|
本日(8/30)福井地裁で熊谷組が自民党長崎県連に献金を株主代表訴訟で問う判決があった。原告株主の敗訴だった。判決はこの献金は「公序良俗に反するとか、社会的に著しく不相当な行為だとまでは言えない」という理由だ。
今年1月名古屋高裁金沢支部判決に続き、腰砕け判決が続く。
政と業の癒着が叫ばれているが、この癒着を突破することには、厚い、厚い岩盤があることを痛感。
以下判決の要点を整理する
被告役員は『長崎県は核となる産業が乏しく、産業振興が立ち遅れている為、自民党の支部である長崎県連に、経済活性化のための政策を立案、推進するよう期待して献金した』と主張していた。
しかし判決はこの役員の献金目定は信用できないと否定し、その上で『公共工事の受注上の不利益を回避する目的があったことは否定できない』献金という認定をした。
さらに、『本件寄付には、公共工事の受注上の不利益を回避する目的があったことは否定できない。このような性質を有する県連に対する寄付は発注先である、県と企業との間の癒着を招き、贈収賄等の温床となる危険性を有するから、コンプライアンス重視の観点からすれば、可及的に解消されることが望ましい』とまで言い切った。
そこまで言うなら、このような献金は原告の主張を認め『社会的に社会的に著しく不相当な行為』と判断すべきだった。
ところが、判決はそこから、迷走する。
『しかし、熊谷組の献金と長崎県からの受注額との間に明確な相関関係があるとは言えないから、本件献金はワイロに近い献金とか、・・・・・社会的に不相当な行為である』と評価できないとした。
公共工事の受注上の利益を積極的に受ける目的の献金なら賄賂に近いという認定になるが『不利益を回避する目的であったから賄賂に近いものと評価できない』と言う判断は刑法の賄賂の解釈を明らかに間違えている。
賄賂は交付する者が利益を受ける場合のもならず、利益を受けない場合も賄賂に該当するのは法律のイロハだからだ。
さらに、このような、いかがわしい献金が、『会社の社会的役割を果たす為になされた寄付と評価することには躊躇するところである』としながら、『他方で競合する多数の会社が献金をしている状況下で、寄付を拒否することによって生じる営業上の困難を防止をするという意味で、会社の利益となっていることは否定できないから、・・・熊谷組の目的の範囲外であるということはできない』と迷走する理由となる
営利の為の献金をOKするなら、定款の目的の範囲内と最初から認定するべきだ。『公共工事の受注上の不利益を回避する目的があったことは否定できない』献金=いかがわしい献金なら会社の定款の範囲外と認定するのが裁判官の役割だ。
『このような献金が会社の目的の範囲内かどうか躊躇する』としながら、他方で『会社の利益の為の献金を肯定する論理』との間に飛躍があり、極めて矛盾を含んだ判決となっている。
弁護団はこの判決を『迷走判決』『ツギハギ判決』関西の漫才師、チャランポランの『中途半端判決』と批判した。
おそらく3人の裁判官の中で、本件献金の評価について、あれこれ評価が分かれたので、上記のような、ややこしいツギハギ判決となったのでないかと思う。裁判官の認識経過が現れた判決の感じがする。
さらにこの判決は、取締役の注意義務論でも微妙な認定をしている。
『本件寄付当時には自治体の議会の多数派政党や首長の属する政党の支部に対して・・・建設業界における通常の経営者の有する知見及び経験を基準として、社会的非難可能性の強い行為として著しく不相当なものというまでには至っていなかったと評価されるから、被告らに注意義務違反があったと言えない』とした点だ。
当時は業界の常識で、仕方なかったが、『このような性質を有する県連に対する寄付は発注先である、県と企業との間の癒着を招き、贈収賄等の温床となる危険性を有するから、コンプライアンス重視の観点からすれば、可及的に解消されることが望ましい』という将来の献金は『コンプライアンス重視の観点』からすれば止めるべきという点で一致したたのではなかろうか?
熊谷組を始め、長崎県連に寄付をした大手ゼネコンは『コンプライアンス重視企業でない』と言いたいのが、この判決を最大限に善解するとすれば、裁判官の本音かも知れない。
ちなみに、『コンプライアンス重視企業と思われる』大成建設、清水建設はゼネコン汚職以来、長崎県連に献金していない
控訴するかどうは今後2週間以内に関係者と相談するが、実務を荷う弁護士の大勢は控訴の方向だ。
(注)上記『業界の経営者の知見、経験を基準とする』評価基準は政治献金に関しては明らかな誤りである。
一般的にある業界の専門的、技術的な仕事に関し、業界の特殊な専門、技術判断が要求され、それを尊重することは当然だ。その限りでは正しい。
しかし、このような献金をするかどうかは業界に固有の専門性、技術性が要求される業務でない。その判断基準に、『業界の知見と経験』に委ねることになれば、業界の常識で全ては判断されることになるからだ。業界の常識が社会の非常識である点を全く欠落した判決だ。この判決の根本的欠陥である
この点の批判は別の機会にする
|