辻占

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霊というもの(3)

「シンクロ」

という言葉を使った(同タイトルの(1)の中で)。
エヴァにおける「シンクロ率」とか、日常比喩的には、

「AとBの××がぴたりとあっている」

というような意味で、使うのが多いだろう。
××は、行動パターンでも、反応でも、会話のトーンでもいいけど、何やら、第三者からも観測可能な現象で、しかもその背後の「原理」が同じであると第三者が推測可能なようなものだろう。
なので、「行動パターン」のシンクロとは言うが、「すがたかたちのシンクロ」という言い方はちょっとだけしっくりこない。

ま、考えてみれば

「synchronize(synchronization)」
つまり
「同期」

なのだから、「時間」の要素が入っている。シンクロという言葉は、空間よりも時間という要素により近い。おのずと「すがたかたち」は遠くなる。
クロノスは時の神であり、ウラヌス(天)とガイア(地)の子である。そして、クロノスはウラヌスのペニスを切り落とし、それが海に投げ込まれたときの泡から生じたのがアフロディーテ(美)であるというのは、いったい何を意味しているのかよくわからんが、それなりに有名なギリシャ神話だ。天を「刻む」のが時であり、世界が刻まれたことによって初めて「美」が発生したという寓意なのだろうか。話の中に、色濃く「親子」だの「生殖」だののモチーフが投影されているのは、神話といえども「人が作った話」だからだろう。「天と地を結ぶものは時であり」「時と美を認識するのは(生臭い)人間だけだ」とでも言いたいのか、これは。

まあいい。

なんであれ、「同期」させるということは、

(1)AとBの間に、意図的にあるいは意図なくとも、「同時に」「同じこと」をするという合意がなされている、
(2)または、どちらか片方(たとえばA)に、もう片方(たとえばB)と、「同時に」「同じこと」をするという意志がある、ということだ。

どちらかしかない。

「恋愛」と同じだろう。
両者の意志がある場合(両想い)も、そうではない片想いであっても「恋愛」の範疇に入れられる。
もちろん、「恋愛=相手と同時に同じことをする(したい)」と言っているのではない。
両者の意志でも、片方の意志だけでも、どちらにしろ成立するという点で、「同期」も「恋愛」も「概念の形が同じだ」と言いたくて引っ張り出した類例だ。

一方で、

「シンクロニシティ」

なる語がある。

「Synchronicity」
「共時性」
「意味のある偶然の一致」、ってやつだ。ユング様だ。

こちらは、

「Cというイベント(できごと)とDというイベントの同時性に、偶然ならざる意志を感じる」というやつで、疑似科学よばわりされることも多いわけだが、「シンクロナイゼイション」と「シンクロニシティ」の違いは明白だ。

「同期」の場合は、「AさんとBさんの行為の内容の同時」であり、おおむね「因果律」に支配されているとみなせるものだ(だから「背後の原理が同じと見なされる」現象に適用される)。

「共時性」のほうは、「CというイベントとDというイベントが、同時または連続して発生した、ことに因果以外の意味を見出す」という現象のことだ。
ちなみに、これにさらに積極的に人の意志を介入させ「××力」というスタイルに仕立て上げると。「セレンディピティ」とかいう最近ちょこちょこ聞くようになった言葉になってくるのだろう。まことに(司馬遼太郎か?)人間というものは、欲深いということの、あらわれである。


「その1(霊というもの(1))」で私の仕事(職種)のことを書いたが、仕事などというものは、基本的には「因果」を前提にしなければやっていけない。
「ある結果(目的)に対して、どういう原因があり得るか」という前提に立たないと、いわゆる「仕事」と呼ばれるしろものにはならない。原因結果がわからないなら、対価はもらえない。
だから、そこで書いた「相手にシンクロする仕事」という言い方は、当然、シンクロニシティではなく、シンクロナイズの方である。

