|
東白川村という『村』があります。
沖縄の方では、(あるいは他の地域でもそうかも知れないが) 「xxx村」という場合、「そん」と発音するようですが、私の出身の岐阜県では、「むら」と発音していました。横浜出身の家内と婚約した頃、私の出身の岐阜県加茂郡富加町は、まだ「富加村」(とみかむら)で、家内が「ムラなの? ワーッ、ギフのイナカッペ」とよくふざけたものでした。私の出身地は、その後暫くして町に昇格しましたが、同じ加茂郡にある東白川は、いまだに「村」です。もう少し、高山本線に近い白川町と、これまでに合併の話も会ったようですが、ウィキペディアによれば、
「1889年(明治22年)7月1日 町村制施行により'東白川村が成立以降、合併や分割は一度も行われていない」ということで、頑なに「ムラ」の自治体を守っています。
岐阜県で「白川」と言えば、「合掌造りの白川郷」が有名ですが、あれは大野郡白川村で、加茂郡白川町や、加茂郡東白川村とは別の場所です。私の出身の岐阜県立加茂高校は、当然この地方の生徒達も来ていましたから、私にもこの東白川村出身の同級生が何人かおります。高校一年の時、ここ出身の、すごい美人の同級生がいました。
しかし、私がここでこの村が思い出深いのは、ここに兄弟団東白川教会があったからです。そこに二木善之助という牧師夫妻が住んで、伝道をなさていました。兄弟団は、どうしてこんな保守的な岐阜県の田舎に、よそ者の二木先生を遣わしたのか、・・・私は、昔この先生と、それは幸いなお交わりがありました。・・・先生は、その理由を、多くはお語りになりませんでした。歌人であった、二木先生は、その厳しい伝道生活から、キラリと光る短歌を、数多く詠んでおられます。二木先生は、その後、大阪に赴任されていました。私は大阪におられた頃、兄弟団大阪教会をお訪ねしたことがあります。ただ、2006年に召された時、クリスチャン新聞によれば、東白川教会牧師となっていますから、晩年は、またあの東白川にもどられたのかしらと思います。
隣家の我手伝ひて植えし田に今日音もなく雨振りており
あの当時、ああいう田舎では、「私は牧師です。説教を聴きにきてください」という姿勢では、なかなか人はヨソ者牧師の話す説教を聴きに、礼拝には来なかったでしょう。それで、夫婦で、お隣さんの田植えを手伝いに行かれたそうです。何とか、とっかかりをつくるためでした。
福音のパンフレットを配りつつ山家歩けば身のほてりくる
こういう田舎では、トラクトを10枚配るのに、どれ位の労力が必要でしょう。長い石段を登っていかねばならない場合もあったでしょう。
白川の清流に洗礼受けんとす三人の主婦の浴衣地すがし
この先生の歌集『シャロンの野花』の(P.76)に出てくる、説明書きには、「加藤美代姉、安江かず姉、石神とみえ姉、洗礼を受ける」とあります。私は、この中の、加藤美代姉を個人的に知っています。この加藤さんは、その後、東白川村から越して来て、私たちの住んでいた、美濃加茂市に出てこられたからです。
やはりウィキペディアによれば、「慶応4年(1868年)の神仏分離令に始まる廃仏毀釈運動により仏教建造物の多くが破壊され、現在まで再建が行われなかったため、全国で唯一、域内に寺のない自治体として有名である。」ということです。 自分の出身地は町になったのですが、今から思うに、「むら」の方が、素朴な感じでよいと思います。 |
全体表示
[ リスト ]





