あなたの知らない視点で語りたい〜フォト 詩 小説 エッセイ

単行本「片翼のイリス」都環 咲耶子著・本屋・アマゾン・直接取り寄せはゲストブックに来てね。他にもヤフオク、メルカリでもOK

さまざまな視点で観る

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
イメージ 1
      撮影は咲耶子

963人の難関を突破して最終選抜に残った
宇宙飛行士候補10人の経歴を見てみよう。
 
      航空自衛隊パイロット 38歳
      全日本空輸福操縦士  32歳
      海上自衛隊 外科医  31歳
      理化学研究所 研究員 36歳
      沖電気工業経営企画部 37歳
      産婦人科医      35歳
      エアーニッポン機長  34歳
      海上保安庁パイロット 33歳
      JAXA地上管制官  32歳
      アドバンズド キャパシタ
      テクノロジーズ開発部 30歳
 
やはりパイロットの方が多い。
いずれも三十代。
社会に出て十年、もっとも心身共に充実している年代。
 
さらにこの10人から、最終的に選ばれたのが、
自衛隊パイロット、全日空副操縦士、海上自衛隊の外科医の3人。

試験管は言う。
「最終選考者10人は飛び抜けて優秀な方々ばかりで、甲乙などつけられない」

しかし試験管はこうも言う。
「かといって合格した3人が『運がよかった』などという単純な理由で、
選ばれているわけでもない」

二週間の試験の内容や過程からは、運などという曖昧なものは吹っ飛んでいると言う。
 
二週間のあいだ、彼らはJAXAとNASAにカンヅメになり、宇宙飛行士の資質を非常なまでの厳しさで見極められる。

言わずもがな、わずかな心身の健康の心配があれば排除される。
「何故なら宇宙飛行士の死亡率は他の仕事と比べて、突出して高いからです。わずかな判断ミスが生死をわけるのです」
 
パイロットが多くなるのには訳があると言う。
「危機的状況に平常心を持ってあたる訓練が日頃から出来ているためです。
宇宙飛行士は機器のトラブルを、自らの力で直さなくてならないので、そういう意味でも深い技術力のあるパイロットは最適です」

ならばキャリアが夢をかなえるのだろうか?
まったく逆なのだ。

彼らのキャリアはもちろん特別なものだ。
だが、このような高いキャリアの人しか宇宙飛行士になれないわけではない。
それは本末転倒というものです。宇宙飛行士になりたいという夢が先にあり、その夢を強く持ち続け、そのためには何が必要かを考えた結果、それにたどり着く道として、努力で高いキャリアを習得してきたのが彼らなのです」

航空パイロットのAさんは、長野の人口4500人の山村で育つ。
ちいさい頃から星空を見上げ宇宙に憬れを持っていた。
その夢を追い続け、少しでも宇宙に近い道をと、F15戦闘機のチームリーダパイロットになった。
 
Oさんは、SF映画が大好きで、いつか宇宙へ行ってみたいと憬れた。
だから航空宇宙工学を専攻し、その後ボーイング767の副操縦士として活躍するのだ。
 
もうひとり、Kさんは医者でありパイロットではない。だが潜水医学が専門で、自衛隊の閉鎖空間である潜水艦で心身のケアなどをしてきた。やはり子供の頃から宇宙に行ったりする冒険家にあこがれていたという。
 
夢をかなえるためにキャリアをつける。
そして憬れはいつしか覚悟に変わる。

「夢が実現するには、ひとつの高いハードルが存在します。そのハードルを「覚悟」と呼びます」
ほんとうに数少ない宇宙飛行士という人びとは、ほんのわずかの確率でさえ偶然に選ればれたわけではない。

夢を憬れつづけるのは大事なことだ。夢に向かってキャリアを磨く。
だが、それだけではたどり着けないのも事実である。
いままで得たキャリアをすっかり捨てさる『真の覚悟』が必要なのだ。