ただ、ここでのシンクロナイズには、「AさんとBさんの合意(同意、共犯)」は存在しない。私が勝手に対象にシンクロしようとしているだけだ。その「片想い」の結果としての「シンクロ率」が高いほど、良い品質の結果にたどりつけるので、その「片思い力」がスキルになる。
変な仕事だが、しょうがない。
もっとも、ストーカーのような暴走はもはや「仕事」の範疇を超えているので、この職種に従事する以上は暴走しないように何らかの自制を働かせている。なので、この職種の従事者は比較的、地味な外観をしている(中には全く違う方法論と見かけを持つものもいるというのは、どの仕事でも同じく、である)。

さて、「その2(霊というもの(2))」での「霊体験」は、私の個人的なその前後の「精神的不安定」とは「共時性」を持っているかのようにも思えるのだが、しかし、
まあ、はたからみれば「因果」なのかもしれないね。
「不安定な精神状態だから、そういうものを<見ちゃった>んじゃないの?」というわけだ。
この発言は、オカルティックな発想からも生まれ得るし、「見間違いだよ、疲れてるんだよ」という日常医学っぽい発言からも生まれ得る。

ま、どっちでもいい。
この先、展開したいのは、「霊というものはシンクロ(同期)だ」という話だ。それがこの「霊というもの」という怪しげな論の幹だ。

(その4に続く)

霊というもの(2)

車道が2本、「Y」の字を描くように合流している。
「Y字路」
といっても、かたや本線、かたや側道、で側道が本線に溶け込んでくる形で、
どちらかというと
小文字の「y字路」である。

その合流点には鋭角ができるわけだが、この鋭角部分に、歩道の末端やら、横断歩道やらが重なって、じゃっかん複雑な様相になっている。

そこに、立っていた。

いや、立っていたというよりは、前かがみになって、何かを拾っているような姿勢。ただ、しぐさから言うと、「拾っている」というよりは、ちょっと気分が悪くなってその場で前かがみになってじっとしている、もう少し気分の悪さが募れば、そのままうずくまりそうな、そんな様子にも見える。

夜だし、こちらはタクシーの窓の中からみているので、あまりくっきりと見えるはずもないのだが、彼女のまわりだけ街灯が照らしていて、わりと姿は明瞭だ。
前方の信号が変わったのか、タクシーが停まる。

そうそう、「彼女」である。
中年、といってもまあ俺と年齢はたいしてかわらないだろう、の女性で、水色のちょっともこもことした(ダウンか?)ブルゾンに、毛糸の帽子、クリーム色でざっくり太い毛糸で編んだもの。表情は、「気分が悪そう」というほどではないが、何かの対象物を見ているのではなく、自分の
体の中からの欲求と会話しているかのように、視点をとりあえずそこらの一点に置いている感じ。
まあ、強いて言えば、酔って嘔吐する寸前の気配に見えなくもない。

服装は「ちゃんとした」ものではないが、別に汚れてもおらず、普通の日常的な使用感を感じられる程度。ホームレスとかではなく、普通の、屋根のある、水道メーターやNHKの受信料のシールのある家の住人のように思える。

彼女の背後を乗用車が1台通る(本線の信号が赤になり、側道の信号が青になったから)。
グレーだか、グリーンだか、ややメタリックな車体が、「彼女」の体の向こう側を左(下手)から右(上手)に通り過ぎた次の瞬間、
「彼女」はいなかった。

さきほどまでの、細かく描写した全てが消えており、電柱と、ゴミ置き場のゴミ(指定時間外に出されたものか)と、クズか何かつるくさの冬枯れしたものが、「彼女」の輪郭だけを形作っている。

あまりにもリアルな「彼女」という人間の存在感と、その次の瞬間に全くただの「風景のパーツの組み合わせ」になってしまったという不在感の落差に5秒ほど驚いていると、こちらの乗ったタクシーが動いて自分自身もその場を離れてしまった。

当然のことながら、「彼女」のいた(あった?)場所を目で追うが、もちろん、再び「人間」が現れることはなく、タクシーとともにこちらの視点が移動し、ものの重なりの角度が変化することで、「輪郭」さえも崩れてしまう。

振り返るように、その場所を見続けたが、「彼女」の服装を具体的に明確に構成していた「水色」も「クリーム色」もそのあたりの風景には何一つ存在せず、ただただ、誰もわざわざ気にもとめぬようなありふれた空間があるだけ。



