あらかん青春日記

癌闘病後、体力回復に向けて、マラソンを始めました。平成23年3月12日より1km走るごとに10円貯金をして東北に送る事にしました

バイパス手術体験記

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手術前の説明

回想 手術の説明
  手術の説明を受ける日がやってきました。女房と二人で聞けばよかろうと思い、子どもたちには職場を早引きする必要はないと告げました。研修医の方が同席し、4人のお医者さんから別々に説明を受けました。
1. 手足から血管を抜く手術の説明がありました。血管の位置の確認をしたあと、まれに起こるかもしれない後遺症についての説明を受けました。手足には、血管の位置にマジックで線を入れられました。
 
2. 血管移植についてまたもや、こまかな手順を説明され、想定される事故等や対処法の説明を受けました。医師、看護師を合わせて何十人かで細心の注意を払って行うことや、全員がこの手術の専門家であることなども合わせて説明を受けました。心配してもしなくても僕にできることは何もないので、すべてをいい方向に結び付けて解釈しようと努めました。しかし、一方で「今、『やめます。』と云えば確実に手術のリスクからは逃げられるなぁ。」と思ったのも事実でした。「心臓は基本的に動かしながら手術をするが、肺は止めて、人工肺で行う。」と云われた時は、びっくりしました。思わず「動いている心臓の表面にある動脈に、緻密な手術作業は、難しくありませんか?」と、聞いても仕方のないことを聴いてしまいました。先生にとっては想定内の質問だったようで丁寧に説明をしてくれました。「状況によっては止めて手術をすることもある。」というような含みがありました。心臓の動きを止めて手術をすると脳梗塞を起こす危険性が高くなるとのことでした。脳梗塞とはよく聞く言葉ですが、実際にどのようなものなのかは認識しておらず、僕には、言葉だけが通り過ぎる感じでした。
3.   次に、胸を開く話がありました。胸骨に電気鋸を入れて割っていき、肋骨の弾力の許す範囲で左右に押し広げ、つっかえ棒を渡すというような話でした。想像もつかない話なので質問の気力もわいてきませんでした。肋骨の骨折、ひびの可能性の話があったようですが、心に留めるゆとりはありませんでした。此の時に、輸血の話もありました。「ランニング効果と思われるが、ヘモグロビンの濃度が高いので輸血の可能性は低く、30%ぐらいです。」と云われました。「なるべくなら輸血はしないで行きたい。」ということで、その一長一短の説明がありました。「恐いのは、肝炎、梅毒、エイズの感染。」と言われてこれまたびっくりしました。「献血の時に十分に検査をするが、たまたまその時に潜伏期間だったものが極めて低い確率で検査をパスすることがある。」という話でした。これ等に感染すると、発病に20年ぐらいかかるそうです。「高齢なら、輸血した方が術後も回復が早いので輸血をするが、まだ若いのでなるべく、輸血をしないで頑張りたい。心肺機能とヘモグロビン濃度はこの手術に於いて、とても有利な状況です。」と伝えられました。
4.  つぎに、全身麻酔の手順とリスクについて説明を受けました。麻酔ガスを、手術の間中一定の濃度で吸わせるもののようでした。患者の眠りの深さを一定にしておくためとか。これも、麻酔が覚めないとか、覚めても後遺症が残るとか、いくつも例を挙げて説明を受けました。
 
 
 それぞれについて「説明を受け、承諾しました。」という署名を行いまし
た。
 
 どんどん外堀が埋められ、手術に追い込まれていく思いがしました。普通
は、前日にこれらの最終説明があり、あくる日にばたばたと手術となるので
すが、僕の場合、説明日は当初の予定通り629日に行われ、手術は2日延び
72日になったために、説明の状況を何度も反芻する時間があることにな
ってしまいました。臆病で気が小さい僕には、非常に憂鬱な2日間でした。
 
