あらかん青春日記

癌闘病後、体力回復に向けて、マラソンを始めました。平成23年3月12日より1km走るごとに10円貯金をして東北に送る事にしました

初恋5校内マラソン大会

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女房が、今の僕の生活を見ながら、このブログを見て、「きっと、こんなふうに走っていたのだろう」と笑います。
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 マラソン大会の日は、曇っていた。

マラソン大会としては絶好の天候だったのかも知れない。

予定どおり大会が催されてよかったような、実は逃げ出したかったような複雑な気持ちだった。

何時間かあとにはもうゴールしているんだなぁと思いながら家を出た。

地場企業のグラウンドに直接集合だった。学年ごとに男子がが先にあり女子はあとからだった。

女子はおよそ3年男子の出発はお昼前だったような気がする。

1kmで折り返してくるが、男子は2.5km行っての変則的な(往路と復路が若干違うコース)

折り返しコースだった。

他学年がレースをしている間、体をほぐしたりして落ち着かない時間を過ごした。

緊張のためか、便意を催すのだが、何も出なかった。

「走っているうちに、激しい便意が来たらどうしようか。」と、神経質に悩んでいるうちに、

3年生男子がグランドの一番奥に集められた。

男子が出発したあと、彼女を含む3年女子が出発をし、

3年女子がゴールしたあとに男子が帰ってくることになる。

スタートラインからグラウンドの出口までおよそ100mここまでがポジション争いである。

そのあとは川の土手を走ることになるので、道幅が狭く、ばらけるまでは追い越しがしにくい。

およそ300人の3年男子がほぼ横一線に(2〜3列横隊だったのかなぁ)並んだ。

校長先生によるスタートの号砲がなった。

グラウンドの出口までダッシュしたが、よいポジションは取れなかった。

雑踏に巻き込まれた感じで川の土手に出た。

前の方は快調に飛ばしているようだが、僕のいる集団はとろとろだった。

「今までの努力がこの雑踏か!」といらいらしていたら、

後ろから、体育の時間でも圧倒的に速い同級生のTが「ちょっとごめんよ」と言って、

平泳ぎでもするかのようにみんなをかき分けて、僕たちを追い越していった。

彼は、部活動に入っていなかったが、駅伝の時は陸上部にかりだされる走力の持ち主だ。

「そうか、あのようにして前に出ればいいのか。」と思って、真似をしてついて行った。

気がつけば先頭集団の後方に位置していた。

ところどころに監察で立って居られる先生が順位を教えてくれる。

僕は、折り返し地点で30番ぐらいにいたようだ。

陸上部の連中はもっと前の方にいることが十分に想像できた。

この一年間のいろいろなことを考えながらのマラソンだった。

不思議に、勝手に「恋のライバル」と決めた「O君」との勝負は、あまり考えていなかった気がする。

抜きつ抜かれつ、順位があまり動かないままに終盤に入った。

ゴールのグラウンドが見え始めた頃からスパートしたが、

周りもスパーとしたようで順位の変動はあまりなかった。

グラウンドまで数百mのところに、レースを終えた女子が先生達と花道を作り、応援してくれていた。

その前で、運良く数人をばたばたと追い越して、そのままゴールした。

渡された着順カードには26位と書かれていた。

O君に勝ったのか負けたのかは今でもわからない。


 10番以内に入りたいという夢はあったが、県の駅伝大会でも優勝する陸上部がいる中で、

それが夢の夢とはわかっていた。

夢破れた残念な気持ちがこみ上げてきた。

しかし、長きにわたってこつこつと努力してきた結果、

100番を遙かに出ていた2年生の時から比べると大躍進できたことにそこそこの満足感もあった。

僕たちのクラスは、30番いないに5人も入っていた。

当然ながらクラスマッチとしてはぶっちぎりの優勝だった。

卒業式まで、いや高校入試まで1ヶ月になってしまった。

祭りの後の寂しさのような虚脱感に陥った。

その日の夜、風呂に入って4月からのいろいろなことを思い出した。

