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◆ 映画『阿修羅城の瞳』(2005年4月)が、もうじきDVD化されます。 この映画は、まさに「絢爛豪華」な異世界を華麗に描いております。滝田洋二郎監督の独自の世界観が投影されています。まさに、「粋な美しさ」を映像化したような、きらめく作品です。
ただし、後半部に登場する阿修羅の頭(宮澤りえさんの頭部だけのアップ)は、興ざめでしたが。まるで、頭部だけのボロブドゥールの巨大石仏みたいでしたから。横山大観の描いた『慈母観音像』みたいな感じで宮澤さんの全身像を大空のかなた遠くに ほんのり浮かしてくだされば完璧でしたのに…。
ともかく、冒頭の不夜街の祝祭的喧騒の色彩の鮮やかさとデザインの絶妙さ。「美しい」のひとことに尽きます。もちろん映像そのものも鮮やかなのですが、それ以上に主演の市川染五郎さん(歌舞伎役者)や宮澤りえさん(女優)の一挙手一投足も、実に洗練されていて、観る者を ひきこまずにはおられないほどの艶やかさです。市川さんと宮澤さんが初めて出会う場面や屋形船の場面など、ふるまい方が、実に凛とした叙情性があって(=粋)、ほんとうに しびれさせられました。
◆ それと、この映画では、最後のエンディングミュージックとして、何と、スティングのアレンジした「マイ・ファニー・バレンタイン」が流れたのです。しかも、ハービー・ハンコックとの共同作業で楽曲を演奏している最新録音です! スティングが、邦画とコラボレートしたのは初めてです! ぼくは、スティングの曲が大好きで、以前から いろいろと聴いてきましたが、今回のも極上の仕上がりで、感激しました。
スティングとは、「蜂のとげ」「刺すこと」「黄色と黒のストライプ」のことを意味します。スティングが音楽活動を始めたときに、いつも「黄色と黒のストライプのシャツ」を好んで着ていたことから、「まるで蜂のような色の服を着ている奴」みたいなニックネームがついたわけで、それが芸名になってしまったそうです。
最近は、宇多田ヒカルさんが米国デビューを飾った際に、「UTADA」という名前を活動名にしましたが、「単語ひとつ」をアーティスト名にするというパターンは意外と多いみたいです。ミュージシャンの「UA」(スワヒリ語の「花」「殺す」)さんとか女優の「小雪」さんとか、いろいろ そういう名前の付け方があるわけです。
スティングの自叙伝『Sting Broken Music』、という本もありますが、これがまた すごい! 邦訳版では、東本貢司が翻訳しています。邦訳版の装丁の重原隆さんには、日本装丁藝術賞をさしあげたいぐらいの衝撃的な装丁です! あまりにも「スティング!」って感じです。黄色と黒のストライプの世界が視覚的に具現化してしまっている。本の左下の角をつかんでブルブルと手を回転させてみてください、黄色の表紙と黒色の裏表紙が交互に入れ替わってハチさんのおなかの色になりますから。しかも、表紙には子ども時代のスティングの写真入りで、裏表紙には現在のスティングの肖像入りですから、ブルブル回しているうちに、子どものスティングが大人に成長したり、大人のステイングが童心に帰るように子どもになったり…しますから。 ←註;日本装丁藝術賞は、ぼくが勝手につくったネーミングの賞ですので、実在しません。
重原さんの装丁が いったいどのように衝撃的なのかは、どうか購入して確かめてみてください。おねがいします; ⇒★ スティング著(東本貢司訳)『スティング』PHP研究所、2005年。 どうぞ、買ってしまってください。巻末にスティングのディスコグラフフィーもついていますし。内容も、すばらしいのですから。教師になったスティングが挫折して、音楽家になるまでの波乱万丈の人生の旅を描いています。
そういえば、宇多田ヒカルさんは、インタビュー記事などで、スティングの楽曲からも影響を受けたということを語っていましたが、「UTADA」というネーミングにもその影響はおよんでいるのかもしれません。
◆ なんだか はげしく 脱線しました。『阿修羅城の瞳』は、もともと劇団☆新感線の看板作品でした。文化文政の江戸情緒をつづった名作舞台です。鬼の魔界と現実の江戸の街が交錯するという背景にもとに、「愛する人を愛すれば愛するほど阿修羅(鬼たちの頭領)にならざるをえない女性」と「鬼を征伐しつづけて生きつづけることでしか自分らしさを確立しておれない男性」が出会って恋におち、苦悩していく、というドラマです。女性は男性を愛しているのに憎まざるをえない、男性は女性を愛しているのに殺さざるをえない、…凄絶な世界です。「さかしまの天空に不落の城うかび、うつし世は魔界に還る」というテーマです。
大切に愛して距離が縮まれば縮まるほど、二人をひきさくエネルギーが烈しく爆裂する。ちょうど、磁石の同じ極同士が近寄れば反発運動が生じてしまうのに似ています。