・・・ここで、タクシーの運転手が

「お客さん、見ましたか?」

とか声をかけて来たら、

「ひーっ」

という展開になるのだが、やはり現実は怪談のようには「オチ」がない。
私の中には、いつまでも「オチ」が現れないものだから、余計に「不可解」さだけが残った。そして、「オチ」がないぶん、恐怖感が全く湧かなかった。
ともかく、「彼女」の映像と、ジグソーパズルの1ピースだけが抜けたように「彼女」が欠落して残された風景とだけが、強く記憶に残された。


けっきょく、ここ数日の(自分には珍しい)感情の起伏の不自然な大きさと、この不可解な「霊?」の目撃体験について、翌日もつらつら考え続けることになってしまった。


(3)に続く

霊というもの(1)

あー、久しぶり。
半年ぶりではないか。

いや、別に何かあったわけでもなんでもなく、単に間が遠かっただけですが、
そうやって、久しぶりで書いてるタイトルが

「霊というもの」

などというものであると、これはなんか、宗教にでもはまったんかい、とか「次のステージに進んだ」のかい?
とか、自分でツッコミを入れたくなるのであるが、そういう話では、全くない。

とはいっても、
「みた」
話ではあるので、そういう話題がいやだという人は、あと2行程度で別のページに飛んだ方がよろしかろう。

先週ぐらいか、ちょとだけ精神的に変調していた。
いや、病院に通ったりして大変な思いをしてる人からみれば、「ツメのアマガワがささくれた」程度のことだと思いますが、なんというか、

残業してたらいきなり「落ちた」。

えーとですね、私は、実はほとんど「落ちる」「へこむ」ことがないんですね。まあ、「いつも躁状態」みたいなもんですかね、たんたんと普通に無駄に冗談のように生きている。というか、冗談飛ばしつつ鼻歌歌いながら生きている。んで、急に困ったこととかあると、なんかアドレナリンとかがだーっと出て、戦時モードに入って対応する。んで、終わると(結果が良かろうが悪かろうが)またへらへらした日常に戻る。顔は怖いが肩の力は抜けた人間である。

うーん、前向きだなあ、こうやって書くと。
自分では全くそうは思ってないし、意識すらしてないのだが、
妻などに言わせると、

「あんたが内省的になっているのを見たことがない」

そうだ。
もっともらしい顔して何かに集中しているなと思ったら、ユニクロのチラシを5分間も見ているのだったり、
なんか、考えてるなと思ったら、晩飯に何を食うかを真剣に考え込んでいたり、
とか、そういう姿ばかりをみている妻の発言としては、もっともである。

近くにいる第三者(傍観者=妻)の言うことなので、客観的なんだろうな、たぶん。

それが、「落ちた」
ので、自分でびっくりした。
なんでしょうね。落下した距離(落ちた高度、というべき?)はたいしたことなくて、たぶん、「万年躁」みたいな状態から、「普通の人よりちょっと愉快」な程度に落ちただけなんでしょうけど、自分にとっては

角度が急

だったので、びっくりしたわけです。
感情の起伏、ないもんなあ、普段。

ま、なんだったのかよくわからないんですが、どうも、仕事が忙しいのやら、ムスメの模試の見直しだの塾の予習だの(に対して、私がフォローすべきこと)がたまってるのやら、年末年始のイベントやら冬期講習の予約やら、決めねばならぬことが多いのやら、そんなこんなで、珍しく何かの限度を超えてたんでしょうかね。

仕事、って、ちょっと特殊な仕事で、といっても、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だかに出てくるような「計算士」だの「夢読み」だのそういうではないんだけど、うーん、人とのコミュニケーションの多い仕事なんですね。
そのコミュニケーションの良し悪しと運で結果が決まるような、状況対応型の仕事ですが、この仕事をやってく上では、ある程度は、

「シンクロ」

というものが必要になってくる。
まあ、同じ仕事をしている人間でも、そのへんの「手法」とか「コツ」はけっこう一人ひとり違うし、武器とか得意技の持ち方・使い方もかなりバリエがあるのだが(なので、評価のされにくい、スキルの伝えにくい、資格とかになりにくい、職種である)、「なにかに自分をシンクロさせる」というのがメインのスキルになっているのは間違いない。

