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「おっさんずラブ」が息長く評判であるという。
少しホッとする。 同性同士の恋愛を描くのは、勇気がいる。
17歳の少年が主人公だが、広く受け入れられるように、この子を少女に変えようとした。 ストーリを頭の中でいじってみたが、どうしても少女の設定では描けない部分があって断念した。
「彼ら!」ばかりを。 ボーイズラブとして描きたかったわけではない。 気づいたら「彼ら」ばかりになっていた。
自分の中では、その設定に抵抗はなかった。なぜなら、萩尾望都さんや竹宮恵子さんの作品にハマった世代で、彼らの織りなす恋愛のイメージは美しいものだったのだ。
たしかに現実には、見た目が美しい者どおしが、純愛だけを繰り広げるわけではない。 嫉妬や打算、肉欲、ドロドロしている。だが、これは異性愛でも同じことだろう。
女が男同士の愛の何がわかるのだ? という気持ちが自分を責めた。
人と人の愛には性別は関係ないということ。 世間の目や世の中の道徳やら規範を気にして恋愛をしているとしたら、それは本物の愛ではないということ。
誰かを本気で好きになるとは、そんな薄っぺらなものが吹っ飛んでしまうほど、危険をはらんでいるのだ。
条件が変わったり、そろわなかったりすれば、たちどころに冷めてしまう。
「なぜこの人を好きになってしまったのか?」何度も何度も自分に問いかける、そんな狂おしい状態こそが愛の不条理であり、愛の不思議なのだから。
これが愛は永遠だと語られるゆえんだ。
※「片翼のイリス」トーハンは、12月21日から書店配本。日販と大阪屋は25日からです。
部数が少ないので、見つけるのは難しいかもです。 そんな方は直接、このブログのゲストブックにご連絡ください。 |
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1999年の3月のことだ。
日本人を拉致しているかもしれない「不審船」を能登半島沖でイージス艦「みょうこう」が追いかけていた。
イージス艦は「停止せよ!」の警告射撃を不審船に対して行う。 だが、不審船はさらにスピードを上げ止まる気配はない。
警告射撃と言えども、使っているのは炸裂弾だ。わざと外してはいても、その破壊力はかなりある。
弾着するたびに、不審船をわずかに避けて、巨大な水柱が上がる。 100から50へと着弾点を徐々に近づけていく。ついに不審船の窓ガラスが砕け吹っ飛んだ。
停止しようとしない不審船の覚悟に、艦長の命令の声にも焦りが見て取れる。
著者もまた、任務遂行だけを貫徹しようとする敵のプロ意識に、畏敬の念を感じつつ、心の中で叫ぶ。
「おまえら人間じゃねえ。いつまでも正確な射撃が続くとは限らないんだ。次は当たっちまうかもしれないんだ。
止まれよ!お願いだ止まってくれ!」 ついに艦長から悪夢の命令が下される。
――「苗頭正中、遠50」――
著者はあまりにも近いと唸る。一瞬全員無言になる。
工作母船のど真ん中を飛び越えさせて、その50メートル向こうに弾着させるという意味だ。不可能に近い。
著者は断腸の思いで「復唱」を拒む。
「ムリっ、ムリっ、艦長ムリです。当っちまうに決まってます。復唱できません」
「いいから、伝えろ!命令だ!黙って復唱しろ!」
妙案の一つも浮かばない。誰か艦長を止めてくれ!
このとき、誰もやったことのないことを、艦長はやろうとしていたのだ。
このときの場面には、当事者たちの冷や汗と緊張感がビシビシと伝わってくる。
だが、本当の緊迫は、予想だにしない次の展開にあった。
――想定外に、工作母船が停止した!!――
浴びるような砲弾を無視し続け、ひたすら逃げ続けた工作船が、不意に止まったのだった。
この想定外に著者は唖然となる。
「止まっちまった」
止まれ、止まれと念じて警告射撃をしてきたのに、現実に止まったら頭の中は真っ白になった。
なぜ真っ白になったか?