(日記より) 
 629
  術後の血管リハビリ用廊下75mを80周走ったところで、看護師さんが止めに来た。自分としては、ゆっくりのペースで、体の状況をよくして手術に臨もうとしてのことだったが「手術をしなくてはならない心臓だと云う事を忘れないように!」と、おこられた。これは、ナースステーションで話題になったようで、次々に看護師さんが病室に来て何度も怒られ、最後は主治医までもがやってきた。「手術が終わって完治するまで、我慢してください。」と、怒られた。
  お尻の皮膚がかぶれているようだが、床ずれらしい。テープを張ってもらった。
  手術の説明。何やら、いろいろな話があったが、話が大きすぎて、言葉だけが通り過ぎるような感じだった。ヘモグロビン濃度が15%を超えているので、手術には有利、心肺機能は問題なしとのこと。
 
 630
  本来なら本日が手術日。複雑な心境である。
 家庭菜園の野菜が、梅雨空の中、すごい勢いで実り始めたと写メが来る。
 
 一句  雨粒を はじいて実る 夏野菜
  
  本日より入浴の時に、全身をヨード液で洗うように言われた。消毒らしい。
 入眠剤を処方してもらった。
 
 71
  移植する血管の最終位置確認があった。昔は、皮膚を血管に沿って切り開いて取り出していたとか。いまは、引き抜くような感じなので、端と端にメスを入れるだけで、傷口は小さいらしい。
  割った胸骨はワイヤーで縛って接合するらしい。ワイヤーは一生胸に収まったまま。
  明日は、朝6時に入浴。最後のヨード液洗体。

手術日2日延期

 回想・・・いよいよ、再入院
  いままでの病院よりも大きな大学病院。大きな病院は家族的なムードがなくなるような先入観を持っていましたが、それは全く違いました。気さくな看護師さんたちが、実に細かく情報を繋いでくれ、患者にほとんどストレスを与えないように気を配っていることが十分に伝わってきました。
  病棟全員が血管外科手術の患者さんでした。
 
  6人部屋でしたが、僕が4人目の患者で、広く贅沢に使えそうな状況でした。私のベッドは一番奥の窓際でした。
部屋に入ってすぐ左の一人は、80前の人で、バイパス手術後の方でした。ずいぶん長いことICUにおられたそうで、やっと大部屋に出てきたばかりでした。胸のバストバンド(胸骨がつながるまで外から締め付けるためのコルセットのようなもの)が痛々しく思えた。トイレもベッド上に限られているご様子で、かなりしんどそうでした。「自分の2週間後ぐらいはあのような状況か?」と、覚悟を迫られる思いになりました。
  一番近くのベッドで反対側の窓際の患者さんの足にTATTOのようなものが見えたので、少し緊張しました。後で知ったのですが、翌日に足の動脈瘤・静脈瘤手術を控えており、お医者さんから静脈と動脈の位置を赤と青のマジックで細かく丁寧に描かれたものでした。
  部屋の入口の人は、70歳の方で、僕の前にバイパス手術をする予定の人でした。かつて、甲子園を目指し、予選を一人で投げ抜き、決勝戦で惜敗した経験をお持ちで、いまなお、年リンピックソフトボール県代表のスポーツマンでした。
 
  この病院は、談話室で食事をとることもできました。ベッド回りを散らかしたくないので、そちらを選ぶと、手術前の3人ともがそちらを選んでおり、自然にいろいろなことを話すようになりました。この会話、この関係はとてもありがたいものでした。
  僕の担当医は、僕の胸骨に電気鋸を入れる先生でした。何人もがチームを組んで僕の手術をしてくださることが、だんだん実感として伝わってきました。
 
  担当医から、僕の後から手術をする予定の人の容態が変わったので、僕の手術日が一回分(2日)ずれると云う話がありました。自分の頭の中で組み立てていた心づもりが崩され、少し戸惑いました。「2日寿命が延びたか。」と云う気持ちと、「生殺し状態が2日延びるのか?」という気持ちが錯綜しました。
 
