あなたの知らない視点で語りたい〜フォト 詩 小説 エッセイ

単行本「片翼のイリス」都環 咲耶子著・本屋・アマゾン・直接取り寄せはゲストブックに来てね。他にもヤフオク、メルカリでもOK

さまざまな視点で観る

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
イメージ 1
           春のために遠くへ行こう! 撮影は咲耶子

たとえば、メダリストや有名選手の努力は、どのくらいなのだろう?
血のにじむような練習のキツさとか、プレッシャーからくる苦悩とか怪我に怯える孤独とか、したいことを我慢していく日々とかを、簡単に想像することは出来ない。

私たちが見るのは結果だけだ。その過程を想像するのは難しい。
だから、選手らをネット上で、ひどく非難する人がいる。
成績が振るわないと、まるで選手を能無しのように言う。

人は「見える」ものしか見てない。
酷い場合は、自分なら簡単に出来ると勘違いする。
簡単に出来るかどうかは、現場で参加しないとわからない。

昔、テレビ番組で、お笑い芸人とヤンキーのグループが、アンコールワットを目指して未舗装の道の整備をするという企画があった。

ヤンキーグループはオーディションで選ばれた、つまり自ら参加する意思
があり、へこたれない自信をアピールした人達だ。

だが、お笑い芸人のほうは覚悟もなく、何も聞かされず現地に拉致された人達。

そんな彼らが持たされたのは、シャベルやツルハシだ。
極暑の炎天下、ひたすら道路工事にたずさわる彼ら。
ギブアップは自らが決める。自分に甘ければ脱落者となる。

さて、どちらのグループが残ったか、あなたは予想出来るだろうか?
じつは、最後のゴールまで頑張れたのは、なんと嫌々参加させられた、
ひ弱でヘラヘラしたお笑い芸人だった。

あれ以来、私はお笑い芸人を見る目が変わった。

「根性」が無いと他人を批判するのは簡単だ。
しかし体験者しか見えない世界がある。
同じ体験をして初めて批判も意見も重みを増す。
「見えている」ものにしか反応しない第三者の言葉ほど虚しいものはない。

「事件は現場で起きているんだ!」と青島刑事は叫んだ。
当事者にしか見えない世界がある。


イメージ 1
       敵がやってくるぞ〜用心しろ!   撮影は咲耶子

「家系だから仕方がない。太る体質なんだ」
よく聞く言葉だ。

 つまり太るのは遺伝子のせいで、自分ではどうしようもない、というわけだ。
遺伝子とは、あなたの望みとは関係なく、あなたを太らせたり、落ちこぼれにしたり、病気がちにしたり、運動神経ゼロにしたりする。

つい最近まで、そう考えられてきた。
さらに「利己的な遺伝子」という著書が大ヒットしたことで、その考えは確固たるものになった。
もちろん学校でさえ、いまだに遺伝子が生命をコントロールしていると習う。
 
 ――「遺伝子にコントロールされている」という科学的常識は、すでに過去のものだった――
 

 じつは最新科学は、すでに正反対の結論を導いているのである。
どういうことかと言うと、実際は遺伝子を超越した「何か」にコントロールされているとわかってきたのだ。
 

遺伝子とは「設計図面のような青写真」でもなく、実際に建物を建てる「建築業者」でもないというわけだ。
 また、遺伝子は読み取り専用で「環境に影響されることはない」と知られていたが、それも間違いだった。

むしろ
環境と相互に作用し、生きるために遺伝子コードを微調整するというメカニズムが働いていたのだ。
有機体つまり私たち生命は、思った以上に賢かったわけだ。
 
これは遺伝子が生物をコントロールしているのではなく、逆に遺伝子が生物に利用されているということである。

このメカニズムが人間にとってプラスに働けば、たとえ不完全な遺伝子を潜在的に持って生まれても、通常の健康的なタンパク質や機能を作り出せるようになる。
遺伝子は読み書き可能なプログラムであり、生命が遺伝形質を進んで定義し直せるということになる。

 つまり「太っている」のは、遺伝という意味では「親」のせいとも言い切れぬわけだ。だが潜在意識という意味では「親」の影響かもしれない。

人は生まれてから六年ほどの間に、両親、兄弟、周囲の大人、地域社会によって意思決定や行動、感情、振る舞いを直接脳にダウンロード「刷り込み」される。
それらはすべて「潜在意識下」に記憶される。

