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「京道 東海道間道」 「安楽越」 「安楽越」は東海道のその少し北に、間道として作られた道です。
関所等が無く、安楽に越えられたのでその名がついたと伝えられています。
天正十年、羽柴秀吉は主君織田信長の仇、明智光秀を山崎川の合戦で討ち滅ぼしたが、 柴田勝家などの武将たちはこれが面白くなく、当時伊勢国主だった 滝川一益も勝家と共謀て秀吉に対抗したそうです。 天正十一年、秀吉は近江安土城を出発し伊勢侵攻の行動を起こしたが
雪が溶けると越前の柴田勝家の軍が行動を起こし、滝川と連合して攻めてくるため、 先手をしかけたそうで。 総勢七万五千とも十万とも言われる軍兵を三手に分け、
一手を「五僧峠越」 一手を「治田峠越」 秀吉は三万五千を率いて「安楽越」に殺到したそうです。 この峠の途中には「太閤腰掛石」なるものもあり、当時はこの険しい山道を
大群の兵を率いてどうやって越えたのでしょうか。 とても険しく馬も通れず、途中では地の利を利用した敵に迎え撃たれ、多くの兵が
安楽で命を落としたそうですが、地元の猟師を雇い道案内させ、伊勢に進軍した と言われています。 「新道の安楽峠です」
「安楽越」は現在は舗装された新道となっておりますが、川の対岸には古道も 微かに残っており、本来の峠も現存していますが自転車で辿るにはかなり難しそうです ほとんど廃道となっており、ルートも定かではないみたいですし、でも本来の峠だけは なんとかして行ってみたいです。 「{安楽手前の集落にて、古い町並みが残ってます」 「六地蔵」
「常夜灯」
「道標 ひだり 一番下の一文字が読めません」
「峠道」
いつもトレーニングで走っている峠道で、数え切れないほど越えている峠です
我が町から行くと「安楽川」に沿って上がっていくので、ほとんど交通量も無く 快適に走行出来る峠です。 この峠には「京道」とも書かれており、
大津街道や伏見街道と同様に、京都に通じる街道としても交易にも使われていたのでしょう。
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2011年10月19日
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