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回想 手術の説明
手術の説明を受ける日がやってきました。女房と二人で聞けばよかろうと思い、子どもたちには職場を早引きする必要はないと告げました。研修医の方が同席し、4人のお医者さんから別々に説明を受けました。
1. 手足から血管を抜く手術の説明がありました。血管の位置の確認をしたあと、まれに起こるかもしれない後遺症についての説明を受けました。手足には、血管の位置にマジックで線を入れられました。
2. 血管移植についてまたもや、こまかな手順を説明され、想定される事故等や対処法の説明を受けました。医師、看護師を合わせて何十人かで細心の注意を払って行うことや、全員がこの手術の専門家であることなども合わせて説明を受けました。心配してもしなくても僕にできることは何もないので、すべてをいい方向に結び付けて解釈しようと努めました。しかし、一方で「今、『やめます。』と云えば確実に手術のリスクからは逃げられるなぁ。」と思ったのも事実でした。「心臓は基本的に動かしながら手術をするが、肺は止めて、人工肺で行う。」と云われた時は、びっくりしました。思わず「動いている心臓の表面にある動脈に、緻密な手術作業は、難しくありませんか?」と、聞いても仕方のないことを聴いてしまいました。先生にとっては想定内の質問だったようで丁寧に説明をしてくれました。「状況によっては止めて手術をすることもある。」というような含みがありました。心臓の動きを止めて手術をすると脳梗塞を起こす危険性が高くなるとのことでした。脳梗塞とはよく聞く言葉ですが、実際にどのようなものなのかは認識しておらず、僕には、言葉だけが通り過ぎる感じでした。
3. 次に、胸を開く話がありました。胸骨に電気鋸を入れて割っていき、肋骨の弾力の許す範囲で左右に押し広げ、つっかえ棒を渡すというような話でした。想像もつかない話なので質問の気力もわいてきませんでした。肋骨の骨折、ひびの可能性の話があったようですが、心に留めるゆとりはありませんでした。此の時に、輸血の話もありました。「ランニング効果と思われるが、ヘモグロビンの濃度が高いので輸血の可能性は低く、30%ぐらいです。」と云われました。「なるべくなら輸血はしないで行きたい。」ということで、その一長一短の説明がありました。「恐いのは、肝炎、梅毒、エイズの感染。」と言われてこれまたびっくりしました。「献血の時に十分に検査をするが、たまたまその時に潜伏期間だったものが極めて低い確率で検査をパスすることがある。」という話でした。これ等に感染すると、発病に20年ぐらいかかるそうです。「高齢なら、輸血した方が術後も回復が早いので輸血をするが、まだ若いのでなるべく、輸血をしないで頑張りたい。心肺機能とヘモグロビン濃度はこの手術に於いて、とても有利な状況です。」と伝えられました。
4. つぎに、全身麻酔の手順とリスクについて説明を受けました。麻酔ガスを、手術の間中一定の濃度で吸わせるもののようでした。患者の眠りの深さを一定にしておくためとか。これも、麻酔が覚めないとか、覚めても後遺症が残るとか、いくつも例を挙げて説明を受けました。
それぞれについて「説明を受け、承諾しました。」という署名を行いまし
た。
どんどん外堀が埋められ、手術に追い込まれていく思いがしました。普通
は、前日にこれらの最終説明があり、あくる日にばたばたと手術となるので
すが、僕の場合、説明日は当初の予定通り6月29日に行われ、手術は2日延び
て7月2日になったために、説明の状況を何度も反芻する時間があることにな
ってしまいました。臆病で気が小さい僕には、非常に憂鬱な2日間でした。
(日記より)
6月29日
術後の血管リハビリ用廊下75mを80周走ったところで、看護師さんが止めに来た。自分としては、ゆっくりのペースで、体の状況をよくして手術に臨もうとしてのことだったが「手術をしなくてはならない心臓だと云う事を忘れないように!」と、おこられた。これは、ナースステーションで話題になったようで、次々に看護師さんが病室に来て何度も怒られ、最後は主治医までもがやってきた。「手術が終わって完治するまで、我慢してください。」と、怒られた。
お尻の皮膚がかぶれているようだが、床ずれらしい。テープを張ってもらった。
手術の説明。何やら、いろいろな話があったが、話が大きすぎて、言葉だけが通り過ぎるような感じだった。ヘモグロビン濃度が15%を超えているので、手術には有利、心肺機能は問題なしとのこと。
6月30日
本来なら本日が手術日。複雑な心境である。
家庭菜園の野菜が、梅雨空の中、すごい勢いで実り始めたと写メが来る。
一句 雨粒を はじいて実る 夏野菜
本日より入浴の時に、全身をヨード液で洗うように言われた。消毒らしい。
入眠剤を処方してもらった。
7月1日
移植する血管の最終位置確認があった。昔は、皮膚を血管に沿って切り開いて取り出していたとか。いまは、引き抜くような感じなので、端と端にメスを入れるだけで、傷口は小さいらしい。
割った胸骨はワイヤーで縛って接合するらしい。ワイヤーは一生胸に収まったまま。
明日は、朝6時に入浴。最後のヨード液洗体。
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ランニングしていて良かったですね♪
2010/8/25(水) 午後 3:47
おだまりさん
ランニング効果を、これほどいろいろなお医者様から言われてみて、本当に「走っていて良かった。」と思いました。
2010/8/25(水) 午後 10:35 [ ガンばってんまぁちゃん ]
外堀を埋められていくような感じ・・・・・・本当にそうですね。
お話がとてもリアルで、「なるほど〜〜〜」と興味深く読ませていただいていますm(_ _)m。
今でこそ過ぎ去ったことですが、やはり大丈夫と思っていても不安にはなりますね〜〜〜^^;。
これを乗り越えられたんだから、何でも乗り越えられそうですね〜〜〜(^-^)v。
2010/8/26(木) 午前 5:05
まちゃみ〜♪さん
不安に思いながら、病院のスケジュールに沿って、過ごしたのですが、「万が一のことを考えて、人生のやり残しが無いように何かした方がいいのでは?」なんて考えましたが、結局、何もできずにj間だけが通り過ぎる毎日でした。今思えば、滑稽な葛藤ですが、答辞は真剣でした。
2010/8/26(木) 午前 10:27 [ ガンばってんまぁちゃん ]
ブログを書いていて、ヒットしたこちらのブログ、今、ちょっとお気に入りの登録が200を越えてしまって、登録できませんが、また、、ゆっくりと読ませて頂きたいと思いつつ・・・。 私は 平成18年12月 関西労災病院 整形外科第二部長大和田哲雄医師によって、ぎっくり腰で左側に痛みをもつ☆に、チタン固定術を施行され、しかも、実験段階の術式を☆に隠して、背中から臀部を8箇所切り裂きました。で、チタンは骨を飛び出し、神経を損傷し、しかも術後血腫を出すドレーンが不作動となり、脊髄神経に麻痺を起こし、特に右足が完全運動マヒとなりました。その状態を幾度主訴しても、医師もナースも楽観視して、検査も処置もせず、144時間放置され、一睡も出来ない地獄のあと、やっと 大和田医師が再手術で血腫を洗い流し、手遅れで後遺症で不全麻痺でした。しかし、大和田医師は「メンタルのせいで歩こうとしないだけだ」と話し、心療内科医安野祥医師に 抗鬱剤を 多々 処方させ、病院全体で、患者への医療ミスを隠して、患者の人権まで蹂躪しました。こちらとの差は いったい何だったんだろうとおもいます。
大阪の☆
2010/9/26(日) 午後 10:46