このリアルは私たち民間人には想像もつかないのは当たり前だ。だからこそ、この本が書かれる意味があるのだ。
この本は「特殊部隊創設者」の創設に至るまでの手記である。
著者が創設を切望した動機は、じつは、この場面にあった。
停止させた工作母船。
――次に自衛官が行うことは、死への入口「立ち入り検査」だ――
「立ち入り検査」とは、武器による抵抗が予想される船舶に乗り込むことである。
じつは工作母船には必ず、自爆装置が装備されている。相手がプロであればあるほど、立ち入り検査隊は全滅を免れない。
さらに驚愕の事実があった。
この当時、艦内には、まだ防弾チョッキも装備されていなかったのだ。
おまけに自衛官は、小銃の訓練は受けていたが、「拳銃」は撃ったことはおろか、触ったこともなかった。 彼らの表情は不安でいっきに暗くなった。
「平成の世の中で、海上自衛隊員の俺が戦死? ありえない、ありえない」と思っていた彼らなのだ。
しかし、そんな彼らが徐々に覚悟を見せ始める。
著者は胸を熱くする。
胴体に防弾チョッキのつもりか「少年マガジン」をガムテープでぐるぐる巻きにしている。
その頃には、彼らの表情は一変していた。清々しく自信に満ちて、悲壮感の欠片もない。 特攻隊で飛び立って行った先輩たちも同じ表情をしていたのだろうか?
30分後には彼らはこの世からいなくなる。
そしてこのとき、著者は、ひとつのことを決心するのだ。
「これは間違った命令だ」と著者は強く思う。
彼らは、自分の死を受け入れるだけで精一杯なのだ。任務をどうやって達成するかまで考えていない。
――しかし、世の中には、「まあ死ぬのはしょうがないとして、いかに任務を達成するかを考えよう」という者がいる――
著者が、この事件のあと、特殊部隊を作ろうとした動機である。 この任務は、そういう特別な人生観の持ち主を選抜し、特別な武器を持たせ、特別な訓練を実施すべきであって、向いていない彼らを行かせるのは間違っている。
わずか70年前には、本当は向いていなくても、出撃させられた人間がいた。
それを美談で語り継ぐだけでは、彼らの死は浮かばれないのだ。 この本の前半をかいつまんで紹介した。 後半はさらに「戦いによる死」についてリアルな体験談がまとまっている。
この本のすごいところは、理屈で書かれたのではなく体験で書かれているところだ。
紹介した部分も現実に著者が体験したことである。 じつは、この本を手にしたのは、境遇を同じくする友人のことをもっと知りたかったからだ。
友人はどれほどの覚悟を持っていたのか? 任務完了は友人の人生に何をもたらしたのか? 特殊部隊と一般部隊との間にある、高い壁とはどんなものなのか? 民間人の私には、常日頃の友人の言動が理解出来なかった。
この本は、私の中のある部分に「納得」をもたらした。
民間人である私たちのために書かれた本である。是非とも読んでもらいたい。
「国のために死ねるか」という本当の意味に近づけるのではないか。
長くなったので、後半部分は次回にしたい。別の意味で衝撃的な体験談が続く。
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図書館オンリーの私が、久しぶりに小説を買った(小説というところがミソ、普段はノンフェクションばかり)
どんな本かというと、ハードカバー、1800円、3.5センチのぶ厚さ。そこそこ満足のいく長さというわけだ。
本は分厚いほどいい。あまりハズレが無くなるからだ。
これは私の自論なのだが「やっつけ仕事」で、緻密なストーリーを展開していく長編は書けない。ノンフェクションや専門書も同じ、出版会社の依頼で「とりあえず書く」みたいな内容は、それなりの内容になる。だから長さも、ほどほどしかない。 特にノンフェクションなどは、資料をどれだけ集めたか、時間をどれだけ費やしたかが如実に出る。
たとえば、何年も自らの命をかけて、戦地に留まる記者と、わずか一週間しか取材しなかった記者の書いたノンフェクションの現実の重みは比べようがない。
爆発で上がった煙の色を、高台のホテルから見て、それが自爆の煙か、空爆の煙かを見分けることは、そこそこリスクをともなった経験が必要であり、黒い煙と白い煙の違いを文章で語れる記者は、つまり現実の重みを何ページも費やして語れるのだ。
要はそこに「書く」ための情熱があるかどうかだ。
文章の長さは尺度であり、いわば「ある一定の情熱」があるかないかを表すのだ。 技量はとりあえず、置いておいたとしても、情熱のある書きものには人を引き付けるエネルギーがそなわっている。
技量は置いておくとしたが、技量もある程度必要となるのは周知のことだ。
なぜなら一定の技量が無いと、長い文章は書けない。 小学生の頃の作文を思い出してみればわかる。
あるテーマがあり、それを書きたいという「情熱」、それを書ききる「技量」が両方そろって、人を引きつける良い作文になる。 「とりあえず書く」なんていう義務感からは、長い文章は出てこない。 ということで、私は経験上、うすっぺらな本を敬遠する。まあ、サクッと読む良本もあるが、こちらもサクッと楽しんで、サクッと忘れることになる。
さて、今回買った本の話に戻ろう。
久しぶりに小説を読んでみたくなった。 小説は現実ではない。絵空事だ。つまり作者の頭の妄想だ。妄想だから奇想天外になるかというと、そうでもない。ありがちの展開になることが多い。
よく「事実は小説より奇なり」というが、まさに現実のほうが奇想天外なのだ。
たとえば、両手両足が生まれつきほとんど無かった障害者の探偵がいる。彼はジェームズボンドにあこがれて、自分の身体が車いすだということなど完全無視し、いわゆる探偵の七つ道具を独自に発明、その武器を駆使して、その業界でずっと飯を食っている。これは小説ではない。現実にいる人物だ。
もし、この彼を小説家が設定すると、陳腐で嘘くさくなるのはどうしてだろう? それでも現実に彼は存在するのだ!
