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単行本「片翼のイリス」都環 咲耶子著・本屋・アマゾン・直接取り寄せはゲストブックに来てね。他にもヤフオク、メルカリでもOK

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            刻々と変わる木々       撮影は咲耶子

子供が小学生の頃、新学期が始まるとPTA役員を決める集まりがあった。7〜8名のグループに分かれて、そのグループの中から一人役員を決める。
全員が拒否した。
このままでは解散出来ない。そこで断らねばならない理由を話すこととなった。私は長男側で役員にすでになっていたので、皆の話を黙って聞いていた。

「親の介護で」「自分は身体が弱く病気がちで」「借金を返すため働いている」「姑が酷い人で家事の手を抜くといじめられる」
などなど、それはそれぞれの不幸の告白する場のようになってしまった。

告白が終わった後の空気は、泣き出す人までいて、信じがたいほど重くなっていた。
そしてついに「私がやりますよ。辛いけど私がやれば皆さん助かる」と手を上げる人が現れた。

そのとき思ったのは「私たちは悲劇を武器にする」のだということだ。

この考えは今でも続いている。勤務先で同じことが何度もあった。
たぶん幸せは大きな声で語れば自慢になってしまうが、悲劇なら堂々と語れる。だれも非難しないし、誰もが同情してくれる。

もうひとつ悲劇には、罪悪感を薄める効果もある。
悲劇的なメロドラマは人々の感情に火を付ける。トランプは化学兵器で苦しむ幼子をメディアに登場させ、米国の攻撃を正当化した。
(そういえば、つい最近の食べ物を取れず脱水状態で死亡した難民の子はトランプは無視した)

弱い立場の子供や女性が苦しむ映像は人々に怒りの火を付ける。
確かに戦地の子供や女性を助けねばならないと叫ぶことは正しい。
だが、それを利用して偽善的満足を得るのも事実だ。
なぜなら隣人の子供の虐待や、上司の女性蔑視には無言なのだ。そんなすぐ近くの現実には、自分は関わりたくない。トラブルを避けたいと考える。

つまり日頃の潜在的罪悪感を、トランプ大統領の攻撃を賞賛することで、私たちはチャラにしたい。
自分にはまだ、正義や慈悲が残っていると確認するのだ。

おまけに見知らぬ人々への攻撃は、ひた隠しにされた残虐性をも満足させる。

これは頻繁に使われる手法で、幼児の亡骸と泣き叫ぶ母親は、正義と呼ぶものからも、悪と呼ばれるものからも利用されている。
化学兵器で殺された幼子の命は地球よりも重いわけだが、ミサイル攻撃で道連れになる幼子の命は「大義に犠牲はつきもの」と言われる。

「命は地球よりも重い」と言う反面、「大義のために死す」ことを賞賛するという矛盾によって、互いの赤ん坊の遺体を見せつけあい、さらなる
攻撃の正当化が行われる。

さらに驚くべきことだが、私たちは苦痛や悲劇から密かな快楽すら得る。
何故、私たちは危険な行為をスポーツと呼び熱狂するのか?
スカイダイビングや危険な登山で命を落とすのを何度も見ているはずなのに。
人はリスクを冒し、身体や命を危険にさらすことに快感と興奮を覚える。
それらを克服したかのような幻想は、
自らに特別な資質や価値を感じさせる。

「犠牲者のゲーム」とは何だろう?
疑問に思ったことはないだろうか?
 
なぜ人は命すら奪いかねない酷い場所から逃げ出さないのか?
ブラックな会社から、暴力を振るう相手から、いじめられる学校から。
なぜ、私たちは悲惨な洪水のあった地域に、水が引くとすぐに住み始めるのか?
火山地帯や地震断層の真上やハリケーンの通り道、崖の下やダムの下流に、悲劇が起こることを知っているにも関わらず家を建てるのか?

「犠牲」という言葉には強力な魔法がかかっている。



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