で、この「シンクロ」を私は、えーと、「なりきり」みたいな感じで行うのですが、・・・って、そうだな、プロファイリングというよりは、「なりきり」だなあ。パスティーシュとかに近いかなあ。
・・・・何を言ってるのかわかりにくいですね、ちょっと。

でも、芝居とかやったことのある人、あるいは(悪い例ですが)詐欺とか嘘とかの経験のある人はわかると思うけど(嘘はともかく詐欺はやらんか普通)、「なりきり」って、「意図」が入るとできないんですよね。

「よーし、××さんになりきるぞ」

とか、思ってるうちは「なりきりたい」という「意図」が強すぎて、「なりき」れないですよね。やっぱり、結局、

「(なりきりたい)相手(正確にいえば、勝手に想像して、バーチャルなその相手を頭の中に作って、その<バーチャル>な相手)を、自分の方に投影する」

感じになる。
別の言い方をすれば「自分を消す」
感じになる。

そういう意識で仕事を何年もしてきたので、もう、自然に人とのコミュニケーションが公私ともにそんな感じになっている。

その結果よく言われるのが
「何を目指しているのかわからない」(だって、何も目指してないもん)
「本当の自分を見せない」(だって、ないんだもんというか自分でもわからんもん、そんなの)

言われ慣れてるので、何とも思わないが、こうやって字で書くと、けっこう「いやなやつ」だねえ、こう言われる人(私)って。


・・・で?表題の「霊」の話はどうしたの?

ってとこだが、長くなったので後編につづく。
まあ、ここまでの前ふりは、ちゃんと後編と関係ありますので。

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キジ


その幼虫はミカンの葉を食べるというので、ミカンの葉をえさに与えているのだが、見ると鉢のミカンの若木がなくなっている。
どうしたのかなと思ったら、全部むしって幼虫の飼育箱に入れてあった。
なるほど、蚕を飼うなら桑の葉をこういうふうにするのだろうが、これでは今後のえさの供給に困るなというので、娘と妻に何か言おうかと思ったが、どこにもいない。

男は競輪のプロだと名乗っており、なるほど風貌もそういう感じで、いかにも車券売り場の付近にはよく似合った顔つきだし、服装だ。そのわりには、末尾「4」の券をちまちまとあててるだけで、どうもぱっとしない。
あたりにははずれ券が散らばっており、その中には男が捨てたものも含まれているのだが、ネットで購入した分については、株主総会の召集通知のような印象の券が多いようだ。なんとも、「オフィシャル」な雰囲気のものだというだけだが、似ている。
「お守りがいるのだ」と男が言うのでついていくと、小さな港でなにやら石を拾ってはひっくりかえしている。魚網のおもりに使う石がいいのだそうだ。だが、最近は樹脂製のおもりが多いので、苦労するという。磨耗した、いかにも数百年経った石を見つけたが、「ああ、それはまだ使ってるから漁師さんに怒られるよ」と男にたしなめられて、元の場所に返した。石には穴があき、ひもを結んでいたくぼみがあって、いい感じだがしょうがない。ただ、どの石が「使っている」もので、どの石が拾っていいのかの区別は私にはつかない。

「おもりよりもいいのがキジだ」と男が言うのでまたついていく。漁港から坂を上った先に、古い家があって、小さいその部屋の中がすべてキジの小屋になっているらしい。
「キジがいちばんいいのだ」と言って、男はお守りにいいものの順位を言うのだが私には覚えられない。家の中は7畳ほどの細長い部屋でタタミだ。その中に無造作にキジが2羽いる。
「キジは部屋を汚さないのでタタミで十分だ」と男は満足げにしているが、キジはあちこち動きながら放尿している。しかも、妙に大量にだ。
じゃあじゃあ、と音をたてて、水のような尿を放っているが、このキジはどう見ても鳥ではない。美しい色のカミキリムシだ。大きさの定かではないカミキリムシがキジのような色合いで、部屋の中を動き回りながらあちこちで大量に放尿している。

