる通(とぅう)い、芝居(しばい)ぬ手本(てぃふん)とぅんなたるびけえのあいびらな、民謡(ふぁうた、はうた)んかいん、響(ふぃび)ちょおいびいん。

うぬ一(てぃい)ちえ、
 名(なえ)得(い)いらっとおる前川朝昭作詞ぬ「兄弟小節(ちょうでえぐゎあぶし)」ぬ歌詞んかい「行逢(いちゃ)りば兄弟(ちょうでえ)、何(ぬ)隔(ひ)てぃぬあが」んでぃぬ歌詞ぬあいびいしが、『大川敵討』ぬ泊ぬ村原んかい言(ゆ)る詞(くち)んかい「ああ、いきやへは、兄弟、何(のを)うち隔のあが」(口語音=ああ、いちぇええわ、ちょうでえ、ぬ、ふぃだてぃぬあが)から抜(ぬ)じぇえるむんやいびいん。

また、うぬ二(たあ)ちえ、
 くりんまた名ぬある端歌やいびいしが、伊良波伊吉作詞ぬ「情(なさき)の歌(うた)」んかい、「昔(んかし)、聖者(ふりむん)ぬ言(い)ちぇる事(くとぅ)守(まむ)て、義理(じり)てしや何(ぬ)やが」んでぃあいびいん。くりん、『大川敵討』ぬ谷茶(たんちゃ)ぬ詞)んかいある「昔ふれ者の言ちゃること守て、浮世暮されめ」(口語=んかし、ふりむんぬいちゃるくとぅ、まむてぃ、うちゆ、くらさりみ)から抜じぇえるむぬやんでぃち、分(わ)かやびいん。

 聞(ち)ち慣(な)りたる詞がやたら、あらんでえ、組踊(くみをぅどぅい)らあさん無(ね)ら詞やんでぃが思(うむ)とおみせえたらあ、舞台(ばんく)からうぬ詞ぬ聴(ち)かりやびたくとぅ、座(ざあ)ぬ人(ちゅ)ん達(ちゃあ)から笑(われ)え声(ぐぃい)ぬ湧上(わちゃ)がやびたん。

 うんな事ん、『大川敵討』ぬ詞ぬ話し言葉(くとぅば)んかい近(ちか)さくとぅどぅやら筈(はじ)んでぃ思(うむ)やびいん。
 
続ちゅん。

【語句】
民謡んかい響ちゃる『大川敵討』=民謡にも影響した『大川敵討』
さてぃ、『大川敵討』ぬ見所、うんにゅきてぃ=さて、『大川敵討』の見所を述べて、
来ゃあびたしが、見ちちゃる通い、芝居ぬ手本とぅん=きましたが、見てきた通り、芝居の手本とも、非丁寧文「来ゃしが〜」。
なたるびけえのあいびらな=なったばかりでありませんで、非丁寧文「〜びけえのおあらな」。
民謡んかいん、響ちょおいびいん=民謡にも影響を与えています。非丁寧文「〜響ちょおん」。
うぬ一ちえ=その一つに
名得いらっとおる前川朝昭作詞ぬ「兄弟小節」ぬ=有名な前川朝昭作詞の「兄弟小節」の
歌詞んかい「行逢りば兄弟、何隔てぃぬあが」んでぃぬ=歌詞に「出逢えば兄弟、何の分け隔てがあるものか」との
歌詞ぬあいびいしが、『大川敵討』ぬ泊ぬ=歌詞がありますが、『大川敵討』の泊の、非丁寧文「歌詞ぬあしが〜」。
村原んかい言る詞んかい=村原に言うセリフの
「ああ、いきやへは、兄弟、何うち隔のあが」=「ああ、出逢えば兄弟、何の分け隔てがあるものか」、註「うち隔て」の「うち」は強調を表す接頭語。語句によっては「打ち」を当てることもあります。
(口語音=ああ、いちぇええわ、ちょうでえ、ぬ、ふぃだてぃぬあが)
から抜(ぬ)じぇえるむんやいびいん=からとったものです。非丁寧文「〜むんやん」。
また、うぬ二ちえ=また、その二つに、
くりんまた名ぬある端歌やいびいしが=これもまた、有名な民謡ですが、非丁寧文「〜端歌やしが」。
伊良波伊吉作詞ぬ「情の歌」んかい=伊良波伊吉作詞の「情の歌」に
「昔、聖者ぬ言ちぇる事守て、義理てしや何やが」=「昔、糞真面目な者が言った事を守って、(では一体)義理とうものは何なのか」、注:「ふりむん」は「気狂い、バカ者」という意味の他、「バカ正直、糞真面目」という意味もあるので、作詞者は「聖者」を当てているのでしょう。
んでぃあいびいん=とあります。非丁寧文「んでぃあん」。
くりん、『大川敵討』ぬ谷茶ぬ詞んかいある=これも、『大川敵討』の谷茶のセリフにある
「昔ふれ者の言ちゃること守て、浮世暮されめ」=「昔、バカ正直者の言った事を守って、俗世界で暮らしていけるか」
(口語=んかし、ふりむんぬいちゃるくとぅ、まむてぃ、うちゆ、くらさりみ)
から抜じぇえるむぬやんでぃち、分かやびいん=からとったものだとわかります。非丁寧文「〜分かるゆん」。
聞ち慣りたる詞がやたら、あらんでえ=聞きなれたセリフだからだったのか、あるいは、
組踊らあさん無ら詞やんでぃが思とおみせえたらあ=(格調高い)組踊らしくないセリフだと思ってだたのか、非敬語「〜思とおたらあ」。
舞台からうぬ詞ぬ聴かりやびたくとぅ、座ぬ人ん達から=舞台からそのセリフが聞こえましたので、聴衆から 非丁寧文「〜聴かりたくとぅ」。
笑え声ぬ湧上がやびたん=笑い声が沸き起こりました。非丁寧文「〜湧上がたん」。
うんな事ん、『大川敵討』ぬ詞ぬ話し言葉んかい=そんな現象も『大川敵討』のセリフが(今の)話し言葉に
近さくとぅどぅやら筈んでぃ思やびいん=近いからなのだろうと思います。非丁寧文「〜思ゆん」。

