Picture This: F-18 Buzzes Detroit Apartment by David Axe
平和への解決策はある。だがそれは現在の人間の精神性では選択されない。
なぜなら私たちは「赦し」よりも「報復」がベストな選択だと考えているからだ。
ロシアの旅客機墜落、そしてフランスの同時多発テロと、過激派の犯行がエスカレートしている。
これらは明らかにISへのフランスとロシアが行った攻撃への報復行為だろう。そして次に報復するのはフランスでありロシアだ。
テロリストも国際社会も報復は正当だと確信しているし、報復とは軍事力しかありえないとも確信している。
説得より恐怖と抹殺こそベストな選択なのだ。
――「報復という正義」どちらの側もこの大義名分によって冷酷に相手を叩きのめす――
相手を二度と立ち上がれぬほど、たたきつぶさないと、報復に終わりはこない。
少しでも残党が残れば、そのものたちが「恨み」の意思を継ぐ。
ところがこの恨みは、飛び火する。一定の場所に塊となって存在しているわけではない。すでに癌はあちこちに転移している。
――国際社会はテロリストを封じ込めるというが、恨みをどこに封じ込めるというのか?――
内戦下のシリアでは人口の半分に当たる1100万人以上が家を追われ、うち470万人が海外に逃れた。
テロとイスラム教徒や移民社会を同一視するのは簡単で、それらは安易に結びつけられるだろう。そして根深い偏見と差別が生まれる。
彼らは異国で偏見の目に迎えられ、異国の冷淡さは彼らに疎外感と憎しみを植え付ける。そこに過激な思想が甘い言葉をささやく。
「そこにおまえの居場所はない。だがISはいつでも歓迎する」と。
――武力は思想を抹殺出来ないという現実――
思想の元とは情動的なエネルギーであり、怒りは情動の最もたるものだ。怒りは選別思想を過激化させ、多大な憎しみのエネルギーを生み出す。
相手を殺せば殺すほど、互いが互の憎しみの炎にマキをくべるわけだ。
普通の市民である私たちに置き換えてみたい。
あなたの愛するものが殺人犯に殺された。あなたは犯人を深く憎み、自分のなかに殺意というエネルギーが湧くのを感じるだろう。
もしもこの国に「法」が無く、逆に「武器」のある状況にあれば、あなたは迷わず武器を取り、殺人犯に報復するだろう。
そして今、世界は集団的報復の怒りに駆られている。正義という名の無法地帯である。しかも武器は溢れかえるほど手に入る。
武器は合法的に作られ、世界中の報復者にこれでもかとばらまかれている。
――フランス市民が武器を所持していれば、「事態は違っていたかもしれない」とトランプ氏が発言――
「武器こそが報復力」だと思う指導者は多い。すき放題に銃を乱射する犯人に、市民も銃で応酬出来るとうわけだ。素人が撃つ流れ弾のことは仕方ない。さらに死者が増えても少なくとも犯人にお礼をしてやれるかもしれない。
私たちは武器をテロの解決策の万能薬と思っている。
あなたが武器を手にするとき連鎖が起きる。
身内を殺した殺人犯にズドンと一発お見舞い出来る。そしてそのあなたが殺した殺人犯の身内が怒り狂ってあなたやその身内に銃を向ける。
突き詰めれば、すべては報復である。
テロリストは「さあかかってこい!いつでも相手になってやる!」と叫んでいる。報復するために報復を心待ちにしている。
さらに突き詰めれば暴力はカタルシスであり、抱え込んだ不満のエネルギーが開放を望んでいるのだ。
戦いオンラインゲームはすでに現実に移行しているのだ。
―129人のテロ犠牲者は多いのか? 人の命の価値と人数の捉え方―
収束の兆しが見えないシリアの内戦は二十数万もの死者と、数百万の難民や避難民をだしている。
たぶん無力な赤ん坊も数多く死んでいるだろう。
これがパリという場所でたった一人でも赤ん坊が犠牲になっていたら、私たちはその相手の残酷さに失神するだろう。
命の価値は場所によってまったく違うのだ。
――国際社会がISを許さないというときの「国際社会」という言葉の曖昧さ――
地球には現在196の国がある。ISと戦っているのは何カ国だろう? ISを密かに支援している国は何カ国だろう?
ISという組織に属さない別のテロが起こっている国は何カ国だろう?
本当にISがこの地球で村八分になっていると言えるのだろうか? 彼らは世界中に資金源を持ち武器や人材が豊富に流れ込む。
武器と暴力が統率の手段ならば、それはヤクザ国家と呼ばれるだろう。
だが事実は敵対相手がそう罵るだけだ。味方ならこう呼ぶのだ。警察国家と。
どことどこが戦っているのか? 善と悪ではなく、暴力と非暴力ではなく、利益と不利益が戦っている。
――オランド仏大統領は非常事態を宣言し、国境を閉鎖した。本当に敵は外だけにあるのか?――
人種のるつぼと呼ばれるフランスでは、アラブ系移民の子孫だけでも36%、国の内部からも不満分子は生まれるだろう。
不満はどこから生まれてくるのか? 差別と偏見、将来への絶望からだ。
疎外されれば人は周りの人々を敵とみなす。そして敵とは排除すべきもののことだ。
――この世界に平和は訪れるのだろうか?――
もちろん訪れる。それは力にすべて統率されたときかもしれないし、危険思想が絶滅したときかもしれない。
人類がほとんど絶滅したときかもしれない。
または暴力をとことん嫌悪するときかもしれない。いずれにせよ、終わりがあり、それには徹底した痛みを伴う。
痛みは数十年だけかもしれないし、何世代もかかるかもしれない。
とはいえ、平和な時代の子孫たちは「暴力万能時代」の歴史を学ぶとき、夢物語のように感じるだろう。