 6月24日(木)
  設備・看護体制の充実した病院である。病棟、ほとんどが心臓手術の患者。年輩が多い。食事はおいしいが、6g塩分制限を配慮している味付けかと疑うほど辛く感じる。
  同室の3人の方は、まるで親友のような気がする。同じ環境下、同じ目的に立ち向かう者同士だからか。
 625日(金)
  サッカー、デンマーク戦に勝つ。
  血液検査のやり方、病院によって違う。いままでの病院は針を入れるまでがゴムバンドで、針が血管に入ったらゴムバンドを緩めていたが、ここは最後まで閉めっぱなしである。
  同じ窓際の方の手術日。2時間ほどで部屋に戻ってきたが、全身麻酔のため、話はできなかった。夕方、全身麻酔の様子、人工肺の様子の話を聞かせてもらった。
   626日(土)
  新しい部屋の人は、癌、糖尿、脳梗塞、胃潰瘍等、いくつか病気を抱える人たちばかりだった。食道がんキャリアで、これからバイパス手術と云うと、みんなが仲間意識を持ってくれたのが面白かった。
  不在者投票のため、外泊許可をもらう。絶対に外泊は認めないらしいが、手術日延期と云うこともあって、許可が出た模様。ラッキー。バストバンド購入。夕食はステーキを焼いてくれた。本来あるはずのない、手術前の妻の手料理。ことのほか美味しかった。
 627日(日)
  先日蒔いたささげインゲンの芽が出て、順調に成長。杖を立ててやった。
 不在者投票を済ませて病院に戻ると、職場の仲間が見舞いに来てくれた。テニスの達人で、最近はランニングをしている模様。
 628日(月)
  腰痛と足のしびれについて相談すると、すぐに専門医の診察を受ける手はずを取ってくれた。さすが大学病院。結局異常なし。25年近く付き合っている湿疹も診てもらったが、いままでどおり、気長に薬を塗るしかないとのこと。
  元高校球児手術。8時に手術室に入って14時に終了したとのこと。ご家族のかたから手術がうまくいった話を聞いて嬉しかった。

自宅待機

順番待ち 自宅待機の1週間
  自分としては病人である自覚もないし元気でしたが、医者から安静を命じられました。入院までの間、自宅待機ですので、治療もなく、一日4回薬を飲むのと、肺機能を鍛える器具を使っての訓練があるだけの中途半端な日々を過ごしました。
 
   退院が、早くて8月上旬の様ですので、ゆっくり庭の整備をすることにしました。この1週間は、元気な体を持て余す日々でした。途中で、職場に出向き、上司に病状報告と主治医による治療計画書提出を行いました。上司から、「職場のことは一切心配せずに、治療に専念するように。」という言葉をもらいました。
 
  自分としても、「ちょっと大きな手術を受けるんだなぁ。恐いなぁ。」という気持ちと、「赤ちゃんだって、もっと厄介な心臓手術を受けている例はいくらでもある。」という気持ちが交互に現れていました。
お子さんが、小さいときから何度も心臓の手術をしたという知人から、「バイパスの手術なら、心配いりませんよ。」という励ましの言葉をもらいました。また、別の人からは「手術そのものは大きなものだけど、とげを抜くようなものぐらい。」という荒っぽい励ましもありました。
 
「手術経験者本人の言葉じゃないしなぁ。」という気持ちと、「構える必要はないんだ。」という気持ちが錯綜する日々でした。

執刀医との面接

心臓バイパス手術にむけて
6月15日
 心臓血管外科という、いままで聞いたこともない所を訪ねました。わたしは、一番乗りでした。待っている間に、年輩の患者さんと思しき人が夫婦連れで数組やってきました。予約の関係で、後からの患者さんが先に診察室に呼ばれました。術後の定期検診のようでした。「おかげさまで、夫婦で旅行に行けるまでになりました。」「次回は、来年です。」と云うような会話が聞こえてきました。私に勇気を与える会話でした。
 
