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日弁連の中で、報道問題の一人者の弁護士をあげろと言われると、梓澤弁護士をあげる人が多い。
梓澤弁護士が、最近、岩波新書から「報道被害」出版した。
報道被害(NHK32)参照http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/46078888.html
その梓澤弁護士が先日(3/3)の赤旗新聞に、1/29東京高裁のNHKの放送番組改変判決について、解説している。
この判決について、マスコミは勝手な、解説をしたりしていた。
しかし梓澤弁護士が、判決の認定した事実に沿って解説しており、さすが、報道問題、被害問題に詳しい弁護士と感心した。
最後に
≪大事なときに大事なことが言えないのでは何のためのジャーナリズムか。闇とみえる時代こそジャーナリズムは光を示すべきなのです≫という指摘は、重い、重い警鐘になろう。
ジャーナリズムが、権力を持つ者への批判精神が失われようとしているときに、
とりわけ鋭い指摘である。
赤旗新聞を読んでいない方が殆どだと思うので長くなるが引用する。
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◎梓澤弁護士に聞く/NHK裁判の見方
「慰安婦」問題を取り上げたNHKの番組改変は、「これまでにない報道被害だった」。こう指摘するのは、「報道・表現の危機を考える弁護士の会」の代表世話人・梓澤和幸弁護士です。一月に『報道被害』(岩波新書)を出版したばかりの梓澤さんに、NHK裁判控訴審判決が市民にとってどんな意味を持つのかを聞きました。 (山本正剛)
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◎梓澤弁護士に聞く/NHK裁判の見方
判決の一番の獲得物は突然の非合理な番組改変があったという事実が、裁判所によって詳細に認定されたことです。そこから真実が浮かび上がってきます。
判決は、放送前に右翼団体がNHKに詰め掛け、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」所属の国会議員の間で番組が話題になり、騒然たる雰囲気にNHKが包まれたと指摘しています。NHK幹部と安倍氏(当時、官房副長官)が会うようになった経過も詳しく認定し、安倍氏が「従軍慰安婦」問題について持論を展開した後、「公正中立な立場で」と指摘したことを認めています。
安倍氏の持論とは何か。事務局長だった「若手議員の会」では、「慰安婦」制度への軍の関与を否定し、「商行為」などと主張しています。「公正中立」とは一般論でなく、「慰安婦」問題を否定する立場で言っているのです。
侵略の歴史と責任をあえて否定し、過激なナショナリズムをあおる政治家が権力の中心に座るこの時代。介入問題とはそのような政治家におもねって番組の核心が骨抜きにされたという事件です。その事実を裁判所が認定したのです。歴史家の目でこの事件を見たい。
「慰安婦」問題は、一九九三年に河野洋平官房長官談話で国の責任を認め、九〇年代に教科書に載るほど国民的な認識になりました。それをひっくり返す動きの中で番組改変に至る一連の出来事があった。在米日本大使館がロビイストを動かして、日本政府の責任を追及しようとするアメリカ議会の「慰安婦」決議を阻もうとしています。
4分間のカットで削除された加害兵士の証言や被害者自身の体験をうったえる場面が番組で放送されていれば、加害の歴史を否定する動きに警告を鳴らせたはずです。それはその後のイラク戦争でも確固とした反戦世論の核にむすびついたはずです。多くの人が真実に接する機会を失いました。
取材を受けた側が番組に対して抱く「期待権」が認められたことを、メディア側は、報道の自由の制約と感じるかもしれません。しかし判決は、NHKが市民の信頼にこたえて報道の使命を果たさないならば、報道の自由は保障するに足りないといっているわけです。
『報道被害』でも書いたように、ジャーナリズムの本来の役割は、権力監視です。ジャーナリズムが真摯(しんし)にその使命を達成しようとすると、多数派権力と衝突することもある。それでもあえて本来の役割を貫く覚悟がメディアには求められているのです。
ところが、実際にはそうなってはいません。安倍氏が総理大臣に選ばれる直前の記者会見で、NHK裁判とのかかわりについて質問したメディアはひとつもありませんでした。
今回の判決報道も問題を感じます。焦点は、NHKの番組改変が事実だったということでありその背景です。つまりNHK幹部と安倍氏の面会の後、不当な改変が起こったということです。そこにポイントをおいて、それが視聴者にいかなる意味を持つのかを中心に論ずべきでした。しかしメデイアは「期待権」と報道の自由の問題に論点をずらしている。これでは判決が指摘した歴史上の危険なできごとがわきに追いやられてしまうのです。
これだけ大きい報道被害、回復のたたかいは過去にありませんでした。歴史の真実を埋もれさせないという思いで、多数派権力に一つの運動体がぶつかっていき、市民が支えた。そして勝ったところに大きな意味があります。判決の一行一行が市民の苦闘の産物です。
取材協力し、裁判を起こしたバウネット、政治圧力を告発したNHKの長井暁デスク(放送当時)、法廷で証言した永田浩三チーフプロデューサー(放送当時)がやったように、犠牲に満ちたたたかいを通じて、初めてメディアを正す道が見えてきます。この裁判は、そういうことの非常に尊い実践だと思います。長井、永田氏は、現場からはずされましたが、証言は歴史に刻まれました。
権力‖多数派に嫌われても真実を追求し、そこに自分たちの公共性を見いだしていくのがジャーナリズムです。市民とのきずなをしっかりしてこそ、権力の介入とたたかえます。大事なときに大事なことが言えないのでは何のためのジャーナリズムか。闇とみえる時代こそジャーナリズムは光を示すべきなのです。
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