中学生の男子が助手というのはどういうわけかわからないが、少年探偵団のようなものだろうか。電車でひとしきり一緒に移動した。地下鉄網は複雑で、乗り換えるのにいったん地上に出て、別の名前の駅でまた乗車したりするのだ。
目的の漁港からの帰路、腹が減った。
「サンドイッチを買って列車の中で食べましょう」と助手が言うので、「ばか、そんなことできるか。ちゃんと食ってから乗るものだ」と叱って、駅前の市場に入る。
雑然とした市場は、何軒も物販と飲食の店が連なって、店どうしの境界線もあいまいだ。
ひとしきり見てまわってから、ちゃんぽん屋に座った。カウンターで「特大は多すぎるな」と思って避けたが、出てきた普通盛りはそれだけで4人前ほどの巨大なものだった。

驚きながら、まだ食わないのに満腹感で苦しくなってうめいたところで、目が覚めた。
もう朝になっていた。

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■「具が沈んでるから、具沈」

・・・だ、そうで、まあ、ストレートな店名だが、その名の通り、普通のラーメ
ン屋では麺の上にきれいに並んでいる「具」がすべて麺の下に敷かれている。
たまに、冷めた具が載っているラーメン屋があるが、ああいう場合、具はぐいぐ
いとハシで丼の底に押し込んであたためて食うのが私のいつもの流儀だが、ここ
ではその心配はない。すべての具は、丼の底であつあつだし、葱もほどよく加熱
状態になっている。

したがって、見た目では、すべて「素ラーメン」にしか見えず、どの客が何ラー
メンを食っているのか、供食の直後には見分けられない。
店員さんも間違えて運んじゃわないのかなあ。
どんぶりでもかえてあればいいのだが、それもなし。
全く同じどんぶりだ(大盛だけは大きいのでわかるが)。

なぜ、運ぶ店員さんが間違わないかというと、麺のそろえ方で区別がつくのだと
か、いやいや、れんげの位置で識別するのだとか、もっともらしい諸説があるが、
まあ、プロなんだから覚えているというだけのことだろう。

で、もう一つの特徴が、なんというかダブルースープとでもいおうか、普通なら
「たれ」と「だし」を丼であわせて、よく混ぜておいてからそこに麺を入れるわ
けだが、この店のは違うのでありまして、まず「ゆでた麺にたれをからめる」そ
して、その、なんと言うか、たんたんめんのようなあぶらめんのような、スパゲ
ティナポリタンのような代物の上にざーっと、熱い熱いスープをかける。

なんでもこうすると麺がのびにくいし、だし(にぼしととりがらかなあ、という
感じ)の香りがひきたつのだそうだ。
うーむ、まあ、そういわれてみればそんな気がするが、普通のラーメンとは明ら
かに異なる食感である。

さて、この「具沈」にも「つけめん」はある。
麺の下に具が入っているのかと思うと・・・・実は違うのだ。
スープの下に具が入っている。
これまた、不思議な手の込んだ工夫があって、
●まず、冷たい麺にはやはり「たれ」がからんでいる。もちろん、別皿。
●スープは一見普通のスープだが・・・
●しばらく置いておくと・・・あるいは、はしを刺すと・・・
●ぼこぼこと、スープの中に何か浮いてくる

実はこれが、「具」なのだが、つけめんの場合は、丼の下に、「味つきのゼラチ
ンで固めた具」が入っていて、その上に皮膜(ゆばか何か)を貼って、その上に
静かにスープ(だし)を注いでいるらしい。
この「皮膜」が破れると、下からゼラチンとともに具が浮き上がってきて、なん
とも不思議な、具とスープの「メタンハイドレート」を楽しめるのであった。
で、ここに、「あらかじめたれのからんだ麺」をつけて食うと・・・
当然うまい。
ゼラチンが、こう、ぬらぬらと麺に絡んだりして、そんで、シナチクもチャーシュー
もぬらぬらとゼラチンにまみれて、すすりこむと、ああうまい。
これが、必殺の「具沈のゼラチンつけめん」であるが、手間がかかるせいか、昼
には出してないのが残念。
ま、しょうがないけど。

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