弁護士阪口徳雄の自由発言

裁判・社会活動の中で感じたことを発言します

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≪刑事裁判への被害者参加 ≫

刑事司法には被害者が参加できなかった。今までの刑事司法は、被害者抜きの刑罰であった。

被害者が刑事司法に参加するのは賛成だ。

私は刑事事件にあまり関与しなかった。
大阪知事のノックの強制わいせつ事件に、被害者の女子学生の代理人に要請され、参加した。
ノックの、第1回民事事件の弁論で、法廷で、請求の趣旨拡張問題で、被害者側で発言した記憶がある。

この事件に際して、アメリカの刑事司法、ドイツの刑事司法における被害者の権利について調査した。
このときに、日本の刑事司法に被害者の権利がいかに無視されているかを知った。
権力を持つ者に対する被害者=市民の救済権利は乏しかった。

最近の刑事訴訟法の改正において、法務省の、被害者が刑事司法に参加し、事実について質問し、意見を述べるのは賛成だ

しかし被害者が『求刑する』には驚いた。

刑事司法には明らかな有罪事件だけではない。

もし冤罪可能性事件について、『この人を懲役3年にして下さい】と被害者から法廷で絶叫され、求刑されると、さて裁判官は冷静にどう判断できるのか?

有罪の事件では良いが、もし冤罪なら、裁判官は冷静な判断が出来るのか。
冤罪なら、被害者を前に、その人はどうして救済されるのか?

これは人ごとではない。
刑事司法はかたきうちではない。

冤罪の被害者は慎重審理を求め、冷静な、感情的判断を避けることを要請する
しかし、被害者はそんな悠長さを許さない。

罪を犯した人間には厳罰を、しかし冤罪の可能性の人には、冷静な議論が必要。
しかし冤罪かどうかはの判断は簡単ではない。

日本の捜査は、拷問的な捜査を行なう現実がある。このような時に、報復的な、刑事司法であってよいのかどうか。もっと冷静な議論が要求される。

以下の内容は、私の友人の弁護士澤藤のブログ。興味深い問題提起。
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/sawafuji/
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『刑事裁判への被害者参加』

早朝布団の中で、聞くともなしにラジオを聞いていた。
おや、聞き覚えのある声が。
小田中聡樹さんが、刑事訴訟への被害者参加の問題点についてインタビューに答えていた。
論理明快、首尾一貫。バランス感覚十分の落ちついた話しぶり。説得力はこのうえない。短い時間でのスピーチのお手本ではないか。私はこうはしゃべれない。

以下は私の理解による要約。
「被害者のお気持ちはたいへんよく分かります。しかし、この制度は刑事司法の根幹を揺るがしかねない大きな問題で、そのデメリットを考慮してなお早急に導入しなければならないとは考えられません。もっと慎重な議論が必要です。
刑事司法は公正であることが命です。公正な刑事司法制度を持つことは、社会全体にとって極めて大切なこと。この制度はその公正にかかわります。

刑事司法の大原則は、無罪の推定です。どんな被告人も、判決あるまでは有罪の推定を受けません。無罪推定の原則が刑事司法の公正を担保しています。しかし、被害者の参加は、このことを曖昧にいたします。被害者は、当然に被告人が犯人だとして振る舞うことになるでしょう。そのことが、無実の人を冤罪に陥らせる方向に働かないか。それが心配されます。

冤罪の心配のない多くの事件においても問題があります。被害者の方の参加は、裁判官や裁判員に、被告人に対する情緒的な反感を醸成させかねません。適正な量刑の維持に影響を及ぼします。

これまで、被害者の方のご意見が汲んでもらえていないということについては、制度の運用上の問題として考えなければなりません。それは主としてはプロとしての検察官の仕事になるでしょう。被害者は検察官を通じて自己の思いを法廷に押し出すことができるのではないでしょうか」

上手にものをしゃべるということは、訓練でできることなのだろうか。できるとすれば、どうやって?