「飛行士に選ばれたからといって、ただちに宇宙に行けるわけではなく、一生地上で待機ということも起こります。
選抜試験は資質と覚悟の両方を見ていくのです」

※資料元は「宇宙飛行士選抜試験」・大鐘良一・小原健右




宇宙飛行士を選ぶための選抜試験の最中だった。
とあるミステリーが起こる。

「おいゼッケンI(アイ)が二人いるぞ!」

閉鎖空間で課題をこなす宇宙飛行士候補生らをチェックしていた審査員らがざわめいた。
他の審査員が叫ぶ。
「代わりにHがいない」

原因はすぐにわかった。Hのゼッケンの縦横を間違えて身につけていたのだ。
それでHがIに見えたのだ。

「気づかないんだね」
「周りも教えてあげればいいのに」

そう言った審査員らの顔が、しだいに深刻なものに変わる。
「この候補者たち、みんな大丈夫か?」

あなたは、何故審査員がこのハプニングを深刻に受け止めたかわかるだろうか?
たかがゼッケンのつけ間違いではない。
これは宇宙では、命に関わる出来事なのだ。

宇宙服はいくつかのパーツに分かれている。
手順通りに着込んでいかねばならない。もし間違えたら、命に関わりかねないのだ。
それは自分だけでなく、乗組員全員の任務に影響する。

さらに間違いを他者が教えないことは「チームワーク」に問題があるということである。
チームワークは、宇宙では作業を進めるためだけの言葉ではない。
命を守るための言葉でもある。

ひとりの審査員が苦々しい顔でつぶやく。
「つけ間違えて気がつかないままでいるというのは、あまりよろしくないですね。
他の候補者も気づいて指摘してあげるべきです。ライバルとはいえ、同じ目標に向かうチームメイトなのですから」

宇宙飛行士採用の試験で最も重要な基準には、リーダーシップともう一つある。
フォロアーシップだ。
フォロアーシップとは、リーダーに従い支援する力を示す。

 ちょっとしたハプニングが、宇宙飛行士試験では重要な問題点として取り上げられる。
なにしろ人間のいることの出来る船内は閉鎖空間であり、壁一枚隔ててその向こうは真空の宇宙なのだ。
その閉鎖空間に支障を与える人材は選ばれない。

スタンドプレーも逆に謙虚さも、危機的状況では足を引っ張ることになる。
「他人がミスをすれば自分が有利になる」と考えて放置するなどは論外である。

※資料元は「宇宙飛行士選抜試験」・大鐘良一・小原健右

イメージ 1
            撮影は咲耶子

多くの人が宇宙飛行士に憧れる。
「私に才能さえあったら、宇宙飛行士になれたのに」
と皆思う。

では才能ある人だったらら、宇宙飛行士の面接で受かるだろうか?

「宇宙飛行士に何故なりたいのか?」
実際にJAXA(日本宇宙航空研究開発機構)の応募者たちが面接で聞かれたものだ。

963人の応募者から、さまざまな適性試験を突破した48人が、この面接試験に挑んだ。
(最終的に採用されたのは、わずか3名)

だがこのなかで7人の面接官を満足させる答えを返せる応募者は少ない。

「子供の頃から憧れでした」
正直なところだろう。多くの応募者もそう答えている。

だが、この先が重要なのだ。
さらに突っ込まれる。
「宇宙飛行士の何に憧れているのか?」
「その宇宙飛行士になって宇宙でやりたいことは何か?」

さあ、具体的に答えられるだろうか?
これが意外と答えに窮したり、理屈が通っていなかったりする。

そもそも、あなたは「宇宙飛行士」という仕事がわかっているだろうか?
 