これは、作者の妄想が「常識」に囚われてしまうことを意味する。読者も同様、常識に囚われている。
「そんなことは、ありえない」という言葉ほど、世界の見方を狭くし、面白味を無くす言葉も無い。 「偶然に○○に会った」というのはドラマでは、ありがちで、よく非難の対象になるが、現実ではもっとありえない偶然の出会い、出来事というのは面白いほどよく起きる。
小説が難しいのは、構成技量のなさに、安易に設定する「ありえない」と、現実では起こる「ありえない」を、どう入れ替えるのか、ということだろう。ここに作者の無駄な常識感覚と窮屈な世界観が見えてくる。つまり度量が大きくないと面白い作家にはなれないということだ。
さて、度量の大きい「村上龍」の「オールドテロリスト」を買ったのだが、旧陸軍の老人らのテロは「ありえる」か「ありえない」か?
これに「リアリティ」を盛り込むには、作者の情熱が必要となる。
この作品の中に、一人の人物にテロの標的物を語らせる会話がある。いわゆる原発テロの可能性だ。
たとえば、三文作家のやっつけ仕事なら、わずか一行で終わる。「原発は脆弱でテロリストが狙いやすいのだ」と語ればいい。
だが、その言葉にはリアリティが無い。本物のテロリストなら、どう脆弱かを徹底的に調べているだろうから、脆弱だと世間が言っているという聞きかじりの言葉を発するはずがないのだ。 さて村上龍はテロリストに、どう言わせているか?
ほんの短い語りだが、さすがによく調べられている。この語りだけで、テロリストの存在は現実化し、老人たちが、なんとなく不気味に見え、読む側は緊張してくるではないか。
福島第一の事故は津波が原因じゃなく、古くなっていかれかけてた冷却系の配管が大地震で壊れたという指摘があるのは知っているだろう。配管が古くなっているのは冷却系だけじゃないんだよ。原子炉と直接につながっている配管だって大半は古くなっている。それが割れたり外れたり、ひびが入るだけでも、どうなるか。想像できるか。それにタービンだって、かなり古い。タービンからの蒸気だが復水器に回せなくなったらどうなると思う?復水器がつまったりしても冷却はもうアウトだし、循環ポンプが故障してもアウトだし、冷却系の排水管が破断したらあとはもう、カタストロフまで一直線だ。まだある。日本各地に使用済み核燃料棒を貯蔵したプールがあるらしい。だいたい数千本単位で貯蔵されていて当然、冷却し続けなければいけない。数千本の核燃料棒といえば、だいたい原子炉十基分の燃料体だそうだ。それらは原子炉と違って格納容器も頑丈な防御壁もない。周囲は薄いコンクリートの壁で覆ってあるだけだから、たかが数百度の熱で崩壊する。危ない奴がダイナマイトを数本放り投げるとどうなる?ドッカーン。燃料棒がばらまかれるというわけだ。〜村上龍・オールドテロリストより抜粋 |
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もう八年か九年くらい前だと思う。リチャード・プレストン「ホットゾーン」※を読んだ。
紹介するにあたって調べたら、この本、書かれてから、もう20年くらいたっているのですね。驚きました。 ※あらすじの引用
脳、内臓を溶かし、目、鼻、口など、体中の穴という穴から血の滴が滲み出る奇病発生。アメリカの首都ワシントン近郊の町、レストンのモンキー・ハウスに突如出現した、恐怖の殺人ウイルス「エボラ」。その致死率は90%。核攻撃さながらの最高度機密保持態勢のもとに展開された、「エボラ」制圧作戦の全貌を描き出した迫真のノンフィクション。感染の恐怖に耐えながら、ウィルス制圧に命を賭ける兵士や学者の素顔に迫る!!。
鳥肌が立つくらいゾッとしたことを覚えている。 読んで後悔した^^;
恐すぎてである。
一応、実話なのだが、まるでホラー小説のよう。その描写力のリアルさはまるで現場にいるようだった。
人間が炸裂する――この表現は医学的にはどうかと思うが、あまりにも的を射ている表現ではある。 エボラウイルスは人間の細胞に寄宿すると、たった数時間で爆発的にコピーを繰り返していきます。
つまり小さな細胞の中でやつらは、すし詰め状態となり、それでもどんどん増えてゆき、細胞がそれに耐えきれなくなって崩壊するわけですね。 人間というのは、すべて細胞から出来ているわけで、あらゆる細胞が内部から爆発するわけです。 で、この著者は――人間が炸裂する――と表現しているのです。 実際、炸裂する瞬間は多量の血液や肉片などが、何メートルも周囲に飛び散るわけです。 そのウイルスだらけの崩壊した細胞の死骸を、介護している人々が浴びるというわけです。 また炸裂するわけですから、崩壊した内臓はドロドロに溶解しているわけです。
