あらかん青春日記

癌闘病後、体力回復に向けて、マラソンを始めました。平成23年3月12日より1km走るごとに10円貯金をして東北に送る事にしました

癌闘病4退院後マラソン

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闘病の末にたどり着いた、体力増進日記です。
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 号砲が鳴った。

すごい数のランナーたちが、泥を跳ね上げながら霧雨煙る上り坂を駆け上がっていった。

僕も一気に3km走りきってやろうと、猛ダッシュをかけた。

すぐに、かっこいい女性ランナーに追い抜かれた。

いかにも経験者という出で立ちをしたその女性ランナーに、

ペース配分を任せるようについて行くことにした。

始めの500mのところで時計を見ると2分だったので、

「これはいける。」と言う気持ちと「いかん、速すぎる」という気持ちが脳裏をよぎった。


 1000mを過ぎた頃、僕たちよりも一分遅れでスタートした中学生高校生に追いつかれ、

どんどん追い越された。

「昔は、あれに近い速さで走っていたのだろうか。」と驚きながら、彼らの背中を見送った。

ペースメーカーにしていた女性ランナーも、彼らに引っ張られるように前の方に行ってしまった。


 アップダウンのきつさは、驚くほど心臓と足にダメージを与えた。

それでも2000mの所では8分30秒を切っていたので

「12分台が出るかも知れない」と言う希望を持って走ることができた。


 心臓はばくばく。


 下りに入っていたので、ゴールは近いはずと思うが、

霧のために景色がよくわからず、手探り状態の走り。

ランナーにねぎらいのことばをかける放送が聞こえ始めた。ゴールが近いのだ。

どう走ったかわからないほど、最後のムチを入れて走った。

終わってみれば平均キロ4分25秒ペース。

12分台の夢は叶わなかったが、50代の部で44名中1ケタ順位だったので、とても嬉しかった。



 「平坦なコースなら、12分台だったかも知れない。」と、ママさんランナーにおおぼらを吹くと

笑われてしまった。


 少し、走ることに手応えを感じた。

「4月の10kmは45分を切れないだろうか・・・。」夢が広がった。

 ランニングを始めて1年ちょいなのに、 ハーフ完走を完走。

しかも、10km走よりも楽に楽しく走れた感じがしたので、

長い距離を走ることに対して「そこそこに完走できる。」という自信を持ちました。

このシーズンのレースは、あと3つエントリーをしていました。

  カルスト地形の高原を走る3月末の3kmクロスカントリー、

  ダムの周りを走る4月上旬の10kmレース、

  広い公園をたすきでつないで走る5月中旬の2km×20人+2.195kmのリレーマラソン

です。


 ハーフをキロ5分20秒ペースで走ることができたので、

3kmのクロスカントリーは、ダッシュでもいけそうな気がしました。

どんなコースかも知らないのに、キロ4分30秒ペースを目標としました。



 当日、雨と風の悪いコンディションのなか、暗いうちに目を覚まし、

会場まで車を飛ばして出かけました。

「中止になったら、どうしよう。」と言う不安を抱えるぐらいのコンディションでした。

一緒に出場したママさんランナーも、旦那さんの運転でやってきました。


 

 距離の短い順に男女混合で、レースは進められました。

年齢層の高い順からのスタートです。

僕たちは比較的はやいスタートのグループに並ばされました。


 号砲がなった。

いよいよ初ハーフ

 ハーフという未知の距離はプレッシャーがありました。

それでも、10kmを走りきったという実績が(300m足りなかったのですが)

小さな自信をもたらせていました。

その頃、キロ5分で5kmを目安にした練習を主にしていましたので、

「単純に、106分でいけんかなぁ」と、タカをくくっていました。

練習日誌を見ると、10km52〜55分かかることが多かったです。

(今考えると、僕にしては結構速買ったことになります。

最近、どんなに頑張っても10km55分以上かかりますので)



