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少し生真面目に

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                              珍しい白い彼岸花          撮影は咲耶子

そこに行くたびに思うことがある。
どうして死ななければならなかったのか?
その方は答えてくれない。

積極的で豪快な性格。尊敬される人格と才能で、とんとん拍子に出世したエリート。
だが「やられる前にやる」と常に口にするような攻撃型の人間。

そんな人間が自殺をした。
死にたいと周囲にもらしてもいない。そんな素振りもない。
それでも自殺した。唐突で周囲は戸惑った。

世間には自殺か他殺かわからないものがある。
これもその中のひとつなのかもしれない。

他殺と疑うにはそれなりの理由がある。
その環境が大きい。リスクの伴う仕事というものがある。
たとえば記者などは、藪に入ってハチの巣をつつくような仕事だ。
他にも政界の秘書など重要な秘密に従事する仕事もある。
その方の仕事も口に出来ないことだらけの仕事だった。

なぜ練炭自殺なのか?
練炭とガムテープ、酒、薬はいつ用意したのか? 
車で出ていったのは真夜中で途中で買うことは不可能だ。
前もって奥さんも使うファミリーカーに積んでおけば、家族は不振に思うだろう。

なぜ普段、焼酎党の人間が、好みでもない洋酒を車内にぶちまけたのか?
なぜ普段、支給される薬の銘柄と違う頭痛薬がばらまかれていたのか?
人は普段馴染みのある銘柄の薬を買うものだ。

なぜ、家族への遺書がなかったのか?
なぜ、勤務先から呼び出されたと言って夜中に出かけたのか?
夜中に呼び出されるような緊急の部署には当時いなかったのにだ。

なぜ、幼い子供たちを残して死ねたのか?
子供たちはまだ幼く、これからお金がかかるだろうし、親として将来も楽しみなものだ。

もちろん自殺だったと考えられる事実もある。
たったひとつ、腑に落ちることがあるのだ。

数年前にその場所で兄弟が自殺していること。
ただ、それは自分もまた死ぬ理由にはならない。
とはいえ、この事実が自殺と他殺の比率を五分五分にしている。
つまり数々の疑問があるにも関わらず、このひとつの事実が
大きな比重を占めてしまうのだ。

当時、三歳と五歳の子供たちは、一番かわいい盛りだ。
娘たちのバレンタインデーのプレゼントに相好を崩していたという。
子供らに、そのお返しをすることもなく、彼は家族のもとを去った。

忠誠なのか? 口封じなのか? 衝動なのか? 鬱なのか?
真実は彼にしかわからない。

周りには人影もなく、ただ静かに秋の風が吹いていた。
「死人に口なしだよね」
彼の可愛がっていた後輩がポツリとつぶやいた。


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撮影は昨夜子

五歳の少女が両親に殺された。
とても愛らしい少女だ。少女の書いた文章からも利発であることが伺える。
私がもう少し若かったら、もしくはもう少し裕福なら、ただちに引き取って育ててあげたかった。

そんな偽善的なと思うだろうか?
偽善ではなく、私自身が養女として育てられたからだ。

両親には実子がいたが、差別されることはなかった。
こんなことはアメリカでは当たり前だ。
白人がアフリカの子供、アジアの子供を育てている。

悲劇の視点は虐待した親や行政に向けられている。
解決方法は厳罰を与えろだ。

虐待されている子供たちには目が向けられない。
ただ養護院に行くだけだ。その後には、だれも関心を向けない。
ほんとうに目を向けられるべきは、虐待されている子供たちだ。

私の両親のように、素朴に愛情深い人々がいる。
とてもたくさんいるに違いない。
彼らにほんの少し、知識と行政の助けがあれば、子供たちを喜んで受け入れてくれるだろう。