それが血や廃棄物となり身体の穴という穴から漏れ出てくるのです。 エボラ患者の写真は探せばあるとおもいますが、もうはっきりいって「ゾンビ状態」です。 ハリウッドの特殊メイクなど子供の作品のぐらいに見えるほど、現実の患者は恐ろしい有様です。 はい、この私の記事を読んだだけでも、ものすご〜くものすご〜く恐くなったと思います。
そして、この本はこの記事より何十倍も恐いです。サスペンスタッチになっていて、ジワジワと恐怖が迫ってくるところも、一級ホラーばりの恐さです。
またバイオハザードに対しての封じ込め作戦というドキュメントの読み物としても、一級だと思います。 ちなみに「アウトブレイク」という映画がありましたが、あれは恐くなかったなあ。
あと、思ったのは、電子顕微鏡のエボラウイルスの写真が超恐い! 読み進めているとこの写真を見ただけで感染しそうで画像を見られなくなります! もう心霊写真なぞ目じゃない。だって幽霊はほとんど人畜無害ですから(笑)
この本が恐くないという人は「皆無!」と見ています。なにせ、バックグランドは現在進行中ですからね。
すぐそこにある「恐怖」です。 |
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まず、子供の頃の、かわいい本から思い出した。
●赤毛のアン
少女にとっての夢の体現というべき本。とにかくロマンチック! だが、それだけにとどまらない人間の心の交流を深く描いているところが名作のゆえんなんだよね♪ マリラとマシューの控えめに見えて、実は、大きな愛は人間としての理想なのだ。 アンのように世界を見られたら、そこがどんなところであろうと、すでに理想郷になるのでしょうね。 そしてちょっと少年の気分だった頃――
●海底二万海里〜ジュール・ベルヌ
十代、長編に始めて挑戦したのがこの古典SFだった。始めて手にしたとき、その分厚さに読み切れるかどうか、とても不安だった。しかし、そのストーリーの面白さに完読。それ以後、とにかく分厚い本が大好きになった。 ちなみに海外の本は分厚い本が多い。分野を問わず、文字がびっしり書いてある。^^; でも、分厚い本で、がっかりさせられることは少ないと経験上思う。なぜなら、その文字数は著者の情熱だから。 青春時代の思い出にはかかせないかな――
●海辺のカフカ〜村上春樹
村上春樹入門の扉ですね。やはりその独特の文体に引きつけられましたね。彼の作品に漂う雰囲気がとても好きです。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の荒涼感とか。 大抵の作品は作家名を伏せると、だれが書いたかわからないものです。 その作家の体臭がしてくれば、すでに一流作家でしょうね。
ちなみにノーベル文学賞候補と、ささやかれてからの作品は読んでいません。なんか買うのが恥ずかしい^^;
ミーハーと見られたくなかった小心者です。 外国文学らしい本だと思った、ちなみにこれはフランス文学――
●泥棒日記〜ジャン・ジュネ
売春婦の母に捨てられ、15歳のときに感化院。乞食まで身を落とす。こんなジュネの生い立ちで、この文章力はまったく奇蹟です。いったい読書のインプットはどのくらいあったのだろう? 彼の周りには悪と不道徳と汚物しかないが、その文体には高貴な光に輝き、悪さえ美に昇華されている。 彼のすごいところは、無知で愚かな人々、冷酷無慈悲な犯罪人さえも、天使のように描写できることだ。 人や出来事を批判していては芸術の美は創造出来ないと、痛切に教えられた一冊です。 よく弟とスパイごっこをしていたなあ、でもこんなイメージじゃなかったよね。
●エスピオナージ〜麻生幾
最初のページからのめり込みました。公安がターゲットを地道に追う描写がリアル。想像で書いていない。あちらの世界にお友達がたくさんいるようですね。 007とは真反対の地味で地道なお仕事ですね。
まあ、陰の世界ですから、仕方ないかあ。最近は「外事警察」がドラマ化されて、こういったお仕事に陽が当たるようになりましたねえ。当っちゃマズイだろ^^; ちなみに逢坂剛の原作「MOZU]をドラマで、ついでに原作も読んでます。
こちらドラマ、演出が良いですねえ。映画のクオリティーです。 ただ、こちらの公安は、あくまでも小説の上での公安て感じですね。
大人になってから読んでも、衝撃を受けた。青少年にはそうとう刺激がキツイよ。でも芥川賞で大きく報道されたときは、青少年も、読んだんだろうーなあ。^^; テレビに出てますがダンディな方で素敵ですよね^^
●限りなく透明に近いブルー〜村上龍
セックスとドラッグ漬けだけで出来ている物語が衝撃的でした。現実のタブーを文学は臆することなく表現できるのだなあと始めて知り、なんか読みながら唸ってました。私にはこんな勇気はないなあ^^; 憧れますがね。このとんがり方。 ちなみにこの方の「半島を出よ」は安倍政権的にはリアルな恐怖?