実際、私たちの行動のうち自意識が関わっているのはたった5パーセントで、
残り95パーセントが潜在意識からである。
両親のその子に対する「思い込み」が、言葉や態度となって、その子の意識にダウンロードされていく。
自分は意思が弱いとか、病気がちだとか、頭が悪いとか、無価値であるとか、そういう認識は、すでに子供時代に刷り込まれている。
 
――「バカだ」とか「どうしようもない」とか言われたり、邪険にされたりすることを軽く考えてはならない――

それは確実に潜在意識に刷り込まれ「自分というもののイメージ」を作り出していくのだ。
 あなたが太っているのは、
子供の頃から刷り込まれた「自分とはこういうもの」という思い込みと、その家系の食習慣が影響している。

人間の細胞のほとんどは、皮膚の外の環境を直接感じることはない。
たとえば肝臓の細胞は、肝臓で何が起っているかはわかっても、世界で何が起っているかはわからい。
だから脳と神経システムが環境からの刺激を解釈したシグナルを細胞に送って命を守るための体の機能を総合してコントロールする。

――体にはあなたが考えていることが、事実か嘘かの判断が出来ない――
身近な人が頭が痛い、喉が痛いと言ったとたんに、あなたも頭が痛くなったり喉が痛くなったりしたことはないだろうか?
これは脳が、他者と自分の言葉を仕分けをしないで、体に伝えてしまうからだ。
 単純に「痛い」という情報だけが、体に痛みの物質を作り出させる。

「自分は健康で若い」という考えも「自分は病気がちで老いた」という考えも、細胞にはどちらが真実なのかと考えて決定出来ない。ただその降りてきた命令に従っていくだけである。
 

イメージ 1
     異次元のおうち?    撮影は咲耶子

休日はあっという間に過ぎ去り、また長い一週間が始まった。
あなたはため息をつく。時間というものは無慈悲であると。
けれど時間をコントロール出来るとしたらどうだろう?

そもそも時間とは何だろう?

物理学者は、こう言っている。
「現在・過去・未来は同じ時空間に広がっている。つまりそれらは散在している状態にある。なので、流れるという表現は間違いだ」

時間とは流れるものと私たちは思い込んでいる。
だが、現代物理学の理論によると「同時性は相対的で、ある座標系からの観測では同時に発生した2つの事象が、他の座標系では相前後して生じたように観測されることがあり得る」というわけだ。
ぜんぜんわからない。物理学はやめよう。

まあ、シロウト的には、たぶん時間は「実体」は無いが「実感」があるものなんだ。
嫌でも変化を、日々実感しているわけだし。

けれど生物学すら、これに横やりを入れる。
あなたが先週存在したという唯一の証拠は、あなたの記憶です。記憶とは“現在の”脳のニューロン構造が生み出しています。
たとえば、地球に過去があったことを証明する唯一の証拠は、岩や化石です。しかし、岩や化石から過去の存在を知るのは、それら岩や化石を調べている“現在の”我々です」
つまり全ての記録(記憶)は、“現在の”私が持っているというわけだ。

哲学まで時間を亡きものにしようとしている。
英哲学者バートランド・ラッセルは言う。
「138億年にわたり存在してきたはずの宇宙(世界)は、実は今からたった5分前(1秒前でもOK)に作られたと考えても全く差し支えない
流れる時間は主観的なものに過ぎず“実在”の名に値しないと考えているということだ。

確かに、時々、私の時間は遅く流れたり速く流れたりしている。
それって気のせいだと思っているが。

とは言え、ハツカネズミとゾウの時間の流れは明らかに違う。
30gのハツカネズミと3tのゾウでは体重が10万倍違う。そうなると時間は18倍違い、ゾウはネズミに比べ時間が18倍ゆっくり流れていることになる。
この違いを映像で見てみよう。
18倍ゆっくりスローモーションで再生するのだ。画像はほとんど動かないと言っていいくらいに見える。
逆に18倍の速度で早送りするとどう見えるか? 目にも止まらない動きに感じる。

交通事故で脳に損傷を追った男がいた。「街が突然、超スピードで動きだしたんです。
車も人びとも目にも止まらぬほどの速さで私を追い越していきました」
じつは、
世の中が高速になったわけではない。脳の損傷で、彼の動きがひどくノロくなったのである。

時間の流れとは感じ方なのだ。
医学で考えてみよう。
代謝が落ちている時は心的時計はゆっくりになり、物理的時間があっという間に進むように感じる。
逆に代謝が激しいときは、心的時計も早くなり、物理的時間はゆっくり進むように感じられる。

