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裁判員が参加した全国で初めての裁判が終わった。
報道されている限り、裁判員候補者の出頭状況、裁判員の立会いによる審理方法、内容、判決の量刑(懲役15年)なども、順当に、上手く行ったと評価できる。
法律のプロだけで裁判をしていたら、今回の事件は事実関係に争いがなく、情状といっても「殺意の強さの程度」などについての争いであるから、これほど公判で証拠調べもせず、調書、調書ばかりで、1回、1日で終わっている可能性があっただろう。
刑事訴訟法の大原則は、「公判中心主義」であった。しかし実態は公判は形式で、全ては警察、検察の密室での取り調べの「調書中心主義」であり「調書裁判」と揶揄された。
公判期日において証人が証言していても、裁判官は警察・検察の「調書」を読んでいることが多かった。何を今更、証言するのですかという態度の時もあった。
裁判員制度の導入により、公判中心主義がやっと日本に「導入」された。
裁判員制度については一部の弁護士などから強烈な反対があった。その理由として、日本の国民は情緒に流されやすく、冷静な判断ができないという理由もそのひとつにあがっていた。裁判員では量刑が重くなるという意見もあった。
私はそのような考え方には最初から反対していた。
専門家のうぬぼれだと思っていたからである。
裁判員は事実認定が劣るか(司法・裁判27)
http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/53152069.html
≪人が人を裁く司法に完全な制度はない。従来のように、職業裁判官だけが判決するより、国民が判決に参加する方が過去の判例や量刑などに拘束されがちな、職業裁判官だけより、ベターであることは確実であろう。裁判員にはご苦労なことであるが、日本の司法のためにも頑張って欲しい≫
と賛同した。
裁判員を何故、無作為で選ぶのか(司法・裁判28)
http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/53165459.html
裁判員が入ると刑が重くなるか(司法・裁判29)
http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/53200894.html
≪裁判員制度が導入されると裁判員の刑は重くなるという意見が弁護士の中では多い。
このような意見の背景には、最近の世論の重罰化傾向が裁判員の意識にストレートに反映するだろうという認識がある。他方、この意見には、キャリヤーの裁判官は世論の動きにあまり動じないという前提がある。刑事事件の量刑に関する客観的で、万人が納得する基準などはない。
日本では従来の量刑例を参考にしているだけである。
同じ殺人事件だから、同じ量刑になるとは限らない。キャリヤーの裁判官でも量刑になると相当のバラツキがある。「地獄部」とか「仏の裁判官」とか弁護士の中で言われるほど、裁判官によって、量刑は異なる。これは裁判官の事件の見方、犯罪観、人生観などの違いであると言われている
裁判員が入った判決が重くなっても、軽くなっても、国民は、雲の上の裁判官が決めた量刑ではなく、自分たちと同じ市民が入って決めた以上、その量刑を受けいれる可能性が広がったとも言える≫
このような刑事事件における「新しい風土」を受け入れることができるかどうかにかかっている。
裁判員の6名、補充裁判員の皆さんを初め、呼び出しを受けて「抽選からもれた多くの裁判員候補」の皆さんに感謝したい。
本当にご苦労さんでした。
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