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光文社新書といえば 「わかったつもり」(西林克彦)という名著 があって、たしか「ドラゴン桜」でも引用されてたと思うが、受験国語(に限らず、コミュニケーション全般)にずいぶんと役に立つ内容なのだが、これを日大中学だったかな、問題文として国語で出題しているのが面白かった。 別に「受験本」ではないので、面白がるほどでもないのだが、私はこの本を受験本というスキーマ(この言葉が西林氏の著書のキーワードになっている)で読んでいたので(うちの本棚の中では「受験本・勉強法本コーナー」に置いてあるし)なんだか「メタ(メタボではない)」な印象を受けたのであった。 それにしても「メタ」な状況に出会うと人はなぜ面白がるのだろうか、げらげらは笑わないにしても、クスッと愉しめるのはなぜだろうか? なんとなく、 「AさんとBさんは似ている」 という「そっくりさん」を見ると人は笑うというのと同じような「心の動き」ではないかと、以前から思っているがよくわからない。 そもそも、何かと何か、誰かと誰か、誰かと何かが似ていたからといって、なぜ面白いのだろう?カリカチュアとかパロディとかパスティーシュとか、書き手(描き手)の批評精神や意図が入り込んでいたり、そもそも「笑わせる」ことを目的にしているのであれば「面白い」のは当然だが、「偶然似ている」場合、「面白がらせよう」という意志などどこにも働いておらず、ただの「偶然」とか「神の意志」とかそういう話を(背後に)想像するしかないのだが、それがなぜ「笑い」を引き起こすのだろうか? 昔から(たぶん小学校高学年くらいから)不思議でならない。 まあ、「似てると怖い」という場合もありますけどね。 怪談でよくある「瓜二つ」ものとか、「だんだん似てくる」系の話とかね、双子ものとかね。 「恐怖と笑いは紙一重」ともいうので、ま、「脳の働き」ってことで、そのうち茂木センセイか苫米地センセイが解明してくれるでしょうよ(明らかに「してくれるわけがない」と思ってる発言です。念のため。説明するだけ野暮でしたか。)。 さて、そんな話とも似た「シンクロニシティ(共時性)」、別の項(「霊というもの」でうだうだ書いているのだが)、やっぱ面白いですよね、ユングがバカのコケの言われながらも(ほんとにそんなふうに言われたかどうか知らないが)ある時期から夢中になったのも無理もないよなとか思う。 そんなシンクロニシティの実例として話すほどのことでもないが、 12月10日の最高裁判決。報道もけっこう出てるので、目にした人も多いと思うが、こんな話 〜〜 「論語」廃止 学校の裁量内 保護者の逆転敗訴確定 最高裁判決 「現場の混乱理解されず」保護者側 日本経済新聞2009年12月10日夕刊 より見出し引用 〜〜 はい。そうです。 「エドトリ」江戸川学園取手が、保護者らから損害賠償請求された事案です。 つまりは、 「校長が変わったら(解任されたらしい)教育方針が変わって、入学前の学校説明会などで聞いてた話と違う(論語を軸にした教育をするとか言ってたらしい)」 というのが、原告の訴えの趣旨らしい。 一審は最高裁と同様の「学園側の裁量権の範囲」という判決、 原告不服で上告して、 二審は「学校選択の自由を侵害した」 という理由で原告の主張が認められた(どこまで認められたのかは私は知らない)、 ・・・そんな経緯を辿って最高裁で再び原告敗訴、ということのようだ。 このケース、まさに、瀬川松子氏(以下、セガマツ氏)の今回の著書に出てきそうだ。 (そんなわけで、ワタクシ的にはシンクロニシティ) 「入学前の説明と、入ってからの実情が違う」 とか 「学校の方針が変わって、入学前の想定と異なる」 とか、いくつか例が出てきます。 なるほど、そんなケースは確かにあろうね。 仕事の上で、ある私立学校の先生と接点があるんだが、校長のアグレッシブな改革の様子を聞いて「すごいなあ」と思う一方で、「この校長先生がいなくなったらどうなるんだろう」と思ったりもする。ベンチャー企業とか革命政府とかを見て思うような危惧と同じですな。 公立でも、校長のキャラや都道府県の教育委員会の方針変更で変わるってのはよく聞くしね。 私の出身高校(某地方都市です)も、卒業後に、県知事が変わったら方針が変わって相当な管理教育モードになったとか、あとで聞いた。 ま、卒業後なのでどうでもいいやと思ったんだが(その地方都市にはその後1回しか行ってないし、同窓会にも出たことがない。たぶん人生の中で行くことは今後もなかろう。それぐらい地縁も血縁もない土地だったのよね。そりゃ同級生やトモダチはいたけど、地元に残ってる人間も少なそうだし。ああいや、別にその土地が嫌いなわけではないが、遠いしねえ、行く用事がないし、なんか照れくさいだけだしねえ)、 「ああ、そうやって変わるのね」 と思った。 まあ、前からけっこう勉強させる(体育もよくさせるし行事も多かったのでキツかったけど、まあ、こっちは若いんでどうにかなった。