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           撮影は咲耶子   もはや風鈴だけでは涼しくなれない?

全国各地、次々と熱中症で倒れている。
そしてついに熱中症で小学生が亡くなった。
多くの人がショックを持ってこのニュースを聞いたと思う。

私が子供の頃、熱中症も熱帯夜もなかった。学校での記憶を思い返しても、授業中死ぬほど暑くてボーッとしたというような記憶はない。驚くほど暑い日は、せいぜい年に二、三回だった気がする。

そんな大人達の感覚で気温上昇を甘くみていると、とんでもないことになる。
振り返ると、はじめて、学校にエアコンを設置する話が出たとき、大人達は「子供にエアコンなんて贅沢だ」「今どきの子供は根性が足りない」と苦々しく語ったものだ。

あれから毎年、極暑が当たり前になっている現在だが、いまだにエアコンの無い学校があるという。
そんな教室で、もしかしたら根性はつくかもしれぬが、授業に集中するのは不可能だろう。

もっとも大事なのは、私たちは生物だということだ。過酷な環境は死を意味する。
残念だが日本の環境は大きく変わったのだ。

砂漠のような極暑の環境に住む生き物は、昼間は活動しない。気温の下がる夜に活動する。それが理にかなっているからだ。
思うに、日本人も夜行性に変わらざるおえない日が来るかもしれないという想像は決してSFではない。

今後、37度越えが普通になれば、昼間、外で働いたり、スポーツをしたりすれば、命にかかわることになる。

ゲリラ豪雨とて同じことだ。
日本は亜熱帯地域ではなかった。雨はシトシト降るものという認識はすでに古い。
いずれ河のそばや山の斜面近くに、家は建てられなくなるだろう。

自然の力に人間のちっぽけな根性論は通用しない。
個人は避難指示の先を想像したい。

企業もこれからは災害ありきで戦略を考えていかないと生き残れない。
もちろん政治家は
互いの親睦より、日本のサバイバルについて話すべきなのだ。

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撮影は咲耶子

痛ましい未曽有の災害が起きた。
年々、日本の自然災害は規模を増しているように見える。
あまりに災害が頻繁に起こるので、メモにまとめていたが載せられず、お蔵入りしていた記事がある。
とはいえ、これから台風シーズンがやって来る。
あえて載せることにした。危機管理上、なんらかの助けになればと思う。

私たちの大半は癌や卒中や心臓麻痺で死に、交通事故で命を落とす。
にもかかわらず、私たちは大災害に怯える。
その理由は、それらが病気や車ほど身近でなく、
未知でコントロール出来ないものだからだ。

ならば、それらについて、そしてそれらに遭遇した自分について知ることが望ましい。
専門家の話をまとめてみた。

私たちは極度の緊張状態にあるとき、どういった行動を取るのか?
そして、その解決策はあるのか?
こういった知識を知るだけでも、漠然とした不安は軽減されるし、実際に災害時には生存に役に立つだろう。

――災害に対して私たちは三つの段階を経験する――
いかなる災害においても同じである。

第一段階は「否認」である。
第二段階は「思考」そして

第三段階でようやく「行動」を起こすのだ。

「否認」とは現実を信じたくないという自然な心理である。

今回の「特別警報」が、今まで経験したことがない未曽有の異常な状態が来ることを警告していると信じたくないと思った人は多いはずだ。

だが、この心理は現代の災厄では悲劇を生む。

――2005年のニューオリンズのハリケーン「カトリーナ」で避難を拒否したターナー。――

上陸の二日前、避難勧告が出ていた。24時間前には前例のない強制避難勧告が出された。

ターナーは服役軍人で、子供たちはすでに独立していた。深刻なハリケーンが来ると知った子供たちから何度も電話がかかってきた。
ニュースではこのハリケーンが前代未聞の脅威になるだろうと伝えていた。

