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先日宣伝させていただいた
友人が出演している
「情熱大陸」
我が家も夫婦で見ました
http://www.mbs.jp/jounetsu/2008/10_05.shtml
子どもたちが寝静まってから
かなりボリュームを下げて
なんとなくどきどきしながら見ました
見終わって
床に入ってみても
まだいろんな思いが浮かんでは消えという感じで
うまくまとめ切れません
このブログに書こうという今でもうまく整理できていませんが
今のこの気持ちを表現してみたいと思います
最初
「うわ〜こんないい所で子育てしてんのか〜!いいな〜!」と
画面に映し出される沖縄の海と自然に完全ノックアウト
素直にうらやましい
こんな素晴らしい環境の中で子育てが出来るなんて
そして、よみたん自然学校の理念
大人はただ見守る
子どもは自分の身は自分で守るをルールに
指示的、支配的な大人からの解放を目指している
幼児期において、子どもが子ども同士で
目標に向かってひた走ったり
あるいは問題解決に取り組む姿勢には大いに共感
そして大人は答えを出すことなく
ただただ見守る
子ども達は守られた環境の中で
自らを解放し自我を育んでいける
守られた環境を維持するのは
大人の視線=「見守り」と
「場」を維持することのみ
大人として、親として
「見守る」ことの大切さ
「待つ」ことの大切さ
そして忍耐強く「立ち続ける」ことの大切さ
を再確認することが出来ました
しかし、
子どものやりたいことを「見守る」ことと
ルールというか「しつけ」の部分については
疑問を持ちました
我が家では食卓であるちゃぶ台には
子どもたちには上らせないですし
親としてぶれない価値観というものは
子どもにも伝えて行きたいと思っています
映像ではテーブルにのりたければ
いくらでものっていい
そのことについては大人は注意はしない
というスタンスでした
この部分は議論が分かれるでしょうし
本人たちも「これでいいのか」という迷いが
あるようにも感じられました
実は今回の「情熱大陸」
そして「よみたん自然学校」のテーマは
「迷い」だったのではないでしょうか
理想と現実
その間で悩む「大人」が浮き彫りにされたように思います
社会的な評価は子どもたちが成長していくことで
得られるというようなコメントもありましたが
かなり「評価」に敏感になっているんだな
とも思いました
子育てを評価するということは私には危険なような気がします
子ども達は伸びていくべき方向に自然と成長していく
成長の初期段階に「よみたん自然学校」があったとしても
その後の人生は子ども本人のもの
社会的な評価のために子どもを利用するのは間違っている
成長していくのは子ども自身
よみたん自然学校という場を提供しているだけである
というスタンスが学校の理念にもあっているのではないか
そう感じました
そしてお金の問題
「場」の提供と「見守り」のために
どれだけの人がお金を支払うか
現実問題として利用者は保育が4人(内自分家の子どもが2人)
学童保育に4人
なかなか運営資金は大変そうである
沖縄という土地柄、ナイチャーである
我々の視線からは「癒しの島」であり
行くだけで価値があるが
ウチナーからすれば
ごくごく当たり前の環境
そこに「場」の提供と「見守り」だけでは
価値は見出せないのではないか
ウチナーからすれば
「またナイチャーが新しいことを始めた」ぐらいでしかないであろう
私としては「何で沖縄だったのか」という疑問が浮かんできたのである
そして沖縄でやるのであれば
沖縄、現地の人に受け入れられる学校でなければ
意味がないと思った
そうであれば沖縄らしい沖縄の伝統に従った形での
運営を行うということも必要だと思う
アメリカには「見守り型」のいいモデルがあるそうであるが
それが日本で沖縄で通用するのか
パイオニアとしても「迷う」ところであろう
ナイチャーの視点を持ちながら
沖縄らしい学校運営、子育て環境を築きあげていくこと
そこに「よみたん自然学校」が沖縄にあることの
意義になるのではないかと思う
そして、もうひとつ
自らの子育てを金銭化・市場化してしまっているという点である
子育て環境と仕事場が同じであるということは
自らの子どもたちを利用しながら
子どもたちを市場にさらしてしまっている
先の話ではないが「社会的評価」の対象にもしてしまっている
また、TVに出るということだけでも
社会の目にさらされてしまった感はある
厳しい意見かもしれないが現実である
そして、このような子育て、そしてその環境は
実のところ親の価値観の範囲内であるということも
付け加えておこう
このようなことを言っておきながらなんだが
本当に子育ての環境としては素晴らしいところを選んだと思うし
子どもと同じ時間を過ごしながら生活できるということは
最高の贅沢だと思う
その環境を自らの手でつかみとったことの意味は大きい
そして少ないながらもその価値観を
共有してくれる仲間、子どもがいるということも
幸せなこと!