頭を洗うときに、熱い湯をかぶったら、自分でも説明のつかない涙が次々にあふれてきてとまどった。

 大した事件もないまま、冬休みが終わり、3学期が始まってしまった。

マラソン大会と卒業式を残すのみである。

好むと好まざるを得ず、3ヶ月ほどでみんなばらばらにならねばならなかった。

進路選択に揺れ動く状況だったようだ。

クラスは落ち着きを失っていた。先生達も、進路の事務のためか、自習もふえていた気がする。

部活動で輝いていた連中も、勉強一色(?)の生活を送っていた。

彼女は、マラソン大会をどのように受け止めているのだろうかが気になった。

元々短距離系だが、それでも陸上部だから、きっと楽々上位に食い込むだろうし

、その自信を持って過ごしているだろうと思った。

自分はと言うと、意識の中では、勉強よりもマラソン大会一色の生活を送っていたが、

実のところ、ただ、寝る前に少し走る程度だった。

今なら、インターバルを入れたり、ペース走を入れたりするところだが、

そんな方法も知らず、ただ、タイムを一回計って終わりだった。

どう考えても、自分が上位に食い込めそうにないことがだんだんにわかってきた。

女子の2000mが先にある。

そのあと、男子の5000m。女子が、男子を迎えることになる。

クラスマッチだから、女子は自分のクラスを応援するはずである。

男子がソウであるように・・・しかし、彼女の視線は誰に向くのかが気になった。

状況的に、自分に向くことは考えにくい気がした。

マラソン大会は、雨天延期、それでも雨なら中止になっていた。

長きにわたって準備しておきながら僕は、

マラソン大会の「延期」「中止」を願うところがどこかにあった。

弱気になっていたのだ。

しかし、彼女は抜きにして、自分がこつこつ練習してきたことが

どのような成果を生むのかを楽しみにする部分もあった。

上位に食い込めないまでも、50番ぐらいには入れないかという期待である。

マラソン大会の日が来た。

曇っていた。少し肌寒かったが、走りやすい状況だった。

校内マラソン大会まで1ケ月少しとなった年末、

年賀状の図案をどうしたものかが定まらないままに、日にちだけが過ぎていった。

日記には、マラソンの記録が伸びないことを書いていた。

陸上部の連中に負けない結果を出そうと、夜間ランニングに励んできた。

取り組みを始めた頃は、「半年以上も先だから・・・」と「何とかなりそう」な夢を抱いていたが、

あっという間に12月も終わりになってしまった。

まだ、1500mを5分半切るのにふーふー言っていた。

校内マラソン大会の5000mとなると、ペース配分がわからず、「どうなるんやろうか・」と

不安がつのる毎日だった。

今だったら、「イーブンペース」と、決め込むところだが、

当時は、はじめから飛ばし、ばてたらあとは根性で乗り切ると言うこと以外は考えていなかった。



 僕の家から、海まで、2kmほど有った。その海岸から、彼女が住む対岸の町が見えた。

彼女の家が何処にあるかは、行ったことがなかったので知らなかったが、

夜間ランニングで、この海岸に行き、対岸の灯りを見るのが好きだった。



 陸上部の速い連中が17分を切って走っているような話を聞いた。

僕の1500mのベストタイムを5000m維持して走る計算になる。

「O君はどうなんだろうか。中体連の夏の大会のあと、引退したはずだが・・・

しかし、一度身につけた体力はそう簡単におちんもんなぁ。

体育の練習で結構十分かも知れん」などと考えながら、相手の大きさに心が折れそうな日々を過ごした。


 暑中お見舞いの図案は今でも再現できるほどよく覚えているが、

年賀状に関しては、どのようなものを描いたか全く覚えていない。

僕の関心事は「彼女から年賀状が来るのか」と言うことだった。

  1.彼女の方から年賀状が来る 

  2.僕の年賀状への返信は来る  

  3.「お付き合いは高校生になってから」の言葉どおり返信すら来ない  

3つの選択肢が頭の中で渦巻く日を送った。

大晦日。紅白歌合戦を家族で見たあと、僕は受験生らしく勉強をした。

何となく目が冴えたのだ。

今まで、1年間を振り返ることなど無かったが、このとき、初めて一年間を振り返った。

