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「いきなり浮上したわけではない」 三重県警の捜査幹部は静かに語った。昨年夏、三重県朝日町で、花火大会帰りの中学3年の女子生徒=当時(15)=が殺害された事件は、目撃情報に乏しく捜査の難航も予想されていただけに、発生から約半年で少年(18)が逮捕される事態は一見、急展開したかのようにみえた。だが、水面下では少しずつ、着実に、捜査の手が少年に及んでいたのだ。帰宅時間の矛盾などから「アリバイ」にほころびが見え始め、遺留品に残された指紋などから容疑は決定的に。任意同行された当初こそ関与を否定していた少年だったが、証拠の数々を突きつけられると、観念したのか「私が犯人です」と容疑を認めたという。 ■アリバイ崩れ… 「ご同行願います」 3月2日午前、三重県鈴鹿市内の路上。三重県警の捜査員が声をかけたのは、父親と買い物に出かけていた長身の少年だった。 前日に県立高校の卒業式を終えたばかり。捜査員の接触に驚いた表情を浮かべた少年だったが、任意同行に応じた。午前8時50分ごろ、事件の捜査本部が置かれている四日市北署とは別の、四日市南署に入った。 事情聴取で少年が持ち出したのはアリバイだった。 まず、事件の概要はこうだ。 《女子生徒は昨年8月25日、四日市市内の花火大会の見物に出かけ、同日午後10時半ごろ、自宅最寄りのJR朝日駅で下車。友人と別れ、県道を歩いて自宅に向かった後、行方不明になった》 これに対し少年は8月25日夜の行動について、こう説明した。 《午後8時半ごろまで、四日市市内の友人宅の高層マンションから花火大会を見物した。終了後、自転車で帰宅し、午後10時ごろには朝日町の自宅に着いていた》 女子生徒が事件に巻き込まれたとみられる時間帯にはアリバイがあり、事件とは無関係であると主張していたという。 しかし、これまでの丹念な捜査の積み重ねから、捜査本部には矛盾点が見えた。 例えば、現場近くのスーパーに少年が立ち寄った形跡があったこと。店の防犯カメラを精査すると、午後10時以降も同店に滞在する姿が記録されていた。これに、一緒に花火を見た友人の話なども総合すると、「午後10時ごろには帰宅していた」との少年の説明が虚偽である可能性は高かった。 客観証拠も見つかっていた。女子生徒の所持品から、少年の指紋が検出されていたのだ。少年と女子生徒に面識はなく、犯行時以外に所持品に触れる機会はなかったとみられる。 追い込まれた少年はこう話したという。 「私が犯人です」 任意同行から半日以上が経過した午後9時半ごろ、捜査本部は少年を強盗殺人などの疑いで逮捕した。 ■事件の夏以降も変わらず登校 少年は、女子生徒の遺体が見つかった空き地から徒歩で10分程度の民家に住んでいた。中学では野球部に所属し、自宅前で父親とよくキャッチボールする姿が目撃されていた。祖父母と両親、妹2人の7人暮らしで、家族仲も良好だったという。 逮捕に驚きを隠せないのが中学・高校時代の同級生ら。 「そんなん嘘やろ」 「信じられない」 少年の事情聴取が報じられた後から、無料通信アプリ「LINE(ライン)」では、同級生らのこんな言葉が飛び交った。 逮捕前日の卒業式では、率先して写真撮影や寄せ書きを書くなどし、最後まで仲間との別れを惜しんでいたという少年。気の強い仲間からしばしば体をこづかれるなど「いじられキャラ」としての一面もあったが、卒業の記念冊子に「いじってくれてありがとう!」と自ら書き込んだ。 いつも仲間の輪の中ではしゃいでいた姿と、社会を揺るがせた凶悪事件の容疑者という別の顔。同級生らは、この2つを重ねることができなかったようだ。 「卒業しても、また遊ぼう」。高校で同じクラスだった男性(18)は、卒業式で少年に声をかけられていたという。「一緒に何度もカラオケに行った。本当にいいやつ」とした上で、「事件があった夏以降も、普段と何も変わらなかったのに…」とこぼした。 ■「偶然見かけ殺害」 少年の逮捕は、女子生徒の遺体が発見されてから約半年後だ。事件は急転直下、大きく展開したかに見える。だが、捜査幹部は「(少年の存在は)いきなり浮上したわけではなく、証拠を着実に積み重ねた結果だ。相手に気付かれぬよう、慎重に捜査を進めた」と明かす。 捜査本部が任意同行前に少年と接触したのは、遺体が見つかった昨年8月29日の一回のみ。周辺の聞き込み捜査を担当していた捜査員が自宅を訪ねると、応対したのが少年だった。 「不審な人、車などを見ませんでしたか」。尋ねた捜査員に対し、顔色一つ変えず「知りません」と答えたという少年。重ねて、前述の自らのアリバイを説明したという。 この日、少年は自身の短文投稿サイト「ツイッター」上で、自宅に捜査員が来たことを明かし、「近くの家の人に聞いて回るらしい」「気持ちの整理がつかない」などと投稿。終始、事件とは無関係を装っていた。 また少年は、夏休みが明けても、普段通りに登校を続けていた。遺体の発見現場と自宅が近いことから、ある友人が冗談半分で「お前が犯人だろ」と言うと、笑って聞き流していた。 逮捕後、少年は調べに対し「事件直前に偶然見かけた。その後、空き地で1人で殺害した」と供述しているという。 少年は、さしたる怨恨(えんこん)もなく殺害に及び、同級生たちにも事件への関与を悟らせないよう、残り半年の高校生活を過ごしていたのだろうか。自身の中で事件がなかったものとして処理されていたとしたら、背筋が寒くなる。 |