先生は大変だったろうと思う)学校だったんだけど、それにさらに「管理教育」モードが入るとけっこうやるせないだろうなあ。たしかに、一時期「有名大学合格者数」は上がったけどな、その効果だったのかとか、詳しくは知らない。そして、現在どうなってるかもよく知らない。 ・・・と、自分の出身高校に冷淡な私であっても、こうやって多少は「母校」のことを気にするわけだ。もっと冷淡でないフツーの人や、公立以上に「建学の精神」や「校風」をオモテに掲げる私立の卒業生は、「学校改革」にあれこれ思うのでしょうなあ。 「でしょうなあ」などと呑気に言えるのは卒業生で、在学中の6年間にそんな「変化」が突然起きたら、現役の在校生は「でしょうなあ」どころではない。 校舎の建て替え程度でも「ちっ、俺らの時は工事中で、完成したのを使えるのは3学年下からかよ」とかね、そういう「順送りとはいえど不公平」みたいのってあるわけで、こりゃもう、「損得」「不公平」「うそつき」「ひどい」「裏切り」・・・という気持ちになるのは無理もなかろう。まあ、セガマツ氏の著書の中でも何度か(中和的に)言及されているように それも世の中(の不如意・不条理)を知るという意味では、勉強・経験 ではあるわけだが、そんな「教訓」の中に取り込まれて済ませないのが当事者というもんでしょうねえ。訴訟になるのも無理もない。 んで、この訴訟の当事者(被告)の「エドトリ」ですが、さまざまな受験情報誌などにも当然顔を出してるし、俺自身も「文化祭でも見に行くか」と思って学校サイトも見たことあるけど、どこにもこの「訴訟」のことは載ってないのよね。 ちなみに、文化祭は結局行かなかった。・・・だって、駅から遠いんだもの。つらいよ。 と、これもセガマツ氏の今回の著書の主軸の一つで、「受験情報は偏っている」ということ。 そうだよねえ。 言ってみれば「広告企画」「記事広告」「PR特集」ばっかしなのよね(そういう「ただしがき」なしで、客観的な記事のように情報が出てるのでタチが悪い)。 ま、一言でいえば「健康不安を煽る健食業界」みたいなもんだ。 「××キノコでガンが3日で消えた!」 「あなたの腸があぶない!ドロドロ宿便がは万病のもと」 みたいな、記事だの書籍だのと 「△△学習法で偏差値が2週間で倍増」(倍増・・・ってすごいな。元がどんだけ悪かったんだ) 「あなたのお子さんがあぶない!きれいなノートが学力を阻害する」 とかね、似てますよね。 「不安産業」そのものだ。 まあ、メディアと広告主と掲載情報の関係は、ある程度のリテラシー(というより「常識」か)があればわかるわけで、リクルート社がタダで配る住宅情報雑誌でもグルメ情報誌でも、 「いわゆる広告がたくさん入ってるわけでもないのに、なぜ無料?」 とか考えてみればすぐ政界にたどりつけことではある。 いや、違う。「政界」にはたどりつけない。 「正解」だ。 立候補してどうする。 はい。そうですね、「リスティングビジネス」ですね。 あの掲載情報の全てが「広告」なんですね。 「情報提供元、という名の広告主が金払って載せてる」んですねえ。 そんなのみなさん知ってますよね? だから 「旅行ガイドに載ってる店にいったけどたいしたことなかった」 とか、 「ハワイに行くと、日本語の無料情報誌がいっぱいもらえて、ラッキー」 とか、 「××グルメのサイトに載ってる情報もレビューもどうも信用できないので、無関係のブログで味の評価を読んで参考にする」 とか、 「<空からみた××>という空撮番組が好きでよく視るが、ときどき名所でもない普通の店舗が紹介されてて不思議」(あの番組がリスティングなのかどうか調べたわけではないので、違ってたらごめん) とか・・・ そういう現象が世の中には山ほど起きているわけですねえ。 グー●ルやヤ●ーのサービスを(こうやって)無料で使えてるのも、それですよねえ(それが全部ではないが)。 そういう、リスティングばかりの世の中でも、 「いや、うちはそういう稼ぎ方はせん」 という人(会社)は昔からあって、 「暮らしの手帖」とかね、あと、普通の新聞も(けっこうリスティングな側面や広告主に逆らえぬ側面もあるが)、一応は「報道の矜持」とやらを保っている。 そういう、「暮らしの手帖」みたいな存在が受験(塾&私立学校)業界には少ないので、ここでセガマツ氏ががんばっているわけだ。 さて、このエドトリだが・・・ 最高裁まで行く裁判になってる事案は、もう少し公表していいんじゃなかろうか? 反論でも何でもいいから(まあ、司法係争中の案件について何か言うのは簡単ではないが)。 そういうのが、「公的存在」でる企業(学校法人とはいえ)の「社会的責任」、その中の「説明責任」ってやつではあるまいか? 普通の民間企業でもその「責任」を果たしてるところは多くはないけど、特にこの「教育」分野では「無責任」になってる度合いが多いような気がする・・・ というのが、「亡国の中学受験」を読んだ直後にこの「エドトリ判決」に接して感じたシンクロニシティの正体であります。
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