2007年02月07日(水)19:47 この記事のURL 日記 澤藤統一郎

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最高裁の判決も誰が担当するかにより変わるものだ。
裁判官なら誰が担当しても同じ判決になるとは限らない。

1/24の朝日新聞の31面に最高裁裁判官だった滝井繁男さんのインタビューが掲載されていた。取材は東京の司法記者クラブの山口進記者。一読の価値あり

滝井さんが大阪弁護士会の弁護士から最高裁判事に推薦された。昨年退官して現大阪弁護士会の弁護士。
その滝井さんの判決について、記者は次のように解説している

≪最高裁では最近、立法や行政に対する従来の及び腰の姿勢から一歩抜け出ようとする「変化の兆し」が表れている。その影のキーマンの一人が、昨年10月に退官した滝井繁男元判事(70)だ≫

最高裁判事を退官しても殆ど語らない人が多い。そのような中で、山口記者は、ここまで滝井さんの本音を聞きだしたものだと関心した。

滝井さんは、最高裁判決を数歩、改革した数少ない最高裁判事の1人となろう。

滝井さんの大きな役割は、2005年の、在外日本人から国政選挙の選挙区選挙の投票権を奪った公職選挙法は違憲と断じた判決にある。国会の権限である立法の不作為に風穴を開けた。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiKbn=01&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=25008

滝井氏は大法廷に回付される前、第二小法廷で審議中の段階から判決まで、この訴訟にかかわった。おそらく、このときに滝井さんが第二小法廷にいなければ、従前のように、簡単に棄却されていただろう。最高裁は、立法の不作為には、国会の大幅な裁量権を理由に全く審査しないのが最高裁判例だからだ。

これが今後、国民の投票権だけでなく、その他の権利に及ぼしうる判例となるかどうかは、今後の判例
の積み上げによる。

上記インタビューで滝井さん曰く
≪法の解釈は、社会のどんな要請に応えるべきなのか、いつも考えた。その中で、社会的「弱者」の存在は常に念頭にあった。弱者は常に救済されなければならないとは思わないが、特に医療や労働、行政訴訟の分野での高裁の判断が本当にそれでよいのだろうかと考えることがあった≫

生保(日本生命、住友生命)ゼネコン(熊谷組)の政治献金事件は、残念ながら、最高裁第2小法廷には継続しなかった。
生保事件は第1小法廷、ゼネコン事件は第3小法廷。もし滝井さんの最高裁第2小法廷に継続すれば、八幡政治件事件が見直されたかも知れないと思うと残念のきわみ。

地裁・高裁・最高裁の裁判官全てが上記のようなスタンスで判決するならば、どれだけ国会の怠慢、
中央官庁、巨大企業などの社会的強者の違法・不正行為が是正されることか。

熊谷組の自民党長崎県連献金株主代表訴訟事件 http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/41412128.html
で、本日(1/31)名古屋高裁金沢支部に行って今帰った。

この裁判長は、
*昨年1月に熊谷組の1審福井地裁の株主勝訴判決を取り消して逆転敗訴させた。
http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/23126743.html
*住基ネットが違憲と断じた1審金沢地裁判決も取消し、合憲とした。
*談合情報などを証拠に、談合があったと断じた1審金沢地裁判決も取消し、企業の談合がなかった
と逆転敗訴させた

これほど、この1年間に、一審の、社会的弱者勝訴判決を取消し、社会的強者を、高裁で逆転勝訴させる裁判長も珍しい。

滝井さんのような裁判官は悲しいかな極めて少数。

12/21、朝日新聞の夕刊に『窓、論説委員室から』に、古西洋論説委員が『自立する葦』と題して書いていた。

『裁判官懇話会が35年の歴史に幕を閉じようとしている・・・・裁判官が一堂に会し、議論する場がなくなってしまうのか』と寂しげに且つ感慨深く書いていた。

同感だ。

裁判官懇話会は1971年4月宮本康昭裁判官(現東京弁護士会弁護士)の再任拒否事件を契機に、全国から200人を超える裁判官が駆けつけ、司法の独立や裁判官の身分保障について熱く語りあった。全国2000人の裁判官のうち600名余がこれを支援したという。思想、信条で差別する当時の最高裁のあり方に抗議する集まりだった。