日記
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「おこたでミカン」の光景、どこへ消えた…電気こたつの国内生産“激減”産経新聞 1月25日(土)21時30分配信
電気こたつの国内生産台数とみかんの出荷量(写真:産経新聞) 電気こたつの国内生産が激減している。マンションなどでエアコンが普及したほか、部屋の保温性が高くなり、和室が減るなどしたためとみられる。一方、昔はこたつの上に必ずと言っていいほど置かれていたみかんの出荷量も大きく減少している。ほかの果物や菓子などスイーツが多様化したことも原因として考えられるが、こたつとみかんの減少に相関関係があるとの仮説を立て、オフィスなどのデスクやテーブルの上にみかんを置く運動も現れている。いずれにしても、こたつとみかんという当たり前だった冬の日常が、過去のものになりつつある。(張英壽) ■急な右下がり 電気製品などの生産実績をまとめた経済産業省の生産動態統計。この中で、電機メーカーでつくる日本電機工業会(東京)の平成2年からのまとめによると、電気こたつの国内生産台数は、2年は約178万台だったが、9年には100万台を割り込んで約92万台に落ち込み、15年には9年の9割減近い約24万7千台にまで減少した。国内で生産しているメーカーが少なくなったため、16年以降は調査対象から外され、現在に至っている。 一方、農林水産省の統計では、みかんの出荷量は昭和48年に約305万トンだったが、徐々に減少。平成2年には半分以下の約148万トンにまで落ち込んだ。さらに、14年には100万トンを割り込む99万6500トンを記録。15、17年は100万トンを超えたものの、傾向は変わらず、24年は約75万7千トンにまで縮小した。昭和48年と比べると、5分の1近くになっている。 電気こたつの生産台数、みかんの出荷数を折れ線グラフにしてみると、いずれも急な右下がりなるが、こたつのほうがより減少幅が大きいように見える。 だが、こたつは海外生産で生き延びている。 「現在は国内で電気こたつをつくるメーカーはほとんどなくなった」 電気こたつをつくり続けている電機メーカー「小泉成器」(大阪市中央区)。商品事業統括部で冷暖房空調機器を担当する永野健輔課長(45)はこう指摘する。業界では平成7年ごろから人件費が高い国内から、東南アジアや中国などに生産拠点を移しているという。 同社では現在も約20種類の電気こたつを販売しているが、ほぼすべてマレーシアの工場で生産している。 冬にこたつを使う習慣は、日本以外にはない。エアコンやほかの家電製品も同様に海外で生産しているが、それらは日本以外の国でも使われる。電気こたつは、国内でしか利用されないのに、ほとんどが海外でつくられている。逆説的な現状だ。 ■かつては若者が支えた こたつの需要が減少傾向にあるのは間違いないが、それでも一定のニーズはあるという。小泉成器は、電気こたつ業界で10%弱ほどのシェアがある。小泉成器では生産していないが、業界で最も売れているのが、「カジュアルこたつ」と呼ばれるタイプだ。 「カジュアルこたつ」とは形が正方形で、一辺が70〜75センチ程度。価格は5千〜6千円ほど。 「一人暮らしの若者に人気。暖房器具としてだけでなく、机にして勉強したり、テーブルにしてご飯を食べたりできる」 永野課長はこう魅力を説明する。 業界では、カジュアルこたつは、こたつの販売数の約半分を占めているという。これに対し、より大きく長方形のタイプが多い「家具調こたつ」というタイプもあるが、こちらは2万〜3万円程度で若干高くファミリー向け。小泉成器も製造している。 ただ、永野課長は「昔も今も電気こたつは1人暮らしの若者が支えている」と指摘する。 エアコンが普及していなかった昭和30、40年代、こたつの便利さが1人暮らしの若者に受け、こたつは需要を伸ばしたとされる。木造アパートの部屋で、こたつに入り、空気に触れる上体はちゃんちゃんこなどを着て過ごすという姿が思い浮かぶ。 家族がいる世帯でも、こたつは冬にはなくてはならない暖房器具だった。典型的な光景が、こたつの上にみかんを置いて家族団欒(だんらん)する姿だ。 現代のエアコンの国内市場は800万台とされる。永野課長は「昭和40年代には一家に一台はこたつがあった。