(お)受験本はこれを読む

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光文社新書といえば

「わかったつもり」(西林克彦)という名著

があって、たしか「ドラゴン桜」でも引用されてたと思うが、受験国語(に限らず、コミュニケーション全般)にずいぶんと役に立つ内容なのだが、これを日大中学だったかな、問題文として国語で出題しているのが面白かった。
別に「受験本」ではないので、面白がるほどでもないのだが、私はこの本を受験本というスキーマ(この言葉が西林氏の著書のキーワードになっている)で読んでいたので(うちの本棚の中では「受験本・勉強法本コーナー」に置いてあるし)なんだか「メタ(メタボではない)」な印象を受けたのであった。

それにしても「メタ」な状況に出会うと人はなぜ面白がるのだろうか、げらげらは笑わないにしても、クスッと愉しめるのはなぜだろうか?
なんとなく、

「AさんとBさんは似ている」

という「そっくりさん」を見ると人は笑うというのと同じような「心の動き」ではないかと、以前から思っているがよくわからない。
そもそも、何かと何か、誰かと誰か、誰かと何かが似ていたからといって、なぜ面白いのだろう?カリカチュアとかパロディとかパスティーシュとか、書き手(描き手)の批評精神や意図が入り込んでいたり、そもそも「笑わせる」ことを目的にしているのであれば「面白い」のは当然だが、「偶然似ている」場合、「面白がらせよう」という意志などどこにも働いておらず、ただの「偶然」とか「神の意志」とかそういう話を(背後に)想像するしかないのだが、それがなぜ「笑い」を引き起こすのだろうか?
昔から(たぶん小学校高学年くらいから)不思議でならない。

まあ、「似てると怖い」という場合もありますけどね。
怪談でよくある「瓜二つ」ものとか、「だんだん似てくる」系の話とかね、双子ものとかね。

「恐怖と笑いは紙一重」ともいうので、ま、「脳の働き」ってことで、そのうち茂木センセイか苫米地センセイが解明してくれるでしょうよ(明らかに「してくれるわけがない」と思ってる発言です。念のため。説明するだけ野暮でしたか。)。

さて、そんな話とも似た「シンクロニシティ(共時性)」、別の項(「霊というもの」でうだうだ書いているのだが)、やっぱ面白いですよね、ユングがバカのコケの言われながらも(ほんとにそんなふうに言われたかどうか知らないが)ある時期から夢中になったのも無理もないよなとか思う。

そんなシンクロニシティの実例として話すほどのことでもないが、
12月10日の最高裁判決。報道もけっこう出てるので、目にした人も多いと思うが、こんな話

〜〜

「論語」廃止 学校の裁量内
保護者の逆転敗訴確定
最高裁判決

「現場の混乱理解されず」保護者側

日本経済新聞2009年12月10日夕刊 より見出し引用
〜〜

はい。そうです。
「エドトリ」江戸川学園取手が、保護者らから損害賠償請求された事案です。


つまりは、

「校長が変わったら(解任されたらしい)教育方針が変わって、入学前の学校説明会などで聞いてた話と違う(論語を軸にした教育をするとか言ってたらしい)」

というのが、原告の訴えの趣旨らしい。
一審は最高裁と同様の「学園側の裁量権の範囲」という判決、
原告不服で上告して、
二審は「学校選択の自由を侵害した」
という理由で原告の主張が認められた(どこまで認められたのかは私は知らない)、
・・・そんな経緯を辿って最高裁で再び原告敗訴、ということのようだ。

このケース、まさに、瀬川松子氏(以下、セガマツ氏)の今回の著書に出てきそうだ。
(そんなわけで、ワタクシ的にはシンクロニシティ)

「入学前の説明と、入ってからの実情が違う」
とか
「学校の方針が変わって、入学前の想定と異なる」
とか、いくつか例が出てきます。

なるほど、そんなケースは確かにあろうね。

仕事の上で、ある私立学校の先生と接点があるんだが、校長のアグレッシブな改革の様子を聞いて「すごいなあ」と思う一方で、「この校長先生がいなくなったらどうなるんだろう」と思ったりもする。ベンチャー企業とか革命政府とかを見て思うような危惧と同じですな。