「昨年の今頃は彼女の存在すら知らなかった。

今は違う。

来年はどうなっているのだろうか。

僕と彼女は志望校が違う。

どのような形で4月を迎えるのだろうか。

ただしんどいだけとしか思っていなかった持久走に取り組むようになったこの1年。

持久走との付き合いはこの先どうなるんだろうか。

マラソン大会、何番ぐらいかな。」

郵便屋さんが来るまで、いろいろなことを考えた。



 朝が来た。いつの間にか寝ていたようで、

お袋から、「朝ご飯が出来たから、顔を洗って着替えてきなさい」と言われた。

昔は、元旦の朝は、きちんと正装をしたような思い出がある。

僕は、冬休み中にもかかわらず、制服をきちんと着て食事の準備されたこたつに入った。

年の始めの挨拶をし、お年玉をもらって、おせちを食べた。

気持ちは、郵便屋さんの赤い自転車がいつ来るかと、玄関の方に向いていた気がする。

食事を終えて、しばらくテレビを見たあと、玄関のそばの自分の机に戻って勉強をした。

いや、ギタ−を弾く時間の方が長かったかも知れない。

玄関で自転車の止まる音がした。

引き違い戸のすりガラス越しに赤い自転車とわかった。

「郵便屋さんだ!」急いで、玄関の戸を開けると、びっくりしたような顔の郵便屋さんがいた。

「おおきに」と言って、年賀状を受け取った。

急いで、自分宛のものを探した。10枚ほどだったか20枚ほどだったか、自分宛のものがあった。

あとは妹と父、母宛のものだった。選り分けていると、お袋が出てきた。

「郵便屋さんが来たような音がしたけど・・・」と言いながら。

「年賀状、来とったでぇ。」と言って、自分の分をより抜いて、あとはお袋に渡した。

勉強を理由に、家族団らんには加わらず、自分の部屋で年賀状を見た。

筆跡で、すぐに彼女とわかる一枚を見つけた。

すぐに裏書きを見るのはもったいないような、一刻も早く裏を見たいような複雑な気持ちで裏返すと、

そこには、私信はなく、年賀状の決まり文句だけが描いてあった。

選択肢の「1」であったが、肩すかしを食らった気がした。

これまで、郵便屋さんを通しての彼女からのメッセージは、非常に親しげなものばかりだった。

それが、きわめて無機質な年賀状であったことに、彼女の何やら強い意志を感じ、

年賀状が来たことに少しは喜んで良いはずなのに、暗い気持ちになった。

彼女の、僕への親近感は修学旅行をピークに、下がって行って居るような気がした。

無性に走りたくなって、着替えて外に出かけた。

通りは、初詣やら、お年始やらのよそ行きの服の人が多かった。

その中を、短パンTシャツで走っていたのだから、きっと僕は少し浮いた感じだったに違いない。

 アーケード街を歩いて、映画館に向かうことになった。

女の子3人の塊はバラけることなく映画館に向かった。

その後ろを、僕たち3人がついて行くことになった。

距離も10m、いや20m以上は離れて歩いて行ったような気がする。

僕たち3人は、誰も口にこそ出さなかったが「こんなはずじゃなかった・・・」と思いながら

男同士で「会話のための会話」をした。

まぁ、今にしてみれば、昭和43年の中学3年生だから、

そんなもんが相場というものだったかもしれないが。

映画館に着くと、女子はすでに切符を買って待っていた。

僕たちは、前日に集まって

「切符は、女子の分も僕らで払わないかんのやろうか」

「そらそうやろ」

「そこまでしたら、小遣い厳しいで」

などといった会話をしたが、滑稽に思えた。



 ここから先の経緯をよく覚えていないが、

結果として女子は2階の席に、男子は1階の席に座って映画を見ることになった。

席を陣取って映画が始まるまでの間に、

ジュースとポップコーンを彼女たちの席に持って行って渡そうとした。

「そんなん、してもうたら悪いわぁ」と拒まれたが、「もう、買ってもうたもん」といって、手渡した。

席が1階と2階に離れ離れになったことは、肩透かしを食らった気にもなったが、

ほっとした気にもなった。



 当時、スポーツ、音楽、絵画万能といわれていた加山雄三にあこがれていたので、

座席の物足りなさとは別に映画に没頭し、楽しむことはできた。

(南太平洋の若大将だったかフレッシュマン若大将だったかはよく覚えていない)