 いよいよ私の番が来ました。すでに、前日まで入院していた病院のデータを見ながら、先生の話が始まりました。心臓の作り、血管の詰まり具合、いくつかの治療法について説明がありました。ここでも、治療法の選択を迫られました。此の時はすでに腹は決まっていましたので「先生に手術をしてもらえればと切に願います。」と云いました。その先生を訪ねて行っているのですから当然の答えなのですが、患者が選択するというある種儀式のような会話にも思えました。
 
 つぎに、バイパス手術についての説明がありました。
 
 手術そのものの概要
  胸骨を電動のこで割る(切る)。
  胸骨をあばらの弾性の限界まで広げて、中の心臓を出して手術する。
   心臓を止めてする手術と(オンポンプ)、
      動かしながらやる手術(オンポンプ)がある。
      オフポンプでやるつもりである。
      肺は止めて、人工肺を使う。
      手の動脈と、足の静脈を移植する。
      手術中の致死率はゼロではない。3%ぐらいという報告もあるが、
      当病院では、昨年度も今年度もゼロである。
   術後は、SICUに入ってもらい、その後、ナースステーション横の 個室に移動してもらう。いずれも面会可。
   さらに回復したら大部屋に移動してもらう。 
   術後、3週間で退院する人もいれば、何ケ月か入院する人もいる。
   3ケ月ぐらいで職場復帰する人もいる。
   此処は、本人次第になってくる。
 
僕の方から2つ質問をしました。
   Q1 血管はどのようにして、繋ぐのか?
         A1 普通の裁縫と同じように糸で縫う。
                     5倍のルーペのメガネを使って1ケ所当たり15分前後かかる。
   Q2 つなぎ目から漏れないのか?
   A2 接着剤でふさぐ。胸骨はワイヤーでつなぎ、
      皮膚はボンドでつなぐ。
           いずれも、使用し放しで、後からとったりしない。
           ワイヤは体に残るが、他は体に吸収される。
 
 
  先生から、障害者手帳申請の手続きを急ぐように言われました。ベッドの関係(手術待機者の関係)で、6月30日の手術に決まりました。1週間に3人のペースで、7番目ということになりました。但し、これから急患が飛び込んできたら、後に回されることも言われました。1日に一人の手術、翌日は外来患者の診察、週に3人が限界という話がありました。入院は手術日の1週間前にして、精密検査をするとのことでした。それまでの間は、家で体力をつけておくことと、安静にしておくように告げられました。
  穏やかな先生で、非常に安心感を与えるムードを醸し出していました。この先生に命を預けるんやなぁ、と思いながら先生の手を見ました。爪の手入れが行き届いた小さめのきれいな手に見えました。「昨日も、この手で一人の患者の手術をし、明日も一人の患者の手術をするんだな。」と思いました。よく言う「神の手」に見えました。
イメージ 1
  帰り際に、看護師さんから「手術後の回復のカギを握るのは、肺機能の強さです。」この機能を鍛える器具がありますのでそれを購入してください。」と言われた。肺活量4600あれば、器具は買わんでもよかろうとは思いましたが、言われたことはしておこうと、買いました。手術日まで毎日トレーニングをするように言われました。
 

  家に帰って、印鑑を取り役所に障害者手帳申請用紙をもらいに行きました。説明を聞いた後、その足で、入院していた病院に赴き書類をことづけてきました。
 
  何の不自由もなく生活できており、許されるのなら20km走ぐらいすぐにでも行けそうな気分でしたが、それを禁じられている自分の状況を不思議に思いました。「手術を受けた後は、なにもできなくなるんだろうか」「今の状態にまで体力は戻るんだろうか」などと不安からくる疑問が次々に湧いてきました。
 

病院選びの話

病院選びの話
 お医者様から、「手術する病院は、自分で決めてください。」と言われ、呆然としました。どこが、心臓血管バイパス手術ができるかもわからないこちらに下駄を預けられても困ると云うのが正直な気持ちでした。その旨を伝えると、女房が介護で通える範囲での病院が10近く紹介されました。どこも同じだと云うがそのようには思えませんでした。
食道がんの時に、僕と同じレベルと診断されながら、僕と違う病院に入院した知人は天国に行ってしまいました。心臓カテーテル手術を受けた親戚の人も天国に行ってしまいました。
 
