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( 角田三郎先生 )
私の家内は、横浜出身で高校は石川町にある横浜女学院という学校に行ったのですが、そこで出会った先生が、当時日本基督教団上大岡教会を開拓なさっていた、角田三郎先生です。
私達は東京の我々の教派の神学校で知り合いましたが、当時はお互いに21歳で、つまり家内がこの角田先生に、高校一年生の時に出あってから、5年しか経っていないので、記憶も鮮明なわけです。
16歳の少女の観察した目から、当時40ちょっと過ぎた頃の角田先生を言いますなら、「まるで後光が差しているような、清らかさ、敬虔さ、クリスチャンって素晴らしいなあ」ということだったようです。
先生は、いつも黒のダブルのスーツを着ておられたそうです。「あれしかないのだろうか」と家内は思っていたそうです。しかし、彼女の先生に対する尊敬は、深まることはあっても、薄まることはありませんでした。
何度、角田先生のことは聞かされたかわかりません。妻をここまで魅了した人格の角田三郎先生という方には、あの頃から非常に興味がありました。
これまでにお会いしたことがあるのは二回です。一回目はアメリカに発つ前です。二回目は、今から約10年位前でしたか、先生が新潟の敬和学園というところの寮長先生をなさっている時でした。
我々アッセンブリーは、どちらかと言うと、宣教、開拓という方面に特徴がありました。日本基督教団の先生に、開拓伝道を期待するのは無理と思っていました。しかし、この角田先生は、その伝道生涯は、殆ど貧しい開拓伝道の生涯でした。川崎で、成田で、そして上大岡で、開拓伝道をなさいました。丁度上大岡で開拓なさっている時、生活もありますので、横浜女学院に聖書を教えに来ておられたのです。
この先生の特徴は、ある程度教会の基礎が固まると、後進に委ねて、また新しい困難な場所に向かって行かれるということです。まるで、ペンテコステ派の伝道者のスピリットです。しかし、同時に深い学識にも支えられています。魅力的でした。
私達がアメリカに来てから、佐渡に渡られました。その話を聞いた時、「あのお歳になって、佐渡へ?」と思いました。当時、佐渡教会は、信徒が数人しかいなくて、会堂もすっかり荒れており、誰か行く人がいないかと、教団も苦慮していたようです。その話を聞いた、角田先生は、「ここに私がおります。私をお遣わしください」と名乗り上げられたと言います。
聖書の言葉を使うとカッコいいですが、現実は厳しいものでした。しかし、この先生は佐渡にわたり、それこそ自ら、建築作業員となって、この教会の建て興しのために励まれました。
そうして最後が、新潟敬和学園の寮長先生でした。私達が夫婦で新潟を訪問した時は、先生自らが、駅まで迎えに来て下さって恐縮しました。先生がたは丁度退職なさる時で、寮生たちが寄せ書きをしていました。その寄せ書きを読んで、この先生は生涯、本当に生徒達から慕われていた人だと思いました。
朝、寮生たちは早く起きて勉強する人達がいますが、それより早く起きて、ストーブに火をつけ、熱いお茶を振るまい、それは献身的でした。奥様の献身ぶりも素晴らしいものでしたし、お二人の仲の良さも、胸を打ちます。
家内と先生は親子の年齢差ですが、あの頃ですと、完全にオジイチャンと孫の年齢差です。それでも、「寮長先生ありがとう」の並んだ寄せ書きからは、いかにこの先生ご夫婦が、寮生に愛されていたかが感じ取れました。
現在、角田先生は、長野県で晩年を過ごしておられます。
「わが目は主の救いを見」「詩篇のこころ」といった聖書関係の著作だけでなく、「靖国と鎮魂」「新天皇系譜の研究」「神・仏・人」と言った、戦争体験をなさったことから、この方面の著作にも、目を見張るものがあります。
私達の福音派のサークルでは、「教会成長」ということが、しばしば言われ、日本の場合ですと、「200人以上の会員を持つ教会の牧師の集い」というようなものがあるそうです。
勿論全部が全部ではなく、そういう集いのメンバーの中にも、私のような少メンバーの教会の牧師とでもお付き合いしてくださる方もいますが、そういう集いに参加できる牧師は、特別な意識がある人が少なからずいるようです。ですから、「同じ位の会員を集めている教会の牧師としか付き合わない」と公言する、その種の『大教会』の牧師もいると聞きます。
角田三郎先生の歩みとは、なんと違うことでしょう。家内が、一番尊敬する牧師が、この角田三郎先生です。
学識、敬虔さ、思いやり、情け深さ、遜り、救霊に対する情熱、忍耐、みな教えられるところばかりです。
先日も、家内が長野に国際電話をかけて、消息を尋ねていました。
「賜物は、召しに従って、与えられます」と言うのが、先生の主張でした。家内は初めて先生に出会った時は、信仰者ではありませんでしたが、今は信仰者であるばかりか、伝道者になっていますから、話が、どこまでも進みます。
家内だけでなく私も、角田先生のような歩みを尊敬します。私の尊敬する伝道者像は、貧しくとも高潔です。
この偉大な先輩には遠く及びませんが、私もまた、一生懸命、角田先生のような生活に、キリストにある歩みを見出したいと思います。
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