弁護士阪口徳雄の自由発言

裁判・社会活動の中で感じたことを発言します

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

≪最高裁裁判官の国民審査で、竹内行夫にバッテン(×)を!≫

最高裁裁判官に、任命された元外務次官の竹内行夫に×の呼びかけが、私のところにも届いた。イラク派兵に反対する弁護団の一員からだ。
http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/08.10.27takeuti.pdf

小泉政権のイラク戦争支持やイラク派兵を進めた張本人で,イラク戦争支持の日本政府に抗議した天木直人元レバノン大使をクビにした張本人でもあるという。

天木元大使が自身のブログでこの点を指摘している。

『竹内行夫元外務次官の最高裁判事就任に異を唱える』
http://www.amakiblog.com/archives/2008/10/16/#001184

行政の違法、不正行為を是正するはずの最高裁の裁判官に、行政庁のトップに登りつめた者がなることは、三権分立の原則からしておかしい。

昭和46年1月、外務省の下田武三外務省次官(もと駐米大使)が最高裁裁判官に任命された。外務省のトップが最高裁の判事に任命されることは戦後初めてであった。これが、日本の司法の一つの大きな曲り角になった。

昭和44年1月に石田和外という、今問題になっている田母神航空幕僚長と同じような考え方(超ウルトラ右翼)の人物が、最高裁長官に当時の政府・自民党によって任命された。

彼は当時の、裁判所の自由の雰囲気の芽生えを、政府、行政機関に忠実な裁判所に「改悪」しようとした。

当時の裁判所は、行政をチエックする違憲判決などが出始めた時期だった。
国、行政が司法で裁かれるという三権分立の方向が見えだした時期でもあった。

当時の自民党・政府は、石田和外長官のもとで、昭和46年1月に下田を任命し、同年4月、反動路線を忠実に実践した岸最高裁事務総長を最高裁判事に任命した。

下田、岸を中心として当時の最高裁の良識的判決を転覆にかかった。そのあとの最高裁判決が行政に追従してきたことは語るまでもない。下級審の裁判官の中では、行政を負かす判決をすると出世できないという意識がはびこった。「物言えば唇寒し」という風潮が裁判所を支配した。(この風潮が少なくなったのは、司法改革が実施された1990年代半ば頃までかかった)

司法の反動化に反対する「司法の独立を守る国民連絡会議」が昭和46年5月に結成され、昭和47年12月の総選挙で、「下田、岸、最高裁裁判官に×を!」という運動が展開された。

当時は、だいたい最高裁の裁判官の×は4%か5%前後だった。

投票用紙の最初に氏名のある裁判官の×が多く、順次減少する傾向にあり、最後の人は一番少なかった。これは、有権者が、最初に×をつけるが、だんだん×をつけるのに気が引けるのか途中では×がすくなくなり、終わりの人ほど×が一番少ないという現象があった。

投票用紙の順番はくじで決定される。
そのような×の傾向であっても、誰もがその用紙のトップになることを嫌がったという。投票結果を見て、誰が一番×が多いとか、誰が少ないとかの話が、最高裁裁判官の中で話題がでるようだった(笑)

岸、下田に×点をという運動が広がり、たしか下田は15%という戦後最高の×がつけられた。岸も15%には達しなかったが当時で2番目に多い×であった。

それまでは、上記のような実態であったので、国民審査は死んだ制度と言われていた。廃止論まででていた。

仮に罷免までは至らなかったとしても、いざというとき、すなわち、政府が御用裁判官を選んだ時に、それなりに威力を発揮することが、この下田・岸×運動の中で証明された。廃止論は少なくなった。

今度の総選挙で、審査の対象裁判官は8名だが、この中で竹内行夫裁判官に×を集中するやり方は賛成である。

憲法九条をないがしろにするイラク派遣を推し進めた外務次官は最高裁裁判官には相応しくないことは明白。

麻生タカ派内閣がタカ派の竹内最高裁判事を選んだ。
国民はこの選択に×を集中しよう。

この×運動は公職選挙法の適用がないので、事前運動、個別訪問、文書配布(メールでの呼び掛け、HPの更新など)はすべてOK。

開く トラックバック(2)

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事