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「ちくまプリマー新書」から出てるってことは、児童・生徒向けってことか。 でも、その親も読むべきだな、こりゃ。 2009年3月10日、出たばかりだ。740円。 この人の本は「わかったつもり」(光文社新書)を読んだはずだが、カバーだけ本棚にあって、中身が見つからない。「読んだつもり」なのかもしれない。そういえば、内容を覚えてない。読みかけて、どっかに置きっぱなしにしてるのだろうな。すまぬ(本に対して)。 「あなたの勉強法はどこがいけないのか?」 ですが、 第1章「苦手 ということ」 第2章「得意 と 素質」 ・・・においては、育児だの受験だのの世界で実に安直に使われる「苦手」「できない」「得意」「素質」「能力」「××力」などが俎上に乗せられる。 まあ、つまりは、そんなものはただの「知識」に還元できるという口ぶりであります。 特に、「ひらめき」とか「応用力」とか「考え方」とかいうのをひっくるめて、「補助知識」というラベルを貼って、 「ただの知識」 にしちゃうところが、小気味いいですな。 それを算数の図形の問題を例に出してやってるあたり、わかりやすい(面積を求める問題で、「くっつけちゃえば簡単」みたいなやつね)。 以下、私論に移るが、学習塾とかの「秘伝」とか「秘技」とか、あるいは低学年向けの「能力開発」とかのたぐいは、結局のところこの 「補助知識」 の集合体にすぎないのではないか? たしかに教科書には書いてないし、でも中学受験出題される問題を解くには必要なので、受験指導の中では大事なポイントだろうが、やはり、「商売としての学習塾」に於いては、その部分こそが「企業秘密」だし、「大事なノウハウ」だし、何よりも貴重な「商品そのもの」なのだからおのずと「神秘化」されるだろうな。 まあ、たとえは悪いが、ヤフオクとかに出品されている「情報商材」みたいなもんか(塾の現場の先生には申し訳ないが、「ノウハウ」だけについて言えばそういうことだろう)。 それを、 「補助知識」 と言い切ってしまうのがこの本のいいところで、そう思えば「ひらめき」だの「応用力」だのっていうのでって、別にどってことのない話だ。 「王様は裸だ」 というか、 マルクスが、「価格」「価値」というものを「使用価値と交換価値」に切り分けて、結局「貨幣」の神秘性を剥ぎ取ってしまったことに似ている。 ミもフタもないが、大事だ。 少なくとも、いらん出費(正餐や聖水を求めて学習塾に貢ぐということ)をしすぎなくて済む。 さて、本のレビューに戻る。 あと「(コドモは)できないという事実に直面するのが嫌」「(コドモにとって)それは恐怖」ということやら、 「(親もコドモも)能力、という言葉に振り回されている」とかそういうあたりの記述も、読んだ瞬間に、親にかけられた呪いが解けるというか、ものがクリアによく見えるようになってよいですな。 さて、後半の 「第3章」 「第4章」 では、 具体的な勉強法の話になる。 暗記大嫌いの私にとっては、 「やたらと公式を覚えるな」とか、 「関連付け記憶」とか、 「一般論と具体をいったりきたりした知識・記憶は強い(使える)」 ・・・とか、大賛成なご意見が並んでいてなかなか。よいのであります。 でも、このへん読んでてわかったけど、自分が今でも「使える」 つまり、コドモにきかれてさくっと、しかも面白く説明できる・教えることができる分野というのは、やはりちゃんと「(俺自身が)わかって」るとこなんだなあ。 自分が簡単に一般論(本質)と具体的な現象の間を行き来できるとこだ。 たとえば、地理とか地学・天文・気象とかはほぼ完璧に「使える」レベルにある(国語と算数も大体はできる・・・というか、国語は職業上できる)んだけど、逆に物理や生物とか化学、歴史の全体とかのあたりでイマイチ気のきいた説明をコドモにできてない(または、できるところとそうでないところのムラがある)気がするのは、自分にそういうの(一般論(本質)と具体的な現象の間を行き来できるということ)が足りないというわけだな。 うむ。よくわかった。 まずは、そのへん自分(親)の知識を「使える」レベルまで引き上げないといかんわけだ。 精進精進。 ちなみに、後半で割り算や掛け算の本質(ふふふ、何なのかを知りたければ読みたまえ)を言ってるあたりも面白かった。 ためになったぜ。 |
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「わかったつもり」(光文社新書)を家の本棚で発見。
しかし・・・・内容ほぼ忘れていた。
主には国語を例にひいている部分の多い本だったなと、読み返して再確認。筆者の趣旨はまあ、「あなたの勉強法はどこがいけないのか?」も同じだ。
2009/5/20(水) 午後 10:22 [ 肋六 ]