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少しスピリチュアル

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生まれる前から計画されていた出会いがある。
他者を通して自分に欠けているものを学ぶのだ。

私たちは完全ではない。
だれもが、それを認めず苦しむ。
まず成長するためには、互いの不完全さを認めなくてはならない。

トニー・リップとドン・シャーリーが出会うことは必然だった。
二人が出会ったのは1962年。
アメリカ南部で、人種差別的な法律「ジム・クロウ法」がまかり通っていた時代だ。

二人の人格、人種、過ごした環境は、見事に異なる。
トニー・リップは粗野で無教養のイタリア移民だが、社会の複雑さを熟知している。その持ち前の口の上手さと腕っぷしの強さで、ナイトクラブの用心棒をしていた。
片やドン・シャーリーは特権階級の黒人で、天才ピアニスト。
教養、知性も高く博士号を幾つも持ち、ケネディ大統領に直接電話をかけられるほどだ。

単なる偶然では、この二人が出会い、深い友情は成り立たつことはない。
彼らは計画された必然によって出会うことになる。
人と人との出会いには、このような絶妙な「学び」が用意されている。

では彼らは互いから何を学んだのだろう?

実際にトニー・リップは、差別主義者だった。
映画を発案したトニー・リップの息子が語っている。
「ツアーに出る前、父は差別主義者でした。ところが一年半の
旅から帰ってきたときには、考えが変わっていたのです。それからは、常に私たち子供に、人は皆同じだと言っていました
ツアーでの出来事が、トニー・リップを大きく成長させていた。

映画では、ツアーの最中に起こったことが描かれている。
映画と実際は、多少ツアー期間が異なる。だが、どのエピソードも実際にあったことである。

そんなエピソードの中で、彼らは互いに欠けているもの、自分には無いものに気づいてゆく。
「人は決して暴力では勝てない。威厳を保ったときだけ勝てるんだ」
警官に暴力を振るい逮捕されたときの場面だ。
暴力で問題を解決しようとするトニー・リップにドン・シャーリーはこう諭した。

逆にトニー・リップは、白人に媚びて、クラシックの出来ない現状に落ち込むドン・シャーリーをこう励ます。
「あんたの音楽は、あんたにしかできない」

そしてついに、このツアーの本当の目的をトニー・リップは知ることになる。
ツアーの演奏仲間が語る。

「君は一度、なぜドン・シャリーがこれをやる(差別の強い南部でツアーをやる)のかって聞いたけど、
それに答えるよ。天才だけでは十分じゃないんだ。
人々のハートを変えるには勇気がいるんだ。」
差別を当たり前のように受け入れていたトニー・リップには青天の霹靂だったろう。

崇高な目的のために戦うこの黒人は孤高の存在ではあるが、それゆえに孤独で自分の楽しみすら犠牲にしている。

片や、このイタリア男は、人生を大いに楽しんでいるが、
自分の可能性に目を向けず、向上することを放棄していた。

彼らは相手の中に人生に欠けていたものを見出す。
黒人ピアニストは「遊び心」をイタリア人ドライバーは「向上心」を。

そして人間は皆、欠けているものを補い合う存在だということを。

互いに刺激され彼らは変わってゆく。黒人ピアニストはフライドチキンを素手で食べ、イタリア人ドライバーは比喩を使って女房にラブレターが書けるようになる。

彼らの出会いが必然だったのは、彼らの亡くなった日が数週間しか離れていないことでもわかる。
彼らは人生最後の日、ベッドの中で、互いによって学んだことを振り返り、大いなる満足の気持ちで亡くなったに違いない。
そう。人は人によって成長していくのだ。

「グリーンブック」とは、1936年から1966年までに毎年出版されていた、黒人を受け入れてくれるビジネスやサービス機関のリストが記載された旅行ガイドブックのこと。