ある研究職の候補者はこう答えている。
「研究者としてのバックグラウンドを生かして、画期的な化学実験を提案したい。そして実際に自分の手で実験を行い、宇宙分野の可能性を示したい」と。

この答えは素晴らしいが、果たして、面接官を満足させられただろうか?
答えはNOである。

何が問題なのか、わかるだろうか? 
もしわかれば、あなたは宇宙飛行士だ。
 
この答えに対し、面接官はこう尋ねた。
「宇宙飛行士は学者ではなく、技術者です。宇宙飛行士が自ら提案した実験を宇宙でできると思っているようですが、宇宙飛行士なんて、つまるところ実験装置のボタンを押すことしかできないのです。
ですから、あなたが生き甲斐としてきた論文などは、絶対書けなくなると思ったほうがいい。
宇宙飛行士になれば研究はいっさい出来なくなるし、あなたの功績を証明するような論文もいっさい書けません。
いままで培ってきたキャリアや価値観を捨てることになりますが、あなたは未練なくやっていけますか?
 
要は覚悟なのだ。
面接官は単なる「憬れ」でなく、あなたの「本気度」を推し量っている。

宇宙飛行士の給与をご存じだろうか?
大卒30歳、約30万。大卒35歳、約36万である。

応募しようと考えるのは、それなりに才能や資格があり、すでに重要ポストで社会貢献している人びとだ。
何千万も稼ぐ医師や民間航空会社のパイロットなども多い。
だが、彼らとて、そのすべてのキャリアと収入、命すら捨てる覚悟を求められるのだ。
 
「才能」「一生懸命」「本気」どれが欠けても夢は実現しない。

〜参考資料『宇宙飛行士選抜試験」〜
 

jj
イメージ 1
 まっすぐ咲けないチューリップくん        撮影は咲耶子

テレビにIQ188の若者が出ていた。どれほど稀かというと五億人に1人の確率だという。
いわゆる天才と呼ばれる人が2千人に1人だそうで、歴史に残る超天才が2千万人に1人らしいので、いかに常人離れしているか想像もつかない。

350万人にひとりという入会条件の難易度をほこる、世界高IQ集団である
Mensa InternationalのOlympiq Societyに名前が載っている彼だが、
じゃあ私たちと何が違うかといえば、興味あるものなら独学でサラっと習得してしまうことだ。

英会話は三か月で、プログラミングは一年でマスター。絵画は三十万の値が付き、ピアノはいつの間にか弾けるようになり、交響曲を作曲すればプロが唸る。
いずれも習ったわけではなく自分流。

そんな超逸材の彼でも、仕事を得るとなると、不本意な壁にぶち当たってきた。
学歴という壁だ。じつは彼、大学へ行っていない。
ありがちだが、高卒の両親は大学に興味がなく、彼にも勧めなかったようだ。

だがインテリジェンスの高い企業や専門性の高い仕事ほど、学歴を重要視する。
それゆえ彼は大卒の資格が無いばかりに、一流IT企業に就職してもコールセンター部門にしか居場所がなかった。
しかたなくアメリカで就職を決意するが、そこでも学歴の壁が立ちはだかる。

凡人の作った学歴社会が、まさか超天才を排除するとは!

まあ、ほとんどが凡人の人間社会なら、この間抜けなシステムが機能しているのも、いた仕方ないのかもしれない。
超天才でなくても、
多くの賢い人々が高卒だというばかりに学歴社会に浮上できないことは明らかである。

人類は学歴に阻まれた才能の恩恵をずいぶん無駄にしているに違いない。

さて、そんな社会で埋もれてしまった彼は、現在無職、大卒の資格を得るため勉強中だという。

ここで面白いのは、脳科学者いわく受験に必要な脳と天才の脳は違うらしい。
受験に受かるのは記憶力が優れていることで、知能指数が優れていることとは関係ないらしい。
そんなわけで、彼は東大ではなく、地方の大学を目指している。



