弁護士阪口徳雄の自由発言

裁判・社会活動の中で感じたことを発言します

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≪公益目的事業のチェックポイント≫が1/21公表された。公益認定委員会の第28回会合において事務局から提案のあった内容。
http://www.cao.go.jp/picc/soshiki/iinkai/028/siryou1.pdf

今までの公益認定委員会で議論となった事業を例示し、その公益性をチェックポイントする論点を整理し、まとめた内容となっている。以前より相当前進したが、28回議事録が公表されていないので、これが全て承認されたどうかは不明。

私が関心を持っていたのは、この中の≪講座、セミナー、育成≫事業であった。

第17回公益認定委員会において、事務局が提案した資料2によると公益認定の留意点として
≪対象者の要件が一般的に開かれた形で、その特性に応じたものになっているか≫
という要件を挙げていた。

一般的に開かれた形でないと、≪共益的≫事業になり≪公益≫事業ではないという認識を事務局が示していたからだ。

ある公益法人の役員と話をしているときに、セミナーの入口にこっそり「誰でも参加できます」とすればよいのかいう意見まで出たほど形式的な要件。

専門家団体らの講座、セミナーなどは、その構成員に限定しているのが多い。ジックリ専門分野の者が議論することによって、セミナーなどの質が向上する場合もある。

(テーマーによっては、同じセミナーでも、市民の意見を聞きながら進めた方が、専門家にも勉強になる場合があるが、それとこれとは別)

例えば、弁護士会では、行政事件訴訟法の改正のあり方などについて、行政法の専門学者を講師に招き、行政事件に関与した経験ある弁護士達が、その法案の改正議論を行なう場合もある。

私なども、弁護士会でこのようなテーマーでの研究会、シンポ、勉強会などを何十回ともなく主催してきた。私は、弁護士の≪共益≫のためにしているとは思っていなかった。

不特定多数の市民、企業などが、行政訴訟をする場合の≪利益に寄与≫する=公益のためと思って主催していた。

外科医師学会が、外科の手術方針などで、ある外科医を講師、パネラーに招き、その手術のあり方を議論するのも同じ問題。建築士協会が、木造住宅の耐震のあり方について、研修、セミナーなども同じ。

このような場合に≪一般的に開かれている≫かどうかは、本質的な問題ではないことは、少し組織を運営した経験のある人なら、誰でも判る事実。

28回の≪公益目的事業のチエックポイント≫では、高度な専門的知識、技能を育成するような場合は・・・合理的な参加制限はOKとした。一歩前進と評価できる。

他方、専門家集団の勉強会、セミナーならすべてが公益となる訳ではない。

先日、日弁連が主催したという、裁判員に向けて、≪どのような話し方が良いか≫のセミナーなどは、不特定、多数の裁判員に向けての話し方であるから、公益性はあるが、しかし、裁判員の受ける利益は、間接的すぎて、公益性はなく、共益的なセミナーとなるだろう。

同じ裁判員に対するものでも≪無罪推定の原則≫をどのようにわかりやすく説明するかとなれば、これは、弁護士の話術の勉強会ではなく、不特定多数の裁判員や刑事司法のあり方と密接だから、公益性があろう。

医師会などが、仮に医師会のメンバーに限定したセミナーでも

≪今年のインフルエンザの特徴と治療方法≫
≪認知症の最近の治療について≫
などの勉強会などは医師としての技術をレベルアップする共益目的もあるが、その効果は、不特定多数の人達の利益に結びつくから、公益目的事業になる。

≪医療過誤であると、クレームがあったときの対処方法≫などのテーマーで、その目的が、医者の防御の仕方に主眼があるのか、それとも患者への説明責任をどう果たすかという目的とでは、同じ勉強会でも一方では公益性があるセミナーになり、他方では公益性がないセミナーになる場合もあろう。

建築士協会が
≪建築基準法の最近の改正内容について≫のセミナーとなれば公益目的事業となるが、≪建築基準法の最近改正内容とビジネスチャンスについて≫となれば公益目的事業にはおそらくならないだろう。

公益目的事業となるかどうかの判断基準は、同じセミナーなどでも

1 そのセミナーはどのような目的を達成しようとしているか。

その目的が構成員の共益目的の達成に主眼があるのか、それとも、不特定多数の利益を目的にしているかどうか。

(これは主催法人の主観的目的から判断することになる)

2 そのセミナーと、上記1の目的達成との間に、社会的に見て相当な手段と言えるか、及び、相当な因果関係があると言えるかどうか。

不特定多数の人の利益に直接結びつく場合はわかりやすいが、間接利益に寄与する場合に、議論が分かれ、上記の基準で判断する必要性がある。

相当な手段かどうか、相当な因果関係があるかどうは、解釈が分かれる場合も多い。国民の健全な常識によることになるが、この健全な常識が人によって分かれる。

最後は、公益認定委員会の認定事例や、認定されない事例を集積するしか方法がない。

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