このような現職裁判官が多数集まり討論、議論する場は日本の司法制度上初めての経験だった。だから最高裁は必死になってこれらの裁判官に人事上不利益取り扱いをした。

裁判官懇話会の中心メンバーを地裁の総括(=裁判長)にしない。まして高裁の総括などには間違ってもしない。同期の裁判長と給料を差別するなどの不公平人事がこの頃から続けられた。

この攻撃の中心にミスター司法行政と揶揄された、亡き矢口人事局長、事務総長、長官がいた。http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/39702179.html(司法・裁判8)

裁判官懇話会の参加者が、このような攻撃の中で減っていったが、しかし脈々とこの伝統が35年間、継続してきた。

私は裁判官懇話会のメンバー呼びかけ人であった亡戸田勝大阪高裁裁判長や環直哉大阪高裁裁判長(現東京2弁の弁護士)と親しくお付き合いをさせて頂いた。

大阪の新地(=新地というと、本間税調会長が親しくお付き合いをする高級料亭、クラブを想像されるが)
ここはそうではなく、木造の古びれた二階に飲み屋があった。そこが裁判官懇話会の集まる場所だった。

そこに、戸田さんや、環さんに連れられ、飲みにいった。そこに先日亡くなられた、竹中さんも来られていた。http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/44396725.html((司法・裁判12)
飲みながら、日本の司法のあり方や裁判官の不公平人事について語りあった。今から20数年前だった。

その新地の飲み屋も10数年前に廃業して、私も現職の裁判官と飲む機会が少なくなくなった。それから数年して、司法改革論議が始まった。

今まで、裁判所の中で差別されていた裁判官懇話会の中心メンバーもそれなりに処遇されるようになった。地裁の総括(=裁判長)になり、最近では高裁の総括になる時代になった。
モトモトは裁判官懇話会の中心メンバーは優秀で、能力もあったのだから当然ではあったが。

弁護士は弁護士会の委員会、会合、会派、法律家団体、弁護団のあらゆる機会で討論、議論する場がある。先輩、同僚と時には激しく議論し討論する。そこで学ぶ機会が多い。

裁判官懇話会が解散するとすれば、裁判官は、どこで、先輩、同僚と自由に司法や裁判のあり方について議論、討論する場があるのだろうか。『窓』を書いた古西洋論説委員と同じように心配する

(注)『自立する葦』とは裁判官懇話会の30年の歩みを書いた本の題名である
http://www.j-j-n.com/saibankan/050401.html

「世界」の1月号に

『思想良心の自由をいかに獲得するか』という題名で、友人の澤藤統一郎弁護士が書いている。
http://www.iwanami.co.jp/sekai/

 2006年9月、弁護士として澤藤氏は二つの教育訴訟判決に立ち会った。

 一つは国立二小事件。これは校長による日の丸掲揚強行に対する教職員の意見表明を、信用失墜・「精神的」職務専念義務違反との理由で懲戒処分にした都教委に対する懲戒処分取消訴訟である。結果は、都教委のやり方を追認するどころか「激励し鼓舞する」ような敗訴判決だった。

 もう一つは「国歌斉唱義務不存在確認等請求事件」、いわゆる予防訴訟だ。国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務、国歌斉唱の伴奏をする義務のないことの確認を求め、かつ不起立・不伴奏を理由とする処分の差し止めを求める無名抗告訴訟である。

401人の都立校教職員が原告となり、都教委と東京都を被告として起こされた。結果は憲法19条の思想・良心の自由という価値を重視する、原告の全面勝訴判決であった。

 これら二つの正反対の判決に際会した著者が、思想良心の自由を自ら主体的に獲得していくためには何が必要なのか、また自由を抑圧するものは何であり、司法は何をなすべきなのかを法律実務家の立場から考える。

さわふじ・とういちろう 1943年生まれ。弁護士。「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟」弁護団副団長。最新刊の著書に、『「日の丸・君が代」を強制してはならない――都教委通達違憲判決の意義』(岩波ブックレット) がある
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「世界」という雑誌は学生の頃は読んだ。これが、日本の良心と思って。
しかし、この数十年は読んだことが無い。内容が硬い上に、陳腐な論文が多かったからだ。
まして一般の書店では販売していない。つい手にとって、買うチャンスがなかった。