あらすじ・・・・時は1962年。ニューヨークのナイトクラブで用心棒を務めるトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は腕っぷしはもちろんハッタリも得意で、ガサツで無学だが、家族や周囲から愛されていた。ある日、
トニーは「神の域の技巧」を持ち、ケネディ大統領のためにホワイトハウスで演奏したこともある天才ピアニスト、
ドン・シャーリー(マハーシャラ・あり)のコンサートツアーの運転手として雇われる。まだまだ人種差別が根強く
残る時代になぜか、黒人にとって制約と危険の多い南部を目指すシャーリー。粗野で無教養なイタリア系用心棒と、
インテリな天才黒人ピアニストという何もかも正反対な二人が、黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに、ツアーへと旅立った――。

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舟を作って、さあ、夢の世界へ漕ぎだそう        撮影は咲耶子

昔、正月に親戚が集まったとき、夢の話になった。
たぶん、だれかが初夢の話を持ち出したのだろう。

その中に、生まれてから一度も夢を見たことがないと言う人がいた。
一同、信じられぬという顔で「うちの犬だって夢みて吠えたりするぞ」と誰かが言った。
結局「そいつは起きた瞬間に忘れているだけだよ」という結論で終わった。
私は小さいながらに、夢というものを知らない人がいるのだ、と今でも記憶に残っている。

それから夢に興味を持つようになって、周りの人間にどんな夢を見るかと聞いてまわった。
すると、夢といっても、昔の白黒テレビのように「色のついていない」夢を見る人と、総天然色で見る人がいることがわかった。

一番驚いたのは「人物だけしか登場しない」夢の人がいたことだ。
つまりは周囲は真っ黒で景色も家もなく、ましてや大道具も小道具もない。そんな暗闇の中で「本人と相手だけが現れて、しゃべっている」と言う。
ちなみに、生まれながらの全盲の人は「音だけの夢」を見るという。

逆に、あまりにもリアルすぎて、そこが現実なのか夢なのか、混乱する人もいる。
そうなると、高所から飛び降りたり、トイレを探すときは、一瞬、躊躇してしまう。現実だったらヤバいことになるからだ。

面白いのは、夢を作りだせる人がいることだ。
さあ、こんな夢を見るぞと思って眠ると、そのとおりに夢が見られるのだ。
つまり夢が操れるのだ。

私自身も多少、夢をコントロール出来るので、好きな俳優を登場させて友達にしたり、自分自身がアイドルになったり女スパイになったり、空中旅行や水中旅行などしたり、美味しいものを食べたり(味も匂いもある)
思うまま夢を楽しんだりした時期があった。

夢とは脳の幻覚幻聴のようなものだが、単純にこれが夢の正体と言い切れないものがある。

大きく分けると、夢には、トイレを我慢して眠るときの生理的な刺激による夢と、日常の出来ごとの記憶から送り出された夢などのほかに、シンボリック(霊的)な夢というものがある。
いわゆる別の世界からのメッセージが含まれた夢だ。

このような夢は、
忘れないように必ず強く印象に残る。気になる夢には意味がある。

また夢には悪夢というものがある。
悪夢の多くは、潜在的な健康に関する警告であるようだ。
心身の不調和、心身の疾患、ストレス、トラウマなど、様々な要因によって見る。
たとえば『虫』というシンボルは、ほとんど夢主の体調や健康、身辺の環境に関係している。
心当たりがあるようなら、病院で検査を受けるなどしたほうがよい。

さらに夢は心理学的な要素が強く、人間関係、現状、将来などを暗示したりする。
悩みなどは潜在意識下では、すでに解決すべき答を持っていることが多い。
夢は、そんなあなたの意識に接触する行為と言える。

夢占いでよく語られるのが
『パーティー・宴会』『ホテル』が交友関係をあらわし
『赤ちゃん』が新しい事態、幸運の訪れを告げる。
『殺されそうになる』のは、主に精神的、肉体的に無理をしている。
『電車』は夢主の運命をあらわすシンボルの一つで、仕事での予定変更、人間関係の変化、環境の急変のときによく見る。
『歯が抜ける』夢も変化の暗示で、歯は夢主の生活基盤や人間関係を象徴している。

このように「夢」と一言で言い表すには、夢はあまりにも奥が深いといえよう。



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何故私たちは存在するのか? 美しい薔薇は神に問いかけない。  撮影は咲耶子

私たちは「宗教」と「迷信」と「霊性」を混同している。

中世では「迷信」と「宗教」が混同され、火あぶりにされるとんでもない実害すらあった。

また霊性と宗教も混同されやすく、現代ではスピリチュアルという言葉を
オカルトか金儲けと結びつけ、うさん臭いと思っている人も多い。

ではこの三つはどう違うのだろう?

