|
私たちは「宗教」と「迷信」と「霊性」を混同している。
中世では「迷信」と「宗教」が混同され、火あぶりにされるとんでもない実害すらあった。 また霊性と宗教も混同されやすく、現代ではスピリチュアルという言葉を
オカルトか金儲けと結びつけ、うさん臭いと思っている人も多い。 ではこの三つはどう違うのだろう?
「迷信」とは合理的根拠はないのだが、社会生活を営むのに実害があり道徳に反するような知識をさす。もちろん、古くからの生活の知恵を含む迷信もあるが、それを聞く人はタブーをそのまま信じてしまう前に、そのタブーができた前提条件を正しく理解する必要がある。
さらに「宗教」は取り決めであり「霊性」は旅であるという違いがある。
宗教の「神に従えば天国へ行ける」という取り決めは明確で、私たちの行動を規範で統制する。
信者は偉大なる師の答えをそのまま受け入れる。 宗教は、この世の秩序を強固にしようとこころみる。 霊的な旅は逆に「答え」のような明確なものなどない。
「私は何者か?人生の意味は?善とは?」などの疑問から私たちを未知への行き先に向かわせる。
探求者は偉大なる師を超えて、どこへなりとも行くことを決心している。 霊性は宗教とは逆に、この世界から逃れようとするこころみで、孤独なこころみなのである。
じつは「対極は、ほんのわずかな距離しかない」ということだ。
もっとも有名なストーリーは、大天使ルシファーがいとも簡単に天から堕ちてサタンになったという例だろう。 現実に、偉大な師すら霊性から宗教へ堕ちてしまう。
孤独な歩みであったはずの霊性への道は、いつしか仲間を引き連れ、組織となり、典礼と戒律が生まれる。 霊性の高い書物を残した指導者でさえ、成功を手にして賞賛を受けるうちに、目的を逸脱してしまうのだ。
例えば、モハメッドのコーラン自体は、今でも高い霊性を保っているが、彼が剣を手にした瞬間高みから堕ちてしまった。
「アッラー、慈悲深き者」という名のもとに、今では彼の道は残虐性と憎悪に満ちている。
実際、昔から現在に至るまで、多くの有名なグルと呼ばれる指導者が、セックスや権力、お金に絡み取られ、その富を見せびらかし、不自然な戒律すら説くようになった。 このように霊性の旅は、油断すると宗教の権力へと変化してしまう。
スピリチュアルに興味があるものは、崖ぷちの道を慎重に進むしかない。 |

- >
- 芸術と人文
- >
- 文学
- >
- ノンフィクション、エッセイ




ルシファーはゴッドの側から見れば「堕ちた」のかもしれないが、ゴッドの支配による「規律」から逃れたのかもしれない。
ゴッドの支配する世界で、虐げられ滅ぼされる運命を待つしかなかった哀れなものたちの側に立つことを選んだのかもしれない。。
2018/12/20(木) 午後 0:48 [ MM21s ]
MM21sさん、わたしも、よく似たことを考えるときがあります。
そもそも、その「神」とは・・・なんですよね。
宗教の神であれば、宗教にとって都合の悪いものを、堕天使として、排斥・差別する・・・そんな気がしてなりません。
悪魔もそうです。
わたしたちは、長年にわたってかけられてきた魔法(洗脳)から、やっと目を覚まし始めているのかもしれません。
2018/12/21(金) 午前 2:07 [ ひろみ ]
> MM21sさん,ひろみさん。
まさに、その「神」こそが宗教で作りだされた神ですよね。
究極、神とは「場」であると感じます。
もう十数年まえに体験した何か。十全の喜びの場というか。
そこには規律も、いや、提案も言葉がけもなかった。
ただただ、本来あるべき「場」に戻ったのです。あの奇蹟の三か月から二度と起こりませんが、そういう「場」があることは知りました。
2018/12/21(金) 午前 10:05
転載させていただきます。
2018/12/22(土) 午前 0:48 [ 太郎 ]
> 都環 咲耶子(とわさくやこ)さん
>本来あるべき「場」
それって、愛の状態でしょうね!
わたしも、20年以上前のことですが、そういう至福の状態になったことがあります。
目に見えるもの、全てが生き生きと輝き、全て愛おしく、そのままでOKでした。
最近知ったのですが、マズローの欲求5段階説の上にある、「高原経験」だったのかもしれません。
マズローの欲求5段階説にはさらに上があった。人類が目指す自己超越とは TransTech Conferenceから
https://aishinbun.com/clm/20181212/1875/
人生を山登りによく喩えますが、やはりそうなんだなーと。。。
2018/12/22(土) 午前 4:51 [ ひろみ ]
ずいぶん昔に書いた記事だけど。
https://blogs.yahoo.co.jp/halihara/35073002.html
2018/12/22(土) 午後 11:42 [ MM21s ]
> 太郎さん
転載ありがとうございます。
2018/12/23(日) 午後 8:53
> ひろみさんマズローの欲求5段階説には、さらなる上があったとは!
面白い話でした。
「悟りに到達するのは難しいと思われていたが、特定の瞑想方法など自分に合う手法を見つけるのが難しいだけ。
自分にあった手法を見つけることができれば、比較的簡単にPNSEに到達できる」
↑
皆に体験してほしいですねえ。♪
2018/12/23(日) 午後 8:57
> MM21sさん
「ヒマラヤにハエ」というタイトルの記事ですか?
2018/12/23(日) 午後 8:58
> 都環 咲耶子(とわさくやこ)さん
わたしの感覚ですが・・・瞑想で体感できても、そのときだけで、幻想でしかないです。
やはり、日常生活の中で、一歩一歩、着実に学んで、成長していくしかないです。
ほんと、山登りと一緒です。
ヘリコプターで頂上に降り立つ
ケーブルにのって登る
車で登る
自転車で登る
歩いて登る
いろいろな方法がありますよね・・・
2018/12/23(日) 午後 9:17 [ ひろみ ]
あれ?
URL間違えたかな?
<ヒトは生まれた>というタイトルですが。。。
もう一度
https://blogs.yahoo.co.jp/halihara/35073002.html
2018/12/23(日) 午後 10:09 [ MM21s ]
興味深く意味深い記事ですね。
「答え」はあるのですが、それが正しく表現されていないことが、私の大きな悲しみです。
よろしければ、ブログを見てください。
https://blogs.yahoo.co.jp/mikotoba365/archive/2019/1/29
2019/1/29(火) 午後 10:38 [ 霊的世界 ]
> 霊的世界さん
こんにちは。そちらのブログを拝見させていただきました。
クリスチャンの教えは不勉強なもので、それについては何もコメントできませんが、イエスキリスト自身の言葉が長い年月を経るにいたって、権力者の都合の良いように変化、解釈されたことは確実でしょうね。身近なところでは、教会の聖職者個人の解釈も付け加わりますものね。
正しい表現にいたる道。どのような宗教も歴史を振り返ると見えないものが見えてくるのかもしれません。
2019/1/30(水) 午前 10:33
拝読。
勉強させていただき 感謝。
2019/3/28(木) 午後 11:42 [ ビグちゃん ]
> ビグちゃんさん
コメントありがとうございます。
また、いらしてくださいね。
2019/3/29(金) 午前 10:25