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先に「尖閣諸島」について調べました。主にウイキペディアとそのリンクからの引用です。
長文でしたので、年表として纏めてみてみましょう。
●1534年、中国の福州から琉球の那覇に航した、明の皇帝の冊封使・陳侃(チン・カン)の『使琉球録』に尖閣の記載がある。 ●1562年刊の明の『籌海図編(ちゅうかいずへん)』巻一「沿海山沙図」に釣魚嶼、黄毛山、赤嶼など、尖閣諸島が描かれている。
しかし、巻四の中の「福建沿海総図」には、尖閣諸島は描かれていない。
●1863年に湖北巡撫の胡林翼が著した『皇朝中外一統輿図』の「大清一統輿図」(南七巻)には、釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼という中国名で尖閣諸島の島々が記述されている。 ●1885年以降日本政府は尖閣諸島現地調査を行 なう
古賀辰四郎が、1885年に初めて開拓申請を行ったが、内務卿・山県有朋は許可しようとしたが、外務卿・井上馨の、「清国を刺激するのはよくない」 という助言によって断念した ●1894年 7月 朝鮮を巡る対立から日清戦争が勃発。 ●1895年1月14日非公開の閣議決定を行なってわが国の領土に編入 。 ●1895年5月 日清戦争終結し、下関条約第2条で清国より台湾及び澎湖諸島を割譲受けた。 ●1895年に福岡県出身の実業家古賀辰四郎は、政府から尖閣諸島を無償貸与され、カツオ節工場やアホウドリの羽の加工場を設け、一時は280名あまりの島民が暮していた。
●1932年に政府は長男古賀善次に当時の価格で1万5千円で尖閣諸島を払い下げた。(現在の約2500万円、大正島を除く)
●第二次大戦中の1940年代前半に事業中止にともない無人となる。その後妻が所有し、1970年代に親交のあった埼玉県内の経営者に約4600万円で譲渡。
●1951年9月8日のサン・フランシスコ平和条約第2条で台湾及び澎湖諸島を放棄。
●1951年9月8日同第3条で南西諸島の一部として尖閣諸島はアメリカ合衆国の施政下に置かれた。 ●1953年1月8日付の中国共産党機関紙「人民日報」は、「琉球群島は、わが国台湾の東北および日本九州島の西南の間の海上に散在し、尖閣諸島、先島諸島、沖縄諸島、など7つの島嶼からなっている」と、「尖閣諸島」を日本領土に含めて紹介していた。
●1969年5月に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)は、公刊した報告書で、尖閣諸島のある東シナ海から黄海について、石油天然ガスの海底資源が豊かに存在する可能性を指摘した。
●1971年6月17日沖縄返還協定により尖閣諸島は我国に施政権が返還された。 ●1970年に台湾は尖閣諸島の領有を初めて主張し、1971年に入って主権声明を出した。 ●1971年12月30日中国政府は、外交部声明で領有権を公式に主張した。 ●2010年9月23日 日米外相会議で米国は「尖閣の領土紛争には関与しない」しかし、「安保条約は日本の施政下にある全ての地域に適用する」
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以上の様に年次別に列挙しますと、疑問点が二つ出て来ました。日本の対応が生ぬるい様に感じますが、どなたかご存知の方はお教え下さい。 1.外務省の基本見解では、「1885年以降政府が、
清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、
1895年1月14日現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって領土に編入することとした」
とありますが、
1885年から1895年1月迄の10年間に、当時の清国に対して領有関係について話し合いをしたのかどうか?
日清戦争終結の4ヶ月前の(非公開の)閣議決定だが、対外的にはどの様な公表をしたのか?
2.1969年5月に国連のECAFEが、尖閣諸島周辺に石油天然ガスの海底資源が豊かに存在する可能性を指摘した。
台湾は1970年に尖閣諸島の領有を主張し、71年に入って主権声明を出し、1971年12月30日中国政府は、外交部声明で領有権を公式に主張した。
1969年5月から1970年や1971年12月30日迄の間に、当時の琉球政府や1971年6月17日以降の日本政府は尖閣諸島をどの様に扱うと決めていたのか? 資源発見から中国の領有声明迄のほぼ2年間に、なぜ、何も行動しなかったのか?
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参考1)外務省の基本見解
尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行 ない、
単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、
1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入 することとしたものです。
1895年5月 発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれてい ません。 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放 棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。 ---------------------------
参考2)ベーダー国家安全保障会議アジア上級部長
1.米国は尖閣に対する日中の領土紛争に関与しない
2.安保条約は日本の施政下にある全ての地域に適用される
3.尖閣は1972年の沖縄返還以来、日本の施政下にある
従って、オバマ政権は
「日本の実効支配が終われば安保の適用範囲から除外する余地を残した」
東京新聞清水主幹は、以上の米国の声明に中国が静観したのは、「米中間で何らかの「黙約」が成立か?」
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領土・領海・国境
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凄い調査結果ですね、「大ポッチン」。 施政権が返還された地域と有っても、中国の性格上まだまだもめそうです。
2010/10/28(木) 午後 7:25
大ポッチン有難う!中国は早く大人になるべきですね。
2010/11/10(水) 午前 11:05