「迷信」とは合理的根拠はないのだが、社会生活を営むのに実害があり道徳に反するような知識をさす。もちろん、古くからの生活の知恵を含む迷信もあるが、それを聞く人はタブーをそのまま信じてしまう前に、そのタブーができた前提条件を正しく理解する必要がある。

さらに「宗教」は取り決めであり「霊性」は旅であるという違いがある。

宗教の「神に従えば天国へ行ける」という取り決めは明確で、私たちの行動を規範で統制する。
信者は偉大なる師の答えをそのまま受け入れる。
宗教は、この世の秩序を強固にしようとこころみる。

霊的な旅は逆に「答え」のような明確なものなどない。
「私は何者か?人生の意味は?善とは?」などの疑問から私たちを未知への行き先に向かわせる。
探求者は偉大なる師を超えて、どこへなりとも行くことを決心している。
霊性は宗教とは逆に、この世界から逃れようとするこころみで、孤独なこころみなのである。

だが、どうしてこの真逆なこころみが、混同されやすいのか?
じつは「対極は、ほんのわずかな距離しかない」ということだ。

もっとも有名なストーリーは、大天使ルシファーがいとも簡単に天から堕ちてサタンになったという例だろう。

現実に、偉大な師すら霊性から宗教へ堕ちてしまう。
孤独な歩みであったはずの霊性への道は、いつしか仲間を引き連れ、組織となり、典礼と戒律が生まれる。
霊性の高い書物を残した指導者でさえ、成功を手にして賞賛を受けるうちに、目的を逸脱してしまうのだ。

例えば、モハメッドのコーラン自体は、今でも高い霊性を保っているが、彼が剣を手にした瞬間高みから堕ちてしまった。
「アッラー、慈悲深き者」という名のもとに、今では彼の道は残虐性と憎悪に満ちている。

実際、昔から現在に至るまで、多くの有名なグルと呼ばれる指導者が、セックスや権力、お金に絡み取られ、その富を見せびらかし、不自然な戒律すら説くようになった。

このように霊性の旅は、油断すると宗教の権力へと変化してしまう。
スピリチュアルに興味があるものは、崖ぷちの道を慎重に進むしかない。



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            あの世とは夢の世界なのか? 撮影は咲耶子

若い頃は、昼も夜も関係なく、眠くて眠くて仕方なかった。
だから休日の一番の楽しみは、昼過ぎまで寝ていることだった。
けれど今は不眠が大問題だ。眠れないのだ。
「神との対話」という本に面白いことが書かれている。

一般的に眠るのは、体が休息を取るためと思われている。       じつは逆である。魂が休息を求めているのだ。              魂は身体の制約にうんざりし、重さにうんざりし、自由のなさにうんざりすると身体から抜け出す。

 魂が身体に宿ることは単純ではあるが、楽ではない。魂は本来、自由で安らかで喜びに満ち、不安も苦痛もない ところにいる。                                 真実でない偽りの現実、想像上の現実にとどまることは、魂にとって大変な経験なのだ。 だから赤ん坊はしょっちゅう寝ている。まだ新参者の魂は、この非常にむずかしい経験に大変疲れるのだ。

 そうして魂はリフレッシュを繰り返し、だんだん身体にとどまる耐性がついてくる。 つまり現実の大変さと折り合いをつけるために「眠り」があり、魂は毎晩身体から抜け出すのだ。