公立でも、校長のキャラや都道府県の教育委員会の方針変更で変わるってのはよく聞くしね。
私の出身高校(某地方都市です)も、卒業後に、県知事が変わったら方針が変わって相当な管理教育モードになったとか、あとで聞いた。
ま、卒業後なのでどうでもいいやと思ったんだが(その地方都市にはその後1回しか行ってないし、同窓会にも出たことがない。たぶん人生の中で行くことは今後もなかろう。それぐらい地縁も血縁もない土地だったのよね。そりゃ同級生やトモダチはいたけど、地元に残ってる人間も少なそうだし。ああいや、別にその土地が嫌いなわけではないが、遠いしねえ、行く用事がないし、なんか照れくさいだけだしねえ)、
「ああ、そうやって変わるのね」
と思った。
まあ、前からけっこう勉強させる(体育もよくさせるし行事も多かったのでキツかったけど、まあ、こっちは若いんでどうにかなった。先生は大変だったろうと思う)学校だったんだけど、それにさらに「管理教育」モードが入るとけっこうやるせないだろうなあ。たしかに、一時期「有名大学合格者数」は上がったけどな、その効果だったのかとか、詳しくは知らない。そして、現在どうなってるかもよく知らない。

・・・と、自分の出身高校に冷淡な私であっても、こうやって多少は「母校」のことを気にするわけだ。もっと冷淡でないフツーの人や、公立以上に「建学の精神」や「校風」をオモテに掲げる私立の卒業生は、「学校改革」にあれこれ思うのでしょうなあ。

「でしょうなあ」などと呑気に言えるのは卒業生で、在学中の6年間にそんな「変化」が突然起きたら、現役の在校生は「でしょうなあ」どころではない。
校舎の建て替え程度でも「ちっ、俺らの時は工事中で、完成したのを使えるのは3学年下からかよ」とかね、そういう「順送りとはいえど不公平」みたいのってあるわけで、こりゃもう、「損得」「不公平」「うそつき」「ひどい」「裏切り」・・・という気持ちになるのは無理もなかろう。まあ、セガマツ氏の著書の中でも何度か(中和的に)言及されているように

それも世の中(の不如意・不条理)を知るという意味では、勉強・経験

ではあるわけだが、そんな「教訓」の中に取り込まれて済ませないのが当事者というもんでしょうねえ。訴訟になるのも無理もない。

んで、この訴訟の当事者(被告)の「エドトリ」ですが、さまざまな受験情報誌などにも当然顔を出してるし、俺自身も「文化祭でも見に行くか」と思って学校サイトも見たことあるけど、どこにもこの「訴訟」のことは載ってないのよね。
ちなみに、文化祭は結局行かなかった。・・・だって、駅から遠いんだもの。つらいよ。

と、これもセガマツ氏の今回の著書の主軸の一つで、「受験情報は偏っている」ということ。
そうだよねえ。
言ってみれば「広告企画」「記事広告」「PR特集」ばっかしなのよね(そういう「ただしがき」なしで、客観的な記事のように情報が出てるのでタチが悪い)。

ま、一言でいえば「健康不安を煽る健食業界」みたいなもんだ。

「××キノコでガンが3日で消えた!」
「あなたの腸があぶない!ドロドロ宿便がは万病のもと」

みたいな、記事だの書籍だのと

「△△学習法で偏差値が2週間で倍増」(倍増・・・ってすごいな。元がどんだけ悪かったんだ)
「あなたのお子さんがあぶない!きれいなノートが学力を阻害する」

とかね、似てますよね。
「不安産業」そのものだ。

まあ、メディアと広告主と掲載情報の関係は、ある程度のリテラシー(というより「常識」か)があればわかるわけで、リクルート社がタダで配る住宅情報雑誌でもグルメ情報誌でも、
「いわゆる広告がたくさん入ってるわけでもないのに、なぜ無料?」
とか考えてみればすぐ政界にたどりつけことではある。
いや、違う。「政界」にはたどりつけない。
「正解」だ。
立候補してどうする。

はい。そうですね、「リスティングビジネス」ですね。
あの掲載情報の全てが「広告」なんですね。
「情報提供元、という名の広告主が金払って載せてる」んですねえ。

そんなのみなさん知ってますよね?

