迷い鳥のブログ

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洛陽三十三か所を巡る

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平安時代末に後白河天皇が西国巡礼に代わるものとして定めたのが起源だといわれていますが、その後衰退。平成15年に再興された京都市内の三十三の観音霊場を巡る旅。
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洛陽三十三か所を巡る(29)/第三十三番 清和院


【アクセス】
京都市上京区七本松通一条上る一観音町428-1。市バス「千本中立売」下車徒歩約2分。

【宗派/本尊(札所本尊)】 真言宗智山派/地蔵菩薩・重文:九州国立博物館寄託(聖観音)

【巡拝日】 2013年7月14日 

【巡拝記】
清和院は、もとは染殿第の南に文徳天皇が染殿后の請いにより仏心院を建てて地蔵菩薩を安置したのに始まる。清和天皇が貞観18年(876年)の譲位後、染殿の南部分を御在所としたのに伴い改称され、皇子親王の住院として定めた。
聖観音菩薩は、一演法師が創建した感応寺内の観音堂の本尊であった。 当時より霊験あらたかであり、後清和院に移された。(出典:Wikipedia)
神戸の叔母の病状安定を祈願するため、後3か寺で満願となる洛陽三十三か所観音霊場の巡拝に出かけて、満願となりました。

山門
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本堂
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清和院の御朱印
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「洛陽三十三所観音霊場」の満願証
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「洛陽三十三所観音霊場」の満願証: 満願証の周囲の梵字は三十三か寺の札所本尊を表している。右上から時計回りに第一番札所から第三十三番結願札所の本尊観音を表している。

洛陽三十三か所を巡る(28)/第二十九番 竹林山 福勝寺


【アクセス】
京都市上京区出水通千本西入ル七番町323-1。市バス「千本出水」下車徒歩約1分。

【宗派/本尊(札所本尊)】 真言宗善通寺派/薬師如来(聖観音)

【巡拝日】 2013年7月14日 

【巡拝記】
福勝寺は、弘法大師により河内国古市郡中村(現在の大阪府羽曳野市)に創建されたが衰退したと伝えられるが、 その後、正嘉年間(1257〜59年)に覚済僧正(別名山本僧正)によって、京都油小路五条坊門に再建された。以降、三度の移転を経て現在地に至る。年中行事として、弘法大師が唐の国より如意宝珠と歓喜天の秘法を大寒より七日間行い祈祷された瓢箪を節分会に授与する。歴代の天皇より帰依を受け、後陽成天皇と後西天皇の勅願寺にされた。後西天皇より「観世音菩薩」の名号と紫宸殿の左近の桜の分木を下賜され、よって「桜寺」と呼ばれる。(出典:Wikipedia)

神戸の叔母の病状安定を祈願するため、後3か寺で満願となる洛陽三十三か所観音霊場の巡拝に出かけてきました。

山門
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本堂
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福勝寺の御朱印
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洛陽三十三か所を巡る(27)/第二十四番 長圓寺


【アクセス】
京都市下京区松原通大宮西入中堂寺西寺町33。市バス「大宮松原」下車徒歩約5分。

【宗派/本尊(札所本尊)】 浄土宗/阿弥陀三尊(聖観音)

【巡拝日】 2013年7月14日 

【巡拝記】
長円寺は、江戸時代の慶長13年(1608年)、京都所司代・板倉伊賀守勝重が開基し、大誉清厳を開山として創建したが、観音堂内に奉安される聖観音は、一条天皇の御代、平安京に疱瘡が流行し、 これを嘆いた大納言藤原親衡公は天禄3年(973年)名僧恵心僧都に依頼し作らせ得ていた観音像を宮中に奉安し、 二十一日間祈願法要されたところたちまち疱瘡は治まったと伝えられ、それ以来疫病除けの霊験あらたかな観音様として祀られていた。
霊告により大誉が叡山から現所へ移したと伝えられる。
神戸の叔母の病状安定を祈願するため、後3か寺で満願となる洛陽三十三か所観音霊場の巡拝に出かけてきました。

山門
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観音堂
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長圓寺の御朱印
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洛陽三十三か所を巡る(26)/第二十六番 正運寺


【アクセス】
京都市中京区蛸薬師通大宮西入因幡町112。市バス「四条大宮」下車徒歩約5分。

【宗派/本尊(札所本尊)】 浄土宗鎮西派/阿弥陀如来(十一面観音)

【巡拝日】 2013年6月18日 

【巡拝記】
神戸の病状安定を祈願するため、神戸の往復に途中下車して、洛陽三十三か所観音霊場の巡拝を行っています。
正運寺は、加藤主計頭清正公の重臣飯田覚兵衛尉重氏直景を開基、 深誉上人を開山として慶長5年(1600年)に創建した寺で、浄土宗鎮西派に属す。 十一面観音像は大和国(奈良)長谷寺の本尊と同木なりという。
天明8年(1788年)正月類燃す。今の建物はその後の再建。

山門
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観音堂
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本堂
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正運寺の御朱印
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洛陽三十三か所を巡る(25)/第八番 引接山 大蓮寺


【アクセス】
京都市左京区東山二条西入1筋目下ル正往寺町457。市バス「東山二条」・「東山仁王門」下車徒歩3分。

【宗派/本尊】 浄土宗/十一面観音

【巡拝日】 2013年6月18日 

【巡拝記】
神戸の病状安定を祈願するため、神戸の往復に途中下車して、洛陽三十三か所観音霊場の巡拝を行っています。
大蓮寺は、慶長5年(1600年)深誉が現在の京都市下京区に創建したのに始まる。 伝承によると、慶長5年のある日、深誉は伏見の地で金色に輝く阿弥陀如来を見出し、誰も供養する者がないことをもったいなく思い、持ち帰って五条に仏堂を建て安置した。 後に、この阿弥陀如来は真如堂(真正極楽寺)の阿弥陀如来であることがわかり返還することになる。残念に思った深誉が二十一日間の念仏を修したところ、最後の夜に旅の僧があらわれ共に念仏するが、次の朝には旅の僧の姿はなく、本尊阿弥陀如来が二体になっていた。 そのうちの一体を本尊として安置したのが大蓮寺であるという。 その後、後光明天皇の夫人である典侍庭田秀子が難産に苦しんでいたため、大蓮寺に安産祈願の勅命が下った。祈願の甲斐あって第一皇女の孝子内親王は無事出生。同内親王は大蓮寺を深く信仰し、後に髪を編んで名号として同寺に納めた。後光明天皇の後は有栖川宮家がその意志を継ぐ。その縁で寺紋は有栖川宮紋。
明治初年の神仏分離に伴い廃寺となった祇園社(現在の八坂神社)観慶寺から薬師如来像などの仏像がこの寺に移されている。寺は当初は仏具屋通五条下る毘沙門町(京都市下京区、西洞院五条の交差点付近)にあったが、五条通の拡幅に伴い、昭和に入り現在の場所にあった常念寺に統合された。

山門
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本堂
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本堂前の蓮
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本堂前の蓮
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大蓮寺の御朱印
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