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前(めえ)ぬ記事(ちじ)からぬ続(ちじ)ち

三(みい)ちに
 後(あとぅ)じいぬ敵討(てぃちうち)ぬ場面まんぐらあからあ、原国兄弟(はらぐにちょうでえ)んでえ、出(ん)じゆる人(ちゅ)ぬ多(うほう)くなてぃ来(ち)ゅうしん、他(ふか)ぬ組踊(くみをぅどぅい)と変(か)わとおいびいん。ただ、今(なま)小説とぅか映画ねえし、前予(めえかに)てぃぬ徴(しるし)ん見(み)しらんようい、出(ん)じゃすせえ、今前(いまめえ)やあらのおあいびんしが…。

 原国兄弟ぬ谷茶按司、討ちゅる話や、玉城朝薫世(たまぐしくちょうくんゆう)ぬ「二童敵討」んかい、いやでぃん似(い)したるむぬがやら分かやびらん。

四(ゆう)ちに
 乙樽(うとぅだる)とぅ谷茶(たんちゃ)ぬ言(い)ちゃい外(は)んちゃいぬ差(さ)し詰(ち)まいとぅ可笑(うか)しさぬ違(ちが)うるうさあに、混(まん)きらっとおる所(とぅくる)お、後々(あとぅあとぅ)、悲劇ぬ中(なあか)んかい喜劇ぬ混んち行ちゅる沖縄芝居(うしなあしばい)ぬ形枕(かたまっくゎ)とぅなてぃ行(ん)じゃる風儀(ふうじ)ぬある事やいびいん。

五(いち)ちに
 乙樽ぬ使(ちけ)えやる泊(とぅまい)とぅ敵(てぃち)ぬ城(ぐしく)んかい、押(う)し入(い)っちゃる乙樽ぬ分かしみ、窺(うか)がてぃ歩(あ)っちょおたる村原(むらばる)とぅぬ言ちゃい外んちゃいかいん、今(なま)ぬ沖縄語(うちなあぐち)とぅ、なんぞお変わらんあい、今前ぬ芝居ぬ手本(てぃふん)とぅなてぃが居らんわかやびらん。

続ちゅん。

【語句】
前ぬ記事からぬ続ち=前の記事からの続き
三ちに=三つに
後じいぬ敵討ぬ場面まんぐらあからあ=後半の敵討の場面あたりからは
原国兄弟んでえ、出じゆる人ぬ多くなてぃ来ゅうしん=原国兄弟など登場人物が多くなてくるのも
他ぬ組踊と変わとおいびいん=他の組踊と(構成)が違います。非丁寧文「〜変わとおん」。
ただ、今ぬ小説とぅか映画ねえし、前予てぃぬ徴ん=ただ、現代小説や映画のような伏線も
見しらんようい、出じゃすせえ=敷かずに登場させるのは、
今前やあらのおあいびんしが…=現代的ではありませんが…。非丁寧文「〜あらのおあしが…」。
原国兄弟ぬ谷茶按司、討ちゅる話や=原国兄弟が谷茶按司を討つ話は
玉城朝薫世ぬ「二童敵討」んかい=玉城朝薫時代の「二童敵討」に
いやでぃん似したるむぬがやら分かやびらん=きっと似せたのかも知れません。非丁寧文「〜分からん」。
四ちに=四つに
乙樽とぅ谷茶ぬ言ちゃい外んちゃいぬ=乙樽と谷茶の会話が
差し詰まいとぅ可笑しさぬ違うるうさあに=緊迫感とユーモラスが交互に
混きらっとおる所お、後々=織り交ぜられているところは、後世の
悲劇ぬ中んかい喜劇ぬ混んち行ちゅる沖縄芝居ぬ形枕とぅ=悲劇の中に喜劇を織り込む沖縄芝居の原型と
なてぃ行じゃる風儀ぬある事やいびいん=なっていったかも知れないことです。非丁寧文「〜事やん」。
五ちに=五つに
乙樽ぬ使えやる泊とぅ敵ぬ城んかい、押し入っちゃる=乙樽の使者である泊と敵城に乗り込んだ
乙樽ぬ分かしみ、窺がてぃ歩っちょおたる村原とぅぬ=乙樽の状況を把握しようと尋ね回っていた村原との
言ちゃい外んちゃいかいん、今ぬ沖縄語とぅなんぞお変わらんあい=会話も現代の沖縄語とそれほど変わらいないし
今前ぬ芝居ぬ手本とぅなてぃが居らんわかやびらん=現代芝居に影響を与えたかも知れません。非丁寧文「〜わからん」。
続ちゅん=つづく。

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