だから
「旅行ガイドに載ってる店にいったけどたいしたことなかった」
とか、
「ハワイに行くと、日本語の無料情報誌がいっぱいもらえて、ラッキー」
とか、
「××グルメのサイトに載ってる情報もレビューもどうも信用できないので、無関係のブログで味の評価を読んで参考にする」
とか、
「<空からみた××>という空撮番組が好きでよく視るが、ときどき名所でもない普通の店舗が紹介されてて不思議」(あの番組がリスティングなのかどうか調べたわけではないので、違ってたらごめん)
とか・・・

そういう現象が世の中には山ほど起きているわけですねえ。
グー●ルやヤ●ーのサービスを(こうやって)無料で使えてるのも、それですよねえ(それが全部ではないが)。

そういう、リスティングばかりの世の中でも、

「いや、うちはそういう稼ぎ方はせん」

という人(会社)は昔からあって、
「暮らしの手帖」とかね、あと、普通の新聞も(けっこうリスティングな側面や広告主に逆らえぬ側面もあるが)、一応は「報道の矜持」とやらを保っている。

そういう、「暮らしの手帖」みたいな存在が受験(塾&私立学校)業界には少ないので、ここでセガマツ氏ががんばっているわけだ。

さて、このエドトリだが・・・
最高裁まで行く裁判になってる事案は、もう少し公表していいんじゃなかろうか?
反論でも何でもいいから(まあ、司法係争中の案件について何か言うのは簡単ではないが)。
そういうのが、「公的存在」でる企業(学校法人とはいえ)の「社会的責任」、その中の「説明責任」ってやつではあるまいか?

普通の民間企業でもその「責任」を果たしてるところは多くはないけど、特にこの「教育」分野では「無責任」になってる度合いが多いような気がする・・・

というのが、「亡国の中学受験」を読んだ直後にこの「エドトリ判決」に接して感じたシンクロニシティの正体であります。

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この著者は「嫌われ松子」と呼ばれることを目指しているのか、
といいたくなるほどに中学受験業界の嫌がりそうなネタを繰り出してくる。
その第2弾(なのか?他に3冊4冊と著書があるのを俺が知らないだけかもしれないが)。
またもや、このようなタイトルの本である。

今回、もっとも大きい変化、と私が思ったのが、プロフィール。

「一九七七年東京生まれ」

で、始まる。

前作(「中学受験の失敗学」)では、

「東京生まれ」ということで、生まれ年がわからなかったので、私は勝手にこんなことを書いた。


年齢不明(コンテンツの引用方法やその語り口などから推定して34〜43ぐらいではないかと私は勝手に想定。ま、どうでもいいことだが)。


はずれだ。
早熟な人間(または上に兄姉がいる人間)は、おおむね、その文化的背景や同時代性が「上ぶれ」しているものだが、この人もそうなんだろうか。

1977年生まれは、2009年現在、32歳だ(誕生日が来ていれば)。
ちっ、2歳外した。
著者が尊敬する(と、プロフィールの末に書いてある)正岡子規だと、「歌詠みに与ふる書」の連載をしていたころの年齢だ(たぶん)。
子規が、病床から「下手な歌詠み」の跋扈する歌壇に明るい喧嘩を挑んでいったようにセガマツ(著者のブログでそのように自称している)氏も、相変わらず「中学受験業界」にまっすぐに斬りかかっている。