私の愛する日本

イメージ 1
                撮影は咲耶子

あるイギリス人が書いた書物によって、懐かしい日本の風景を思い出した。

私が子供の頃の風景だ。
戦争で傷ついた年月からも日本は急速に立ち直ったのに、それでもイギリスと比べれると貧しい国だった。
ほとんどの道路は舗装されてなく、穴ぼこだらけ。トイレは水洗ではなく、ほとんどがしゃがんで用を足すくみ取り式だった。〜エリザベス・オリバー

トイレには良い思い出はない。暗くて汚くて恐かった。
今でも夢にトイレが出てくるときは、暗くて汚くて恐い。
道路は、車が通るたびに砂埃が舞い上がり、もしくは水たまりの泥水をまき散らす。
側道にはフタのない臭いのするドブがあり、電信柱には黒々とオシッコのあと(人間も立ちションをした)、道の隅にはあちこちに犬の糞がころがっていた。
 
あれから何十年もかけて、少しずつ街は変っていった。
日本は本当に様変わりした。
 
 アジアから来る観光客が一番驚くのは日本の道路の清潔さだという。
「ゴミが一つも落ちていないなんて奇跡的だ!」というツィートがよく上がる。
清潔といえばトイレもそうだ。用途のボタンがたくさんついた近代的なトイレは、外国人を心底驚かせるもののひとつだ。公園のトイレですら掃除がいきとどき清潔である。

最近の日本人が着ている服はニューヨークやパリの最新流行の服装と比較できるほどだが、当時の多くの日本人は、何回も縫い直した衣服を身につけていた。
一軒の家と庭のある家だけが犬を飼っていた。犬がいるということは裕福な家であるという意味だ。
その犬たちは本来、財産を守るために飼われていて、たまには近所中を自由に走り回るままにされていたが、誰もそのことを気にしなかった。狂犬病の法律があり、地域の保健所の野犬係が熱心に路上の野良犬を拾い集めていた。〜エリザベス・オリバー

当時、野良犬は見慣れたものだった。 捨てられた子犬は大抵、雑種で、それを子供らが拾ってきて、犬を飼い始める家も多かった。

我が家には幸運なことに庭があったので、迷い込んできた犬が何匹かいた。まだドッグフードなんていうものはなく、いやあったのかもしれないが、なにせ拾われた雑種なので、残った飯に、鰹節をかけたものや、味噌汁をかけたものなどを大人が食べさせていたのを覚えている。
彼らはとても賢くて、私が学校で残した食パンをやると、その場では食べずに、あとで食べるつもりだったのか、こっそり空き地の土の中に埋めていた。
 
 今、急激に発展をしつつある中国などを見ていると、懐かしい当時の日本人の様子が思い出される。
今でこそ、世界各国のホテルで日本人はマナーが良く上品な民族だと言われるようになったが、始めからそうだったわけではない。
西洋式風呂もつかえぬ、お上りさん丸出しだったのだ。

 だから中国の公害も、ブランド漁りも、公共マナー欠如も、すべて日本が通ってきた道だと思うとあまり非難する気にはなれない。彼らの振るまいは懐かしい日本人の失敗でもあったから。
 
 いつからだろう?
電車のホームでは整然と並び、降りる人を待ち、静かに空いている席に座る。
車のクラクションも聞くことがほとんどなくなった。
野良犬はとうに消えた。
道にゴミや煙草を捨てる人もほとんどいない。
 
今でも凶悪犯罪に眉をひそめる人もいるが、昭和に比べると格段に子供たちは安全になっている。
三十年代、誘拐される子供数は年間50人を超え、殺される子供のニュースは日常茶飯事だったのだ。
 

 
あの頃をふり返ると人情があって、とても懐かしい。だが、日本人の平和的で優しい振るまいは、より洗練されたとも思う。
 
国もまた季節を巡る。人間と同じように歳をとっていくのだろう。
 
70年前、この国は戦争で死に、再び生まれ変わった。その年月の間に、若輩特有の粗暴さは薄れ、今は老齢の穏やかさが日本を包んでいる。
私の愛する母国よ、健康で長生きしてもらいたいものだ。



.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事