 したがって身体で、なにをしようとしているか、なにをしているかが、はっきりわかった人ほど、身体から抜け出さなくなる。 目的と理由があってこの身体にきたことがわかっていれば、目的を追求しそのために身体といる時間を最大限に活用しようとする。だからそういう人たちは睡眠が短くなる。 〜「神との対話」より抜粋


思うに、眠れなくなるというのは、人生の折り返し地点にきて、魂が焦り始めたのではないだろうか?
この世界へ来た意味を、私たちはすっかり忘れているので、どんな課題を遂行していいのかわからない。

二の足を踏みつつ、一年経ち、十年経ち、あの世へ帰る日が近づいてくる。
「寝ている場合じゃないだろ!」
と魂は叫んでいるのかもしれない。

ならば、眠れないなりに長い夜のしじま、自分の人生の意味を改めて考えてみるのもいい。

そういえば、人生の大きな転換期が近づくと、非常に眠くなると聞いたことがある。
魂があちら側へ頻繁に戻り、新しい経験への対策を立てているのだという。
霊界に残ったグループソウル達と綿密な計画を立て、どんな準備が必要かを、どんな手助けをしたらいいかを話し合うためであるという。
これらの会議を具体的に覚えている人は、ほとんどいない。
だがシンボルだけは残される。

それが夢のメッセージになって残る。それは応援の掛け声かもしれないし、警告かもしれない。そういった夢は必ず記憶に残る。
その夢が良いものか悪いものかは、夢のなかでのあなたの感じかたでわかる。

同じ「海」の夢を見ても、
そのときのあなたの気分が、すがすがしかったか、恐ろしかったかでは、まったく異なる解釈が出来る。
 


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          生と死はとぎれなく、つながっている   撮影は咲耶子

ずいぶん前のことだ。
「催眠術で未来を見る」という番組企画があった。
忘れてしまった過去を見る「退行催眠」はご存知の方も多いだろう。
これは、その逆バージョンである。

未来は脳に記憶されてないのだから、たとえ催眠術でも出てくるはずがない、というツッコミはさておいて、この番組の話を進めよう。

催眠術をかけられた人が日本の未来を語りだす。
「私は今、飛行場に向かっています。高速道路を卵のような形の車で走っています。私の車も周りの車も運転手はいません」
予想範囲のイメージである。

私が心に引っかかっているのは、じつはその場面ではない。
「人がほとんどいません。手入れをされた美しい森が広がっています。でも人はとても少ない」

これはステレオタイプな未来のイメージなのだろうか?
人口減の日本だが、この番組が放送された頃には少子化問題という言葉すらなかった。

政治では移民政策ぽい話が出ている。となると未来は少し違ってくるが。
彼女の見た未来は現実になるだろうか?

未来を語ると言えば、「前世療法」が世界中で大ベストセラーになった精神科医・ワイス博士を思い出す。
博士によると未来は決まっているものではなく、現世の生き方や選択によって変わっていくようだ。

なので、催眠をかけられた患者は数パターンの未来を語ることもある。
現在の取り組みや考え方の違いが、大きくその未来を左右する。

国の政策が変われば、先ほどの未来が変わることは想像できる。

面白いのは、博士の本にも語られているが、特定の人種への偏見や憎しみが深いと、来世には反対にその憎んでいる人種に生まれ変わることが多いという話。
人生が魂の学びだとすれば、これは「憎しみ」を課題とした再テストのようなものだと言える。

家族単位でも同じだ。生まれ変わるたび、父が母になったり子になったり兄や姉が弟や妹になったり、役割を逆転させて、相手の立場から憎しみのほか、赦しや愛を体験していく。

相手や状況が重要なのではなく、それらに対する「想い」「感情」が学びの趣旨なのだ。

その感情があまりにも強烈だと、その感情に引きづられたまま、次の人生へ移行する。
そして立場を逆転した同じ、状況のシナリオが与えられる。

もし憎しみの感情を捨て去ることが出来れば、そのテストは合格となる。
つまり追試はないわけだ。言いかえると、これがカルマということだろう。

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