「月にかわっておしおきよ」である(そんな言葉を著者は使っていないが)。

子規は、その後、35歳で死ぬわけで、そのへんは、あと何回か「坂の上の雲」でも視れば出てくるシーンだろうが、セガマツ氏には、そんな数年で燃え尽きずに、がんがんぶんぶん妖刀・蛮刀を振るってほしいものである。


なんせ、こういう本は「ありがたい」のだ。
誰にとって?
はい、中学受験を前にした(ってあと2年以上あるが)コドモを持つ親にとって、です。
私?
はい、そうです。

「あまりにも偏っている」膨大な中学受験情報の物量に大して、「こういう視点」でものを言う著者も著書も数少ない。

そういった意味では、セガマツ氏にも、光文社(塾も私立校もスポンサーにいないのねきっと、この出版社のどの媒体にも)にも、じわじわとレジスタンス(なのか?)を続けて欲しいのであります。

(その2に続く)
「ちくまプリマー新書」から出てるってことは、児童・生徒向けってことか。
でも、その親も読むべきだな、こりゃ。

2009年3月10日、出たばかりだ。740円。

この人の本は「わかったつもり」(光文社新書)を読んだはずだが、カバーだけ本棚にあって、中身が見つからない。「読んだつもり」なのかもしれない。そういえば、内容を覚えてない。読みかけて、どっかに置きっぱなしにしてるのだろうな。すまぬ(本に対して)。

「あなたの勉強法はどこがいけないのか?」
ですが、

第1章「苦手 ということ」
第2章「得意 と 素質」

・・・においては、育児だの受験だのの世界で実に安直に使われる「苦手」「できない」「得意」「素質」「能力」「××力」などが俎上に乗せられる。

まあ、つまりは、そんなものはただの「知識」に還元できるという口ぶりであります。
特に、「ひらめき」とか「応用力」とか「考え方」とかいうのをひっくるめて、「補助知識」というラベルを貼って、

「ただの知識」

にしちゃうところが、小気味いいですな。
それを算数の図形の問題を例に出してやってるあたり、わかりやすい(面積を求める問題で、「くっつけちゃえば簡単」みたいなやつね)。

以下、私論に移るが、学習塾とかの「秘伝」とか「秘技」とか、あるいは低学年向けの「能力開発」とかのたぐいは、結局のところこの

「補助知識」

の集合体にすぎないのではないか?
たしかに教科書には書いてないし、でも中学受験出題される問題を解くには必要なので、受験指導の中では大事なポイントだろうが、やはり、「商売としての学習塾」に於いては、その部分こそが「企業秘密」だし、「大事なノウハウ」だし、何よりも貴重な「商品そのもの」なのだからおのずと「神秘化」されるだろうな。
まあ、たとえは悪いが、ヤフオクとかに出品されている「情報商材」みたいなもんか(塾の現場の先生には申し訳ないが、「ノウハウ」だけについて言えばそういうことだろう)。

それを、

「補助知識」

と言い切ってしまうのがこの本のいいところで、そう思えば「ひらめき」だの「応用力」だのっていうのでって、別にどってことのない話だ。
「王様は裸だ」
というか、
マルクスが、「価格」「価値」というものを「使用価値と交換価値」に切り分けて、結局「貨幣」の神秘性を剥ぎ取ってしまったことに似ている。

ミもフタもないが、大事だ。
少なくとも、いらん出費(正餐や聖水を求めて学習塾に貢ぐということ)をしすぎなくて済む。

さて、本のレビューに戻る。

あと「(コドモは)できないという事実に直面するのが嫌」「(コドモにとって)それは恐怖」ということやら、
「(親もコドモも)能力、という言葉に振り回されている」とかそういうあたりの記述も、読んだ瞬間に、親にかけられた呪いが解けるというか、ものがクリアによく見えるようになってよいですな。