愛とは血のつながりではない。愛とはただ与えるものだ。

私は両親をとても誇らしく思っている。皆が自分自身何が出来るか考えていけば子供たちの避難所は無限になるだろう。

女の子の冥福を祈ります。


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   撮影は咲耶子

二人の親子が遭難、ようやく発見されたが、死亡していたという。
これから登山の季節である。
皆さまの安全のために、以前取り上げた記事をもう一度載せたい。

以下はナショナルジオグラフィックのノンフェクションからの記事。
遭難の実態が書かれていて、大変ためになる。
 
『死の迷路からの帰還』R・ゴンザレス著より抜粋
 
ベテランの遭難救助の専門家のヒル教授は、自然に対して謙虚な気持ちを思い出すのに、ときおり一枚の写真を取り出して眺める。それは、山で遭難した一人の男性の写真である。「私は靴とズボン、ジャケットを脱ぎ、近くの岩の上に財布を載せて、松葉を心地よく敷き詰めた上に横たわって死んでいった男性の写真を持っている。写真に写った男性はとてもおだやかな顔をしていた。彼が死んでいるとは思えないぐらいだ。
J・リーチ教授は『サバイバルの心理』のなかでこう述べている。「精神が崩壊するまで達すると。その人間はたいてい、ほとんど死ぬ間際にある。生物学的原因によらずに、安らかにあるいは、突然死んでゆく能力が人間に備わっていることは、まぎれもない事実である」
実は遭難者で飢え死にする人はほとんどいないという。遭難死による四分の三は、道に迷ってから最初の四十八時間以内に死亡している。これは低体温症によるものである。人はパニックに襲われると、第三者の目からすると合理的とは思えない行動を取ってしまう。ありていにいうと、野山で死ぬ人間は皆、精神に混乱をきたして死んでゆくのだ。「ウッドショック」という専門用語がある。方位感覚の完全な喪失にともなう恐怖を表わす言葉である。この衝撃はほかに似たものがない。ほかのどんな恐怖とも、ほとんど類似点がない。道に迷ってしまうと、その人間がそれまで持っていた理性的能力はまったく役に立たなくなる。
捜索隊が遭難者を発見すると、不思議な光景を目にすることがある。バックパックを丸ごと捨ててしまうハイカーがいる。猟銃を手放してしまうハンターもいる。コンパスを粉々にしてしまうベテランハイカーもいる。さらに極端な例では素っ裸になって、死んでいる者もいたりするのだ。
では「道に迷う」とはどういうことだろうか?
 
体験者はモンタナ州の国立公園にあるホテルに滞在していた。
朝食前に行程三十分の散策コースを女性とともに散歩することにした。
ループ状の散策コースを景色に見とれて外れてしまった二人は、仕方なく湖への方角を示すサイン看板を頼りに原生林の中へ入る。分かれ道をいくつか過ぎ、
湖畔につく頃には雨が降り初めていた。

二人はギフトショップで購入した安物のポンチョをかぶるが、小雨はたちまち雹(ひょう)に変わり彼女の顔を見ると、
青い顔で歯をがちがちと言わせ生気を失っている。

地図もコンパスもなく、ホテルまで二時間かかる場所だった。
この事実は著者を愕然とさせる。
冷たい恐怖が心臓を凍らせる。大慌てで山道を降りるが分岐点に戻るとどちらから来たのか、わからなくなっていた。

二本の内の一本の道を選び、必死になって深い森を駆け抜け、別の湖にたどり着く。
まったく運よく、この日最後に運航されるという観光船が、接岸していて二人は助かった。

じつはあの時、もうひとつの道は原生林の奥深くへ続く道であり、あのあと嵐が二日も続いたのだった。
彼らはわずか数時間のあいだに、気楽なハイカーから、パニックに陥った遭難者になり、まったくの偶然から命拾いをしたのである。
 
人間は自分の方角を知っているという幻想を抱いているという。
人が地図を眺めて「あの湖は干上がってしまったに違いない」とか「あの巨石は撤去されたのだな」といった言葉を口にしたら、
その人は道に迷い始めたことを示している。

つまり実際に目にしている風景を受け入れず、自らの予測(心のなかのモデル)に現実を合わせようとしているからだ。
 
経験豊富な有能なハイカーですら、見当はずれな心のモデルと、目の前の尾根を結びつけようとする。
あの斜面を登れば、眼下に目標の湖が見えるはずだと、空腹を押し、体力を消耗し、必死になって急斜面を登る。

閉所恐怖の感覚から「逃れよう」として駆け出し、そして足をすくわれ滑落し大けがをするか、運が悪ければ死んでしまう。
大けがをし疲労や乾き、寒さのストレスに見舞われると、人は冷静に考えられなくなる。