こんな経験をしたことはないだろうか?
かぜで熱があるので床に就いた。けれどなかなか寝付けず、そろそろ夜が明けてしまうのではないかと思って時計を見たら、まだ1時間くらいしか経っていなかった。
なぜ、こう感じるかと言えば、
発熱しているときは普段より身体的代謝が亢進しているため、時間がゆっくり進むのだ。

不思議に思ったことはないだろうか?
子供の頃は一年が長かったのに、今では一年をあっという間に感じる。
心理学の出番だ。

心理的な時間は認識される出来事が多いと長くなり、少ないと短くなる。
大人になると時間があっという間に過ぎてしまうのは、複数の出来事をまとまった一つの時間として捉えてしまうからだ。

4〜82歳の約3,500人を対象として、自分が「3分」と感じた時点でボタンを押してもらったところ、年齢が高くなるほど実際の3分より長くなる傾向がみられた。70歳代ではほぼ1割増になった。

では、時間をコントロールしてみたい。
「休日はあっという間に過ぎ去り、また長い一週間が始まった」
休日の時間だけを長くしてみよう。

時間を長く感じるには子供の心になることだ。
子供は出来事の、ひとつひとつに反応する。それらは常に新鮮でワクワクをもたらす。
楽しみながらディテールに注目しているのだ。
そう、あなたも、いろいろな場所へ出かけ、細かい気づきをたくさん得て、ひとつひとつが記憶に残るような充実した時間を過ごすことが大事なのだ。
きっと楽しい時間が延びているはずだ。

ちなみにネットサーフィンは時間を短くする傾向が強い。
アルコールには弛緩作用によって、時間を短縮させてしまう効果がある。
暗くて狭い空間は時間が早く過ぎる。
フェスは体感時間が長く感じられる。

こんなふうに、あなたの時間体験を調べるのも楽しい。



イメージ 1


「自殺」と一言で語るが理由は、さまざまだ。
自殺した本人ではなく、第三者が思い浮かべるのは、大抵「苦しみからの逃避」だろう。
それは借金苦かもしれないし、病苦かもしれないし、他者との関係かもしれない。

人が自分の人生をどう思うかは、まさに個性と同じで多種多様である。
そしてその人生を自分の手で終わらせようと考える人々すら、一人として同じ動機ではないのだ。

ジャック・リゴー※という青年がいた。
写真に写る彼は俳優と見間違うほど端正な顔の青年だ。
だが、その冬の湖のような瞳はどこか虚無的である。
彼には人生がどのように映っていたのだろう?

リゴーはこう言う。
「生きる理由はないが、また、死ぬ理由もない。 人生への軽蔑を示すべく、我々に残された唯一の方法は、それを受け入れることである。 人生は、苦労して捨てるほどの価値もない」

彼にとって死とは、無価値な人生の一部であり、自死とは、ちょっとした変わった試みでしかなかったのかもしれない。

以下は『シュルレアレスム革命』誌に寄稿された、ジャック・リゴーの文章

最初に私が自殺したのは情婦にいやがらせをするためだった。この貞淑な女はとつぜん私と寝ることを 拒絶したのだが、自分でいうには愛人である勤め先の上司を欺くことに良心の呵責をかんじたからだそうである。 愛していたかどうかよくわからないし、二週間も離れていたらその女への要求もすっかり薄らいでいたかのではないかと思うが、その拒絶は私を怒らせた。どうやって彼女を動揺させるか?私はその情婦を困らすために自殺した。ごくごく若年の濡れ事だったことを考えて、この自殺についてはご容赦を願いたい。

二度目に自殺したのは、怠惰からである。貧乏でどんな仕事にもあらかじめ恐怖をいだいていた私は、それまで生きてきたのと同様、たいした信念もなしに自殺した。私がこんにちどんなに生き生きした顔つきをしているか見て、人はこの死をゆるしてはくれないほどである。


三度目……それまでの晩とくらべてひどく倦怠に悩まされていたわけではない。一晩過ごしてのち、私は眠りに就いたところだった。私は決意をかためそれと同時に、いまでも覚えていることだが、唯一の根拠であるつぎの言葉をはっきり口にした。 えーい畜生! 私は起き上がってピストルを探しに行った。ベッドには裸で入るので寒かった。いそいで蒲団に潜り込んだ。 銃の打ちがねをおこして、口のなかに鋼鉄の冷やかさを感じた。そのとき心臓が高鳴っていたのは本当だろう。 引き金を引いた。打ち金はたおれたが、弾丸は発射されなかった。それから私は、おそらくすこしばかり神経質に笑いながら武器を小さなテーブルの上においた。十分後私は眠っていた。いうまでもなく、私は第二の弾丸を発射しようなどとは夢にも思わなかった。重要なのは死ぬ決心をしたということであり、死ぬかどうかではないのである。