 当日は、音楽を聴きながら、2kmほどアップをしたあと、

思いのほかリラックスしてスタートラインに立つことができました。

3月というのに、半袖で十分な陽気でした。

前回の雪の10kmレースとは大違いでした。

号砲が鳴って、数分間はよちよち歩きのような速さでした。

最初の1kmが7分ちょいぐらいかかりました。

「何のダメージもない。ここから20kmレースと考えた方が良いな。」と、頭を切り換えました。

集団がばらけて、自分のペースで、菜の花咲き乱れる河川敷を走るのは気持ちのよいものでした。

給水所も、10kmレースに比べて、何か「本格的」なものを感じさせ、

オリンピックか何かを走っているような気分を味わいました。

まもなく折り返しという7〜8km過ぎぐらいのところで、

すでに折り返してきたトップ集団とすれ違いました。

こちらは「10kmレースならもうすぐゴールなのに、まだ半分も行っていない。」などと

後ろ向きなことを考えてうんざりしかかっていたところだったので、

そのトップ集団は力強い速さで走りすぎていったので驚きました。

力強いランナー達とすれ違いながら、自分もやっと折り返し地点に到達しました。

時計を見ると50分を切っていたのでびっくりしました。

「こ、こ、これは、はじめのロスがなければ・・・」と、

急にアドレナリンが出てくる思いでした。

そのまま、しばらくはキロ5分ぐらいを維持していきましたが、

15kmぐらいから、左膝が少しずつ痛み始めました。

そこから急にスピードが落ち、キロ6分前後でゴールまで走りました。

最後の300mほどがだらだら上り坂で地獄の思いでしたが、

それでも、テープを切ったときには、生まれて初めての距離の走破に、

今までにない達成感を味わいました。

記録は1時間50分を切るものでした。

このときは、それほどの感激もなく「な〜んだ、キロ5分半もかかったんだ。」と思いました。

しかし、今思えば、もう一度この時間で走れと言われてもおそらく無理だろうなと思う記録です。

たまたま流れに身を任せたことが、偶然自分の実力を最大に引き出せたことになったようです。



このときの僕は、初心者の怖いもの知らずで、「次は1時間40分切り」と考えてしまいました。

(これがいけなかった。オーバーワークを呼び、脹ら脛に爆弾を抱える原因を作っていきました。)



 優勝者は、ランニング公園でよく見かける人でした。

おそらく20代後半か30代前半の人ですが、月に300〜500kmぐらい走るそうです。

「自分も、そのぐらい時間が取れたらなぁ。」とうらやましく思いました。



 帰りは、さすがに足が痛くて運転がしにくく、女房に運転を代わってもらいました。

心は、1週間後のクロスカントリーに飛んでいました。

「3km。全力疾走、キロ4分で行けるんやなかろうか。」あらぬ事を考え始めていました。


 女房から、「あなた、お酒をやめてランニングに夢中になるのは良いけれど、

自分が癌の手術をしたことと、狭窄の治療中であることを忘れないでよ!」と、釘を刺されました。

「それもそうだと思い」いつの日だったか、お医者様にマラソンのことを尋ねたところ

「酒、たばこは絶対にいけないが、激しいスポーツはかまいませんよ。」と言われました。


 それから1週間、クロスカントリーに向けて、3000m走ばかりをしました。

(1日1本ですが・・・)

ハーフに向けて

ハーフに出るというのは、大きなプレッシャーでした。

1日に、3000m走ったら。「今日は長い距離を走った」という

感覚の練習しかしていませんでしたので、距離に対する不安があったのです。

それでも、「6kmも走れたし、300m短かったけど、10kmレースも完走できたし、

何とかなるだろう」と考えることにしました。

週に一度は、10km走を行うように心がけました。

1周が1600mのランニング公園を主なトレーニング場にしました。

6周と400mです。

最近こそ、この6周と400mは、さほど苦にもなりませんが、

当時はものすごい覚悟で走り始めていました。

いつも5周ぐらいで「切りが良いからやめとくか!」の誘惑が襲ってきていました。

そしていつも、その誘惑に負けました。(笑)