さて、後半の

「第3章」
「第4章」
では、
具体的な勉強法の話になる。

暗記大嫌いの私にとっては、
「やたらと公式を覚えるな」とか、
「関連付け記憶」とか、
「一般論と具体をいったりきたりした知識・記憶は強い(使える)」
・・・とか、大賛成なご意見が並んでいてなかなか。よいのであります。

でも、このへん読んでてわかったけど、自分が今でも「使える」
つまり、コドモにきかれてさくっと、しかも面白く説明できる・教えることができる分野というのは、やはりちゃんと「(俺自身が)わかって」るとこなんだなあ。
自分が簡単に一般論(本質)と具体的な現象の間を行き来できるとこだ。
たとえば、地理とか地学・天文・気象とかはほぼ完璧に「使える」レベルにある(国語と算数も大体はできる・・・というか、国語は職業上できる)んだけど、逆に物理や生物とか化学、歴史の全体とかのあたりでイマイチ気のきいた説明をコドモにできてない(または、できるところとそうでないところのムラがある)気がするのは、自分にそういうの(一般論(本質)と具体的な現象の間を行き来できるということ)が足りないというわけだな。

うむ。よくわかった。

まずは、そのへん自分(親)の知識を「使える」レベルまで引き上げないといかんわけだ。
精進精進。

ちなみに、後半で割り算や掛け算の本質(ふふふ、何なのかを知りたければ読みたまえ)を言ってるあたりも面白かった。

ためになったぜ。



「中学受験の失敗学」瀬川松子(光文社新書)
〜志望校全滅には理由(わけ)がある〜

・・・と、まあ、そういう本なわけです(1つ前の記事をご参照)。

「年収300万円の」
のかわりに
「偏差値30・40台の」ですばい。

これ、受験業界の「あおり」だと

「偏差値30・40からの」
ってなりますよね。「からの」何か?っていうと

「偏差値30・40からのチャレンジ」

とかね、勇ましい。

でもさ、それも「残り時間」がある場合で(152ページに一目でわかる図あり)、小6の、まあ、ありていに言えば「合不合」受ける頃になったらさ、さすがに現実みなきゃだよね。
第1回で決めなくてもいいかもだが、その辺の模試を2回、3回と重ねてもやっぱり「30・40台」だったらさ、偏差値60とか55とかの学校はあきらめて(「チャレンジ校」に残して)、第二志望以下を適切な水準に下げて行くことを考えようよ。

ただ、受験業界の「あおり」はしつこく(商売だから当然だが)、

「奇跡の逆転」

みたいな事例も持ち出してきますよねー。
そうそう、今出てる「プレジデントファミリー」もたしか、そうだな。

「偏差値のウソ、受験の奇跡」
2009年1月号
http://www.president.co.jp/family/backnumber/2009/20090100/
(よくみると、7つのエピソードのうち4つは大学受験だな)

ああ、好きだねえ、みんな、こういう「奇跡の逆転」。そりゃねえ、スポーツ鑑賞でもしてるんなら、面白いんだろうけど、現実は「勝つべくして勝つ」のが普通だよよねえ。織田信長が敵より少ない人数で戦ったのは、桶狭間の戦いただ1回だけ、ってのはよく引用される話だよね。

で、この「中学受験の失敗学」の中にも、その「逆転劇」が出て来る。
というか、その「からくり」が明かされている。

そうそう、「からくり」といえば、この本の中で最も衝撃的だったのは「裏口入学」の実話。
小学校受験ではなんだかんだとよく聞くが、中学受験でもあるんだねえ。
ちなみに、「例の有名な伝統校」の話ではない。あそこは「裏口」じゃなくて、「遺伝子の継承」みたいなものとしてこの本にも出て来る。俺も、「ああいう世界」ってのは世の中にあっていいと思うので(歌舞伎とか皇族とかそういうのと同じ)、まあ「素人は近寄るな」と思うべきなんだろうね。

さて、以下、自分用のメモ

「絶対にやめさせるべきダメな勉強法」(166ページ)