※ジャック・リゴーは1929年11月5日にピストル自殺した。
  
※洗練された服装、非常に神秘的な身ごなしで映画スターにもなれたくらいの美男子と友人は語る。
30歳で自殺するちょっと前は、ニューヨーク社交界でヘロインとアルコールに耽溺しながら自堕落なジゴロを演じ、金持ちでエキセントリックな多くのアメリカ人女性と交際をしていた。
彼の生き様は、親友であったピエール・ドリュ・ラ・ロシェルによって『鬼火』として小説化され、その小説が1963年ルイ・マルによって映画化されている。


イメージ 1
     バックに写る、どこの観覧車かわかりますか?  撮影は咲耶子

製造、流通システムを通過するすべての材料のうち、販売から六ヶ月後に製品としてまだ使われるモノの割合をご存じだろうか?
50パーセント?20パーセント?

 まったく違う。1パーセントなのです。

たったの1パーセント。
つまり99パーセントのモノが六ヶ月以内にお払い箱になる。
その上、破棄するのは無駄なモノの半分にすぎない。あとは買ってみたけれど、ほとんど、あるいは一度も使わないもの。

買ってみたけれど一度も使わなかったモノを思い浮かべてみよう。
○一度も袖を通さなかった服。
○読まない本
○箱から出しもしなかった電気機器
○他にもあなたの頭に浮かんだモノありますよね?

「買ったモノと使うものの差が、すなわちムダ」――時間のムダ、お金のムダ、放置されて埃をかぶっているということで、ただのゴミという意味でもムダなモノたち。
 
倉庫には何が詰め込んであるのだろう?
○キャンプの道具
○パン焼き器
○雑誌のバックナンバー
○ローラースケート
○PCモニター
○昔のソファ
○引っ越しのときにようやく捨てるモノ
挙げればきりがない。
家には起きたくない、散らかる邪魔な「ただのモノ」だ。
 
そもそもわたし達は、モノを買うために必死に働いた。
ようやく手に入れたはずの念願のモノ。それらはただちに不要品となる。
なのに
わたし達はこのゴミ?がどこから来るかより、ゴミをどこに葬るかばかりを考えている。

なにか変だ。よけい重荷が増えて、楽しくないのだ。
現代の物質主義は、わたし達の欲望をあおることによって成り立っている――決して満たされることのない欲望によって』

わたし達は豊かになり過剰消費に走ったが、自殺率は上がり囚人は4倍になり、うつ、不眠、心臓病、肥満などが急増したという。
こんなにたくさんのモノに囲まれているのに、幸せと思えないのはどうしてだろう?
 
わたし達は何故モノを買うのか?
ハイパー消費を支えているのが四つの巨大な力だという。
「説得力」「後追い文化」「商品寿命」「あとひとつ的心理」だ。

モノを売るには「気持ちよく」「力強く」「セクシー」になりたいという欲望に
うまく訴求できれば、どんなモノでも売ることができる。
つまりなりたい自分を想像させることで、石けんからベーコン、ウオール街の株式まで買わせることが出来るのだ。

――消費的生き方とは、本当の満足を得ることではなく、満足げに振る舞う人たちを作ることである――
 
消費社会は豊かで幸せだと讃えられてきた。今たくさんのモノが溢れている。でも、それらは幻影になりつつある。
ショッピングモールの膨大なモノたちは、必死に買われることを願い続け、何か得体の知れぬ脅迫的な色彩を帯びている。

しかしながら給与は下がり消費税はどんどん上がり、これらのモノは食べるにいっぱいな生活者には、ただぼんやりと眺めるだけの飾りになった。
 
では、手に入れられないと不幸せになるだろうか?
買ったとたんにモノからの輝くオーラは消えて、ただの邪魔なゴミに見えてくるのはどうしてだろう?
本当に大切で必要なモノは何十年たっても、わたし達の傍にある。

「愛する」ということは、なにも人間だけが対象ではない。
今手に入れようとしているモノを「末永く愛せるか?」もういちどモノに問いかけてみたい。
欲望のままに手に入れて必要ないと感じたらポイッと捨てる行為は悲しい。
人間でもペットでもモノでも対象は関係ない。
「丁寧」「大切」「吟味」をする。

それはわたし達のこころの問題かもしれない。つまり
利他的な愛があるかどうか?モノに対してさえ、最終的にはこの考えにいきつく。
 
※2011年の記事の再掲載です。

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事