そう考えれば最高の環境で子育て出来ているんだから
銭儲けは二の次、三の次でいいだろう
これでガッポガッポ儲けちゃったら「ばち」が当たるってもんです
新しい土地で新しいことを立ち上げる
その勇気と実行力にはただただ敬服するばかりであるし
私もこんな環境に身を置いてみたいと思いながら
その一歩を踏み出すことが出来ないでいる
批判も当然出てくると思うし
生活と理想の間での「迷い」は続いていくだろう
実はその「迷う」ことが「よみたん自然学校」を主催してくことの
大きな仕事であり価値があることだと私は思う
その「迷う」ことを背負っていくことに
私は金銭的な価値(報酬を得るという意味でも)を見出すのである
「よみたん自然学校」は子ども達が成長の過程において
通過していく「場」である
成長は子どもたちに任せて、徹底して「見守り」続ける
そして沖縄らしいスタイルをぜひとも
現地の人々と築き上げていって欲しい
欲を言えばよみたんの後継を現地の人に託し
自分たちの成育地で沖縄で培った
理念とスキルを活かした自然学校を設立して欲しいものだ
自然学校はともかく
子育てをしている同じ親として
応援しているぞ!
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なるほど、考えさせられました。ビジネスだから成り立つ事、反対に成り立たないこと、色々あるかもしれませんね。価値観の多様化した今、何を大切にするのかさえ見出せない事があります。大切なのは、それぞれが自分の生き方としっかり向き合うことなのかな・・・とこの記事を読んで感じました。揺れながら悩みながら、後退することもあり、幸せはそれぞれの心の中に。後悔のない人生だったと思えるように。悩みっぱなしのはなみずきのコメント、説得力ないですけど
^^; お友達も、御自分たちの思う道に後悔のないよう、子ども達も後々幸せだったと思えるものがあったらいいですね!
2008/10/8(水) 午前 0:16 [ はなみずきの夢 ]
テレビを見て子どもたちが楽しそうに過ごしている姿をみて、間違ったことはしていないと直感的に思いましたね。今このときを楽しめているか!そこを評価してあげて欲しいなぁと思いました。はなみずきの夢さんにもいろいろ考えて頂けたみたいで良かったです。
2008/10/8(水) 午後 1:45 [ acc**ntaka*han ]
ホントその通りだと思います。私の述べた感想以上にハッキリとした意見で、共感することが多いです。遊びの場としては、私も最高の場所だと思います。躾となると、??ってなことが多かったですけど。これは価値観の違いですしね。私もそうですが、子育てしながらいつもこれでいいのか?って思います。皆そうなんでしょうね。ただ・・・学校を開いてるとなると、やっぱりちゃんとした「理念」これは絶対だと思います。
2008/10/8(水) 午後 9:50
AKE−aiさんもコメントを読ませていただいて、「学校」っていう看板が受け取る側に違和感をもたらしているのかもしれないなと感じました。もう少し「居場所」的なニュアンスの方が受けれやすいのかもしれませんね。子育ては迷いの連続ですよね。でも楽しみも沢山!だからやめられません…。
2008/10/8(水) 午後 10:54 [ acc**ntaka*han ]
テレビを拝見していないので、 acchantakachanさんの記事に対するコメントになります。
「見守る」「待つ」「立ち続ける」。子供の考えを尊重し、子供の成長を信じて手は出さず見守っていけるといいなぁと、常に思っています。が、ついつい手を出してしまいます。特に上に対しては。
ただ、子供は見守っていただけでは育たないと思います。やはり、親が方向性を示すことは必要だと。特に社会生活を営む上で必要な社会的ルールは、きちんと教えてやらないと、子供だけで学べるものではないと考えています。良いことは良い、悪いことは悪い、そこには理屈なんてないんだ!ってことも、実は大事なのかも。特に小さいうちは。
2008/10/9(木) 午前 0:42
うーん。確かにルールと言う点ではどうかな、と思うところはありました。
机に乗っちゃうのは私も気になりました。ある時「机に乗ってはいけない」と自分で気付くかもしれませんが、それまで見守ると言うのは容易なことではないなー。
私ならついついお尻をペンペン。
でも、それを言い始めると、あれはダメ、これもダメ、それは危ない…となちゃいますもんね…
うーん。難しい。我が家も幸いある意味自然学校のような環境ですので、あとは私も自然に自然に。過保護にしすぎず、干渉しすぎず、かといって放任せず…子どもと一緒に成長していけるように頑張りたいと思います。
2008/10/9(木) 午後 1:48
理屈ではない価値や決まりが今の世の中なくなってきてしまっている気がします。人を殺すことすら肯定できるような価値(大きく解釈すれば戦争だって)がまかり通ります。日本はその揺らぎの処方に「武士道」を持ってきました。あるいは「品格」でもいいかもしれません。子どもにとって親は社会の入り口であり見本であり子どもは親の鏡。理屈ではない理屈は実は親の価値観だったりして…。考え出すと難しいですね。親は迷いながらぐらつきながら子どもを愛し続ける。その親の姿を見てもらうしかないですね。愛しているををいう事を伝えたいです。
2008/10/9(木) 午後 2:12 [ acc**ntaka*han ]
昔話題になった戸塚ヨットスクールが一方の極ならよみたん自然学校はもう一方の極といえそうです。私としてはそのどちらでもない曖昧なふらふらしたものが子育ての本質ではないかなとも思います。沖縄には「中庸」の思想があります。その思想に根ざした沖縄らしい学校を目指して欲しいなとも思いました。さちさんの子育て環境うらやましいです!
2008/10/9(木) 午後 2:15 [ acc**ntaka*han ]