1)間違った答えを消しゴムで消す
2)そこらへんの紙で勉強する
3)算数の答えだけを書く
4)無駄な書き写し作業

うーむ。早速、ムスメに読んで聞かせなければ。

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「中学受験の失敗学」瀬川松子(光文社新書)
〜志望校全滅には理由(わけ)がある〜


私は、勝間和代が嫌いだ。
・・・という話をなぜし始めたのかは、あとでわかる。

この本、面白いので一気に読んでしまった。
2008年11月20日初版の「出たばっかり」の書き下ろしだ。

「失敗学」というと畑村洋太郎の一連の著書を思い浮かべるが、そのへんの流れ
を汲んで書いたものではない(たぶん)。ただ、

「失敗事例をケーススタディしている」

という意味ではやはりこれは「失敗学」と言えるのだろう(編集部でつけたタイ
トルだと想像しているが)。筆者は90年代から塾講師や家庭教師の会社を渡り歩
いて現在はフリーで家庭教師をやっている女性。年齢不明(コンテンツの引用方
法やその語り口などから推定して34〜43ぐらいではないかと私は勝手に想定。ま、
どうでもいいことだが)。お茶大の大学院博士課程にいるらしい。で、この筆者
がその目で見てきた中学受験家庭の「失敗例」をあれこれ暴露して、そんで分析
してみせる。もちろん匿名だけど。

つまり、「家政婦は見た〜中学受験版〜」である。
著者本人も意識したのか、65ページにこのドラマへの言及がある。「家政婦は見
た」では、基本的に「その家の矛盾や、矛盾によって生じる失敗(問題・事件)」
が毎回取り上げられる。洋モノの芝居で「インスペクターズ・コール」とかいう
のがあるが、まああれもそういうものだし、「岸辺のアルバム」なんかもまあそ
うだな。古いが。なんにせよ、「他人の家の中」が覗けると言うのは下世話な趣
味として面白いし、いわんや「他人の不幸は蜜の味」である。それが失敗談であ
るのはなお好ましい。つまるところ、その点でも「売れる本」の要素を十分に備
えていると思うがどうか。

で、分析結果として「ツカレ親」というのがいて、その「ツカレ親」どもが、息
子・娘を引っ張って失敗まっしぐらの暴走をしているのだという結論に至る。

ここでいう「失敗」とは副題にあるとおりの「志望校全滅」だ。

「志望校全滅」・・・タイヘンだ。

「ツカレ」は「憑かれ」と「疲れ」のカケコトバだが、各ケース(9家庭プラス
アルファ登場する)をみていると「憑かれ」の方の比重が圧倒的に高い。それも
そのはず「憑かれたように暴走し、志望校全滅して疲れ果てる」という話なので、
「失敗」の原因は「憑かれ」で、結果が「疲れ」なのだよね。「原因」の方が多
く語られるのは当然。

で、何に「憑かれ」ているのかというと、一言で言えば
「塾や家庭教師に時間やお金を使えば使うほど子供の学力が上がる」
という間違った思い込み
(他に「がんばればできるんだ(ロッキーか?)」
「思いはかなうんだ(ミッキーマウスか?)」
という思い込みや、
「今さら志望校レベルを下げられない(株の損切ができない投資家か?)」
という意地、などもあれこれ語られる。まあ、親の妄念とか妄想のたぐいが炸裂
しているわけであるが、人間「念」の力で何かを成し遂げることがある一方、
「念」の力で失敗に向かって驀進することも多いわな。
このへん中国の故事とかでたくさんあるよねえ。

「ツカレ親」の傾向として本の序文に掲げているのが以下の3っつ。

1)何でも習いっぱなしで復習時間をほとんど取っていない
2)塾や家庭教師の過密スケジュールがかえって知識の整理・定着をさまたげて
いる
3)子供の偏差値をはるかに上回る偏差値で第二志望以下も固めている