北の9人特殊部隊が福岡ドームを占拠。実際はミサイルより潜入のほうが現実的かもと本を読みつつ思いました。「スリーパー」はこの瞬間にも原発やダム、ライフラインで作業員をしていても不思議でない。武力より知力を働かせればありうること。
インタビュアーと言えば立花隆っていうイメージです。目の付けどころがハンパない。
●宇宙からの帰還〜立花隆
人類はとうとう宇宙に飛び出した。人の視野が始めて神の視野として自らの生存地域を眺める。宇宙という環境は人間の精神に何をもたらしたか? NASAすら調査しない、人生観の変化を宇宙飛行士にインタビューしてくれた立花さんに感謝です。引退後、宗教家になったり、科学と神が同居しているところが面白い。 強く印象に残った本です。 そうそう、立花さんの「臨死体験」もあなたの知らない世界へのインタビューでした。 これ読むと、中国人に同情したくなります。仕方ないよね。したたかでなければ生きられない国だもの。
●ワイルドスワン〜ユン・チアン
生きぬくってすごいことだと思います。どんな国に生まれるかは選べない。自由の国に生まれてホントよかったあと思いました。
やはり自由は決して手放してはいけないと、この本を読んでいて痛感しますね。 巨大な一つの国の運命を祖母、母、娘が語る。壮大です。その怒濤の歴史には、読んでいるこちらまで翻弄されます。文化大革命の本質とは何でしょう? その内側にあるものは人間不信でした。権力者が権力者を裏切る。身内が身内を裏切る。そしてまっとうな疑問は潰される。そう、そこの本好きなあなた! 知識人はまっさきに抹殺されますよー^^; 考えることは「悪」だからです。
辺見氏、とんでもないところで食してますねえ。テレビでもグルメばかりでなく、こういった「食」をとりあげたら面白いのに。
●もの食う人々〜辺見 庸
人にとって「食」とはなにか? 「食べる」意味を求めて世界中を回る著者。「食」といってもグルメの話ではない。グルメの真逆にある食だろう。全体として詩的な匂いのするルポだが、内容は衝撃的で重い。だいたい究極の「食」人肉体験にまで触れているところがすごい。 読んだのはかなり前だが、最近論争の的になっている「韓国人元従軍慰安婦」「チェルノブイリ原発付近の避難区域内に暮らし続ける人々」の話が入っているところに今、気づいて、不思議な感覚を覚える。まるでデジャブのようだ。
最後のこの本が一番「キツイ」ですね。
なんせ事実だし。
幸せや楽しみって、だれかの犠牲の上で成り立たせるものなのかな?
●ファーストフードが世界を食い尽くす〜エリック・シュローサー
神経質な方や気の弱い方には、あまりお勧めしませんが、資本主義の闇を垣間見るにはもってこいのルポです。 事実は小説より「おぞましい」 この本を読むと、自分の知っている範囲の「お気楽さ」を痛感いたします。
冒頭、著者が食肉加工工場の町に降り立つ描写から始まるのですが、すでにスプラッターホラーです。 まずその町に漂う異様な臭気と、窓がない壁だけのコンクリートの建物。この町から私たちの美味しいハンバーガーが生まれて来る。衛生管理どうのこうのというよりも、同じ地球上にこのような地域、このような人々がいるということが、ショックでした。厚い壁の向こうの悲鳴はベルトコンベアーの牛だけでなく、ベルトコンベアーの前の人々の悲鳴でもあったのです。 |