映画が終わって、食事をしたかどうかもはっきりしない。

当時のことだから、中学生だけで食堂に入るようなことはしなかったはずだ。



 6人で本屋さんに行ったことだけは覚えている。

しかし、これも、それぞればらばらに自分の見たいもののコーナーに立ち寄っただけだった。

僕は、自分の見たい本などどうでもよかった。

彼女がどのような本に興味があるのかが気になったが、ついて行くわけもいかず、

落ち着かない気持ちで少年誌に目を落としていた。

本屋さんを出て、彼女たちと待ち合わせた電停まで、これまた20m以上はなれて歩いて行った。

電車を待つ間は、半径5m以内の距離に近づいたが、男子と女子が会話を交わすことはなかった。



 電車が来た。


僕たち6人とも同じ電車に乗ってもよかったが、女子を見送り、僕たちはその電車に乗らなかった。

精神的に、いっぱいいっぱいで乗れなかったのかもしれない。

別れ際、彼女たちが笑顔で

「きょうは誘ってくれてありがとう。たのしかったわぁ」と言ったのが救いであった。


 女子を見送った後、僕たちは「どうする?」という言葉を誰ともなく発した。

次の電車に乗るのも間抜けに思えたのだ。

「歩いて帰ろらよぅ。電車賃でソフトが食べれるで」といって、

ソフトクリームを食べながら歩いて帰った。

普通なら、映画の話をしながら変える僕たちであったが、その話はせずに

「座席が失敗やった。」

「はじめからいっしょに歩かんのがあかんかった」

「ジュースおごったんは正解ちゃうか。」などと、デートそのものへの反省会をした。

あるはずもない「この次」に備えてのことだったかもしれない。


 僕は思った。「デートも魚釣りも、行くまでの準備の方が楽しいんやな」と。

かくして、年内の大きなイベントは終わってしまった。

彼女といっしょにデート(?)はしたものの、会話はなく、

彼女が自分のことをどう思っているのかつかめない状況は変わらないままだった。

「お付き合いは高校生になってから」のことばが、また頭の中によみがえった。

「今日は、イレギュラーやから、彼女も控えめやったんやなかろうか」と、

物足りなさをごまかす理屈をつけた。



 ふと思った。「暑中お見舞いの返事は来た。年賀状の返事は来るんやろうか。」と。

「あのころと状況は違う。」

「いらんことせんほうがええ」

「暑中見舞い出さんかったら、今頃どうなっとったんやろうか」

「何の意識もすることなく、教室で楽しげに話をしていたかもしれない」

そんなことを考えながら、一所懸命年賀状の図案を考え始めた。

 僕の勝手な想像では、路面電車の停留所近辺で落ち合い、

アーケード街を歩いて映画館に行き、男子女子が、交互に座って映画を見るという設定だった。

一応、アーケード街を前もって歩いてみた。

時間を計りながら・・・

僕は、カレンダーより早めのクリスマス会をクラスで終えていたが、町はクリスマスのムードだった。

映画を見に行く日は、終業式(12月24日)のあとなので、

このムードは歳末大売り出しになっていることが予想された。

 
 どんな話題が適当なのか。

彼女にだけ話しかけるのか、彼女たちに話しかけるのか、全員に話しかけるのかで話題は変わる。

進路や勉強のことを話題にすると、「そんなことしか考えていないのか」と思われる気がした。

テレビの話をすると、「軟派やなぁ」と思われる気がした。


 当時、僕はギターに夢中だった。

「東京音楽アカデミー」というところがやる通信教育を受けていて、僕とKは熱心に練習していた。

おそらく、学校の同学年では僕たちが1,2位を争うギターの名手だと自負していた。

(実際は、それほどでもなかったと思います。)

「彼女の前で、ギターを弾く機会が有れば・・・」と、常々思っていた。

「ギターならO君にも負けるまい。」

「そうだ、音楽の方に話題を持って行ってはどうだろうか。」などとも考えたが、

「気取っている」と思われそうな気もした。

「タイガースの『花の首飾り』のイントロを弾いたら、『かっこいい』と思われんだろうか」

「『アルハンブラ宮殿の思い出』ぐらい弾いたら、びっくりされるかも知れん」などと、

あれこれ考えたが、よい知恵は浮かばなかった。


 いよいよ、集団デートの日がやってきた。

予想通り、市で一番の繁華街の電停近所で待ち合わせることになった。

家には「KとYと映画を見に行ってくる」と言って、家を出た。

KとYと待ち合わせて電車に乗って、かなり早めに待ち合わせの場所に行った。

当然、彼女たちはまだ来ていなかった。

電車が来るたびに、彼女たちが降りてこないかとどきどきしながら、何本かの電車をやり過ごした。

電車に視線を送る僕たちの後ろから、「おはよう。」と彼女たちが声をかけてきた。

びっくりした。

彼女たちは彼女たちで、どこかで待ち合わせをして、一緒に来たようだ。

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