にもかかわらず、ターナーは家から出ることを頑なに拒んだ。
1965年の巨大ハリケーンをこの家で乗り切ったのだから、というのが理由だった。

だが、ターナーは知らなかった。
急速な開発が嵐による高潮を防ぐ自然の防壁になっていた湿地帯の多くを破壊してしまったことを。
1965年に助かったとしても、2005年に助かる確率はおおいに下がっていたのだ。

結局ターナーは、子供らの執拗な懇願にひどくいら立つようになり、テレビでの天気予報を見るのもやめてしまった。
「父はハリケーンの名前すら知らなかったのだと思います」

多くの人は「否認」や「思考」の段階を通り抜け、行動を起こした。

だが残りの20パーセントはどうなったか?
始め、貧困が原因と言われたが、のちに犠牲者を調査すると、貧しい人はわずか5パーセントで、15パーセントは貧しいわけでも黒人でもなかったことがわかった。

「人々がとった行動の違いの本当の要因になっているのは、彼らの信念である」という結果が出たのだ。
彼らとて、本当に避難したいと思えば立ち去る手段を見つけることは出来た。重要なのは移動手段よりも動機だったのだ。時としてあなたの信念はあなたの命を危険にさらす、ということを忘れてはならない。

リスク管理というのは、どのようなリスクが自分たちにとって一番確率が高いかを知ることである。

もし、あなたの住む地域が台風の通り道なら、テロよりも、台風で命を落とすリスクが高いのだ。
だが私たちは、自分で思っているほど理性的ではない。感情で選択する。
リスクを測るのに、確率×結果ではなく、不安や楽観を取り入れるのだ。

不安とは制御不能であり、馴染みがないことであり、想像してしまい、苦痛をともない、破壊規模がが大きく、不公平さをともなったものに対して起きる。

車は制御可能だと思われており、不安が少ない。ゆえに起きる悲劇が溺死である。
1999年のハリケーンでは、70パーセントの人が、洪水で動けなくなった車の中で溺死んだ。

人々は水の中で車を走らせることが出来ると過信しているのだ。



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撮影は昨夜子

KKKは1865年、六人の若者の悪ふざけから始まった。
しかし、すぐにKKKは州をまたぐテロ組織となる。一時期衰退、1920年代に復興すると構成員は800万人に膨れあがる。
 
 
第二次大戦後、KKKはアトランタを本拠地に、ジョージア州の主な政治家を抱き込み、警察権力も手を組んでいると言われた。KKKは秘密結社で正体がわからず、合い言葉を使い、密室で陰謀をたくらみ、恐ろしい集団であると大衆には信じられていた。大衆は彼らのほとんど何も知らず、ゆえに恐れ、自分らは無力だと感じていた。
 
 
――さて、この恐ろしい秘密結社の脅威は、どこまでが本当でどこまでが嘘なのだろうか?
 
 
1940年、この集団の真実をさぐるために、KKKにもぐり込んだ男がいる。ステットソン・ケネディという男だ。
 
 
彼は「卑劣」「無知」「横やり」「脅し」が大嫌いだった。
 
そして、その大嫌いなものを、どの組織より高らかに掲げていたのが当時のKKKだった。
その正体を探るべく、彼はKKKの秘密警察にして「鞭打ち団」にスパイとして入り込むことに成功する。
 
彼は喜んだが、もし誰かに暴力をふるうハメになったら、どうしようかとも考えた。
しかし、それは杞憂に終わった。なぜなら、その仕事は単に「痛い目に遭うぞ」という脅しを口にすることだけだったからだ。
 
 
KKKの暴力と言えば「リンチ」というイメージだった。
ではこの「リンチ」本当に頻繁に行なわれていたのだろうか?
 