 大学病院に勤務する医者の友人や知人に状況を説明して調べてもらいました。女房はインターネットや手術例と失敗例を掲載した雑誌で調べました。関東・関西に良い病院がありました。小倉にもすごい病院がありました。あれこれ絞っていくと、地元大学病院に心臓を止めないで手術するベテラン医師の存在に出くわしました。あれこれ調べると、その先生は、ほぼ2日に1回バイパス手術を執刀されており、昨年度も今年度も失敗例0%でした。そのことは、雑誌の中のデータでも確認できました。
 主治医に、こちらの調べた病院を伝えると、同じ系列の病院であることもあって、話がとんとん拍子に進みました。
 
この頃の日記抜粋
 6月2日
   検査入院終了で退院するはずだったが、再手術になってしまった。バイパス手術も視野に入れての話で、気が重い。
 
  6月3日
   バイパス手術に決まった。胸骨を割って心臓手術をする話にイメージがわかず、不安感、おそれのようなものだけが重くのしかかる。
   いまは、前向きに志をしっかり持つことが大切なことであり、そうすることが、妻や子どもを元気づけることになる。いまの自分にできるせい一杯のことであろう。
 
  6月4日
   ランニングの趣味が、心臓酷使によるこの病気の原因かと思ったが、それは逆の話だとの説明があった。ランニングで心肺を鍛えていなかったら、取り返しのつかないことになっていたとか。治療の一環として、今後もランニングは続けた方がよいことを告げられ、ほっとした。女房も、納得してくれた。
   血液検査、尿検査、肺活量検査。肺活量は4600mlで、年齢と比較して非常に驚かれ、「さすがランナー。」とほめられた。どんなことでも褒められることはうれしかった。
   手術の概要の話があった。心臓を止めての手術の話は、精神的に負担を感じる話だった。(実際は、心臓を動かしたままの手術でした。)
  
  6月5日
   手術のことをあれこれ考える一日だった。
 
6月6日
 気分転換に、一時帰宅。家庭菜園の世話をして病院に戻る。
 手術の話は恐ろしさを感じるが、逃げ場がない。
 
6月7日
 脳CT 異常なしと伝えられる。病院が決まった。心臓を動かしながら手術をしてくれる病院。動いている心臓の動脈をどう手術するのか、これはこれで疑問だらけの話だ。
 
6月8日
 腹部エコー動脈検査・・・高血圧・高コレステロールが原因となる乖離何とかの疑いがあるとのことだった。元楽天野村監督と同じ病気の疑いである。
 気分転換に、病院近くのショッピングモールに散歩。
 
6月9日
 この種の手術は、健康で体力のあるうちにした方がよいとのこと。冠状動脈の狭窄は90%を超えている場所が複数個所。75%の狭窄が危険水域だとか。ランニングのおかげで、現在があるらしい。ここ数年のストレスが原因とか。
 がん手術の時よりも落ち着いている自分がある。
 
6月10日
 すべてのCT,MRI検査、全くの異常なしの結論をもらった。万々歳である。手術の危険度について尋ねてみると、食道がん手術の方が危険だったらしい。手術そのものの大きさは、バイパス手術の方が大きいとか。観点が違い、比較しにくいらしい。
 早く切り開いてくれという心境である。
 
6月11日
 同じ病室の人たちから、「お宅とお医者さんの話を聞きよると、かなりやっかいな病気のようですね。お元気そうで、とても病気に見えないのに・・・」と言われた。
 
6月12日
 気分転換に外出。家庭菜園を眺めに行く。
 
6月13日
 いよいよ明日は退院。
 
6月14日
 退院。思いのほか長い入院になってしまった。明日は、手術をしてもらう病院に行って、執刀医との面接である。

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