友人の澤藤弁護士が書いているというので、本日、大きな書店でやっと買えた。

「世界」を買って、学生時代に戻った感じ。780円の本を買っただけで、学生時代に戻れれただけで、若返った感じだから、安いもの。

しかし以外に多くの論文は、今の時代に警告する良い内容の論文だった。

ぜひ若い人にお勧めする

イメージ 1

【「日の丸・君が代」を強制してはならない】
―― 都教委通達違憲判決の意義 ――

私と同期で、親しい友人澤藤統一郎弁護士(東京弁護士会)が『岩波ブックレット』から日の丸・君が代」を強制してはならないという本を12/8に出版する。
http://www.iwanami.co.jp/shinkan/index.html

この本の要約だ

【東京都教育委員会による教職員への「日の丸・君が代」強制を違憲とした東京地裁判決は,いかに書かれたか.弁護団副団長が提訴前から判決までの全過程を踏まえて,とりわけ憲法19条,教育基本法10条との関連で難波判決の意義と特質をどう見るのか,なぜ原告達の訴えが結実したかについて解明した注目の一冊】

澤藤統一郎弁護士は、2006年9月21日東京地裁の都教委通達違憲判決の中心弁護士であった

(澤藤弁護士は有能で、ねばり強い弁護士である。多くの弁護士がもし、自らの事件で依頼する弁護士を選べと言われれば、澤藤弁護士を間違いなく選ぶ。彼が裁判官を緻密に粘り強く説得した成果がこの判決に結実したのだろう)

この判決は
『都立高校の入学式,卒業式等の式典会場において,通達に基づく校長の職務命令により,教職員に対して国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すること等を強制することは,思想・良心の自由を侵害するとして,国歌斉唱等の義務のないこと及び義務違反を理由とする処分の事前差止めを認めると共に,被告都に対し原告らの精神的損害に対する慰謝料の支払を命じた事案』
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=04&hanreiNo=33603&hanreiKbn=03

国家の力が個人の内心まで介入する時代を「チェック」する歴史的な判決だ。

ぜひ多くの方に読んで欲しい。以下は澤藤統一郎弁護士からの要請文
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「日の丸・君が代強制反対予防訴訟」9・21判決の解説書です。
12月8日発売予定で、新聞広告も出始めました。
教育基本法「改正」反対運動に間に合うどうか微妙なタイミングですが、
運動の観点から大量販売を成功させたいと願っています。
ご協力よろしくお願いします。

30部以上の部数のご注文だと、著者割引として「8掛け+送料」となります。
ご活用ください。
注文先は、私か、岩波書店の大塚茂樹さん。
大塚さんのファクスは、03−5210−4137です。

以下は岩波に送った「著者からのメッセージ」です。

時代を映す訴訟があり判決がある。「日の丸・君が代強制反対・予防訴訟」と
「9・21判決」は、まさしくそのようなもの。

この事件が映す時代相はけっして明るいものではない。日本国憲法と教育基本
法への悪意に満ちた勢力が支配している時代。敗戦の惨禍への痛切な反省からよ
うやく手にした思想良心の自由、そして教育の自由が蹂躙されつつある時代。

歴史上、思想良心圧殺の象徴として私たちが思い描く事件は、江戸幕府の踏み
絵と明治期の内村鑑三・教育勅語拝礼拒否であろう。暴走する東京都教育行政は、
幕府や天皇制政府とまったく同じ発想で、学校行事での日の丸君が代強制を踏み
絵として、教員の思想と良心を蹂躙し、これに屈しない教員を排除しようとして
いる。

行き着く先は教育の国家統制にほかならない。
予防訴訟は、自らの思想良心を堅持し、生徒・子どもらの学ぶ権利を擁護するた
めに立ちあがった教師群によって担われた。必死の思いの原告教師たちと、支援
者、弁護団、研究者の総力をあげた活動によって、一審段階ではあるがすばら
しい勝利の判決に到達した。

 明るい時代ではない。しかし判決は、この時代の希望をも映している。

澤藤統一郎 <sawafuji@article9.jp>
澤藤統一郎の憲法日記・連載中
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/sawafuji/

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