自分にわかるのは、ただ自分が発狂しかけている感じがするということだけである。
窮地を脱する作戦が失敗すると、遭難というみずからの運命を受け入れてしまう。

実は難して生き残る確率がきわめて高いのは、経験をつんだハイカーや軍隊の兵士でもなく
六歳以下の子供なのだ。

そしてもっとも生存率の低い集団に七歳から十二歳までの子供がいる。

生き残りの秘密がここにある。
幼児にはまだ大人と同じ行動をするすべを学んでいないということがある。

つまり六歳以下の幼児は、本能によって自らを現実を受け入れ、身体の声や自然に耳を澄ませ、生き延びるである。
 
 



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                    フォトは咲耶子


沖縄で機動隊員が県民に対して「差別用語」を使ったというニュースを見た。

物議をかもしたこの言葉を聞いて、最初に思ったことは、お気楽で申し訳ないが「ずいぶん久しぶりに聞いた」ということ。

たぶん遠い昔、40年以上前に聞いた気がする。それほど日常では使われないし耳にしない。

しかし機動隊員を見ると、とても若い。これほど若い人が半世紀生きている私すら忘れていた言葉を知っていることにさらに驚いた。

死語になりつつある、この言葉を、若い彼は、いったいどこで知ったのだろう。それもしっかり相手を侮蔑する目的で使っている。

つまり、この若い彼にこの言葉が「侮蔑を意味する言葉」だと、教えた者がいるということだ。

ネットだろうか? 身近な年長者だろうか? 最近では遠い昔に自粛されて使われなくなった「差別用語」を掘り起こしてわざわざ使う人たちがいる。哀しいことだ。

人類にとって精神的進化の足かせになると判断され、先人が葬ったはずのものを、墓荒らしのように掘り起こしているのだ。

なぜ、それらの差別用語が使われなくなったのかは、想像すればわかることだ。

その言葉がどれほど相手を傷つけてきたか、いかに差別を助長するかを、賢明な人々が憂慮したからに違いない。

人は皆、違った背景、外見、思想、目的を持って生きている。

どれが良くどれが悪いという選別は虚しい。色えんぴつには赤も青も黄あり、短くなったもの、まだ長いものもある。

人もこのようにさまざまな色や長さを持つ。つまり青という色を嫌いな人もいるし、逆に青を好きな人もいるということだ。

論争もまた十人十色で、右、左と真反対だけではない。皆、少しずつ立ち位置が違うのだ。
「青」だって濃い青や薄い青もある。「赤」だって鮮やかな赤もあれば暗い赤もある。

そう考えれば主張に「差別用語」は必要無いことは明白である。

「差別用語」は最初から、もしくは途中から、人を見下し侮蔑するために作り出された醜い言葉である。
だから人を不快にする。

誰かが誰かに言っているのを聞いただけで、関係ない者すら不快になるほど負のパワーがある。

さらに重要なことは、それを口にした者が一番、人として品位や信用を失うということである。

たった一言だと侮るなかれ。
案外、皆、口にした人を忘れない。そのとたん人としての評価が下がってしまう。イメージ悪化に悩めるトランプ氏のように。

くれぐれも「その一言」で誰かを不快にしないように気をつけたい。




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    Picture This: F-18 Buzzes Detroit Apartment  by David Axe

平和への解決策はある。だがそれは現在の人間の精神性では選択されない。
なぜなら私たちは「赦し」よりも「報復」がベストな選択だと考えているからだ。


ロシアの旅客機墜落、そしてフランスの同時多発テロと、過激派の犯行がエスカレートしている。
これらは明らかにISへのフランスとロシアが行った攻撃への報復行為だろう。そして次に報復するのはフランスでありロシアだ。

テロリストも国際社会も報復は正当だと確信しているし、報復とは軍事力しかありえないとも確信している。
説得より恐怖と抹殺こそベストな選択なのだ。

――「報復という正義」どちらの側もこの大義名分によって冷酷に相手を叩きのめす――

相手を二度と立ち上がれぬほど、たたきつぶさないと、報復に終わりはこない。
少しでも残党が残れば、そのものたちが「恨み」の意思を継ぐ。
ところがこの恨みは、飛び火する。一定の場所に塊となって存在しているわけではない。すでに癌はあちこちに転移している。

――国際社会はテロリストを封じ込めるというが、恨みをどこに封じ込めるというのか?――

内戦下のシリアでは人口の半分に当たる1100万人以上が家を追われ、うち470万人が海外に逃れた。
テロとイスラム教徒や移民社会を同一視するのは簡単で、それらは安易に結びつけられるだろう。そして根深い偏見と差別が生まれる。