この頃から、

「少し、着るものにもカッコつけてみよう。そうしたら、恥ずかしくてテレテレ走られんやろう」と

思うようになりました。



 職場の、ママさんランナーから

「ついでに3月下旬のクロスカントリーも申し込んでおきました。」と言われました。

3kmだけど、山岳コースでかなりヘビーなものとのこと。


こうなると、どうせなら、出られるものは、何でも出てやれ、と言う気になり、

ランニング雑誌の「制限時間無し」「日帰り」レースを捜すようになりました。

病気のの始まりだったのかも知れません(笑)。

初の10kmレース

 初の10kmレースは雪の中で行われました。

数日前から雪の日が続きました。

「雪で中止になることなど無いよな。」と思って、雪の中も練習しましたが、

3km走るのが精一杯でした。「僕は、6kmレースを、キロ5分切りで走ったんだ。

キロ、5分30秒で行けば55分になるはず。10キロ、もたんやろうか。」と、

自分に言い聞かせていました。


 ママさんランナーの知り合いの男子高校生も1名が出場することになりました。


 前日、雪がシンシンと降り、道路にもつもり始めました。

「明日は、会場まで行けるだろうかと不安に思いながら荷物を準備していると、

受付の時に渡さねばならないはがきが見あたらないことに気づきました。

僕の分だけではなく、高校生、ママさんランナーの分まで預かっていたのですが、

それらがなかったのです。

ふと、職場の机の中に大事に入れたことを思い出しました。

時計を見ると、午後11時を廻っていました。大急ぎで守衛さんに電話をし、事情を説明すると、

「どうぞお越し下さい。チェーン巻かなくてだいじょうぶですか?」と言う返事をもらいました。

最初の勤務地が雪の深いところだったので、雪道の運転には、少し覚えがありました。

結局、そのはがきを取りに行って、床についたのは午前2時を廻っていました。

 翌朝は、心配だったので5時に起きて、会場に向かいました。

寝不足の、最悪のコンディションでした。

「とにかく、完走して、記録証をもらってこよう。」という目標を持って会場に行きました。

ママさんランナーと、高校生は最寄りの駅まで列車で来ることになっていて、

彼女たちを私が拾いました。


 会場の芝生公園に、キャンプ用のドームテントを設営し、それぞれ交代で着替えをすませました。

 雪の中、2kmほどのアップをして、スタート順眼を待ちました。

短い距離からレースが行われ、10kmの部は、お昼近い時間のスタートになりました。

号砲が鳴ると、周りの勢いに流され、ペースも何もあったものではありませんでした。

よくテレビで見るような給水をしようと、走りながら飲んでみました。

ほとんどがこぼれ、わずかに口に入ったものは気管に入り、とんでもないことになりました。

5kmを通過の頃、「この前のレースなら、もうすぐゴールなのに、まだ半分か?」

とうんざりしました。

スタミナ切れで、胃袋はひっくり返るような思いでした。

「とにかく、前の人について行こう」と、必死でした。

ゴールしたら、雪が残っている芝生の上にひっくり返ってしまいました。

  47分台でした。

 できすぎのタイムに驚いていると、場内に放送が入りました。

「本日は、コースの都合で300m短い距離になっております。」と。

くたばった状態で、あと300m走るのに3〜4分はかかりそうでした。

幻の40分台と言うことになります。

(記録証そのものは47分台でかっこいいのですが・・・笑)

 ちょっとケチのついた10kmレースになりましたが、

ノンストップでこの距離を走り通したことに対して、大きな自信が生まれました。

 ママさんランナーは、「あと少しで1時間が切れたのに」と悔しがっていました。

放送に気づかなかったようなので、黙っておくことにしました。高校生はさすがに30分台でした。



 家に帰ると、女房、娘達からとても驚かれながら「すごい」と褒められて嬉しかったです。

 翌日、職場に行くとママさんランナーから「3月の菜の花マラソンに行きませんか?」と言われました。

これまた、2kmの部からハーフまで、たくさんの種目がありました。

僕は、きちんと10kmの記録を計ってみたかったのですが、

例によって、「同じ金額だからハーフにしましょうよ」と言われました。

タイム制限がないようなので、不安に思いましたが、任せました。

女房に言うとびっくりされました。

「貴方、毎月、カメラ飲みながら、食道の精密検査を受けていることをわすれないでね。」

と言われました。


 自分が、すこしずつ、ランニングの世界に引き込まれ始めているのを感じました。

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