電気こたつは、当時かなりの需要があったのではないか」と推察する。 だが、1人暮らしの若者がマンションなどに住むようになり、冷房と暖房の両方ができるエアコンも広まった。 こたつの減少について永野課長は「一戸建てでも、マンションでも、フローリングが増えたことが大きいと思う。フローリングにはソファが合うとのイメージがある。都会的な感覚を楽しむ人たちが増え、若者を中心にこたつ離れが進んでいる」と話す。 ■平成生まれは知らない かつて家庭のこたつの上に必ずあったみかんも、減少が止まらない。 その原因を、こたつの減少にあるとの仮説を立て、会社のデスクや家庭のテーブルにみかんを置く運動を展開している人がいる。 野菜や果物の摂取拡大を目的にしたNPO法人「青果物健康推進協会」(東京)の事務局長、近藤卓志さん(52)だ。 運動はもともと、メタボリックシンドロームの原因の一つが会社のデスクにある菓子と考え、よりカロリーが低いみかんで代替しようと始まった。近藤さんはこう振り返る。 「みかんの消費が減っていて伸ばさないといけないと、関係者と議論したんです。すると、昔こたつでみかんを食べていたけど、最近は減ったということになった。つまり『食べるシチュエーション』がなくなっていると気づいたわけです」 こたつとみかんの減少の相関関係は「だれもきちんと調べておらず、あくまで仮説」というが、「食べるシチュエーション」を取り戻そうと、会社のデスクや台所のテーブルでみかんを置く運動をしており、大企業も協力している。 近藤さんによると、昭和生まれの人にみかんを家のどこで食べるか尋ねると、大部分が「こたつ」と答えるが、平成生まれの若者は「ほとんど食べない」と返答するという。若い世代はこたつイコールみかんという連想をしない、いや食べないということだ。 果樹の苗木業者でつくる日本果樹種苗協会(東京)によると、日本のみかんは、正式には、温州(うんしゅう)みかんと言い、約400年前に中国から鹿児島県に伝わった柑橘(かんきつ)の種から偶然に生まれたとされる。現在は中国や韓国でも、みかんは栽培されているが、いずれも温州みかんの枝を接ぎ木して、現地で栽培されるようになったという。 おもしろいことに、こたつも、みかんも日本固有というわけだ。 ところで、こたつ以外でみかん減少の要因として考えられるものは何か。協会の担当者は果物嗜好の多様化をその原因に挙げる。 「イチゴやバナナも最近は値段が安く、食べやすい。夏場はメロンやスイカがあり、ブドウやリンゴも品種が豊富。胃袋に入る量は決まっているので、みかんはそのほかの果物と競合しているわけです」 また青果物健康推進協会の近藤さんはこたつとみかんの相関関係を指摘する一方で、「ケーキなどのスイーツが多様化し、コンビニで手に入る。そうしたスイーツに流れているのではないか」とも分析している。 |
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毎日新聞 1月9日(木)21時28分配信
爆発した現場周辺を撮影する三菱マテリアル四日市工場の社員ら=三重県四日市市で2014年1月9日午後5時18分、兵藤公治撮影 9日午後2時5分ごろ、三重県四日市市三田町の石油化学製造「三菱マテリアル」四日市工場で爆発があった。同社社員ら男性作業員5人が死亡。他に男性12人がけがをして、うち1人はやけどなどで重傷。三重県警は業務上過失致死傷容疑で捜査する。 【現場を空撮】複数の写真で状況を確認 爆発音とともに一瞬にして現場は惨状と化し、作業員5人の命が奪われ、12人が重軽傷を負った。四日市コンビナートの一角、三重県四日市市の三菱マテリアル四日市工場で9日に発生した爆発事故。半導体基板の原料となる「多結晶シリコン」などを製造している最先端の工場で何が起こったのか。安全管理に落ち度はなかったのか。本格的な原因究明が始まった。 熱交換器を洗浄中だった作業現場。爆風のすさまじさを物語るかのように、巨大な円筒形の熱交換器が倒れて横たわっていた。 工場すぐ南を流れる鈴鹿川を挟み、約1キロ離れた同市塩浜に住む女性(73)は事故当時、家でテレビを見ていたところ、家全体が揺れ、「バリッ」という音で飛び起きた。「一瞬地震かと思った。足が不自由なので、逃げ遅れるのではないかと思い、怖かった」と肩をすくめた。 工場の近くを歩いていた別の男性(62)は「ドーン」という地鳴りのような爆音が2秒ほど続き、「何が起きたのか」と驚き、知り合いと共に堤防に駆け上がった。「工場が建ち並んでいるので、こういう事故がいつか起こるのではと思っていた。住宅の方へも影響が及ぶのではないかと思うと怖い。亡くなった方が気の毒だ」と話した。 同社は同日午後7時半から工場で記者会見を開き、猿渡暢也工場長は「5人の尊い人命を失う結果を招き、誠に申し訳なく、謹んでおわび申し上げます」と陳謝した。 |