映画では、最後は、全部 壊滅的に爆発してしまうんですけどね。男性が女性から刺されるのを覚悟で、女性をだきしめたときに、魔界が爆発して現実だけが後に残される(染五郎さん扮する男性は もともと江戸幕府の役人として鬼を殺す仕事をしていながらも、なぜか 阿修羅の転成した女性を愛してしまったので 最後の場面で相手の息の根をとめられない、最後まで愚かにも愛情をこめてだきしめてしまう;男性は最後まで女性を愛しつづけてしまうカッコよさを備えながらも、恋のゆえにすべてを棒にふるバカ者でもあるということです!;しかも、この阿修羅は輪廻転成する前は もともとは可愛い少女だったわけで、鬼の子どもと勘違いされて染五郎さん扮する鬼殺しの役人男性から斬り捨てられていたのですから、前世の因縁がめぐりめぐっているわけです)。桜の花が、のどかに咲いて、はらはらと散っている情景で終わるわけです。
つまり、江戸の歌舞伎作者の鶴屋南北がストーリーテラーとして語りながら映画のなかでも「目撃者」役を果たしているんですが、最後は、桜の樹の下で、さきほどの男女の物語を さらさらと筆で書いている場面で 静かに話が終わるわけです。小日向文世さんが おとぼけた感じの南北を演じていて、いい味をかもしだしていました。
魔界とか阿修羅とか、現実にはないものではありますが、ないともいいきれません。私たちの気持ちのもちようが現実を地獄にまでおとしめてしまうこともあるわけですから。小さな憎しみが形になってエスカレートしていくと、しまいには 戦争にまで発展してしまうわけですしね。女性は阿修羅のような烈しい愛情に突き動かされて人を呪いかねない状況にも陥ることもあるかもしれない。誰もが、鬼になる可能性がある。平凡な現実が、いきなり魔界になってしまうことだって、ないとはかぎらない。
そういうふうに考えていくと、結構 真に迫った作品であります。『阿修羅城の瞳』は。
絢爛豪華な江戸文化の色彩豊かな情景と歌舞伎のエンターテインメント性を活かしながらも、男女の織り成す現実の問題を深く追求する稀有なストーリー。
劇団☆新感線の演劇『阿修羅城の瞳』は、すでにDVD化されています。おもしろいことに、2000年、2003年と二回にわたってキャスティングを変えて上演しているんですが、毎回主役は市川染五郎さんであります。
ですから、今回の映画版も入れると、市川さんは三度めの『阿修羅城の瞳』で、すっかり堂に入った芝居を披露しています。他の役者さんでは『阿修羅城の瞳』の主役はできないんです!
いまや、『阿修羅城の瞳』は、市川さんしか、やっちゃいけない「十八番」(おはこ)の藝術表現となったのです。というのも、この作品が多くの方々の感動をひきよせることができたのも、ひとえに市川さんの演劇能力があったからにほかならないからです。
◆それから、映画『阿修羅城の瞳』の音楽を担当した作曲家の菅野よう子さんは、将来的に 作曲家の大島ミチルさんにも匹敵するほどの創作能力を発揮していくことでしょう。そういう予感がします。
◆10月公開の映画『蝉しぐれ』(藤沢周平原作、黒土三男監督、市川染五郎・木村佳乃主演)も楽しみです。
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早く粋な「阿修羅城の瞳」見たいっす!
2005/9/12(月) 午後 6:04 [ 船長 ]
おそらく10月頃にDVDが発売されると思います。映像の色彩が美しいです。デザインとしての映像表現という感じです。それと、市川染五郎さんと宮澤りえさんの動作が美しいです。染五郎さんは歌舞伎役者としての伝統あるわざを身に付けたうえで現代演劇にも挑戦しています。この映画は、染五郎さんにとって初の映画出演作ですしね。
2005/9/12(月) 午後 6:16 [ 阿部仲麻呂 ]
凄いですね。勉強になりました。染五郎良かったですよ。映像もなにもかも良かった。粋を楽しむ映画ですよね。私の記事はあまりにも内容薄いですがTBさせて下さい。
2005/9/13(火) 午前 7:44
★Yukiさん、コメントとTBありがとうございました! ★Yukiさんのブログは充実していて、読みやすく、いつも更新を楽しみにしています。 ★これからも どうぞよろしくおねがいします@(・ェ・)@
2005/9/13(火) 午後 6:19 [ 阿部仲麻呂 ]
トラックバック ありがとうございます。 コメントを寄せてくださった みなさんにも感謝しています。
2007/7/11(水) 午前 10:19 [ 阿部仲麻呂 ]
市川染五郎さんの歌舞伎の件で、トラックバックしてくださった のぞみの部屋の管理者さん どうもありがとうございます。
2007/7/13(金) 午前 8:41 [ 阿部仲麻呂 ]