黒人に対するリンチ件数の統計を見てみよう。
 1890-1899年  1111件
1900-1909    791
1910-1919    569
1920-1929    281
1930-1939    119
1940-1949    31 
1950-1959    6
1960-1969    3
(※ただし、この総数にはKKKによるリンチ意外のリンチも含まれている)
 
 
このように、黒人人口の大きさと比べると、リンチはめったに行なわれていないことがわかる。
 
 

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撮影は昨夜子
またしても無差別殺人が起きた。
「またしても」と、眉をひそめ情動に流されるのはたやすい。
これでは、記事にするには、あまりにも短絡的な思考なので、もう少し頭を働かせる。
冷静になって、警察庁の犯罪統計書のデータを参考にしよう。
ここでは小数点は扱わず大ざっぱに見てみたい。(より詳細な数値が知りたい方はご自分で検索してね)

まず、加害者は若い男である。
男性という性は「またしても」に反しない。
実際、検挙された殺人犯の8割は男性である。

若いは「またしても」だろうか?
統計でみると、意外なことに、どの年代も、どっこいどっこい(人口比率を考慮に入れても)である。
つまり20代も30代も40代も50代も同じくらい殺人を犯している。
(10代以下と60代以上は、やはり少なくなるが)
ただし、不思議な現象だが、これは日本だけのようだ。外国では若い殺人者が多いようだ。

では、見知らぬ人を襲うのは「またしても」なのか?
統計では、約1割で「またしても」と表現するには無理がある。

では、ほんとうの「またしても殺人」とは、どんなのものか?
約5割を超える身内殺人、それに3割の友人知人殺人を加えて、つまり面識がある人に向けられた殺人で8割を占めるのが実体。
職場などの殺人も面識があるとするなら、9割に達する。

見知らぬ人に殺される確率が、いかに少ないかがわかる。
逆にいえば、その確率の少なさが起こったときに非常に目立つのだ。
常に言われていることだが、
ニュースとはレアケースを扱う媒体である。
だから「驚くことに」無差別殺人が起きた。が正しいニュースを見た時の思考。

ちなみに殺人の動機の第一位、4割が「キレる」2割が「怨恨」である。
殺人の起こった場所は屋内が6割。屋外が2割。

さて、あなたが誰かに殺されないために気を付けることは?
家庭内の身内をキレるほど怒らせるのは、危険だということだけ頭に入れておこう。

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撮影は昨夜子〜羽田空港にて

テクノロジーがいろいろな意味で大流行だ。
どうやら「新しい発明」は私たちを、特に大人たちを不安にするようだ。

そして、
この不安が面白いことにずっと昔から「ワンパターン」なのだ。
不安を起こすのは、プライバシーの侵害、若者のモラルの低下、雇用の減少、倫理問題などだ。

あるとき、人びとがパニックを起こした。
「どこで撮影されているか、わかったもんじゃない」
あなたは思う。グーグルカメラやグーグルグラスのこと?
いやいや、もっと昔である。
1880年、初代のコダック・カメラが世の中に
出たときの話である。

「若者のモラルの低下がひどくて嘆かわしい!」

SNSの影響を言っているのだろうか?
これは、1790年、小説が出たときの大人の嘆きである。
その後も1910年代の映画、1950年代のマンガ、1990年代のビデオゲームと同じように当時の大人は嘆き悲しんだ。

どうして、このように私たちは同じ発想で不安を口にするのか?
それが人間の性(サガ)から起こる問題を引き起こすからだろう。

ナポレオン時代、機械式電報システムは、今で言えばサイバー問題が発生していた。

電報が出来た当時、言われたことは
『長距離通信に革命をもたらす。通信は圧倒的に安く、便利になる。
企業は熱狂的に受け入れ、支持者から賞賛され、反対者から中傷される。新たな雇用が生まれ、かつてない犯罪が起こり、個人はネットワークを使い、友達を作り、恋に落ち、ついに国境は消える』

どこかで聞いたフレーズではないだろうか?

電報もコンピューターネットワークも、私たちが抱く発想はまったく変わらないわけだ。

そしてそこから起きる犯罪への不安もまったく同じだ。
「犯罪者ほど最新科学を積極的にすばやく取り入れる集団はいない」と言ったのは1800年代のシカゴ警察だった。

私たちは常にワンパターンに期待し、ワンパターンに不安に感じるのだ。

※参考資料は2050年の技術・英「エコノミスト」編集部です

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