・・・とね、こうやって冷静に書き写していると「そりゃあそうだよな、これじゃ
失敗するよな」と思えるのだが、「冷静ではない」場合にはやっちまうよねー。
ひょっとして自分のムスメの小学校受験でもしてなかったか・・・としばし遠い
目になってしまったり、さらに時を遡上し、自分自身の大学受験の時はどうか?
(ああ、夏期講習を受講しすぎて親のフトコロに迷惑かけたな)とか、人を笑え
ないのであります。


さて、勝間和代はこの本とは何も関係ないのだが、うーん、大方の「受験本」っ
て、「こうやったらうまく行きました・うまく行きますよ」っていう本じゃない
すか、その辺の雰囲気がカツマカズヨの発言とかに似てるなーとか思うんですよ
ね、そういう「勝ち組」の人が出てきて、己の身をさらして

「はい、私はこうやって成功しました」
みたいなね。その辺の空気がね、イヤなんですねえ。

まあ、勝間和代の場合、やっぱそれが
「銀行にお金を預けるな」
みたいな話になるわけですよ、商売柄。

でもねえ、この金融恐慌のあと、そういうことをぴたりと言わなくなったのも気に食
わないし、自分の発言を振り返って反省せんでも何かツッコミくらい言ってない
(言ってるのに俺が知らないだけかもしれんが)のもなんか気に食わん。で、森
永卓郎とか荻原博子とかあの辺の人たちが「勝間!こら!自己総括せよ」とか言
わないかなーとか期待して、こないだなんか「朝ナマ」みちゃいましたよ。でも、
そういう風にはなってなかったなあ。残念。揃って出てたのに。

まあねえ、あんだけ「売れる本」出してると誰も批判しないのかねえ。批判的に
書いてたのは「週刊朝日」だったかな、宮崎哲也と誰か(名前忘れた)の対談で、
「サンデー毎日の編集長と勝間の対談はありゃないよなあ」みたいのと、香山リ
カがどっかの雑誌の書評で、「自分とはつくづく違う人間」という趣旨の文章を
書いてたことくらいかな(批判はしてないけど、あれは皮肉かなと思いつつ読ん
だ)。

で、だ。この本は、そういう「勝間本」溢れる受験本の世界では珍しく、「森永本」
な感じなんですよ。「年収300万の」とかそういうやつね。そうそう。森永卓郎
の最近出した新書「年収防衛」(角川SSC新書)の帯なんて

「勝たなくてもいい、
負けてもいいから
生き抜く!」

ですぜ。この雰囲気に近いのね、この「中学受験の失敗学」。

なんせ、出て来るケースは偏差値30台・40台のコドモの親。
それなのに、白百合だの吉祥女子だのフェリスだの慶應だのを目指す。
・・・いやね、こう書くと「目指しちゃいけないの?」と反論されそうですが、
この偏差値、6年生の1学期から2学期になってコートのいるような季節になって
もその水準なんですぜ。
それって、・・・やっぱ、いかんよねえ。
(というか、受験される学校もいい迷惑だとおもうんだけど)

その「ツカレ親」の暴走の姿がね、
「年収300万」だから「森永本」だの「荻原本」だの読んで、身の
丈にあった節約や工夫しつつ、「生き抜く」という幸福のあり方
ではなく、
「年収300万」なのに「勝間本」とか読んで、「その気」になって暴走して、自
分が理解も出来ない金融商品になけなしの貯金をつぎこんで、そんでもって結果は
・・・という・・・そっちの方に近いと思うんですよよねえ。

そんで、「身の丈に合わない無理をさせる」言論人はそれはそれでやはり罪深い
のではないかと思う。いや、もちろん、「人の口車に乗らない」リテラシーを持っ
てなくて「乗せられた」方に責任がないとは言わんけどね。(ま、ここらの責任
の所在論はすなわち、ここんとこの「新自由主義」を容認できるかどうかの話と
ほぼ同じではないかと思う。だますほうが悪いのか、だまされたほうが悪いのか、
そもそもそれは「だます」と言う話ではないのか・・・みたいな。まあ、たださ、
優しくでも乱暴にでもなんでもいいけど、
「おら、素人はどきな。怪我するぜ」
って言わずに怪我をさせちゃったら、<その場に関わるもの>の社会的責任みた
いなものを果たしてないと言われることくらいは覚悟しなきゃね、とは思う。)

