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日本とイタリアのコンクール入賞者を比べてみると結構面白いものです。
日本は完璧度を求めるのに対し、イタリアは素材を求める。
そうはいっても、イタリアもここ10年間だいぶ変わりました。
「東洋人ってすごいわよね。なんかよくわかんないんだけどすごくって点入れちゃったんだけどやっぱり違う。舞台に結びつく人材はほとんどいないしね。どこまれやれるか超芸当っていうかんじで一瞬惑わされちゃう。」
これはある有名な黄金時代歌手が審査員として立ち会ったときの言葉です。
最近活躍している歌手も大粒な素材が見当たらなくなりました。これは劇場側にも問題があるのですが、非常に残念です。往年の歌手は欠点もあり、個性もあり、聞けばすぐだれだれとわかったものですが、最近の歌手の声はどれも同じに聞こえます。
指揮者の上に歌手が居た時代と指揮者の下に歌手があり楽器のひとつとされてしまう現代との違いでしょうか。
またピアニッシモができない、声が強すぎる、ファルセット的な声、といった一種欠点に見える声も、それを生かしてくれる指揮者がいて彼らの個性を発揮できた。
しかし今は、指揮者の思い通りにならない歌手は次々とキャンセルされる。
それでも一般大衆に受けるのはやはり胸声をきかした情熱的な歌手。技巧的な歌手がすかれる日本とはだいぶ違う。
つまり日本はオペラを「歌」として「聞く」。イタリアはオペラを「芝居」として「感じる」。このあたりから日本での声楽レッスンの根本的な改善が必要とされるのが理解できるでしょう。
発声を「声」として捕らえるのでなく「言葉」として捕らえる。
一見関係ないように見えますが、女性のあるべき姿も多少関与していると思います。
日本はかわいい女が求められる。したがってレッジェーロ系のオペラはまだ比較的受け入れやすいのでしょうが(それでもルチア、愛妙、などは日本人がよしとするイメージとはだいぶ違うのですが)リリコのオペラとなると感覚がわからないのでしょう・・・アリアは歌えてもせりふが上ずりという状態がほとんどです。
よく日本でバリトンをしていたのにイタリアに行ったらテナーといわれたというのを聞きませんか?
まず家で聞く声と舞台で聞く声は違います。
舞台では日本バリトンがちょうどよいテナーに聞こえる。ありえることです。
でもその前にまず、人間性、性格、雰囲気・・・総合的に見てバリトンのイロニァを出せる東洋人は現実に少ない。しかしそこであきらめるのではなく、個性的な自分にしかできない役を作ってみたらどうでしょう?
先日、イタリアのある歌劇場でドンパスのゲネプロを拝見したのですが、ソプラノとテナーを劇場側はキャンセルしたがっていました。
ソプラノは技巧的にはほぼ完璧なのですが、どうも小粒。テナーはほとんどファルセットで歌っていましたね。あの歌い方ならあと100年は歌えるでしょう・・・・^^
劇場では全てが求められます。歌、演技、情熱、動き、敏感さ、また図太い神経・・・・これらを全てクリアーできる自信がなければ、余計なお金を使うことなくさっさと歌をやめて、普通の仕事に就くべきです。
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