彼らは異国で偏見の目に迎えられ、異国の冷淡さは彼らに疎外感と憎しみを植え付ける。そこに過激な思想が甘い言葉をささやく。
「そこにおまえの居場所はない。だがISはいつでも歓迎する」と。

――武力は思想を抹殺出来ないという現実――

思想の元とは情動的なエネルギーであり、怒りは情動の最もたるものだ。怒りは選別思想を過激化させ、多大な憎しみのエネルギーを生み出す。
相手を殺せば殺すほど、互いが互の憎しみの炎にマキをくべるわけだ。

普通の市民である私たちに置き換えてみたい。
あなたの愛するものが殺人犯に殺された。あなたは犯人を深く憎み、自分のなかに殺意というエネルギーが湧くのを感じるだろう。
もしもこの国に「法」が無く、逆に「武器」のある状況にあれば、あなたは迷わず武器を取り、殺人犯に報復するだろう。

そして今、世界は集団的報復の怒りに駆られている。正義という名の無法地帯である。しかも武器は溢れかえるほど手に入る。
武器は合法的に作られ、世界中の報復者にこれでもかとばらまかれている。

――フランス市民が武器を所持していれば、「事態は違っていたかもしれない」とトランプ氏が発言――

「武器こそが報復力」だと思う指導者は多い。すき放題に銃を乱射する犯人に、市民も銃で応酬出来るとうわけだ。素人が撃つ流れ弾のことは仕方ない。さらに死者が増えても少なくとも犯人にお礼をしてやれるかもしれない。
私たちは武器をテロの解決策の万能薬と思っている。

あなたが武器を手にするとき連鎖が起きる。
身内を殺した殺人犯にズドンと一発お見舞い出来る。そしてそのあなたが殺した殺人犯の身内が怒り狂ってあなたやその身内に銃を向ける。
突き詰めれば、すべては報復である。

テロリストは「さあかかってこい!いつでも相手になってやる!」と叫んでいる。報復するために報復を心待ちにしている。
さらに突き詰めれば暴力はカタルシスであり、抱え込んだ不満のエネルギーが開放を望んでいるのだ。

戦いオンラインゲームはすでに現実に移行しているのだ。

―129人のテロ犠牲者は多いのか? 人の命の価値と人数の捉え方―

 
収束の兆しが見えないシリアの内戦は二十数万もの死者と、数百万の難民や避難民をだしている。
たぶん無力な赤ん坊も数多く死んでいるだろう。

これがパリという場所でたった一人でも赤ん坊が犠牲になっていたら、私たちはその相手の残酷さに失神するだろう。
命の価値は場所によってまったく違うのだ。

――国際社会がISを許さないというときの「国際社会」という言葉の曖昧さ――

地球には現在196の国がある。ISと戦っているのは何カ国だろう? ISを密かに支援している国は何カ国だろう?
ISという組織に属さない別のテロが起こっている国は何カ国だろう?

本当にISがこの地球で村八分になっていると言えるのだろうか? 彼らは世界中に資金源を持ち武器や人材が豊富に流れ込む。
武器と暴力が統率の手段ならば、それはヤクザ国家と呼ばれるだろう。
だが事実は敵対相手がそう罵るだけだ。味方ならこう呼ぶのだ。警察国家と。

どことどこが戦っているのか? 善と悪ではなく、暴力と非暴力ではなく、利益と不利益が戦っている。

――オランド仏大統領は非常事態を宣言し、国境を閉鎖した。本当に敵は外だけにあるのか?――

人種のるつぼと呼ばれるフランスでは、アラブ系移民の子孫だけでも36%、国の内部からも不満分子は生まれるだろう。
不満はどこから生まれてくるのか? 差別と偏見、将来への絶望からだ。
疎外されれば人は周りの人々を敵とみなす。そして敵とは排除すべきもののことだ。

――この世界に平和は訪れるのだろうか?――

もちろん訪れる。それは力にすべて統率されたときかもしれないし、危険思想が絶滅したときかもしれない。
人類がほとんど絶滅したときかもしれない。

または暴力をとことん嫌悪するときかもしれないいずれにせよ、終わりがあり、それには徹底した痛みを伴う。
痛みは数十年だけかもしれないし、何世代もかかるかもしれない。

とはいえ、平和な時代の子孫たちは「暴力万能時代」の歴史を学ぶとき、夢物語のように感じるだろう。

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