俺は、勝間和代の仕事の全て(特にムギ方面)を知ってるわけでもないし、書い
たものなんて、嫌いなので1冊も読んでないが、どーも、つきつめると、「金融
業界」とか「仕事術業界」「自己実現業界」なんかを束ねて背負って、セールス
パースンかエヴァンジェリストでもやってらっしゃるのかね、と、こう理解して
いる(※)。
その辺が、「東大業界」とか「受験業界」「勉強法業界」を背負って売り歩いて
いる和田秀樹にかぶってくる。

「お金は銀行に預けるな」勝間和代
「子供は公立に預けるな!」和田秀樹

著書のタイトルなんかも大変に似てらっしゃる(この敬語はもちろん皮肉として
の敬語である)。

そんで、この「公立に預けるな」に対して、この「中学受験の失敗学」の著者・
瀬川松子氏は怒っておる(186ページ)。

この辺の怒り方(のスタンスというか、怒る論点)は、ちょっと本田由紀とかに
似てて好ましい。ちなみに、もう1箇所この本の中で瀬川氏は怒ってるが(15ペー
ジ)、それは、某有名塾講師が

「バカはものの数に入らない」

と言い放っていることで、瀬川氏はその言い方の下品さ・冷たさに怒るのではな
く「受験産業はバカな子供からも金をもらってるのに、そりゃないだろう」とい
う怒り方をする。

そう。この本は「塾も家庭教師も結局は商売なんだから」ということを赤裸々に
して、「親は、セールストークに乗せられて突っ走るなよ」と言うことを述べて
いるのでありました。

以下、私のオマケ
この某有名塾講師も、こういえばよかったんだよね

「バカは難関校には入らない」

ね、こういう真っ当な事実を言わずに、「がんばれば狙える(うーん、この<狙
える>って便利な言葉だよねえ)かも」とか言って、圧倒的多数の「バカ」(得
点分布、すなわち偏差値の元になる正規分布を見れば、偏差値60以下・・・これ
をバカ呼ばわりはいいすぎだが・・・の方がそれ以上よりも圧倒的に多いことは
当然だ)を暴走させて企業収益の基盤にするという、その根性が卑しいよね。
某巨大証券会社の人たちが、個人投資家を「ざこ」だの「くず」だの言いながら
カモってたとかいうのを思いだしますなあ。ははは。

※ただし、最近勝間氏の発言やらをみていて、ふと思ったのだが、これは「君子
怪力乱神を語らず」を自分に課してるのではないか、と。あれだけ発言してる割
に、一切「文化」だのを語ってないわけだ。俺はそのこともイヤなんだが、でも
逆に、したり顔で「文化」だの語られた日にはもっとイヤな気持ちになるよな
(林真理子に抱く嫌悪感に近いか・・・まあ、作家だからあれこれ語るのはいい
んだが、語りすぎ)、と思い、もし「自分は金融という世界の人間なので文化だ
のなんだのを語る資格なし」と自分を律しているのであれば、それはそれで偉い
ような気もしてきた。ま、人の人生、表から見てわかるようなことばっかしじゃ
ないし、人様の商売にケチつけられるほどこっちも立派な人間でもないので、あ
まり嫌いだのイヤだの言うのも、俺自身がみっともないかとも思ったりなんかも
する。

(で、この本に書かれてる具体的な勉強方法とか暴走回避の話とかは次回・・・
かも?)


とかなんとか「金融業界」に文句を言いつつも、↓この辺に証券会社かなんかのアフィリエイトとか出してみる。ま、諧謔とでも思って下さい。

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